第30話:届かぬ諫言と、鋼鉄の進軍
王都、白亜の王城。その謁見の間には、冬の到来を予感させるような冷たい空気が張り詰めていた。
王女エリザは、玉座に深く腰掛ける父、国王の前に跪いていた。彼女の手には、ロルフの村へ向かおうとする騎士団の動員解除を求める書状が握られている。
「父上、お聞きください。豊村への軍事介入は、あまりに短慮に過ぎます。かの地の庭師、ロルフ殿は国に仇なす者ではありません。教団が吹聴する『神子の拉致』は、彼らが神子の力を独占するための虚偽なのです!」
エリザの声は、広い広間に虚しく響いた。王は、娘の必死の訴えを、退屈そうに頬杖をついて眺めている。その瞳には、かつての輝きはなく、教団の甘い囁きと、得体の知れない猜疑心の濁りが混じっていた。
「……エリザよ。お前は近頃、新種の穀物の栽培に成功し、民草から『慈愛の王女』などと持て囃されているようだな。その功績に免じて、今の無礼は聞き流してやろう」
「父上、私は手柄の話をしているのではありません! あの村を刺激すれば、国が取り返しのつかない――」
「黙れ!」
王が玉座の肘掛けを叩いた。その衝撃に、エリザの肩が跳ねる。
「お前は、余が教団に操られているとでも言いたいのか? それとも、自分の農導技術が王の判断よりも優れていると誇示したいのか? ……嫉妬は見苦しいぞ、エリザ。お前はただ、王族という名の美しい花として、庭に飾られていればいいのだ。余計な口出しは、余の逆鱗に触れると思え」
冷徹な拒絶。エリザは唇を噛み締め、俯いた。王の背後で、教団の司祭が薄気味悪い笑みを浮かべている。王は、娘の成長を「国を豊かにする力」ではなく、「自分の権威を脅かす種」としてしか見ていなかった。
「……失礼いたしました。陛下」
エリザは静かに立ち上がり、背を向けた。彼女の瞳には、絶望ではなく、ある種の決意が宿っていた。父が耳を貸さぬなら、もはや自分の手で「真実」を拾い上げるしかない。
王都から豊村へと続く街道。そこを埋め尽くしているのは、総勢五百名を超える王宮騎士団の重装歩兵と、馬を連ねた魔導師部隊だ。
その隊列の傍らで、能吏メビウスは、額の汗を拭いながら馬を走らせていた。
(……やれやれ。王の猜疑心と教団の執念が、最悪の形で噛み合ってしまったか。これだけの軍勢が動けば、もはや事務的な手続きで止めるのは不可能だ)
メビウスは、役人としての冷静な視線で、前を行く騎士たちの装備を観察する。教団が提供したという対魔導用の特殊甲冑。そして、大規模な広域殲滅魔術を展開するための触媒。これらは、単なる村の接収ではなく、明らかな「抹殺」の準備だった。
「団長! 最後に一度だけ、私に先行の許可を! 降伏勧告を行い、無用な流血を避けるべきです!」
メビウスの必死の呼びかけに、騎士団長は冷たく鼻を鳴らした。
「役人が戦場に口を出すな。陛下は『一刻も早く神子を奪還せよ』と命じられた。抵抗する者はすべて、王の敵として排除するのみだ」
馬を飛ばし、メビウスは騎士団を追い越すようにして豊村へと急いだ。せめて、ロルフに逃げる時間を与えなければ。それが、この国の破滅を避ける唯一の道だと確信していた。
豊村の入り口。
ロルフは、いつものようにクワを杖にして立っていた。隣には、シオンが不安げに、けれど真っ直ぐに街道の先を見つめている。
「ロルフ殿! 逃げるんだ、今すぐに!」
砂煙を上げて駆け込んできたメビウスが、馬から飛び降りるなり叫んだ。
「メビウスさん、仕事熱心だね。こんなところまで出張かい?」
