表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
十年間、王都の魔力汚染を密かに抑えていた農夫を『毒草使いの無能』と追放した結果→王都、崩壊寸前。僕は毒の神子と辺境を黄金の楽園にしてるので、今さら戻れと言われても手遅れです  作者: ジュライ
毒草使いは、世界の価値を書き換える

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/56

第40話:偽りの庭、地の底の呼び声

 鉄扉が開いた。


 重い軋みとともに、王立大農園の内側が姿を現した。


 ロルフは荷馬車の荷台から、その光景をじっと見つめた。


 最初に感じたのは、においだった。


 甘い。


 焦げた砂糖に、白い花の蜜を混ぜたような、ねっとりとした甘さ。搬入口の外では風に薄められていたそれが、扉の内側では濃密に空気に溶けていた。


 隣でシオンが小さく息を詰めた。


「大丈夫?」とロルフが耳打ちすると、シオンは目を細めてこくりと頷いた。


(甘い……けど、これは毒だ)


 ロルフの鼻腔を満たす甘さは、彼の身体の中で即座に分解され、ほんのりとした熱のようなものに変わって消えていく。胃袋が勝手に処理しているような感覚。食べると知らずに毒を食べてしまったとき、身体が自然と解毒を始めるあの感覚に似ている。


(ここ全体が、香炉の中みたいなものか)


 馬車は緩やかに進んだ。


 搬入口の通路を抜けると、視界が一気に開けた。


 広かった。


 見渡す限りの畝が、整然と並んでいた。


 トマト、キュウリ、カブ、葉物野菜。どれも異様なほど大きく、色が鮮やかで、朝露をまとって宝石のように光っている。


 並の農夫が見れば、思わず声を上げるような光景だ。これほど見事な作物が、これほどの規模で育っているなど、普通の農業では考えられない。


 だが——


(死んでいる)


 ロルフには、それがわかった。


 作物の茎が、太すぎる。葉の緑が、濃すぎる。果実の表面に、本来あるはずの細かな傷や産毛の跡がない。自然の農園で育てば必ずつく「生きた証」が、何一つない。


 まるで、精巧に作られた蝋細工だ。


(強制的に成長させた。土の寿命を前借りして、細胞を無理やり膨らませている。見た目だけ、完璧に整えた作物。中身は水と空洞だ)


 それよりも、ロルフの目を引いたのは土だった。


 畝と畝の間の通路。踏み固められた土の表面に、うっすらと白い粉が積もっている。


 聖灰。


 ここではそれが、まるで雪のように、農園の全体に薄く散布されていた。風で飛ばされないよう、細かく土と混ぜ込まれているのか、通路の端では土そのものが白みがかって見える。


(これが「根」か。この灰が土に染み込んで、地脈の流れを歪めている。木の根がコンクリートに阻まれるように、王都のマナがここで全部せき止められている)


 馬車が搬入口の荷捌き場に止まった。


 御者の業者が荷台を下ろし始めたとき、ロルフはシオンの袖を軽く引いて、荷台の陰に滑り込んだ。業者は一瞬こちらを見たが、頷いて視線をそらした。メビウスが手を回してくれていたのだろう。


 二人は荷捌き場の端にある物置小屋の陰に入り、農園の内部を見渡した。


「どう見える?」とシオンが静かに言った。


「庭師から見れば?」


「ええ」


 ロルフはしばらく考えてから答えた。


「根が腐った木が、枝だけ青々と茂っているような状態だね。見た目はきれいでも、根元を見ればもう立っていられない。嵐が来れば一発で倒れる」


「……そんなに、ひどいんですね」


「ひどい、というよりは」


 ロルフはトマトの畝に目をやった。


「丁寧に作られた、残酷な庭だよ」


 シオンが黙った。ロルフも少し間を置いてから、言い直した。


「設計した者は、農業をわかっている。そうでなければ、これだけの規模でこの状態を維持できない。意図的に、土の声を無視した作り方を選んでいる」


「……使い捨てにする気で、作ってるんですね」


「王都ごと」


 シオンの手が、静かに握られた。


 二人は物置小屋の陰から、農園の奥へと目を向けた。


 農園の中心部には、小高い丘のような構造があった。草に覆われた斜面に、石の段が刻まれている。丘の頂上には、白い大理石の建物——礼拝堂だろうか——が建っていた。


 その周囲だけ、白い煙のようなものがゆっくりと漂っている。香炉の煙にしては量が多い。まるで、何かが地面から滲み出てくるように。


「ロルフさん」


 シオンの声が、少し変わった。


「あの丘の下……に、あります」


「聞こえる?」


「聞こえる、というか……」


 シオンは自分の胸の中心を、そっと手で押さえた。


「引っ張られる感じです。磁石みたいに。ずっと遠くから感じていたのが、今はもうすぐそこみたいで」


 ロルフはしばらく丘を見てから、農園内の人の動きを観察した。


 いくつかのグループが、畝の世話をしている。白い作業着の者たちだ。顔つきがぼんやりとして、目の焦点が少し遠い。彼らの動きには無駄がなく、むしろ機械的なほどに整然としている。


(聖香の影響下にある作業員か。命令に従うだけで、自分で判断しなくなっている)


 礼拝堂の出入りは、白い作業着ではなく黒いローブを着た者が担っていた。彼らは農園の作業員とは別の動き方をしていた。


(あれが幹部か、儀式担当の者か)


