遠くの親戚より近くの知人
「隊長。牢に放り込んでた奴は?」
ガーゼを剥がして傷の治り具合を鏡で確認しているジニィに、バスカルが何気なく問いかける。
「とっくに出したよ。いつまでも置いとけないしな」
「えっ、処罰は?」
塞がり始めた傷は まだ赤らんでいるが、腫れは引いてきている。
「今ごろ短期労役で溝さらいしてるだろ」
「あ……そう」
「なんだよ?」
戦いの傷は名誉の勲章かも知れないが、ジニィのコレは不本意な怪我である。
「それより早く警らに行こうぜ!」
「お前が聞いてきたんだろ」
二人はいつものように夜の街に繰り出した。
「仕事じゃ無けりゃあ」
「馬鹿言ってんな」
いうて灯りも少ない閉店間際の街である。頼りないランタンでは、遠くを見るのも難しい。
「グレイズの報告書は読んだか?」
「あー。宿屋の喧嘩ね。アイツの腕っぷしは女にしとくにゃ惜しい」
ジニィはチラリと相棒の顔を見上げた。
「お、気になるのか?」
「バッカ。俺はまだ傷心なんだよ」
少し先の方で、食器が割れるような音が響いた。二人は目を見合わせて耳を澄ます。女性の金切り声が追加され、物騒さが増した。駆け足で音源に近づくと、男女の言い合いが耳に入った。
「なーんだ、夫婦喧嘩かよ」
「……コレ、旦那殺されないか」
念のために扉を叩けば、開かれたドアの奥には予想に違わぬ惨状と、頬に手形のついた旦那が居た。
「表まで聞こえてるぞ。程々にしろ」
「浮気夫の躾に程々なんかあるもんか!」
妻に怒鳴られ、二人は すごすごと引っ込んだ。
「ほ〜ら。あんなの放っときゃいーんだ」
「これで大事にならなきゃいいんだよ」
細かい事でも疎かにしないジニィに、バスカルは肩を竦めて苦笑する。
「馬鹿真面目。だから出世できねーのよ」
「馬鹿はお前だ。出世したら責任ばかり増えて、給料は大して増えない。大変なんだぞ」
今度こそ大笑いだ。
「お前って奴は、母ちゃんの腹に欲を置いてきちまったみてえだな」
夜間警らも半分を過ぎた所で、路地から黒い影が飛び出してきた。野良犬かと思えば、何と年端もいかない少年である。ジニィらに道を塞がれる形になり、少年はたたらを踏んだ。
「こんな時間に何してるんだ」
「ドコの子だ?」
「……っ」
少年の様子は明らかにおかしい。ジニィらに警戒しているような……
路地の奥から悲鳴が響き渡った。
「ちょい待ち!」
逃げようとする少年をバスカルが引っ掴んで止める。
「おい、バスカル。この先、士長の……」
「あぁ、アイツの家?」
「違う。愛、不義の恋人の〜」
カドマスの愛人宅である。バスカルはスグに察して、嫌そうに顎をシャクった。
「コイツは見てるから、行ってこいよ」
そこには数日前にジニィが訪れたままの、こじんまりとした家があった。僅かに明かりが漏れる扉を開くと、女性が倒れた男を揺すって声をかけていた。
「夜分に失礼します!
