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第7話:楽園の日常と、包囲網の足音


 王宮の廊下に、バルトロの荒い息遣いと、革靴が絨毯を叩く湿った音が響いていた。一週間前までの彼は、まるでこの国の支配者の一員であるかのように、胸を張って歩いていた。だが今の彼の背中は、目に見えて丸まっている。


「バルトロ主任。立ち話で失礼するが、少し良いかな」


 冷徹な声に足を止めると、そこには筆頭監査官のメビウスが立っていた。感情を一切表に出さない、この末期的な王国において数少ない「正常な機能」を保っている能吏のうりだ。


「……おや、メビウス殿。調査報告書なら、今まとめておる最中ですぞ。除草剤の揮発成分が魔力波と干渉し、一時的な逆流を――」

「その『一時的』という言葉を、この三日間で四十二回聞いた。……それよりも、騎士団から興味深い報告が上がっていてね」


 メビウスが差し出した一枚の書簡。それを見たバルトロの顔が、土気色に変わった。


「君が『無能』として追放した前任の管理助手――ロルフと言ったかな。彼が在職していた三年間、バラ園の魔力純度は一度も低下せず、どころか毎年十パーセントずつ向上していた。一方で、君が全権を握ったこの一週間。数値は垂直落下し、ついには測定不能。……君の言う『改革』とやらが、具体的にどう機能しているのか、陛下が正式な説明を求めておられる」


「それは……その、数字の解釈の問題ですな!これまでの数値が異常に高すぎたのです。あれは、いわば無理をさせていた反動で――」

「言い訳は良い。陛下は君に『三日間の猶予』を、私に『独自調査の権限』を与えた。……バルトロ主任、君が何をしていたか、現場の庭師たちは皆、口を開き始めている。嘘を塗り重ねるのは、賢明ではないと思うが?」


 メビウスはそれだけ言うと、バルトロを一瞥もせずに去っていった。この国は今、末期の病に侵されている。各地で魔力枯渇が起き、民の不満は爆発寸前だ。だからこそ、象徴であるバラ園の崩壊は、現政権にとって致命的なスキャンダルになりかねない。メビウスのような実務家たちは、この危機を乗り越えるために「嘘つき」を排除し、「真の解決策」を死に物狂いで探し始めていた。


 バルトロは、豪華な装飾が施された壁に縋り付いた。ハンカチで拭っても拭っても、脂汗が止まらない。

(ロルフ……あの小僧、何か呪いでもかけていきおったか!?そうでなければ、あんな端役がいなくなっただけで、この私が、この天才バルトロ様が、ここまで追い詰められるはずがないのだ……!)


 彼はまだ、自分が「救世主」を自ら切り捨てたのだという事実に、目を背け続けていた。



 一方その頃、豊村のロルフの小屋では、王都の重苦しさとは無縁の「平和な戦い」が繰り広げられていた。


「ロルフ様! おはようございます。今日は昨日穫れたばかりの毒キノコで、朝粥あさがゆを作ってきました!」


 元気よく扉を開けて入ってきたのは、リゼットだった。以前までの彼女を知る者が今の姿を見れば、誰もが我が目を疑うだろう。骨張っていた鎖骨や手首は健康的な肉付きとなり、頬には朝露のような瑞々しい輝きがある。村で一番の別嬪と言われていたかつての姿が、ロルフの「毒果実」によって完全復活していた。


「……リゼットさん。まだ朝の六時ですよ。早すぎます」


 寝室から現れたのは、不機嫌そうに目を細めたシオンだった。彼はロルフの「助手(自称・嫁候補)」として、朝の準備を一番乗りで済ませるのが日課だったが、ここ数日はリゼットの猛攻に押され気味だった。


「あら、シオン君。ロルフ様は早起きして畑に出るのが日課なんだから、これくらい普通だよ。はい、ロルフ様。あーん、してください」


 リゼットが木のスプーンに粥を盛り、ロルフの口元へ差し出す。一見、微笑ましい日常風景。だが、そこには熾烈な女(?)の火花が散っていた。


「あ、ズルいです! 旦那様の『あーん』は僕の特権です!それに旦那様は今、毒素の等価交換でお疲れなんですから、僕の精製した魔力水を飲むのが先です!」


 シオンがどこからか取り出した、毒を反転させた極上の水をロルフの反対側から差し出す。


「まあ、シオン君。水だけじゃお腹は膨らまないよ?ロルフ様、私の作ったこれ……隠し味に『痺れベリー』を微量に入れて、シャキッと目覚めるように工夫したんです」


「旦那様に変な毒を盛らないでください! 旦那様の体は僕のエネルギーで満たされているんですから、余計な刺激は不要です!」


 板挟みになったロルフは、困ったように眉を下げた。リゼットは家庭的で、料理の腕も良く、何よりロルフへの恩返しをしたいという真っ直ぐな善意に満ちている。対するシオンは、毒の源流としての「運命共同体」としての絆と、少し独占欲の強い献身さがある。


