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十年間、王都の魔力汚染を密かに抑えていた農夫を『毒草使いの無能』と追放した結果→王都、崩壊寸前。僕は毒の神子と辺境を黄金の楽園にしてるので、今さら戻れと言われても手遅れです  作者: ジュライ
毒草使いは、世界の価値を書き換える

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第17話:王女、農を識る

「……ひ、ひゃああああっ!? な、なに、今の足がいっぱいある生き物は!?」


 豊村の静かな朝に、およそ似つかわしくない悲鳴が響き渡った。

 声の主は、かつて王宮のバルコニーで優雅に扇を揺らしていたエリザ王女である。今の彼女は、リゼットから借りた丈の短い、麻製のゴワついた作業着に身を包み、尻もちをついて一匹の大きなゲジゲジに怯えていた。


「エリザ様、大丈夫ですよ。その子は土を耕すお手伝いをしてくれる良い子ですから」


 リゼットが慣れた手つきで、素手でひょいとその虫を拾い上げ、茂みへ逃がしてにっこりと微笑む。

 エリザの修行初日は、まさに前途多難だった。王宮では、虫一匹どころか、枯れ葉一枚すら彼女の目に触れる前に侍女が片付けていたのだ。


「土を耕す……? 虫が……? ……っ、い、いいわ。やるわよ。私はそのために、ここへ来たのだから!」


 エリザは震える膝を叩いて立ち上がり、再びクワを握り直した。

 だが、現実は残酷だ。ロルフやシオンが羽毛のように軽く扱っていたクワは、彼女が持つと鉛のように重い。たった数回振り下ろしただけで肩の関節が悲鳴を上げ、掌には早くも真っ赤なマメができ始めていた。


「……リゼット、彼女の腰の位置が高いよ。それじゃ土を叩いているだけで、中まで空気が入らないんだ」


 少し離れた場所でトマトの苗を整えていたロルフが、顔を上げずに指摘する。


「シオン、君からも少しアドバイスしてあげてよ」


「……ロルフ様。あのような危なっかしい手つき、見ていられません。いっそ私がすべての区画を瞬時に耕してしまいましょうか? その方が効率的です」


「それじゃ意味がないだろうね。……シオン、君だって最初はそうだっただろう? 焦らずに見守ってあげてよ」


 ロルフの言葉に、シオンは不承不承といった様子で「……御意」と頷き、エリザの後ろで無言の圧力をかけ始めた。それは指導というより、まるで獲物を狙う鷹のような視線で、エリザの緊張をさらに煽ることになった。



 修行が始まって一週間が過ぎた。

 エリザの体は限界を迎えていた。全身が深刻な筋肉痛に襲われ、朝起きるたびに自分の体が重石になったのではないかと思うほどの鈍痛を感じる。指先は荒れ、爪の中に入り込んだ泥は、いくら洗っても落ちることはなかった。


 しかし、彼女を最も苦しめていたのは肉体の痛みではなく、焦りだった。

 時折、村を訪れる商人のガラムが、気遣わしげに王都の「外の噂」を運んでくる。


「バラ園の腐敗が広場まで漏れ出したらしいですよ」

「王が、芽吹かぬ種を呪ってメビウス殿を叱責したそうだ」

「瘴気のせいで、体調を崩す民が増えているとか……」


 その報告を聞くたびに、エリザの心は千々に乱れた。

 自分がこうして泥にまみれている間に、都の誰かが命を落としているかもしれない。父が無能を晒し、民の心が完全に離れていくかもしれない。


「早く……もっと早くコツを掴まなければ。私がこうしている間にも、都は……!」


 エリザは必死にクワを振るった。だが、心が焦れば動きは雑になる。呼吸は乱れ、土の状態を見る余裕などどこにもなかった。

 ――ガリッ、という嫌な音が、静かな菜園に響き渡った。


「あ……」


 彼女が力任せに振り下ろしたクワの刃が、隣のうねにあった若い苗の根元を深く傷つけていた。それは、ロルフが最も大切に育てていた、収穫間近の特別なトマトの苗だった。


「……。エリザ様。今の音は、いただけないね」


 いつの間にか背後に立っていたロルフの声は、いつもの脱力したトーンとは違い、どこか冷徹な響きを帯びていた。


「ごめんなさい……。すぐに、すぐに植え直すわ。それとも、魔法で治せるの……?」


 エリザが慌てて泥だらけの手で苗を支えようとするが、傷ついた茎は無情にも力なく垂れ下がっている。その傷口からは、植物の「涙」のような雫が溢れていた。


「魔法で無理やり繋ぐことはできるよ。でもね、そうやって『急いで直した』ものは、結局中身がスカスカになって、まともな実はならないんだ」


 ロルフは静かに膝をつき、傷ついた苗の葉をそっと撫でた。


「エリザ様。君が都を心配する気持ちは分かるよ。でも、焦って土を叩いても、野菜は早く育たないし、土も硬くなるだけだ。……君は今、土を耕しているんじゃなくて、『自分の焦り』を土にぶつけているだけだね」


「……だって、もう時間がないのよ! 民が苦しんでいるのに、私だけここで泥遊びをしているような気がして……! 私がここに来たのは、国を救うためなのよ!?」


 エリザは堪えきれずに叫んだ。

 溜まっていた涙がこぼれ落ち、泥だらけの頬に白い筋を作って土を濡らした。


「泥遊び、か。……やれやれ。それなら一度、手を止めてごらん」


 ロルフは立ち上がり、静かに周囲を指し示した。

 夕暮れ時。村を包む風は穏やかで、黄金色の光が畑を照らしている。


「見てごらん。シオンが汲んできた水は、今ゆっくりと土に染み込んでいる。リゼットが撒いた肥料も、すぐには消えない。目には見えないけれど、土の中では時間をかけて、命が準備を整えているんだ。……『待つ』っていうのはね、何もしないことじゃない。次に芽吹く瞬間を信じて、最高の環境を整え続け、その時をじっと待つことだよ」


 ロルフの言葉は、夕風のようにエリザの胸に染み込んでいった。


「君は、都の民を信じているかい? メビウスという男を、信じているかい?」


「……ええ。信じているわ。彼は、誰よりもあの都のことを考えているもの」


「なら、君の仕事はここでしっかり根を張ることだ。君がここで土の声を聴けるようになれば、その確信は必ず王都の種にも伝わる。……植物っていうのは、そういう風に目に見えない根で繋がっているものだからね」


 エリザは、涙を拭って自分の手を見つめた。

 マメだらけで、節くれ立ち、王女としての美しさは損なわれたかもしれない。けれど、その手で触れる土は、驚くほど温かかった。


「……信じて、待つ。それが、農夫の……王の仕事なのね」


「まあ、僕はただの農夫だけどね」


 ロルフは少し照れくさそうに笑うと、予備の苗を持ってくるようシオンに命じた。


「さあ、植え直しだよ。今度は焦らずに、土の機嫌を伺いながらやってごらん。……君が静かになれば、土も心を開いてくれるはずだよ」


 エリザは再びクワを手に取った。

 その背中は、昨日までよりもずっと、豊村の大地に深く根を下ろそうとしているように見えた。

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