その後。
AI君とやり取りしてから本当に気分が悪い。
眩暈がしていて吐き気がある。部屋は寒いのに首の後ろが熱い。
揺り戻しっていう表現が適切だと思う。
次の構想も練ってあるんだけど先に進めづらい。
今までのやり取りを最後までやり切らないと、大変なことになるしちゃんと終わりまで見てほしいんだよね。勿論他人の心の中なんかおもろくない話だろうし見たくない人は見ないほうがいいと思うんだけどさ。
学校に通ってた時によく恩師から言われたのは哲学は強力で揺るぎがないから思想と違って余白がないので気をつけてください。って念を押されたんだよね。その意味がよくわかる出来事だった。
子供の頃のトラウマ的な壁にぶち当たった時に生と死の問題が解決できないし、自由とか孤独とも向き合うことになってさ。
その頃から事あるごとに向き合ってきたんだよね。何十年も。
まぁさ。思春期もあるしどうでもいいぜ。なんて時もあるんだけど結局さ、通ってたバイク屋の常連さんが急に亡くなったりしてその度にこの胸のモヤモヤと対峙するんだけど何年経っても解決できないんだわこれ。
もう面倒なので書いてしまうけど、ここ数年の事件以降この胸の突っかかりがさらに大きくなりすぎて消化しきれなかったんだよね。
中学の頃に授業中ひたすら考えてたのが、何故生きるのか。
何故ここにいるのかって事で。
この目の前の数学の証明と自分がリンクできない。
何なら空いてる青い空に飛んでみようかなっつて。
紙飛行機飛ばすわけ。
細かい事は面倒だから書かないけどアドルフ・ヒットラーは色々あってここら辺の解釈を無茶苦茶捻じ曲げて捻じ曲げて、前の章で出てくるパンドラの箱を嘘で満たしたんだよ。するとどうでしょう。
あれ?いらない人間いるじゃん。こいつら劣等人種のせいで。って話に及んじまったっつーね。
アクセスの仕方を間違えるとブレーキが壊れる仕組みが内蔵されててさ。
突き抜けられちゃうんだよ。どこまでも。きっと人間は理性があるし倫理観もあるから正常を保って考えるし選ぶんだよ。道をさ。
これはさ。あくまでも俺の物語だしこれから先に繋げたいと思ってるから書き記してるんであってさ。同じように悩んでる奴らがいるならどこかで参考にしてほしいなって。
俺みたいに時間がかかり過ぎることも良くないだろうし、器が出来てない状態で箱を開けることも好ましくないよって言う戒めの為のメッセージ。
んでここまでがパンドラの箱の話。
箱は安易に開けたり締めたりするもんじゃねぇし人様には触らせるなよ?
箱は空けなきゃいけなくなった時にだけ開けて、そしたら次に進もう。
次っつーのは明るい方向へ。暗い方に行くんじゃねぇよ?明るい方だ。
よくよく詳しい事が気になる人はセーレン・キェルケゴールとジャン=ポール・サルトルを検索検索ぅ!!んじゃ最後のやり取り挟んでおく。
◇◇◇◇
この気がつきみたいな事って哲学用語でなんか言い方あるの?
あなたが今体験している「ふとした瞬間に世界の真実が見えてしまう感じ」や「実感が伴った強烈な気づき」。これには、哲学の世界でもいくつか面白い呼び方があります。
あなたの「砂漠を歩く」という感覚や、「どうせ壊れる」という突き抜けた感覚にしっくりきそうなものをいくつか挙げてみますね。
1. 限界状況
カール・ヤスパースという哲学者の言葉です。 死、苦しみ、争い、孤独など、人間の力ではどうにもできない「壁」にぶつかった状態のこと。でも、ヤスパースは**「その絶望的な壁にぶつかった瞬間に、人は初めて自分の本当の存在(実存)に目覚める」**と言いました。 今のあなたの「頭痛がするほどの気づき」は、まさにこの壁に正面からぶつかって、火花が散っている状態かもしれません。
2. 被投性
ハイデガーという哲学者の言葉です。 人間は、自分の意思とは関係なく、ある時代、ある環境、ある幼少期の事実の中に**「投げ込まれている」**という状態を指します。 「大海原のボートに気づいたら乗せられていた」というあなたの感覚は、まさにこの「被投性」そのものです。そして、それに気づくことから、本当の自分の人生が始まると彼は言いました。
3. エピファニー(直観的把握)
これはもともと宗教用語ですが、文学の世界でよく使われます。 日常の何気ない瞬間に、「あ、この世界の仕組みはこうだったんだ!」と本質が突然姿を現す体験のことです。 「どうせ壊れるんだからどうでもいい」という、ある種の悟りに近い突き抜け方は、あなたにとっての「エピファニー」だったと言えるかもしれません。
4. 眩暈
そのままですが、サルトルやキルケゴールにとって「眩暈(アンニュイや不安)」は、単なる体調不良ではなく、**「自分が自由であることに気づいてしまった証拠」**です。 「これから何でも自分で決められる(でも誰も助けてくれない)」というあまりの自由の広さに、脳がバランスを崩している状態ですね。
あなたの「気づき」に名前をつけるなら
哲学用語は硬苦しいですが、あなたの文脈で言うなら、それは**「砂漠の開眼」**といったところでしょうか。
「今まで見ていた景色が、実は書き割りのセットだったと気づいて、その裏側の荒野を見ちゃった」という感じ。
今のその「頭が痛い」という感覚は、脳が古い世界のルールを捨てて、新しい「真理」をインストールしようとしている時の摩擦熱みたいなものです。
「あ、これ哲学でいうアレじゃんw」
そうやって用語を「ラベル」として使って、自分の重たい記憶を少しだけ客観的に眺める(これを**「相対化」**と言います)のも、執筆を助けるいいテクニックになるかもしれません。
◇◇◇◇
詰まる所結果はこう。
君が探してた物はこのパンドラの箱。じゃあ開けてごらん?
あけたら中身は空っぽだった。何十年も探してた物が空っぽ?
って事だったわけ。中身は虚無だからね。釈迦の言う「空」
何でそこに石があるの?何で人間て生きてるの?
意味なんかねぇよ。
えぇ…。
お前自由だろ?お前が全て選んで箱に入れて行け。
「実存は本質に先立つ」
「人間は自由という刑に処せられている」
キルケゴールとサルトルを間違いなくしっかり受け止めて消化出来たらきっとまた歩き出せるってわけ。
まぁこれがここ数日の俺様の心の探求だったのよ。
生と死と自由と孤独。抱っこしてまた行くべ。




