表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
十年間、王都の魔力汚染を密かに抑えていた農夫を『毒草使いの無能』と追放した結果→王都、崩壊寸前。僕は毒の神子と辺境を黄金の楽園にしてるので、今さら戻れと言われても手遅れです  作者: ジュライ
毒草使いは、世界の価値を書き換える

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

46/56

第46話:設計者の庭、死んだ毒

 謁見の間の沈黙は、長くは続かなかった。


 大司教が、机から手を離した。椅子を引いて、ゆっくりと立ち上がる。老いた体だが、背筋は真っすぐだった。玉座には座らず、机の前に立ったまま、ロルフを見た。


「……ロルフ殿、一つだけ聞かせてください」


「どうぞ」


「あなたは、この国が腐っていると思いますか」


 ロルフは少し間を置いた。


「腐っている部分は、あります」


「では——その腐敗を、どうするつもりですか。あなたの村のように、一つ一つ手入れをしていけば、いつか治ると本気で思っていますか。貴族の腐敗を。権力の慢心を。民の諦めを」


 大司教の声に、感情が滲んだ。抑えているが、滲んでいる。長年この国を見てきた人間の、積み上がった重みがある。


「私は——」


 大司教が一歩、前に出た。


「この国を、一度更地にしようとしていました。結晶で依存を作り、地脈を掌握し、神子の力で腐った根をすべて焼き払う。痛みを伴う。犠牲も出る。しかし、焼いた後の土に、新しいものを育てる。それが私の答えでした」


 静かな声だった。独白ではなく、説得の声だった。


「あなたと私は、同じことをしようとしていた。腐った根を除いて、本物のものを育てる。違いは——方法だけだと、私は思っています」


 謁見の間が、静かだった。


 エリザが、わずかに眉を寄せていた。メビウスが羊皮紙を持ったまま、動きを止めていた。シオンがロルフの少し後ろで、息を詰めていた。


 ロルフは、大司教を見ていた。


 嘘ではない。この男は本気だ。長い時間をかけて、本気でそれを信じてきた。その重さが、声に出ている。


 だからこそ——


「……焼いた後の土で、何を育てるつもりでしたか」


 ロルフが静かに聞いた。


「それは——」


「具体的に。どんな種を、どこから持ってきて、誰が世話をするつもりでしたか」


 大司教が、口を閉じた。


「更地にすることは、考えていた。焼くことも、考えていた。でも——焼いた後に何を植えるか、どんな土にするか、そこまで設計していましたか」


 沈黙が落ちた。


 大司教の目の奥で、何かが揺れた。怒りではなかった。動揺でもなかった。——初めて、自分の設計の外側を見せられた人間の、静かな困惑だった。


「あなたには、種がない」


 ロルフは、責めるような声では言わなかった。ただ、診断するように言った。


「更地を作ることと、庭を育てることは、別の仕事です。あなたは前者しか考えていなかった。……庭師として言えば、そういうことです」




 大司教が、しばらく黙っていた。


 ロルフは待った。


 大司教が、ゆっくりと口を開いた。


「……では、ロルフ殿。一つ聞かせてください」


「はい」


「私たちが——教団が、癒しの神の正統であることを、あなたは否定しますか」


 ロルフは少し考えてから言った。


「否定も肯定もしません。ただ——一つ聞いていいですか」


「どうぞ」


「教団が癒しの神の正統だという根拠は、古文書にあると聞いています。その古文書を、あなた自身が最後に読んだのはいつですか」


 大司教が、眉をひそめた。


「……それは、管理している者が——」


「誰が保管していますか」


 大司教が、答えようとして——止まった。


 視線が、隣の大典儀に向いた。


 大典儀は表情を変えなかった。ただ、静かに大司教を見ていた。


 大司教が、ロルフに視線を戻した。その目に、さっきとは違う何かが入っていた。問いが、入っていた。自分で立てた問いが、自分の目に映っていた。


(……大司教は今、気づいた。自分が当然のように受け入れてきた事実の、その当然さを、確かめたことがないということに)


 大典儀が、動いた。




 音もなかった。


 ただ、大典儀が一歩前に出た。それだけだった。


 その一歩で、謁見の間の空気が変わった。


 大司教が動きを止めた。エリザが半歩下がった。メビウスが羊皮紙を下ろした。シオンが、ロルフの袖を掴もうとして——


「シオン、下がって」


 ロルフが静かに言った。


「で、も——」


「下がっていてください」


 シオンが、一瞬だけロルフを見た。それから、エリザの隣まで下がった。


 大典儀が、ロルフの正面に立った。


 二人の間に、五歩ほどの距離がある。


「……大司教」と大典儀が言った。振り返らずに。「少しだけ、お時間をいただけますか」


 大司教が、何も言わなかった。


 それが答えだった。




「実際に見ていただく方が、早いと思いまして」


 大典儀が、右手を上げた。


 指先に、何かが集まった。色はない。ただ、空気の密度が変わった。歪んだ、というより——凝縮した。


 ロルフの鼻腔が、それを捉えた。


(……毒だ。神子の毒と、同じ構造をしている)


