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根を張る者たち

 朝から、知らない顔が畑にいた。


 三人。いや、四人。


 泥だらけの作業着を着た農夫たちが、ロルフの果樹園の前でひそひそと話し合っている。


「……本当にここの土か?」


「見てみろよ、この色。うちの村と全然違う」


「においも違う。なんだこれ、甘いぞ」


 ロルフが鍬を担いで近づくと、四人が一斉にこちらを見た。


「あんたが、ロルフ様か」


「そうだけど」


「話には聞いてたが……思ったより若いな」


「三十二だ」


「うちの村長より若い」


 そこへリゼットが小走りで来た。


 息を切らせながら、頭を下げる。


「す、すみませんロルフさん! 昨日お伝えしようと思ってたんですが、近隣の農家の方々が種の交換をしたいと——」


「聞いてなかったけど、構わないよ」


「よかった……」


 リゼットがほっと胸を撫で下ろした瞬間、農夫の一人がロルフの右腕の包帯を見て言った。


「おい、怪我してるじゃないか。大丈夫か」


「動かせる」


「無理するなよ。うちの爺さんも若い頃に腕をやって、無理したら一生曲がらなくなったぞ」


「気をつける」


「本当か? 顔が全然気をつける顔じゃないぞ」


 リゼットが静かに目を閉じた。


 (……この方々、話が早い)



 種の交換会は、広場の端で始まった。


 四人の農夫たちが持ってきた種を、布の上に広げる。


 小麦、豆、根菜、香草——どれも見慣れた種だが、産地が違えば性質も微妙に異なる。


 ロルフは一つずつ手に取り、指の腹で転がした。


「この小麦は、乾燥に強い品種だな。うちより君たちの村の土に合ってる」


「ほう」


「これは日当たりの悪い区画向きだ。うちの北の端に試してみたい」


「持っていってくれ」


 農夫たちが感心したように頷く。


 そこへシオンが水を持って来た。


 銀色の髪が朝の光を受けて光っている。


 農夫の一人が、目を丸くした。


「……な、なんだ、この子は」


「シオンだ。うちの相棒」


「あ、相棒……」


 農夫たちが顔を見合わせた。


 何かを言いたそうにしている。


 リゼットが素早く割り込んだ。


「シオンさんは毒の浄化ができる方です。豊村の土が良くなったのも、シオンさんのお力があってこそで——」


「いや、そうじゃなくて」


 農夫の一人が遠慮がちに言った。


「……相棒、にしては、随分と綺麗な顔をしてるなと思って」


 シオンが首を傾げた。


「綺麗、ですか」


「あ、いや、悪い意味じゃなくて……」


「ありがとうございます」


「う、うん……」


 農夫たちがまた顔を見合わせた。


 ロルフは種を選びながら、何も言わなかった。


 リゼットが小声で呟いた。


「……ロルフさん、何か言ってあげてください」


「何を」


「何かを」



 交換会の合間に、ガラム商隊の御者が顔を出した。


 恰幅のいい中年男で、豊村に荷を届けるたびに寄っていく常連だ。


「ロルフの旦那! いい報告があるぞ!」


「なんだ」


「先月、東の商業都市に毒果樹の実を持っていったら——飛ぶように売れた! 王都じゃなく東に持っていったのが正解だった。あっちの商人たちは目が肥えてるから、珍しい品を出すと値がつく。次の便で倍の量を持っていきたいんだが、どうだ」


