表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
十年間、王都の魔力汚染を密かに抑えていた農夫を『毒草使いの無能』と追放した結果→王都、崩壊寸前。僕は毒の神子と辺境を黄金の楽園にしてるので、今さら戻れと言われても手遅れです  作者: ジュライ
毒草使いは、世界の価値を書き換える

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

44/54

第44話:夜明けの馬車、問いの種

 馬車の内側は、思ったより狭かった。


 向かい合わせの座席に、ロルフとシオンが並んで座り、カッサンが一人で向かいに座っている。御者台には教団の御者。窓の外に、夜明けの王都が流れていく。


 しばらく、誰も口を開かなかった。


 カッサンは膝の上で手を組んで、静かに前を向いていた。騒然とした農園の中で一人だけ動じていなかった人物らしく、閉じた馬車の中でも、その落ち着きは変わらなかった。


 ロルフは窓の外を見ていた。


 夜明けの光が、王都の石畳を斜めに照らしている。


 変化は、小さかった。しかし確かにあった。


 通りの端に植えられた街路樹。枯れているわけではないが、長いあいだ聖灰に蝕まれて、樹皮が白みがかっていた。その根元に、今朝は黒い土が少しだけ顔を出している。昨日まで石灰色に固まっていた土が、地脈の動きで微かにほぐれ始めているのだ。


 朝の露が、石畳の目地に落ちている。


 その露が、昨日より少しだけ、透き通って見えた。


(……小さい。だが、動いている)


 ロルフは視線を馬車の内側に戻した。


「カッサンさん」


「はい」


「農園で作っていたものは、全部枯れましたね」


 カッサンが、少しだけ間を置いた。


「……はい。今朝の報告では、農園の作物の大半が萎れているとのことでした」


「残念でしたか」


「……それは」


 カッサンが、ロルフを見た。何を聞かれているのか測りかねている顔だった。


「農園の作物は、民に届けるためのものでしたから。それが失われたのは——」


「民に届けていたものが、本物だったとしたら、残念でしたね」


 カッサンが、口を閉じた。


「あの作物が何だったかは、入って確かめましたから、わかっています」とロルフは続けた。穏やかな声で。「枯れたのは残念ではないですよ。ただ、枯れた後に何を育てるか、それが問題です」


「……おっしゃる通りです」


 カッサンが静かに答えた。反論ではなく、認めている。しかし何かを考えているというより——そう答えるのが正しいと判断している、という感じの声だった。


 

 馬車が大きな石畳の継ぎ目を越えて、揺れた。


 シオンが窓の外を見ながら、小さく声を上げた。


「……あの木」


 ロルフが視線を向けると、通りの角に一本の古木があった。幹の太さからして、王都が建てられた頃からそこにある木だろう。樹皮は長年の聖灰で白く粉を吹いていた。


 だがその根元に——うっすらと、緑が見えた。


 苔だった。


 石畳の隙間から滲み出るように、薄い緑の苔が、根元をごく僅かに覆い始めていた。今朝、生えたものだ。昨日までそこにはなかった。


「……旦那様、苔ですよね」


「そうだね」


「苔が生えるということは」


「土に水が戻ってきているということです。地脈が動けば、まず苔から変わる。一番最初に土の変化に気づくのが苔だから」


 シオンが、その木をじっと見つめていた。


 馬車が通り過ぎると、木は後ろに流れていった。


 カッサンが、窓の外を振り返るように少しだけ身体を動かした。しかし何も言わなかった。


 

 しばらくして、カッサンが口を開いた。


「……ロルフ殿」


「はい」


「大司教は、本当にこの国を良くしようとしていた人です」


 ロルフは答えなかった。聞いている、という姿勢だけを見せた。


「私が物心ついた頃から、大司教はそのために動いていました。腐敗した貴族への対抗手段として結晶を使い、王の依存を利用して政策を変え——手段は、正しくなかったかもしれない。しかし目的は」