「二人とも、落ち着いてくれ。……粥も水も、両方いただくよ。まずはその……シオンの水を飲んでから、リゼットの粥を食べる。これでいいかな?」


「「……はい!」」


 二人の声が揃う。ロルフが水を飲み、粥を一口運ぶたびに、二人は期待に満ちた瞳でロルフの反応を伺う。ロルフが「美味しいよ、ありがとう」と告げると、リゼットはパッと花が咲いたように笑い、シオンは「僕のサポートがあったからですね!」と胸を張る。


 その光景は、ロルフにとって、王都のどんな権力闘争よりも騒がしく、そして温かいものだった。


 

 朝食後、三人は村の新しい設備――「毒素濾過式の温泉」の様子を見に行くことになった。ロルフが土壌の毒を等価交換で「熱」と「薬効」に変えたもので、今や村人たちの憩いの場となっている。


「ロルフ様、見てください!この水路の横に生えている『毒除け草』、私が植え替えたんですけど、ちゃんと根付いてくれました!」


 リゼットが誇らしげに、自分が手入れした一画を指差す。彼女はただ守られるだけの少女ではなかった。ロルフの手伝いを通じて、村を守るための知識を吸収しようと必死だった。


「偉いね、リゼット。毒素の等価交換は僕にしかできないけど、その後の維持や管理は、リゼットみたいな丁寧な仕事ができる人が必要なんだ」


「……えへへ。ロルフ様に褒められちゃった」


 頬を赤らめて喜ぶリゼット。それを見たシオンが、むう、と頬を膨らませる。


「旦那様、僕だって!僕もこの温泉の『源泉』として、温度調整に気を使ってるんですよ。リゼットさんの草に熱を奪われすぎないように!」


「わかってるよ、シオン。君がいてくれるからこそ、このお湯は枯れないんだ」


 ロルフがシオンの頭を撫でると、シオンは満足げに目を細めた。「……ねえ、ロルフ様。私、最近思うんです」


 ふと、リゼットが真剣な表情で言った。


「王都にいた頃は、毎日が不安で、お腹が空いて、明日どうなるかもわからなかった。でも今は……毒の霧があるこの場所が、世界で一番安全に感じるんです。ロルフ様と、シオン君がいてくれるから」


 その言葉に、シオンも少しだけ毒気を抜かれたように、リゼットを見つめた。彼もまた、自分を疎外しないこの村の人々と、自分を肯定してくれるロルフに、同じような感情を抱いていたからだ。


「……まあ、リゼットさんはまだ修行が足りませんけど、その言葉だけは認めてあげます」


「ふふ、ありがとう、シオン君」


 二人の間に、ほんの少しだけ、戦友のような絆が芽生えた瞬間だった。



 そんな中、村の入り口で、前日に取引を約束した商人ガラムがロルフを待っていた。彼はロルフを見るなり、顔を曇らせて報告した。


「ロルフ殿。王都の状況は、思ったよりも深刻です。街のあちこちで『瘴気酔い』の症状が出る者が後を絶たず、特に貧民層や、魔力の薄い子供たちが苦しんでいます。特効薬であるはずのバラの精油も、今は手に入りませんからな……」


 ガラムの話を聞き、ロルフは少しだけ考え込んだ。王都を追い出されたことへの恨みはない。だが、罪のない人々が苦しんでいるという話は、かつて王都の庭園を愛した彼にとって、あまり寝覚めの良いものではなかった。


「……ガラムさん。これを持ち帰ってくれないか」


 ロルフが手渡したのは、黄金色の葉を持つ小さな薬草の束だった。それはロルフが自分の畑の端で、遊び半分に品種改良していた『金冠草』の亜種だ。


「これは……?」 「都で蔓延しているのは、僕が育てていた『浄化草』が枯れたことで逆流した瘴気だ。その瘴気による喉の痛みや熱なら、この草を煮出せば一時的には治まるはずだ。……まあ、あくまで対処療法でしかないけどね」


「おお、それはありがたい!薬を必要としている者たちに、相応の価格で、しかし確実に配らせていただきますぞ」


「ああ。……もし誰かに聞かれたら、行き倒れの農夫から偶然譲り受けた、とでも言っておいてくれ。面倒なことになるのは嫌だからね」


 ロルフは、それが自分を追い詰めた王都への「最後の一撃」になるとは夢にも思わず、純粋な善意でその薬草をガラムに託した。


「承知しました。……ロルフ殿、あんたは本当に、お人好しだ」


 ガラムは深々と頭を下げ、村を後にした。だが、ガラムは知っている。この薬草の圧倒的な効力と、独特の『黄金の光』が、王都の鋭い目を持つ者たちの関心を引かないはずがないということを。


 ――数日後。王宮のメビウス監査官の元に、市井で流行り始めた「謎の特効薬」の噂が届くことになる。そしてその薬草が、かつてロルフが管理していた植物と同じ術式で改良されていることに、彼は気づいてしまうのだ。


 善意の種は、王都を揺るがす巨大な濁流となって、ロルフの元へ押し寄せようとしていた。

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