第22話:揺れる王都と、微かな影
翌朝の豊村は、昨日の緊張が嘘のように穏やかだった。
紫の霧は薄く、果樹の葉に残った露が朝陽を受けてきらめく。
子供たちの笑い声が畑の向こうから聞こえ、薬師たちは新しい調合を確かめている。
だが、ロルフの胸には昨日の隊長の言葉が重く残っていた。
(終わりじゃない……か)
縁側で毒草の種を指先で転がしていると、背後からそっと袖を引かれた。
「ロルフ様……昨日、あまり眠れていませんよね」
シオンが心配そうに覗き込む。
ロルフは苦笑し、軽く肩をすくめた。
「少し考え事をしてただけだよ。君の毒は優しいから、疲れはすぐ取れるさ」
「……無理してる声です」
シオンはそう言って、ロルフの手をそっと包んだ。
その温もりに、ロルフは少しだけ肩の力を抜いた。
「ありがとう。君がいてくれるだけで十分だよ」
シオンは顔を赤くし、俯いた。
王都の北区画。
メビウスとエリザが育てていた毒草が、ついに発芽した。
「……芽が、出た……!」
エリザが両手で口を押さえ、目を潤ませる。
メビウスは土に膝をつき、発芽した小さな毒草を見つめていた。
ロルフから託された種。
王都の濁った魔力に耐えられるかどうか、何度も失敗を繰り返した末の成功だった。
「見てください、メビウス……周囲の魔力濁りが……薄くなっています」
「……本当だ。ロルフ殿の研究は正しかった。毒草は“濁り”を吸い、浄化する……」
周囲の住民が集まり、口々に驚きを漏らす。
「魔法が……前より軽い……」
「体が楽になった気がする……!」
王都全体を救うには程遠い。
だが、この小さな奇跡は、確かな希望だった。
その希望は、静かに王都中へと広がっていく。
「北区画が少し良くなったらしいぞ」
「王女殿下が研究しているとか……?」
「殿下はやはり聡明なお方だ」
王女エリザの名を口にする者が増え始めていた。
王城の一室。
現王は、報告書の束を乱暴に机へ叩きつけた。
「……また北区画の話か。
なぜ余の命令より、エリザの研究が持て囃される……!」
側近は言葉を選びながら答える。
「殿下の研究が、住民の間で“希望”として……」
「希望? 余がどれほど王都のために尽くしてきたと思っている……!」
王は拳を握りしめ、唇を噛んだ。
(なぜだ……なぜ余の言葉が届かぬ。
少しぐらい、余を立ててもよいではないか……)
胸の奥に、じわりと黒い焦りが広がる。
(すべて……あの娘が成功したせいだ。
余の威光が薄れたのも、民が余を見なくなったのも……)
王は深く息を吐き、椅子に沈み込んだ。
(……このままでは、玉座が揺らぐ。
何か手を打たねば……)
その焦りは、王都全体に影を落とし始めていた。
一方で、別の場所では密談が交わされていた。
「王女の評判が上がるのは好ましくない」
「現王は焦っている。今なら動かしやすい」
「教団の“奇跡”こそ王都を救うと示さねば」
教団の影響を受けた貴族たちが、静かに動き始める。
まだ表立った対立ではない。
だが、確かな“焦り”がそこにあった。
昼過ぎ、ガラムが荷車を引いて村に戻ってきた。
顔には疲労が滲んでいる。
「ロルフ、シオン……王都は、混乱してる」
ガラムは水を飲み干し、息を整えてから続けた。
「北区画で“毒草の栽培成功”が話題になってる。魔力濁りが薄くなったって、住民が喜んでたよ」
「……ロルフ様の種が、王都を……」
シオンが胸に手を当て、嬉しそうに微笑む。
「でもな……そのせいで、王女殿下の評判が上がってる。
一方で、教団の連中は焦ってるらしい。
“儀式師”を豊村に送る準備をしてるって噂だ」
ロルフの表情がわずかに曇る。
「儀式師……?」
「詳しくは分からない。ただ、普通の使者じゃないらしい」
ロルフは胸の奥に、冷たいものが落ちるのを感じた。
その日の夕方、井戸の水が一時的に濁った。
「ロルフ様! 井戸が……!」
ロルフはすぐに駆けつけ、手を水面に触れた。
濁りはすぐに沈み、透明な水が戻る。
「……外からの影響だ。誰かが、村の外で“何か”をしている」
シオンは震える声で言った。
「僕の毒じゃない……もっと冷たい……嫌な感じがします」
ロルフはシオンの肩に手を置いた。
「大丈夫。君の毒は人を生かす毒だ。これは……違う」
シオンは小さく頷いたが、不安は消えなかった。
夜、見張りの青年が駆け込んできた。
「ロルフさん! 村の外に……手紙が!」
差し出された紙には、短い文だけが書かれていた。
「貴族は再び動く。
今度は“儀式師”が同行する。
気をつけろ。」
ロルフは紙を握りしめ、静かに呟いた。
「……あの隊長の部下か。良心が残っているんだな」
シオンはロルフの隣に寄り添い、そっと袖を掴んだ。
「ロルフ様……怖いです。でも……僕、逃げません」
ロルフはシオンの手を握り返す。
「僕も逃げない。君と一緒に、この村を守る」
その頃、王都の夜空に、黒い霧のようなものが立ち上っていた。
誰もその正体を知らない。
ただ、教団派の貴族たちが密かに集まり、
“儀式師”と呼ばれる者が王都に到着したという噂だけが、静かに広がっていた。
ロルフは村の中心で、村人たちに静かに告げた。
「次に来るのは、ただの私兵じゃない。
“何か”を連れてくる。
僕たちは、守る準備をしよう」
シオンはロルフの隣で、拳を握りしめた。
「僕も……ロルフ様と一緒に戦います」
紫の霧が、夜風に揺れた。
豊村の静かな夜に、確かな影が忍び寄っていた。