「知ってますよ」


 ロルフが静かに言った。


「大司教が本気だったことは、農園を見ればわかります。あれだけの規模を、長年維持してきた。本気でなければできない」


 カッサンが、少し表情を緩めた。


「では——」


「だから、余計に始末が悪い」


 カッサンの表情が止まった。


「本気で正しいと思っている人間の方が、間違えたときに深く根を張ります。自分が正しいと信じているから、立ち止まれない。……庭で言えば、雑草より始末が悪いのは、立派に育った木が間違った場所に根を張ったときです。抜くのが、一番難しい」


 カッサンが、ロルフを見ていた。


 反論しようとしている——ではない。何かを考えている。しかしその「何か」が、まだ言葉になっていない、という顔だった。


 ロルフは少し待ってから、続けた。


「カッサンさん、一つ聞いていいですか」


「……はい」


「大司教が正しいと、あなた自身は思いますか」


 沈黙が落ちた。


 馬車の車輪が石畳を叩く音だけが、しばらく続いた。


 カッサンは膝の上の手を、静かに組み直した。


「……大司教は」


「大司教ではなく、あなた自身の話を聞いています」


 カッサンが、また黙った。


 今度の沈黙は、さっきより長かった。


 ロルフは急かさなかった。シオンも黙って、窓の外を見ていた。


 カッサンがゆっくりと息を吐いた。


「……考えたことが、なかったかもしれません」


 小さな声だった。独り言のような声だった。


「生まれたときから教団の中にいて、大司教のやっていることが正しいというのが、空気のようなものでしたから。……疑うという発想が、あまり」


「そうですか」


 ロルフは特に何も言わなかった。


 ただ、「そうですか」と言った。


 それだけだった。それ以上は踏み込まなかった。


 カッサンが、少し困ったような顔をした。追い詰められたのではなく——自分の中に、今まで気づかなかった空洞を見つけて、どうすればいいかわからない、という顔だった。


 

 馬車が速度を落とした。


 窓の外に、見慣れた通りが見えた。職人街だ。


 ロルフは「枯れ木亭」の看板を窓越しに確認した。ここで一度降りる必要がある——メビウスとエリザに現状を伝えなければならない。


「カッサンさん、少し寄り道していいですか」


「……どちらへ」


「知り合いのところに。一時間もあれば終わります」


 カッサンが少しだけ考えてから、頷いた。


「承知しました。御者に伝えます」


 -----


 王立土木事務所の地下倉庫に、メビウスとエリザがいた。


 二人とも、一晩ほとんど眠っていない顔だった。しかし目が冴えている。王宮の古木が芽吹いたことや、各地の井戸の水が変わり始めたことなど、王都のあちこちから報告が届いていたのだろう。


 ロルフとシオンが入ってくると、エリザが立ち上がった。


「……無事でしたか」


「おかげさまで」


「農園の地下に、何かあったんですね。王宮の中庭の古木が、今朝突然——」


「地脈が動きました。農園の地下に、地脈を塞いでいた封印があって、それを解きました」


 メビウスが、記録用の羊皮紙を取り出した。


「封印を解いた、というのは——」


「シオンの力で、です」


 ロルフがシオンを見た。シオンが小さく頷いた。


 エリザが、シオンを見た。シオンの目が昨日より少しだけ赤いことに、エリザは気づいたようだった。何かを聞こうとして——今は聞かない、と判断したようだった。


「それから」とロルフは続けた。「農園の地下に、長年幽閉されていた方がいました。三代前の神子の方です。……今朝、亡くなりました」


 沈黙が落ちた。


 エリザが、シオンを見た。シオンは目を伏せていた。


「……シオン」


「大丈夫です」とシオンは言った。「話してくれました。いろいろと」


 エリザが、それ以上は聞かなかった。


 

 メビウスが地図を広げた。


「地脈が動いたことで、王都への影響はどこまで出ますか」


「今日から、少しずつ空気が変わります。聖灰の効果が薄れていくので、偽物の作物は全部枯れる。教団が配っている結晶の成分も、地脈の流れが戻れば分解が進みます。ただ——依存している人間の体の中は、すぐには変わらない」


