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第8話:黄金の薬草と、森の邂逅

 王都の裏通りにある、バルトロの隠れ家。本来なら王宮の宿舎で優雅に過ごしているはずの彼は、今、血走った眼で古い金庫をこじ開けていた。


「……これだけか。これだけしかないのか!」


 金庫から溢れ出たのは、これまで彼が庭園の予算を中抜きし、業者からの賄賂で積み上げてきた金貨の山だ。しかし、今のバルトロにとってそれは、あまりにも心許ない盾でしかなかった。彼はこの数日間、なりふり構わず「独自調査」を進める騎士や役人を買収しようと躍起になっていた。ロルフの過去の功績を抹消し、庭師たちの口を封じるために、彼は私財を投げ打って湯水のように金をばら撒いている。


(まだだ……まだ、バラ園の失敗は『不可抗力』として押し通せる。あの黄金の薬草……ガラムとかいう商人が持ち込んだあの草さえ、私が秘密裏に開発した試作品だと言い張れば……!)


 バルトロは、市井で「奇跡」と称えられている『金冠草』の噂を聞き、それを自分の手柄にすり替えるという最後の大博打に出ようとしていた。私財をなげうってでも、この地位さえ守り抜けば後でいくらでも回収できる――その浅ましい執念だけが、彼を動かしていた。


 一方、王宮の執務室。メビウス監査官は、机の上に置かれた一枚の葉を見つめていた。ガラムの商会から極秘に押収した『金冠草』だ。


「……見事なものだ」


 メビウスは溜息をついた。顕微鏡のような魔導具で覗いたその葉脈には、極めて精密な、そして「慈愛」すら感じるほど丁寧な魔力術式が刻まれていた。「既存の浄化薬とは根本的な発想が違う。瘴気を『排除』するのではなく、毒素を『養分』に書き換えて無害化している。……こんな芸当ができる男を、バルトロは『無能』と呼んで捨てたのか」


 メビウスの傍らには、王都の精鋭である騎士団の調査報告書がある。ロルフが向かったとされる先は、かつての豊村――今は『死の森』の深淵だ。


「陛下に奏上せよ。これより調査団を豊村へ派遣する。……名目は『行方不明者の捜索』だが、真の目的は『救世主の捜索』だ。特使には、騎士団でも随一の実力者……『雷光』のアルベルトを付けろ」


 末期の王国が、ついにその唯一の希望へ向かって動き出した。



 その頃、豊村の周囲を囲む『死の森』。ここは本来、瘴気が渦巻き、まともな生物は数分と持たずに正気を失う地獄のはずだった。


「――っ、くそ! なんだ、この瘴気は! 呼吸をするだけで肺が焼けるようだぞ!」


 王都からの特使、アルベルトは、大剣を杖代わりにして膝をついていた。彼は王都でも数少ない『Aランク』相当の魔導騎士であり、並の魔獣なら一太刀で両断する実力者だ。だが、この森は彼の想像を絶していた。


「アルベルト様、前方に反応!……巨大です!瘴気に当てられて変異した『カラミティ・ベア』だと思われます!」


 部下の悲鳴のような声と同時に、森の奥から家一軒ほどもある巨体が現れた。六つの眼が赤く光り、全身から毒の体液を滴らせるその魔獣は、この森の食物連鎖の頂点に立つ死神だ。