 ロルフは少し考えた。


「倍は無理だ。今の収穫量を崩したくない」


「なぜだ、儲かるのに」


「根を張る前に刈りすぎると、木が弱る」


「……木の話か?」


「村の話でもある」


 ガラムが首を傾げた。


 リゼットが隣で通訳するように言った。


「つまり、今は量より土台が大事だということです」


「なるほど! さすがリゼットさん、わかりやすい」


「……ロルフさんが言ったんですけどね」



 午後。


 テオが三人の子供を連れて、シオンの前に現れた。


「シオンさん! 土の触り方、教えてください!」


 シオンが目を瞬いた。


「土の、触り方?」


「ロルフさんみたいに、土を掴んで目を閉じるやつ! なんか声が聞こえるって言ってたじゃないですか!」


「……声というか、感触というか」


「やってみたいんです!」


 子供たちが目をきらきらさせて見上げている。


 シオンは少し困った顔をした。


 しかし——断れなかった。


「……わかりました。まず、しゃがんでください」


 四人がぞろぞろとしゃがんだ。


「土を、両手で掴みます。ぎゅっとじゃなくて、そっと」


「そっと?」


「握り締めると、土が怖がります」


「土が怖がるの?!」


「……比喩です」


 テオが真剣な顔で土を掴んだ。


「つぎは?」


「目を閉じて……土の重さを感じてみてください。温かいところと、冷たいところがあるはずです」


 四人が目を閉じた。


 しばらく静かになった。


 シオンも隣で目を閉じた。


 掌から、土の声が来る。


 水の流れ。根の広がり。深さ。


 毒が微かに混じった、この村特有の豊かな土の声。


 (……ロルフさんは鍬で聞いて、僕は掌で聞く)


 同じことを、していたんだ。


 目を開けると、テオが真剣な顔のまま言った。


「……シオンさん」


「なんですか」


「土、温かかった」


「そうでしょう」


「右手と左手で、温度が違った」


 シオンが少し驚いた。


「……よく気づきましたね」


「ほんとに違うの?!」


「日当たりの差です。右が南向きで、少し温かい」


「すげえ!!」


 テオが立ち上がり、走り出した。


「ロルフさんー!! 俺、土の声聞けたー!!」


 ロルフが畝の向こうから顔を上げた。


「聞けたか」


「聞けた! 右手と左手で温度が違った!」


「正解だ」


「やったー!!」


 テオが両手を上げた。


 その手が、盛大に土だらけだった。


 リゼットが遠くから叫んだ。


「テオ! その手で服を触らないで!!」


 触った後だった。



 夕方。


 一人で畑の見回りをしていたロルフは、果樹の列の端で、ふと足を止めた。


 根元の土が、わずかに白い。


 実は問題ない。葉も問題ない。


 でも土だけが——ほんの少し、色が違う。


 ロルフはしゃがみ込んで、その土を指で触れた。


 朝より、はっきりした「別の鼓動」が返ってくる。


 (……土が、薄くなってる)


 色じゃない。


 栄養でもない。


 何か——根の奥にあるものが、少しずつ、引き抜かれていくような。


 ロルフは立ち上がり、近くに落ちていた小枝を拾って、その場所に目印として刺した。


 今日のところは、ここまでだ。


 シオンには、今夜は言わない。


 もう少し、様子を見る。



 夜の食卓。


 リゼットが、皿を並べながら切り出した。


「ロルフさん、今日来てくれた農家の方々と、月一で定期交換会をやりたいんですが」


「いいな」


「本当ですか! じゃあ場所はうちの広場で——あと、ガラムさんの商隊にも声をかけて、売り物になりそうな種は一緒に東に持っていってもらえないか相談しようかと」


「それもいい」


「……ロルフさん、もう少し難色を示してくれてもいいんですよ」


「なぜ」


「私が提案する前に、色々覚悟して来たんです。断られたら説得しようって、台詞も考えてきたんです」


「そうか。聞かせてくれるか」


「もういいです」


 シオンが小さく笑った。


 テオが「リゼットねえちゃん、顔が赤いよ」と言った。


 リゼットが「うるさい」と言った。


 食卓に笑い声が広がった。


 ロルフはスープを飲みながら、窓の外の畑に目をやった。


 暗くて見えない。


 でも——あの小枝が、そこに刺さっている。


 (……明日、もう一度確かめよう)


 庭師の夜は、静かに更けていく。

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