第23話:儀式師の影と、揺れる心
翌朝の豊村は、どこか張りつめた空気に包まれていた。
昨日届いた「儀式師が来る」という匿名の伝言が、村人たちの胸に重くのしかかっているのだろう。
だが、ロルフはいつも通りの穏やかな表情で村を見回していた。
「そんなに肩に力を入れなくていいよ。いつも通りで大丈夫だ」
その声は、村人たちの緊張を少しだけ和らげた。
ロルフの落ち着いた声は、不思議と人の心を安定させる。
シオンはロルフの後ろを歩きながら、落ち着かない様子で袖を握っていた。
「ロルフ様……僕、何か役に立てますか」
「君は後ろにいてくれればいい。それが一番助かるよ」
ロルフは振り返り、軽く微笑んだ。
その余裕のある笑みに、シオンは胸が熱くなる。
(僕は……守られてばかりだ。でも……)
シオンは唇を噛み、ロルフの背中を見つめた。
村のあちこちで、村人たちがそわそわと動いている。
薬師の老婆は井戸の水を何度も確かめ、鍛冶屋は古い鍬を磨きながら落ち着かない様子だ。
子供たちでさえ、今日はいつものように走り回らず、家の影から外を覗いている。
(みんな、不安なんだ……)
シオンは胸が締めつけられるような気持ちになった。
王都の一角、教団派の貴族の屋敷。
薄暗い部屋の中央で、黒いローブをまとった男が静かに立っていた。
フードを深くかぶり、顔は見えない。
「……神子の気配。
役割を揺らすには、まず“触れ”なければ」
儀式師は手にした護符の断片を撫でながら、低く呟いた。
貴族は焦りを隠せない。
「王女の評判が上がっている。
教団の奇跡を示すには……成功してもらわねば困る」
「心配は不要。
“役割”は揺らぎやすい。
あとは……触媒さえあれば」
儀式師の声は、冷たく乾いていた。
午後、村の外れに黒い馬車が現れた。
私兵は少数で、前回のような威圧感はない。
だが、その静けさが逆に不気味だった。
ロルフは村の入口で待ち構え、馬車をじっと見つめた。
(さて……どんな相手かな)
馬車から降りてきたのは、黒いローブをまとった儀式師だった。
彼は丁寧に頭を下げる。
「初めまして。
私は“調査”のために参りました。
王都の魔力濁りの原因を探るため……どうか協力を」
声は丁寧だが、どこか冷たい響きがある。
ロルフは一歩前に出て、村人を背に庇った。
「調査なら、村の外でお願いします。
ここは病の村ではありません」
儀式師は微笑むが、目は笑っていない。
「ええ、承知しています。
ただ……“特別な気配”があるようでして」
その視線が、ゆっくりとシオンへ向かう。
シオンは小さく震え、ロルフの背に隠れた。
ロルフは軽く肩に触れ、落ち着かせる。
儀式師は村の空気を嗅ぐように歩き、
シオンの方へゆっくりと視線を向ける。
「……あなた、ですね」
シオンは息を呑んだ。
「彼に用があるなら、僕を通してください」
ロルフが静かに言うと、儀式師は興味深そうに彼を見つめた。
「あなたからも……“近い匂い”がしますね。
なるほど、これは……面白い」
ロルフは余裕の笑みを浮かべる。
「匂いの話は分かりませんが……
村に害があるなら、僕が止めますよ」
儀式師は一瞬だけ表情を歪めた。
その反応を見て、ロルフは確信する。
(やっぱり……“調査”じゃない)
儀式師は「魔力濁りの調査」と称して、
村の井戸や畑、果樹園を見て回った。
ロルフはその動きを観察しながら、
“探しているもの”があると気づく。
(井戸……畑……果樹園……
どれも“村の生命線”だ。
そこに何か仕掛けるつもりか)
儀式師は井戸の縁に手をかざし、何かを呟いた。
水面がわずかに揺れ、冷たい気配が広がる。
「……ふむ。興味深い」
ロルフはその手元をじっと見つめた。
「井戸に何か問題でも?」
「いえ、ただ……“反応”があっただけです」
儀式師は曖昧に笑った。
シオンは儀式師の視線を避けながら、ロルフの袖を掴む。
「ロルフ様……あの人、怖いです」
「大丈夫。僕がいる」
ロルフは余裕を崩さず、シオンを安心させた。
村人たちも遠巻きに儀式師を見つめていた。
鍛冶屋の男は拳を握りしめ、薬師の老婆は震える手で祈りの印を切っている。
誰も声を上げないが、村全体が“異物”を警戒していた。
調査を終えた儀式師は、村を離れる前にこう告げた。
「また来ます。
次は……“本格的な調査”のために」
ロルフは微笑みながら答える。
「その時も、僕が案内しますよ。
村の者に手を出さない限りはね」
儀式師は一瞬だけ表情を歪め、馬車へ戻った。
その足元に、黒い粉が落ちているのをロルフは見逃さなかった。
護符の断片と同じ匂いがする。
「……これは、村の外で撒かれていたものと同じだ」
シオンは震えながら呟く。
「ロルフ様……僕、狙われてるんですね」
ロルフはシオンの頭を軽く撫でた。
「狙われるほど価値があるってことだ。
でも、渡す気はないよ」
その言葉に、シオンの胸が熱くなる。
夜、縁側で二人が並んで座っていた。
月明かりが静かに庭を照らす。
「僕……怖いです。でも、逃げたくない。
ロルフ様の隣にいたい」
シオンの声は震えていたが、確かな意志があった。
ロルフは優しく笑う。
「僕も怖いよ。でも……君がいるから戦える」
シオンはロルフの手を握り、静かに言った。
「僕……ロルフ様のためなら、何でもできます」
ロルフはその手を握り返す。
「無理はしなくていい。でも……ありがとう」
その時、遠くで犬が吠えた。
村の外から、冷たい風が吹き込んでくる。
(影が……近づいている)
ロルフは静かに目を閉じた。
その頃、王都の夜空に、黒い霧のようなものが立ち上っていた。
儀式師が王都へ戻り、教団派の貴族に報告する。
「確かに“神子”は存在しました。
次は……“役割”を揺らします」
貴族は満足げに頷いた。
「王女の評判が上がる前に……成功させねばな」
ロルフは村の中心で、村人たちに静かに告げた。
「次に来るのは、ただの私兵じゃない。
“何か”を連れてくる。
僕たちは、守る準備をしよう」
シオンはロルフの隣で、拳を握りしめた。
「僕も……ロルフ様と一緒に戦います」
紫の霧が、夜風に揺れた。
豊村の静かな夜に、確かな影が忍び寄っていた。