悲鳴が聞こえましたが、何かありましたか?」
声を掛けられて驚いた女性は、顔見知りのジニィを見て慌てて駆け寄ってきた。
「このひと急に苦しみだしてっ。医者を呼んで!」
倒れているのは やはりカドマスで、口から泡を噴いて痙攣していた。床に転がるグラスと、テーブルに置かれたラベル付きの酒瓶。
「……」
考えている時間は無い。
「俺が医者に連れて行く!」
「私も行かなきゃダメ……?」
「外にもう一人いるから一緒にいてくれ!」
ジニィはカドマスを背負って外に出た。
「おい、ソレ!?」
「バスカル、お前は二人を保護して事情を聞いてくれ!」
「何で俺が?」
「こういう時、お前の方が安心するだろ!」
「ーーっおま、そういうトコだぞ!」
ジニィは最寄りの医者の元へと走った。
ベッドに入ったばかりの医者を叩き起こし、処置を頼み込んで一夜が明けた。現場、屯所、医師宅の間を奔走していたジニィは、疲れて うたた寝している所で医者に声をかけられた。
「隊長さん。峠は越えたよ」
「あ、ありがとうございます!」
寝不足の顔のまま、カドマスの容体について話し合う。
「えっ、毒!?」
「酒も過ぎれば毒だがね。コレは別のモノだよ。すぐに胃を洗浄したから間に合ったものの、もう少し遅ければ死んでたかもな。お手柄、かな」
医者は複雑そうに笑った。彼もカドマスの評判を耳にしているのだろう。それから神妙な表情で顔を寄せてきた。
「この毒、巷で流行ってるクスリだよ。アルコール度数の高い酒と一緒に摂取してる。同じように死んだ者を何人も見てきたし、間違いない」
カドマス昏倒の裏に隠された事実に、ジニィは背筋が冷えるのを感じた。
「先生、申し訳ないが」
「分かってる。地元名士の顔に泥を塗るわけにはいかないからね」
医者に礼を言って、カドマスを自宅に戻すべく一度屯所に戻る。待機していた隊員にカドマスの移送を頼み、今度はカドマスの“本宅”へ。用事を片付けている間に、夜勤の勤務時間は大幅に超えていた。
そして今ここ。
「女性の聴取は?」
「グレイズがやってるぜ」
ジニィを待ってくれていたバスカルに、“その後”の出来事を尋ねた。
「パニック起こしてて宥めるのが大変だったぜ……」
話してる内にグレイズが聴取から戻った。
「食べ物には『体調を崩す食べ合わせ』があるんですけど、士長の食事内容に問題はなさそうですね」
グレイズは食料品を扱う商家の生まれで、 その辺りは かなり詳しい。
「わかった。俺の方でも聞いておきたい事がある」
「私が聞いておくから隊長は休んでください」
「聴取が終わったら休む。
バスカル、先に上がっていいぞ」
バスカルの物言いたげな様子は気にかかるが、眠気が限界を迎える前に聴取を済ませねばならない。
「それで、子供は?」
グレイズが指差す先、仮眠室に毛布のかたまりがあった。とうやら子供は眠っているようだ。
「今 親を探してます。起きたら『現場をうろついてた理由』を聞いておきますね。それより隊長。士長は回復しそうですか?」
感情豊かな彼女の眼が、今は虚ろなガラス玉のようだ。
「しばらくは療養が必要だな。先生が言ってたぞ。酒の飲みすぎは本当に良くないって!」
「「そんなの分かって(る)(ます)」」
ジニィがアパートに帰ったのは、太陽が天頂を回った頃だった。外で適当に腹を満たした後、ベッドに突っ伏して泥のように眠った。
ジニィの夢に、久しぶりに弟が出てきた。まだ小さかった義理の弟は、話している内に今の姿に変わっていた。急に居心地が悪くなって、距離を取ろうとする。すると強引に引き寄せられ、アルカンの挙動がおかしなものになった。抵抗すると彼は少年の姿に戻り、今度はジニィが罪悪感に苛まれる。ジニィの情緒は乱れた。この感情を どうにかしたくて、口を開くーーところで目が醒めた。
「……ごめん」
夢で言えなかった台詞が、いとも容易く まろびでる。皺の寄ったリネンに鼻を寄せると、視界に見慣れないものが映った。不穏なオレンジの光が揺れている。何やら焦げ臭い。……けむい。
「えっ!?」
ジニィは慌てて飛び起きた。
「ッ、ゲホゲホ!」
部屋に充満する煙。扉の隙間から噴き出す炎。腹の底から大声で叫んだ。
「火事だーーーー!!!!!」
扉は半分も焼けていて、脱出できるのは窓しかない。ここは二階。とっさに貴重品を引っ掴んで、ズボンのウエストと靴下に挟み込んだ。閉じていた雨戸を開いて下を覗くと、野次馬がたくさん集まっているではないか。そして自警団の男衆が、バケツリレーで火と格闘している。
「隊長さんだ!」
「おおーい、早く逃げろ!」
「ドアが燃えてるから出らんないんだよ!」
「じゃあ飛び降りろーー!」
「無茶言ってんじゃねーー!」
幸い隣の屋根が二階に近いので、地面目掛けて飛び降りる危険は冒さずに済んだ。アパートは全焼。真っ昼間の火災だったので、住人のほとんどは不在。逃げ遅れたジニィだけが軽い火傷を負った。
「とうしてこんなことに……」
ジニィは膝から崩れ落ちた。
「大変だったわね、隊長さん」
「まあ元気出せよ」
「みんなー。何にも残ってない隊長さんに、余ってるモン分けてやろうぜ!」
「あるわよ! いい加減に捨てろって言ってるのに、旦那が後生大事にはいてる古いパンツ」
『非常時には ご近所との付き合いが役に立つ。
この経験で良い知見を得ました』
二十代 公務員男性(独身)




