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第5話:王都の違和感と、嘘の城壁

 ロルフという「無能」を追放してから、一週間。王都の空気は、目に見えぬ重苦しさを増していた。それは物理的な重圧というよりは、肺の奥にじわりと張り付くような、得体の知れない不快感だった。


 最初は、誰の目にも留まらないような些細な違和感に過ぎなかった。王立植物園の誇る大温室。そこでは一年中、瑞々しい花々が咲き誇っていたはずだった。だが、いつの間にか花弁の端が黒ずみ、朝露は真珠のような輝きを失って、ねっとりとした脂のような膜に変わっていた。街のパン屋では、代々受け継いできた酵母が急に活動を止め、宿屋の主人たちは「どれだけ洗っても布からカビの臭いが消えない」と首を傾げた。


 そして何より、魔導師たちが顔を青くしていた。空気中の魔力が濁り、魔法を紡ぐ際に不純物が混じるような、嫌な抵抗感があるというのだ。


 そんな中、王宮の会議室。冷房魔法が効いているはずの室内は、重苦しい沈黙に包まれていた。円卓の周囲には、王国の重鎮たちが顔を揃えている。王立騎士団長、宮廷魔導師、そして財務大臣。彼らの視線の先にいるのは、王立植物園の最高責任者――バルトロだった。


「バルトロ主任。説明してもらおうか。……王宮の魔力純度が、この数日で著しく低下している。さらには、各地の穀倉地帯で謎の『黒い斑点』が広がっているという報告もある。専門家である貴殿の見解を聞きたい」


 騎士団長の鋭い視線が、バルトロの肥満体を射抜く。並の人間なら気圧されて声を震わせるところだが、バルトロは違った。彼は深く椅子に身を預け、尊大な態度で、ゆっくりと指を組んだ。


「……ふむ。騎士団長殿、それらはすべて、一時的な『大気の揺らぎ』に過ぎませんな。……そう、先代の管理方法が杜撰だった弊害が、今になって噴き出しているのです」


 バルトロは、平然と嘘を重ねた。顔色一つ変えず、あたかもそれが真理であるかのように堂々と。彼の脳内では、ロルフが毎日手入れをしていたあの不気味な雑草が脳裏をかすめた。ロルフは「これが都の瘴気を吸っている」と進言してきたが、バルトロはそれを「不衛生なゴミ」として切り捨てた。


(あの無能がいなくなったことで、一時的にバランスが崩れたように見えているだけだ。……そう、すべては私が手配した最高級の除草剤が、古き膿を出し切るための必要なプロセスなのだ)


 ロルフが国を支えていたなどという事実は、彼にとって「存在してはならない」不都合な真実だった。ゆえに、彼は自分自身の嘘さえも真実だと信じ込ませる。


「現在は土壌を『洗浄』している最中なのです。この期間さえ過ぎれば、以前よりもずっと豊かな土地に生まれ変わります。すべては私の計算通りです。……何か問題でも?」


 バルトロは、筆頭魔導師の眉間の皺を無視して、言葉を続けた。


「魔力純度の低下も、土壌の浄化に伴う一時的な副反応に過ぎません。むしろ、これまでの数値が異常だったのです。私は最新の薬学と農学に基づき、この国を再建しているのですぞ。素人の懸念は、時として改革の足枷となる……。そうは思いませんか?」


 バルトロのあまりの自信、そして専門用語を並べ立てた弁舌に、重鎮たちは言葉を失った。この男が嘘をついているようには見えない。むしろ、自分たちの無知を恥じるべきではないか――そんな空気すら漂い始める。


 会議を終え、廊下に出たバルトロは、ふんと鼻を鳴らして歩き出した。足取りは軽く、顔には勝利者の笑みさえ浮かべている。彼の手元にはロルフが残した『植物管理目録』があったが、彼はそれを一度も見ることなく、ただの重石として小脇に抱えていた。


「無能が。あんな薄汚い草で都が救われていたなど、笑わせる。すべては私の理論が正しいことを、時が証明するのだ」


 バルトロは自室に戻り、高級なワインをグラスに注いだ。窓から見える王都の景色。そこでは、昨日まで青々としていた街路樹が、少しずつ、だが確実にその色を失い始めていた。そんな折、扉が乱暴に叩かれた。


「主任! 大変です! 報告が届きました!」


 飛び込んできたのは、顔を真っ青にした助手だった。


「……騒がしいな。何事だ。私の計算に狂いはないと言っただろう」


「聖女様のバラ園が……! 先ほど、完全に全損しました! バラが、すべて……ドロドロの黒い液体に溶け落ちて……地面には見たこともない腐敗したキノコが繁殖しています!」


 一瞬、バルトロの心臓が激しく脈打った。聖女のバラ園。それは王国の象徴であり、最も神聖な場所だ。そこが崩壊したということは、王家からの追及は避けられない。


 だが、バルトロの仮面は剥がれない。


「ふん。それは除草剤の効能が強すぎただけだ。それほどまでにバラに毒素が溜まっていたということだろう? むしろ、今のうちに腐りきったバラを処分できたことを喜ぶべきだ」


「し、しかし主任! 園芸師たちがバラの液体に触れただけで、手に爛れができ、魔力が抜けて倒れています!」


「それは彼らの扱いが未熟だからだ。清掃作業員を入れ替えろ。……それより、次の植え替えの準備を急がせろ。私の選んだ新種のバラなら、以前よりも美しく咲く。……いいな、これ以上くだらない報告で私の時間を奪うな」


 バルトロは冷淡に告げ、助手を追い出した。一人になった部屋で、彼はワインを一気に飲み干す。


 手の震えが止まらない。だが、彼はそれを「怒り」によるものだと自分に言い聞かせた。


(ロルフ……あの無能め。あいつの管理がどれだけ適当だったかが、今になって露呈しているのだ。私がすべてを正してやらねばならない。……そうだ、すべては私の計算通りだ)


 嘘を重ねれば重ねるほど、崩壊のカウントダウンは加速していく。だがバルトロは、自分が「唯一の救い」を自らの手で切り捨てたなどとは、微塵も認めようとはしなかった。認めないまま、彼は自分が積み上げた嘘の城壁が、足元から音もなく崩れ、泥沼へと沈み始めていることからも目を逸らし続けた。


 王都の空が、夕暮れ時でもないのに薄暗く、紫色の不気味な雲に覆われ始めていた。

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