「王も、そうですか」


「王様の場合は特に慎重に。急に解毒すれば、体が持ちません。毎日少しずつ、薄めていく必要があります」


 メビウスが、静かに息を吐いた。


「……では、教団の動きが変わる前に、大司教との決着をつける必要がある」


「そのつもりで来ました。今日、会いに行きます」


 エリザが顔を上げた。


「今日? 準備が——」


「準備が整ってから行っても、向こうも準備します。農園が崩れた今朝が、一番向こうの足場が悪い」


 エリザが、ロルフを見た。それから頷いた。


「……わかりました。私も同行します」


「王女が来ると、話が大きくなりますよ」


「大きくした方がいい場合もあります。追放された農夫が王宮に戻る場面なら、なおさら」


 ロルフが少しだけ笑った。


「やれやれ。一ヶ月の修行で、ずいぶん庭師らしくなりましたね」


「師匠の教え方が良かったので」


 

 倉庫の入口で、カッサンが待っていた。


 一時間経っていた。しかし彼は特に苛立った様子もなく、石造りの壁にもたれて、静かに外の通りを見ていた。


 ロルフたちが出てくると、カッサンが振り向いた。


 その目が、ロルフの後ろにいるエリザを見て、わずかに変わった。王女だとわかった、ということだろう。しかし騒ぐ様子はなかった。


「お待たせしました」


「……いえ」


 カッサンは少し間を置いてから、エリザに向けて頭を下げた。


「王女殿下。大司教がお待ちしております」


「知っています」とエリザは言った。「参りましょう」


 

 再び馬車に乗り込むとき、カッサンがロルフの隣に立った。


「……ロルフ殿」


「はい」


「先ほどの問いの答えが、まだ出ていないのですが」


「急がなくていいですよ」


 カッサンが、少し意外そうな顔をした。


「……答えが出たときに、聞かせてもらえれば十分です」とロルフは言った。「考えたことがなかったことを、初めて考えるのは時間がかかりますから」


 カッサンが、何も言わなかった。


 馬車が動き出した。


 

 職人街を抜けると、王宮の城壁が見えてきた。


 白亜の壁が、朝の光を受けて輝いている。その壁の根元に、昨日まで枯れていた蔦が、今朝は僅かに色を取り戻していた。


 シオンがそれを見て、静かに言った。


「……蔦も、気づいてますね」


「そうだね」


「地脈が動いたって、植物の方が先に知るんですね」


「いつでもそうですよ。人間より、土に近いから」


 シオンが頷いた。


 それから、少し間を置いてから言った。


「……ヴェルン様も、ずっと待っていたんですよね。土の下で、地脈が動くのを」


「そうだと思います」


「だから——気づいていたのかもしれません。封印を解こうとしている人間がいることを。封印が解けることを」


「……かもしれませんね」


 シオンが、膝の上で手を組んだ。


「それが、少しだけ——救いみたいな気がして」


 ロルフは何も言わなかった。


 それで十分だった。


 

 王宮の正門が、近づいてきた。


 石造りの重い門扉。その両脇に、王家の紋章を刻んだ石柱が立っている。


 門番が馬車を見て、立ち止まった。


 カッサンが窓を開けて、教団の証明書を差し出した。門番が確認して、視線を馬車の中に向ける。


 ロルフと目が合った。


 門番が一瞬だけ、何かを思い出すような顔をした。この顔、どこかで——という顔だった。ロルフは特に何もしなかった。ただ、静かに目が合ったまま待っていた。


 門番が視線をカッサンの証明書に戻した。


「……通れ」


 重い門扉が、内側に開いていった。


 ロルフは窓の外に目をやった。


 王宮の中庭が見えた。


 石畳に囲まれた、広い庭。長いあいだ聖灰で管理されてきた庭。しかしその隅に植えられた古木の根元に——今朝の苔が、うっすらと緑をのぞかせていた。


(……生きていた)


 ロルフは小さく息を吐いた。


 馬車が、王宮の内側へと進んでいく。


 追放された農夫が、正面から戻ってきた。


 やれやれ、とロルフは思った。世の中というのは、不思議なものだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