 ロルフは丘への経路を確認した。正面の石段を行けば目立つ。左手の作物の畝の間を縫えば、丘の裏側に出られるかもしれない。


「シオン、少し待って。畝の列を使って裏側に回ろう」


「はい」


「香が濃くなっても、平気?」


 シオンは少し笑った。目に、静かな決意があった。


「旦那様の隣にいれば、全部エネルギーに変えてもらえるんでしょう?」


「まあ、そうだね」


「なら、大丈夫です」


 二人は畝の間を、腰をかがめながら移動した。


 トマトの赤。キュウリの緑。どれもが作り物めいた鮮やかさで、近くで見ればよけいに不自然だった。茎に触れると、妙に水っぽい弾力があって、本来の植物のもつ繊維質の張りがない。


 ロルフはすれ違いざまに、一本のキュウリに指を当てた。


(エネルギーの残量……ほぼゼロ。外側の細胞は膨らんでいるが、内部の維管束は機能していない。あと数日で全部、自重で潰れる)


 摘み取る前に倒れるだろう。それでも教団は次の灰を撒いて、また次の作物を育てる。


 土は何も言わない。言えない。ただ、削られていくだけだ。


(……必ず、ひっくり返す)


 畝の列を二十ほど越えたところで、丘の裾野に出た。


 草の間に、石の小道が続いている。丘の裏側を回るように、ゆるやかに登っていく細い道だ。


 ロルフは一歩踏み出して——止まった。


 小道の入口に、石の標が立っていた。


 彫られていたのは、教団の紋章ではなかった。


 もっと古い——王国の農業が始まるよりも前、この地に人が住み始めた頃から続くような、古代の文様。螺旋を幾重にも重ねた、毒草と穀物を抱き合わせた意匠。


(これは……)


 ロルフはその文様を見た瞬間、胸の奥で何かが共鳴するような感覚があった。


 クワが、かすかに熱を持った。


「ロルフさん」


 シオンの声が、掠れていた。


 振り向くと、シオンの金色の瞳が、ほんのわずかに発光していた。


 夜明け直前の空の色に似た、白みがかった金色の光。


「これ……この紋章、知っています。知っている、というか」


 シオンは標の文様を指でなぞった。


「僕の夢に、何度も出てきたものです」


 風が吹いた。


 丘の上から、聖香の甘い煙ではなく、もっと古くて清潔な、土と水の混ざったにおいが流れてきた。


 ロルフは一瞬目を閉じて、そのにおいを感じ取った。


(地脈の息だ。塞がれているのに、ここだけ……漏れている?)


 何かが、ある。


 丘の下に。


 二人が小道を登り始めて、五分も経たないうちだった。


 草の斜面の向こうから、人の声がした。


「おい、そこの者。通行許可証を見せろ」


 低い、威圧的な声。


 ロルフが立ち止まって振り返ると、黒いローブの男が二人、丘の中腹から下ってくるところだった。腰に短剣を帯び、片方は杖を持っている。顔つきは、作業員の虚ろなそれとは違う。正気で、訓練された目をしていた。


(精鋭か。気配を読んでいる。普通の聖騎士ではない)


 ロルフはクワを腰の横にやりながら、農夫らしく頭を少し下げた。


「すみません、新入りなもので。道を間違えてしまったようで」


「新入り? 今朝の搬入は人員追加の予定はない。名前と証明書を」


 男の手が短剣の柄に触れた。


(交渉不可能と判断した。こちらの正体を知っているかどうかわからないが、疑いを持った時点で行動を起こすタイプだ)


 ロルフは一瞬だけシオンを見た。


 シオンは頷いた。


 その目が、静かに言っていた。


 ——いつでも、どうぞ。


 ロルフはクワの石突きを、斜面の地面に、静かに当てた。


 聖灰が染み込んだ土が、ロルフの触覚を通して、一瞬で読み取れた。


 深さ。硬さ。地下の空洞の位置。


 そして——その空洞の先に、脈打つように流れる、せき止められた大きな何か。


(ここだ)


 ロルフは目を上げて、黒ローブの男たちを静かに見た。


「……少しだけ、眠っていてもらいます」


「なに?」


 次の瞬間、男たちの足元の土が静かに波打った。


 聖灰が、一瞬にして無害な灰に変換される。固まっていた土が柔らかくほぐれ、根が解放される。


 丘の斜面全体に、ごく短い沈黙。


 それから、草が一斉に伸びた。


 足首、膝、腰——柔らかな草の束が、男たちの動きを静かに封じていく。刃物を振るうほどの余裕もなく、二人はゆっくりと、草に絡まれたまま斜面に横たわった。


 意識はある。ただ、動けない。


 ロルフは彼らの傍らを静かに歩いて通り過ぎながら、軽く会釈した。


「聖灰の分だけ、草が喜んでいるだけです。しばらくしたら解けます」


 男たちが目を白黒させている。


 シオンがついてきながら、こっそりと呟いた。


「……旦那様って、こういうとき本当に怖いですね」


「怖くないよ、草だから」


「そこじゃないんですけど」


 丘の裏側、礼拝堂の背後に回ったところで、石造りの小さな扉があった。


 苔に覆われた、古い扉だ。教団が増築した新しい構造物ではなく、大農園が作られた当初からここにあったと思われる石造りの扉。


 それは少し、開いていた。


 隙間から、冷たい空気が漏れていた。


 甘い香の匂いではなく、深い土のにおい。水と石のにおい。


 そして——ごく微かに、何か清らかなものの気配。


 シオンがその扉の前で立ち止まり、金色の瞳をわずかに輝かせた。


 ロルフは扉に手をかけた。


 冷たい石の感触。


 中は、暗い。


 階段が、地下へと続いている。


「行こう、シオン」


 ロルフがそっと言うと、シオンは静かに頷いた。


 その声は、震えていなかった。


 ロルフはクワを手に持ち直した。


 地下から、かすかな光が見えた。


 白金色の、光。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