「冗談を言っている場合じゃない! 正規軍だ、五百の重装騎士がそこまで来ている。王は教団の言葉を信じ、君を『国家の反逆者』として処理しようとしているんだ!」
「……やれやれ。王様っていうのは、ずいぶんと疑り深いんだね。せっかく、この前のカブが美味しく育ったから、王都へも届けようと思っていたのに」
ロルフは溜息をつき、足元の土を軽くクワで均した。
「逃げる必要はないよ、メビウスさん。ここは僕の庭だ。……土足で入ってきて、芽吹いたばかりの苗を踏み荒らそうとする連中には、庭師なりの『作法』で挨拶させてもらうだけさ」
「相手は五百人だぞ!? 個人の魔術でどうにかなる数じゃない!」
「魔法なんて使わないよ。……ただ、少しだけ『等価交換』の天秤を動かすだけだ」
ロルフは、村の四方に植えておいた、シオンの毒を微量に含んだ「特殊な苗」を指差した。それらは、地下の根を通じて網の目のように街道の土壌へと繋がっている。
「シオン、準備はいいかい? ……今日は少し、多めに『肥料』を流し込んでくれ」
「はい、ロルフ様……!」
シオンが村の境界線にある大木に手を触れる。彼の内側から溢れ出す黒い毒のエネルギーが、ロルフの編んだ根の回路を通って、街道の地下へと一気に流れ込んだ。
直後、騎士団の先鋒が村の境界線を越えた。
「突撃ィ! 神子を奪還せよ!」
団長の号令とともに、数百の蹄が大地を蹴る。
その瞬間、ロルフがクワの石突きを、地面に「トン」と叩いた。
「……交換だよ。シオンの毒を対価に、この土の『粘性』と『比重』を書き換える」
ドォォォォンッ!
地響きが轟いた。だが、それは爆発ではない。
硬かったはずの街道が、一瞬にして底なしの泥濘へと姿を変えたのだ。ただの泥ではない。シオンの絶大なエネルギーを対価に、土の粒子が液体のように流動化し、同時にその粘り気が鋼のように強まった「超高粘度土壌」だ。
「なっ、何事だ!? 足が……馬が沈んでいくぞ!」
騎士たちの悲鳴が上がる。
彼らが纏う重厚な甲冑が、逆に仇となった。自らの重みによって、泥の中へとズブズブと引きずり込まれていく。馬は嘶き、足を奪われて倒れ込み、魔導師たちは詠唱を中断して足元を固めようとするが、ロルフの書き換えた「物理法則」の前には無力だった。
五百の軍勢。王都の誇る精鋭たちが、指一本触れられることも、一滴の血を流すこともなく、文字通り「土の中に生けられた展示物」のように、胸元まで埋まって動けなくなったのだ。
「……殺しはしないよ。でも、その重い鎧を着たまま、少し頭を冷やすといい。土は、君たちの傲慢さを吸い取るのが得意なんだ」
「……終わった?」
メビウスが震える声で呟いた。
「いや……。どうやら、まだ『害虫』が残っていたみたいだね」
ロルフが空を見上げる。
泥濘に沈んだ騎士団の後方。そこから、不自然なほど赤黒い「胞子」が、風に乗って村へと流れてくるのが見えた。
さらに、空中に数人の人影が浮遊している。それはシオンと同じような容姿を持ちながら、瞳に光を宿さない「偽の神子」たちだった。
彼らが撒き散らす胞子は、地面に触れた瞬間、ロルフが育てた植物を黒く変色させ、腐食させていく。
「……教団の、禁忌の術か。騎士団すら囮に使うとは」
メビウスが絶望に顔を歪める中、ロルフはクワを肩に担ぎ直した。
「やれやれ。地上の石を退けたら、今度は空から害虫か。……メビウスさん、悪いけど、沈んでいる君たちの部下の甲冑……少しばかり借りるよ。空を掃除するには、もっと頑丈な『対価』が必要になりそうだからね」
夕闇の中、赤黒い花が空で芽吹き始める。
ロルフの瞳に、農夫としての、そして守り手としての、鋭い火が灯った。