「……総員、散開! 死ぬ気で防護結界を張れ! ここで我らが倒れれば、王都は終わるぞ!」


 アルベルトは死を覚悟した。Aランクの彼をもってしても、この瘴気の中での戦闘は絶望的だ。魔獣が咆哮し、巨大な鉤爪が振り下ろされた、その時――。


「――あ、危ないですよ。そんなところで大声を出したら、植物たちが驚いちゃうじゃないですか」


 場違いなほど穏やかな声が、森に響いた。


 アルベルトの視界を、眩いばかりの『黄金の光』が覆った。一人の青年が、手になにげない「剪定バサミ」を持って、巨大な魔獣の足元に立っていた。


「グルアァ……!?」


 魔獣が困惑したように声を漏らす。青年――ロルフは、魔獣の振り下ろした爪を、まるで邪魔な枝を払うかのような動作で、左手の掌一つで受け止めていた。


「……等価交換コンバート。君のその暴走した魔力は、ちょっと多すぎるね。……今の村には、肥料が足りないんだ」


 ロルフが静かに呟くと、魔獣の巨体がシュウシュウと音を立てて縮んでいく。魔獣を構成していた膨大な瘴気と筋肉が、ロルフの手のひらを通じて、足元の地面へと吸い込まれていった。わずか数秒。王都の精鋭を全滅させかけたAランク魔獣は、見る影もなく消え去り、そこには一輪の、見たこともないほど美しい黄金の花が咲いていた。


「……は?」


 アルベルトは呆然と口を開けた。自分が命を懸けて戦おうとした怪物を、この青年は「肥料」に変えたのか。


「あ、すみません。驚かせましたか? ちょうどこの辺りの土壌を整えようと思ってたんです。……あ、お怪我をしていますね。シオン、リゼット、救急箱を持ってきて!」


 ロルフの後ろから、二人の少女がピクニックにでも行くような軽い足取りで現れた。アルベルトは、自分たちの常識が音を立てて崩れるのを感じた。この恐るべき死の森を、この三人は「庭」のように歩いている。


「君は……君が、ロルフなのか?」


 アルベルトが震える声で問うと、ロルフは少し困ったように、首を傾げた。


「ええ、まあ。元・庭園管理助手のロルフです。……でも、今はただの村人ですよ。特使の方、わざわざ都からこんな何もない辺境まで、何の用ですか?」


 ロルフの言葉は、何の裏もない純粋な疑問だった。だが、それがアルベルトには、痛烈な皮肉に感じられた。


 (何もない……? 何もないだと……?)


 アルベルトは、自分たちを救った黄金の花と、瘴気を感じさせないロルフの立ち振る舞いを見やった。王都のバラ園が枯れ、都そのものが腐敗し始めているというのに、彼が「何もない」と呼ぶこの場所には、王都が失ったすべてが揃っている。


(皮肉なものだ。我々が守ろうとしていた『繁栄』はあちら側にしかなく、ここには救うべき『無能』など一人もいなかった……。いたのは、この地獄を独力で平らげた怪物だけだ)



 アルベルトたちは、半ば引きずられるようにして豊村へと招かれた。  村の境界を一歩超えた瞬間、彼らは二度目の衝撃を受けることになる。


「なっ……なんだ、この空気は!?」


 瘴気は一切ない。どころか、王宮の最深部よりも清涼で、濃厚な魔力が肌に溶け込んでくる。

「……ロルフ殿。私は……我々は、君に……謝罪しなければならないことが……」


 アルベルトが絞り出すように言うと、ロルフは屈託のない笑みを浮かべた。


「いいですよ、そんなの。バルトロ主任……いえ、あの人とは意見が合わなかっただけですから。都の人たちが大変だって話は、ガラムさんから聞いています。僕にできることがあれば、相談に乗りますよ。……もちろん、この村のみんなを第一にするのが条件ですけど」


 ロルフは、都を見捨てたわけではなかった。ただ、彼にとっての優先順位が、かつての「仕事」から、今の「居場所」へと移り変わっただけなのだ。


 その器の大きさと、有無を言わせぬ豊かさを前にして、アルベルトは悟った。


 (この男を無理やり連れ戻すことなど、到底不可能だ。我々にできるのは、この楽園の一部を分けてもらえるよう、乞い願うことだけだ……)


 アルベルトは、ロルフの眩しさに耐えかねるように目を細め、静かに安堵の涙を流した。王都には、まだ希望が残されていたのだ。

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