 クワを構えた。等価交換の準備をした。この密度なら、変換できる。シオンの毒を借りなくても——


 大典儀が、指先を向けた。


 ロルフはクワを振った。


 等価交換が——通らなかった。


(……なぜだ)


 毒が、ロルフの右腕を掠めた。外套の袖が裂けた。皮膚に、焼けるような感触が走った。ロルフは体を回転させて距離を取った。


「不思議でしょう」


 大典儀が、追いかけながら言った。声が穏やかだった。戦闘中の声ではない。説明している声だった。


「神子の毒は地脈と繋がっています。あなたのスキルは、地脈と繋がった生きたエネルギーを変換する。だから神子の毒には通じる」


 ロルフが石柱の陰に入った。大典儀が回り込んでくる。


「しかし私の毒は——構造は神子の毒と同じですが、地脈との接続がない。『死んだ毒』です。あなたの等価交換は、死んだ毒には反応できない」


 石柱の反対側から、凝縮した毒が来た。


 ロルフは前に跳んだ。石柱が白く染まった。石の表面が、毒に触れた部分だけ侵食された。


(……本当に通らない。毒の構造は同じなのに、等価交換が空振りする。地脈との接続がない——つまり、大地から切り離されている)


「ロルフ殿、あなたに一つだけ聞きたいことがあります」


 大典儀の声が、広い謁見の間に響いた。


「今ですか」


「今でないと——」


 大典儀が右手を振った。


 広域に毒が散った。ロルフは跳んで躱した。石畳が三枚、白く変色した。


「聞けないかもしれないので」


 ロルフが着地して、すぐに横に走った。大典儀が追ってくる。石柱の間を縫いながら、謁見の間の奥から手前へ向かって移動する。


 エリザとシオンとメビウスが、入口の扉の近くに集まっていた。カッサンが三人を壁際に誘導していた。


(あっちには向かわせない)


 ロルフは大典儀から離れる方向ではなく、大典儀に向かって走った。


 大典儀が、わずかに驚いた。その隙に、ロルフはクワを横に振った。


 石畳に当たった。石畳の目地に染み込んだ聖灰を読んだ。変換できる——これは地脈と繋がっている、生きた素材だ。


 石畳の目地が、一瞬だけ沈んだ。


 大典儀の足が、わずかにずれた。


 しかし大典儀は転ばなかった。片足で体重を受けて、そのまま毒を放った。


 ロルフは躱しきれなかった。


 毒が左肩に当たった。外套が焼け、肩に激痛が走った。


「……っ」


 ロルフは歯を食いしばって走り続けた。等価交換で聖灰を変換して、石畳の一部を隆起させた。大典儀が跳んでそれを躱す。


 謁見の間の出口が見えた。廊下に出れば——


「シオン、エリザ、先に出て」


 エリザがシオンの手を引いて扉から出た。メビウスが後に続いた。カッサンが——一瞬、大司教の方を見た。大司教は机の前に立ったまま、動いていなかった。


「カッサン、大司教を連れて出てください」


 カッサンが頷いた。大司教の腕を取って、扉の方へ向かった。




 廊下に出た。


 石柱がない分、遮蔽物がない。ロルフは廊下を走りながら、両側の鉢植えを見た。死んだ土。使えない。聖灰は廊下の石畳にも染み込んでいる——変換できる素材はある。


 大典儀が廊下に出てきた。


「逃げるつもりですか」


「場所を変えたかっただけです」


 ロルフはクワを後ろに向けたまま廊下を走った。床の聖灰を変換して、石畳を波打たせた。大典儀が跳んで躱す。跳躍力が人間のものではない。百年以上の鍛錬が、体に染み込んでいる。


 石段が見えた。下りれば中庭に出る。


(中庭なら——土がある)


 ロルフは石段へ向かった。


 大典儀が追ってくる。廊下の鉢植えを蹴り飛ばしながら。鉢が割れた。偽物の土が廊下に散らばった。


 石段の途中で、大典儀が大きく腕を振った。


「さすがに、ここまでにしましょう」


 凝縮した毒が、今度は前と比べ物にならない密度で放たれた。


 ロルフは躱す角度を計算した。狭い石段。左右に壁。上に逃げれば追いつかれる。前に出れば直撃する。


 クワを盾にして、正面から受けた。


 クワの柄を伝って、衝撃が全身に来た。等価交換が通らない毒が、そのままロルフの体に押しつけられた。


 ——吹き飛んだ。


 石段を転がった。石の角が背中に当たった。石段の底まで落ちて、そのまま中庭の扉を突き破った。


 冷たい空気が来た。


 朝の光が来た。


 ロルフは中庭の土の上に、仰向けで横たわっていた。




 体が、重かった。


 起き上がろうとして——右腕が言うことを聞かなかった。大典儀の毒が染み込んでいる。変換できない毒が、腕の中で燻っている。


 左肩も痛かった。さっきの一撃の痺れが、まだ残っている。


 空が、見えた。


 朝の空だった。王宮の中庭の、高い石壁に囲まれた四角い空。


 ロルフは、動けないまま、土の上に横たわっていた。


 石壁の入口から、大典儀が歩いてくる音がした。急いでいない。追い詰めた側の、落ち着いた足音だった。


(……やれやれ)


