従業員は働き者である
一日空けての第六話です。
一通りの洗浄を終え、アルカンは兄の怪我の消毒を始めた。火傷は然程でもなく、浅い切り創、小さな刺し傷、カスリ傷が多い。お姫様を相手にする様に無骨な手を取り、ジッと傷の具合いを見る。
「程々でいいよ」
単なる手当てだというのに、ジニィの羞恥心がジワジワと大きくなっていく。乙女か。己から石鹸の良い匂いがするのも慣れない。
「お前ってキレイ好きだな」
「兄さんからヘドロの臭いがするなんて、ぼくは一秒たりとも耐えられない」
しょぼくれた犬のように気落ちした兄に、少しばかり心を動かされたのか。アルカンは同情心をチラリと覗かせた。
「何があったらこんな事になるんだい?」
「ごめん。言えない」
「兄さんのバカ!」
頬の傷に綿が触れると、刺すような痛みが走る。顔を仰け反らせようとしたジニィは、顎をキュッと掴まれた。
「我慢」
「ちょ、もーいいってえ!」
目が合いそうで合わなくて。敢えて逸らそうとするのに、なぜか合ってしまいそう。ジニィは この綺麗な紫色の瞳が、ちょっと苦手だ。
「余計な心配をかけた」
「余計、は要らない」
今はツンケンしてるが、心優しい弟である。
「ごめん」
視線の熱から逃げるように、そっぽを向いた。
「『俺たちの家族』は夢みたいな出来事で、とっくに過去だった」
それは昨夜の問答の続きだった。眉を顰める弟に苦笑する。孤独を拗らせると、素直に人を信じられなくなるものか……。
「俺は薄情なんだろうな。お前が期待するようなものは、きっと返せない」
「ぼくの期待って何?」
真っ直ぐ問われ言葉に詰まる。返答に惑ってる間に、下ろした前髪がピンと引っ張られた。アルカンは微笑んでいる。
「前髪下ろしてると、余計に童顔」
「!」
「あれ、気に障った?」
「べつに……」
ジニィは席を立つと、アルカンの髪をクシャクシャにかき混ぜた。が、余りにも素晴らしい指触りによって手が止まる。
「お前は貴族か」
「は?」
丸く見開いた目と目が合う。交錯する思考。
「?」
手首を強く掴まれ、鼓動が一際大きく跳ねた。
「失礼しまーす、喉渇いてませんかー?」
奇妙な沈黙を破ったのは、盆に飲み物を乗せてやって来たイルだった。
「おー、ちょうど良かった!」
ジニィは藁にも縋る思いでイルのノリに合わせた。蛇のように手首に絡んだ指が、スルリと離れていく。
「世界一気が利く執事イルが、ホットココアをお持ちしましたぞ!」
「おー(?)!」
イルの大仰な演出が、今は大変ありがたい。ジニィは温かいカップを恭しく受け取った。手にしたカップから熱い湯気が立ち上る。舌を火傷せぬよう、何度も息を吹きかけジックリ冷ましていく。そっと一口。ほっと一息。ほんのり甘いココアが、疲れた体にジンと滲み入る。密やかな笑い声に顔を上げると、アルカンとイルが揃って口角を上げていた。
「まだ猫舌なんだ?」
「あんなに唇とがらせて。大変かわいらしゅうございます(にっこり)」
からかわれたと分かり、ジニィの頬は カッと熱くなる。
「今度は少し冷ましてから出しますねー」
羞恥で顔を背けたジニィは、アルカンの変化に気づかない。青い顔をして震えるイルの様子も……。
✦✦✦
「先ほどは調子に乗って申し訳ございませんでした!」
ここは寒々しく薄暗い地下。子羊のように怯えたイルが、深々と頭を下げている。その様子は石床へ額突かんばかり。彼の頭に垂れた赤色の液体が、亜麻色の毛髪を伝って滴っていく。空になったワイングラスをテーブルに戻し、アルカンは開いていた本をパタリと閉じた。
「ジニィに色目を使えば、次は殺す」
「はい!」
ヒヤリとした沈黙。石よりも冷たい紫の双眸が、イルとは反対側に差し向けられる。
「デル。調査結果を」
「ハッ!」
そこに穏やかで物静かなデルは居ない。張り詰めた表情で、アルカンの命に応えるべく“調査結果”を報告する。
「件の商人が荷物を卸した先は、軍施設ではなく労役場でした」
「荷の中身は本当に穀物か?」
「ハッ。二つに分配され、片方は労役場の備蓄に。もう一つは軍馬養成所へ着いたのを確認しております」
アルカンが指先で机をコツコツと打つ。
「大がかりな囮だ。裏に密輸入とは異なる企みがある……。
イル。『糞野郎』の身辺調査は?」
「あ、カドマス士長ですね!」
急な話題転換に目を瞬かせたイルは、すぐにアルカンの求める答えを引き出した。
「贔屓にしていた娼婦を愛人として囲う前後から、不自然に金回りが良いですねー。実家からの援助はとっくに切られてますし、生活実情を見るに収支が釣り合いません。借金や飲み屋のツケまで一部解消している。足りなくなったのか、未だに借金を重ねていますが」
報告書に綴られたカドマスの行動履歴と借金総額の羅列を見て、アルカンは鼻を鳴らした。
「無能の駒だな。女の周りを重点的に探れ」
「ハッ」
退出するイルの背を見送りつつ、デルは近頃 浮かび上がった疑念を強くした。
(アルカン様は本当にジニィを慕っておられるのか?)
