第34話:枯れた土、甘い残滓
豊村を出発して三日。王都へと続く中央街道を進むロルフとシオンの前に、広大な麦畑が広がる村が現れた。
季節外れにもかかわらず、穂は丸々と太り、見事な黄金色に輝いている。通りかかる旅人たちは「教団の奇跡だ」「これぞ神の恵みだ」と口々に称賛し、村人たちは恍惚とした表情で収穫に励んでいた。
だが、ロルフは道の傍らに荷を下ろすと、険しい顔でその麦の一房を手に取った。
「……やれやれ。見た目だけは立派だけど、命の匂いがちっともしないね」
ロルフが麦の穂を指先で軽く捻ると、それは黄金の輝きとは裏腹に、砂のように虚しく崩れ落ちた。中身はスカスカで、栄養など微塵も感じられない。
鼻を抜けるのは、あの嫌に鼻につく「焦げた砂糖のような甘い匂い」だ。
「ロルフ様、この土……泣いています」
シオンが足元の土に触れ、悲しげに呟いた。
本来なら湿り気を帯びているはずの黒土は、不自然に乾燥し、赤黒く変色している。それは土が持つ数十年分の蓄えを、一気に搾り取られた後の「死骸」だった。
村の広場では、教団の巡回司祭が仰々しく説教を行っていた。
彼の傍らには、銀の鉢に盛られた「聖なる灰」がある。司祭がそれを一掴み畑に撒くたびに、枯れかけていた苗が猛烈な勢いで伸び、数分で実をつける。
「さあ、罪深き農民たちよ! この灰こそが、神が遣わした救いの種。これさえあれば、額に汗して働く必要などない! 信仰さえあれば、大地は無限に実りをもたらすのだ!」
村人たちは熱狂し、競い合うようにして「灰」を求めていた。その代償として、教団の荷馬車には村の若者たちが数人、うつむいたまま乗せられている。奉公という名目の、事実上の人身供犠だ。
ロルフはその「灰」を遠目から検分した。
それは、シオンの毒と同系統の「細胞を強制活性化させる汚染物質」を、魔導的に安定させたものだ。成長を早める代わりに、大地の寿命を燃やし尽くし、一度使えばその「毒」なしでは何も育たなくなる。教団はこうして、村々の生殺与奪の権を握っているのだ。
村の端に、一箇所だけ、ペンペン草すら生えていない茶褐色の枯れ果てた畑があった。
そこに立つ一人の老農夫が、司祭に突き上げられている。
「この強情な老いぼれめ! 教団の灰を拒み、汚れた土を放置するとは何事だ! お前の不信仰のせいで、村全体に呪いが伝播したらどうする!」
老人は震える手でクワを握りしめ、掠れた声で返した。
「……あんなものは、奇跡じゃない。土を殺し、魂を売る悪魔の粉だ。わしは、死んでもあんなものは撒かん……!」
司祭は冷酷に笑い、守護騎士たちに命じた。
「不浄な土地を焼き払え。その灰を肥料にし、聖なる麦を植えるのだ!」
騎士が松明を掲げ、老人の畑に火を放とうとしたその時。
使い古されたクワが、音もなく騎士の腕を遮った。
「……やれやれ。土は嘘をつかないって、教わらなかったのかい?」
ロルフが、いつの間にかそこに立っていた。
「貴様、何者だ! 教団の聖務を邪魔する気か!」
司祭の怒声に対し、ロルフは背後のシオンに小さく頷いた。
「シオン、少し手伝って。……この畑に染み付いた『不純物』を、全部まとめて掃除するよ」
「はい、ロルフ様……!」
シオンがロルフの肩に手を置く。瞬時に、破壊的な「毒」がロルフへと流れ込む。
ロルフはクワを老人の畑の中央に、深く突き立てた。
「媒介は、君たちが撒き散らしたその『灰』だ。……交換だよ。シオンの毒を対価に、この土にこびりついた『搾取の呪い』を、【土壌の還元】へと書き換える」
ドォォッ! と足元で鈍い振動が走った。
老人の畑に染み込んでいた教団の毒(成長促進剤)が、シオンの毒と激しく反応し、青白い火花を散らす。
本来なら命を削るはずの毒同士が、ロルフの術式によって「汚れを食い合う」形へと変換されたのだ。
一瞬にして、畑を覆っていた赤黒い変色が消えた。
土は深く、潤いに満ちた本来の褐色を取り戻し、数年分の休耕期間を経て蓄えられたような、力強い生命の匂いを放ち始めた。
一方で、周囲の「黄金の畑」に異変が起きた。
ロルフが土壌の調和を取り戻した反動で、教団の毒によって無理やり咲かされていた麦たちが、一斉に黒く崩れ落ちたのだ。エネルギーの供給源である土を無理やり浄化したことで、嘘の豊穣が維持できなくなったのである。
「ば、馬鹿な……! 私の奇跡が、枯れただと!?」
「……奇跡じゃないよ。ただの『借金』だ。僕はそれを、少し早めに返させてあげただけさ」
ロルフは呆然とする司祭を一瞥もせず、腰を抜かした老人に手を貸した。
司祭と騎士たちは、変わり果てた畑と、正気を取り戻し始めた村人たちの視線に耐えきれず、逃げるように村を去っていった。
老人は、蘇った土を愛おしそうに撫で、涙を流してロルフに感謝した。
「……礼には及ばないよ。僕はただ、庭師として放っておけなかっただけだ」
再び街道に出たロルフの目の前には、天を突くような巨大な王都の城壁が迫っていた。
あの壁の向こう側には、この「毒」を国の根幹にまで浸透させ、人々を快楽と飢餓で支配する教団の本拠地がある。
「さて、シオン。まずはあの大きな壁の『根っこ』がどこまで腐っているか、確かめに行こうか」
ロルフはクワを担ぎ直し、一歩、また一歩と王都へ向けて歩みを進める。
それは、一人の農夫が国家という名の巨大な庭に挑む、静かなる宣戦布告だった。