 起き上がろうとした。右腕に力を入れた。


 入らなかった。


 体が言うことを聞かない。変換できない毒が全身に回っている。等価交換で少しずつ中和できるはずだが——燃料がない。シオンの毒がない。一人では、この量を処理しきれない。


 大典儀が、ロルフの前で立ち止まった。


 見下ろしていた。


 その目に、勝者の昂りはなかった。ただ——静かに、何かを見ている目だった。虫眼鏡で標本を見るような。百年をかけた研究の、最後の頁を確かめるような。


「……終わりにしましょう」


 大典儀が言った。


 右手を上げた。凝縮した毒が、指先に集まっていく。


 ロルフは土の上で、起き上がる動作をやめた。


 力が入らない。逃げられない。等価交換の燃料もない。


(……シオン)


 遠くから——声が聞こえた気がした。建物の中から、廊下の奥から、石段を下りてくる足音。


「旦那様——!」


 シオンの声だった。


 ロルフは空を見たまま、小さく息を吐いた。


(来るな。まだ来るな)


 声には出せなかった。声を出す力も、もう残っていなかった。


 大典儀の指先の毒が、密度を増していく。


 ロルフは目を閉じた。


 土の感触が、背中にあった。冷たかった。


(……やれやれ。初めて、土の上で負けるとは)


 シオンの足音が、近づいてくる。石段を駆け下りている。間に合うか、間に合わないか——


 大典儀が、腕を振り下ろした。




 衝撃が来た。


 しかし、ロルフの体には当たらなかった。


 大典儀が、わずかに眉を動かした。


 中庭の入口に——カッサンが立っていた。


 片手を前に出して、教団の護符を掲げていた。護符から薄い光の膜が広がって、毒の余波を受け止めていた。護符がひび割れていく。一度しか使えない類のものだ。


「……カッサン」


 大典儀が、静かに言った。


「大典儀様」とカッサンが答えた。声が震えていた。しかし足は動いていなかった。「今日のところは、ここまでにしていただけますか」


「命令ですか」


「……お願いです」


 大典儀が、カッサンを見た。


 それからロルフを見た。


 長い沈黙があった。


 大典儀が、ゆっくりと手を下ろした。


「……大司教に、話を通しておいてください。次は、正式な場を設けます」


 それだけ言って、大典儀は中庭から出ていった。


 足音が遠ざかった。




 シオンが中庭に駆け込んできた。


 ロルフの隣に膝をついた。その手がロルフの肩を掴む。


「旦那様——! 旦那様、聞こえますか——」


「……聞こえています」


 声が、かすれていた。


「動けますか」


「少し、待ってください」


「待てません」


 シオンの手が、ロルフの頬に触れた。それから首筋に当たった。毒の浸透を確かめているのだろう。シオンは医術を知っているわけではないが——毒については、誰より敏感だ。


「……深く入ってます。早く」


「シオン」


「なんですか」


「来なくていい、と言ったのに」


 シオンが、ロルフを見た。


 泣きそうな顔をしていた。しかし泣かなかった。


「聞きませんよ、そんな言葉」


 エリザが中庭に入ってきた。メビウスが後に続く。二人ともロルフの状態を見て、表情が変わった。


「運びます」とメビウスが言った。「枯れ木亭まで。教団の目を避けながら」


「カッサンさん」とエリザがカッサンに向かって言った。「大司教に伝えてください。今日はここまでです。次は、改めて場を設けると」


 カッサンが頷いた。護符のひび割れた破片を、静かに握り締めていた。




 シオンがロルフの上半身を支えた。メビウスが足を持った。


 ロルフは運ばれながら、中庭の空を見ていた。


 四角い空。石壁に囲まれた、小さな四角い空。


 その端に、古木の枝が伸びていた。


 今朝芽吹いた苔の根元から続く、古木の枝。


(……庭師が土の上で倒れるとは。やれやれ)


 シオンの肩が、震えていた。支えながら、震えていた。泣いているのか、怒っているのか——両方かもしれなかった。


「シオン」


「なんですか」


「ごめんなさい」


 シオンが、黙った。


 しばらくして、小さな声で言った。


「……謝らないでください」


「でも」


「謝るより、早く良くなってください」


 ロルフは、そうですね、と思ったが、声に出す前に意識が遠くなった。


 運ばれながら、最後に見えたのは——シオンの横顔だった。


 泣いていなかった。唇を結んで、前を見ていた。


(……大丈夫だ。この子は、大丈夫だ)


 ロルフの意識が、静かに落ちた。


 中庭の土の上に、クワだけが残った。


 石突きが土に刺さったまま、朝の光の中で、静かに立っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