今回の表向きの顔は『雑貨屋の店主』。その延長線上に、昔 少しばかり縁のあった『義理の兄』が在る。ジニィは地元に馴染む為の“駒”。それがデルとイルの認識だった。活動の地盤を安定させ、情報源としても活用できる優良物件。計画通りにジニィはアルカンに籠絡されつつある。
「カドマスは確かに無能です。しかし何処にでもいる屑だ。彼のどこに目を付けたのか、お聞きしても?」
発言した途端、アルカンの鋭い視線がデルを突き刺した。殺気、えぐい。
「全て」
「すべて……」
デルはジニィが怪我をした件の調査を命じられた。屯所へのアクセスが容易なお陰で、翌日の夜には それなりの報告を上げる事ができた。
「ジニィを殺そうとした連中を拉致しろ。全てだ」
「すべて……」
アルカンに二言は無い。
「おはよう。今朝も早いな」
「おはようございます」
洗面所で手を洗っていたデルは、寝癖をたくさんつけたジニィと鉢合わせた。デルが徹夜明けとは知る由もなく、ジニィは眠そうにボヤく。
「今日から夜勤なんだ。やることあるしアパートに帰るよ」
「え。まだ傷が治ってないのに」
ジニィは前髪をたくし上げ、傷の具合いを確かめて笑った。
「うん、ヘーキヘーキ」
「店長が心配します」
「ああ。昔は俺が心配してたのになぁ」
デルは まじまじとジニィを観察する。事前の素行調査で ある程度の人物像を描いていたが、良くも悪くも資料に偽り無し。特別 付け加えるなら、ガードが緩く、生真面目で、損な役割りばかり引き受けてしまう苦労性タイプ。尖り過ぎた面子に囲まれ、外野にまで気を揉まれる有り様。アルカンではないが「自分が助けなけれぱ」と思わせる人である。
「了承してくれました?」
「まぁ、うん」
「……」
これは駄目そうなやつだ。
夜の内に地下室へ放り込まれたのは、ボロ同然の服をまとった四人の浮浪者。歳は十代から二十代後半の男女。彼らはワケも分からず捕らえられ、上背のある男性の前に引きずり出されていた。体の拘束はそのままに、デルは彼らの口を塞いでいる布だけ下ろす。……沈黙。脅しは充分に効いたようだ。
「この者らか。隣国に逃げたと報告にあったが」
この情報はジニィの部下から聞き出した。酒を奢れば、少しの探りで内情を垂れ流すコスパのいい連中だ。但し、情報の七割五分はカス。
「コミュニティの仲間を心配して戻って来た所を捕獲しました」
仲間の住処に火を放ったとなれば、二度と戻らない覚悟を持つべきだろう。だが寄る辺のない彼らだからこそ、スラムに戻らざるを得なかった。
「これで全員か?」
「いいえ。向こうで三人殺され、命からがら逃げ帰ったそうで」
四人は死刑宣告を待つ罪人の顔をしている。大人しくさせる為とはいえ、少しビビらせ過ぎたか。
「安心しろ」
艶のある声音が彼らの心をジックリ撫で上げる。
「貴様らが正しい行いをすれば、罰したりなどしない」
正しさとは何か。罰するとは どんな風に。生き延びるのに必死な窮困者は、一生懸命に聞き耳を立てた。目の前の支配者に、ひたすら媚びた視線を送る。
「魂に刻め。今の貴様らの主は私だ」
手に鞭を。腰に鉄杖を。唇に笑みを。眼に冷徹を。地獄からの使者が、火箸が刺さる暖炉の炎を背に謳う。
「何もかも話せ。褒美は貴様らの命だ」
暖炉の明るさは頼りなく、新たな主の表情は ほとんど分からない。彼の一言一句、一挙手一投足が囚われ人の命綱。
(この方を説得? 無理に決まってる)
家族ごっこも計算の上。の……はず。
次回の更新は月曜日の予定です。
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