第2話:呪われた子と、絶望の村
魔獣を消し飛ばした余波が、紫の霧に溶けていく。静寂が戻った森の中で、ロルフは膝をつき、再び意識を失った少年の顔を覗き込んだ。
「……それにしても、綺麗な顔だな」
あらためて見ると、シオンと名乗ったその少年は、恐ろしいほどの美貌の持ち主だった。湿り気を帯びた銀糸のような髪が、毒霧に濡れて肌に張り付いている。陶器のように白い肌、長く影を落とす睫毛、そして中性的ながらもどこか艶やかな唇。細い喉仏がなければ、どこかの国の姫君だと言われても疑わなかっただろう。
ロルフがその細い体を抱き上げると、あまりの軽さに驚いた。骨の感触がわかるほど痩せている。だが、その肌に触れた瞬間、ロルフの【毒素等価交換】が激しく反応した。シオンの体内からは、今もなお致死性の猛毒が、極上の蜂蜜のような甘いエネルギーとなって溢れ出しているのだ。
「これだけの『栄養』を抱えて、よく今まで生きてこられたな」
ロルフはシオンを背負い、霧の向こうにある『豊村』へと歩き出した。
――豊村。そこは、王都から「ゴミ捨て場」のように扱われている場所だった。村の入り口まで戻ると、崩れかけた家々の隙間から、怯えたような視線がロルフに突き刺さる。
「……おい、誰だあいつは」「森から戻ってきたのか?……ひっ、背負っているのは、あの『呪われた子』じゃないか!」
村の広場に出ると、数少ない住民たちがゾロゾロと這い出してきた。誰もが泥にまみれ、頬はこけ、瞳からは生気が失われている。絶望に慣れきった、死を待つだけの者たちの顔だ。
「待ちなお、若いの」
行く手を阻んだのは、腰の曲がった老婆だった。村のまとめ役なのだろう、手に持った杖を震わせながら、シオンを指差す。
「その子は『毒神の呪い』を受けた災厄の種だ。そいつが村にいるだけで、井戸は腐り、土は死ぬ。さっさと森へ捨ててきな。お前さんも死にたくなかったらね」
住民たちが、呪詛のような呟きを漏らしながらロルフを取り囲む。だが、ロルフは動じなかった。
「この子はもう大丈夫ですよ。それに、井戸が腐っているのは彼のせいじゃない」
ロルフは背中のシオンを抱き直し、広場の中心にある、濁った茶色の水が溜まった井戸へと歩み寄った。
「おい、何を……」
ロルフは空いた手を井戸の水面に浸した。今、彼の中には、先ほどシオンから吸い取った余りあるほどのエネルギーが渦巻いている。
(生命エネルギーを、少し変質させる。『浄化』と『活性』のイメージだ……)
体内でエネルギーの波形を書き換える感覚。物語の進化の第一歩。彼は無意識に、エネルギーを物理的な力だけでなく、**『事象の反転』**へと応用し始めていた。
「――変換、波紋」
ロルフの指先から、清らかな白い光が波紋となって広がった。次の瞬間、ボコボコと音を立てて井戸の水が沸き立ち、みるみるうちに泥が沈殿していく。呼吸を止めるような一瞬の静寂の後、そこには水晶のように透き通った、清冽な水が満ちていた。
「なっ……!? 井戸が、浄化された……?」「馬鹿な……。この村の毒を消せる魔法使いなんて、都にだっていなかったはずだぞ!」
住民たちが腰を抜かし、あるいは我先にと井戸に駆け寄る。ロルフはその喧騒を余所に、老婆に静かに告げた。
「僕は農夫です。この村を『豊村』という名にふさわしい場所に変えるために、王都から来ました。……とりあえず、彼を寝かせられる場所を貸してください」
老婆は呆然と井戸とロルフを交互に見て、やがて力なく頷いた。
村の端にある、日当たりの悪いボロ小屋。古いベッドに横たわったシオンが、小さく呻き声を上げて目を開けた。
「……ん、……ここは……」「気がついたか。村の空き家だよ」
枕元で毒草の種を仕分けていたロルフが振り返る。シオンは自分の手を見つめ、信じられないというように何度も握りしめた。
「毒が、暴れていない……。あんなに苦しかったのに、今は……旦那様の、匂いだけがする」
シオンはふらつく足取りでベッドから降りると、ロルフの足元に膝をつき、その服の裾をぎゅっと握りしめた。上目遣いに見上げるその瞳は、やはり恐ろしく美しい。だが、そこにあるのは神性ではなく、たった一人の理解者を失うことを恐れる、幼い少年の依存心だった。
「僕を……捨てないでください、ロルフ様。僕にはもう、貴方しかいないんです。貴方がいなければ、僕はまた『毒』に戻ってしまう……」
細い指が震えている。ロルフは苦笑して、その銀髪を優しく撫でた。
「捨てるわけないだろう。君は、僕にとって最高の相棒なんだから」
シオンの頬が、微かに朱に染まる。その様子を、窓の外から住民たちが驚きと期待の混じった目で見守っていた。
一方その頃、王都の植物園では。バルトロ主任が、枯れ果てた聖女のバラ園を前に、顔を真っ青にして叫んでいた。
「なぜだ!最高級の除草剤を撒いたはずなのに、なぜ植物がすべて溶けていくんだぁぁ!!」
ロルフがいなくなった「代償」は、すでに王都の喉元まで迫っていた。




