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第3章 27歩の外へ 3

***


 夜半、鐘は鳴っていない。石壁の奥で水音だけが規則正しく響いていた。それは、何も起きていない証のはずだった。その静寂を、突然波形が引き裂く。規定時間外にアシュレイの穢れが、急激に波打った。


 理由は些細だった。神官の報告書に書かれた一文。


《依存度:上昇傾向・分離検討段階》――その文字を見た瞬間、呼吸が乱れた。『分離』という言葉に胸が締め付けられ、穢れが大きく反応する。制御しようとしても、気持ちが揺らいでどうすることもできなかった。


 扉の外で神官がざわめく。


「波形上昇! 規定値を超えます!」


 だが今は接触時間外で、あと二時間は許可されない。


 そのとき、廊下に足音が響いた。それは強くて、迷いなくこちらに向かってくる足音だった。


「レオンハルト様! 規定外です!」


 神官たちの止める声と一緒に聞こえる、それを振り切る音と金属の音が聞こえた刹那、扉が大きく開く。扉の前に、レオンが立っていた。息を切らし、額に汗を浮かべながら。


「殿下」


 穢れが彼を認識した瞬間、黒がざわりと揺れ、主を思い出したように静まり始める。


「来るな……」


 来てほしいと願いながら、拒む言葉がアシュレイの口を突いて出た。


「来れば、あなたが罰せられる」


 それでもレオンは歩み寄る。27歩の距離を簡単に超えた。


「構わない」


 手を伸ばしてアシュレイの頬に触れ、そして抱き締める。レオンが来てくれた安堵と喜びで、一瞬だけ穢れが黒く弾けるとレオンの鎧に熱が走る。だが次の瞬間、嘘のように沈静した。地下水盤が穏やかに整った途端に、外で悲鳴が上がる。


「減衰率、急上昇! 規定外接触を確認!」


 武装神官が突入するが、レオンは離れない。


「時間外接触は禁則だ!」


 ふたりを引き放そうとした武装神官たちの手によって、レオンは腕を掴まれる。それでも――。


「俺が判断した。このまま殿下が暴走すれば、穢れが外に漏れて犠牲が出る。それなら、俺が罰を受ける方が安い!」


 最悪の事態を想定したその言葉が、空気を裂く。それでも怯まなかった武装神官が、アシュレイからレオンを引き剥がす。細い二の腕が希望を引き寄せようと、何もない空だけを掴んだ。


「やめろ!」


 穢れが一瞬揺らぐが暴走しない――まだ、温もりが残っているおかげだった。


 扉の前にレオンが跪かされ、鎖で幾重にも拘束されたタイミングで老神官が現れる。


「聖騎士レオンハルト」


 見下ろされながら告げられた声は、いつも以上に冷たい。


「3日間の拘束処分を命ずる。ゆえに接触全面禁止。さらに――」


 冷たい視線がアシュレイに向く。


「依存度上昇は危険水準に達した。明日より分離距離を拡大。27歩を100歩へ。違反があれば、聖騎士は更なる拘束処分とする」


 罰として遠くなった距離を聞いただけで、心臓が止まる。100歩、それは事実上の断絶だった。


「やめろ……」


 あまりの事態に、アシュレイの声が震える。それを無視して、老神官は淡々と続けた。


「聖騎士を装置化すれば、殿下は穢れを自ら調整することが叶わず、自立できぬであろう。依存は早々に排除すべきだ」


 悔しそうな表情で、レオンが顔を上げる。唇から血が滲んでいたが、目力だけは強い。


「それで殿下が無理をして壊れるなら、意味がない!」


 武装神官が無抵抗の彼を引きずると、体に巻かれた鎖の音が響く。離されていく現状を目の当たりにして、アシュレイの胸で何かが裂けた。


「レオンすまない。私のせいだ……」


 穢れが静かに波打つ。怒りと自責。そして、初めての感情――神殿への敵意が沸々と燃え上がった。老神官は気づかない。水盤の数値は安定している。だが王太子の瞳が変わったことに。


 レオンは振り返らなかった。ただアシュレイに聞こえるように、一言だけ大きな声で残す。


「俺は後悔していない!」


 扉がゆっくり閉まる。静寂がひとりきりの部屋を包み込んだ。100歩――神殿が引いたその線をいつか必ず越えることを、アシュレイは心の奥底で静かに誓った。

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