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アネモネ  作者: Miley
神崎 美鈴
3/19

あの日を思い出して


 この日もいつものように、職場での話題が続く。海堂さんのファンクラブの活動報告や、会社の最寄り駅に新しくできた大規模ショッピングモールの話、そこに入っているラーメン屋が連日行列を作るほど人気で、絶対に行ってみたいという話に花が咲いた。


「ていうか、もう0時なんだけど」


 海堂さんが一息ついて時計を見ながら問いかける。


「今日は特別です。終電に間に合わなければ、ネカフェに行きます」

「なんでまた?」

「今日は、特別だから」 


 そう言ってカンパリオレンジを片手に、千鳥足で夜景が見える二人掛けのソファに移動した。酔いが回って、瞳がかすかに潤んでいる。酔いのせいか、それとも別の理由かは自分でもよくわからない。


「明日、都内で大きな花火大会があるんですよ」


 海堂さんはウィスキーを一口飲んでから、少し気だるげに答える。


「ああ、ベランダから見えるんだよね。」

「ベランダから花火が見えるなんて、やっぱり鼻につきますね、海堂さん」

「うるさい」

「私が初めて都内の花火大会を見たのは、10年前の今日でした」


 海堂さんは少し黙った。何かを思い出したようだったけれど、顔にはあまり表情が浮かばない。その姿を見ながら、私は胸の奥で何かがかすかに痛むのを感じた。


「へぇ」


 海堂さんがそう言ったきり、無言の時間が流れているが、私は思い出の中の諒太の顔を浮かべた。大切にしすぎるとだんだんと薄れていってしまうことを私は知っている。それが嫌で、とにかく忘れたくなくて、記憶を磨き続けているのに、時間はどうしても記憶を半透明にしてしまうものだ。


 海堂さんがウィスキーのグラスを持って隣に座った。


「わざわざ人混みの中で見る花火、俺には理解できない」

「どんなに綺麗な花火でも、誰と見るかが大切なんです。人混みの鬱陶しささえも拭える相手と一緒に同じ景色を眺めることができる。それが、幸福なんですよ」

「人混みに紛れるくらいなら家で中継見るほうがましだな」

「海堂さんとは花火大会どころか、週末のスーパーにも一緒に行けなさそうですね」

「なんでだよ」


 私たちはふと笑い合い、その後もいつものように会話を続けた。《President》に来てから、もう4時間が経過していた。カクテルを何杯も飲み干し、目が少し虚ろで開かない。アルコールが体中を巡り、酔いが私の身体を支配しつつあった。


「ちなみに、ひとつ聞きたいんだけどさ」


 突然、海堂さんの声が私を現実に引き戻す。


「お前が片想いしてるあの男、今何してんの?」


 一瞬、私の思考が止まった。胸の奥に何かが引っかかって、目頭が熱くなり、鼻の奥がツーンとした。


 (最悪。)


 酔った勢いで、つい諒太との思い出を少しだけ話してしまったことがある。


 私は必死で平静を装い、グラスを持った手が汗で滲むのを感じながら答えた。


「さぁ。連絡も取っていないので、わかりません」

「どこにいるかも知らないの?」

「うーん……。何年か前にアメリカに転勤したことは知ってます。でも、今何をしているのか、いつ帰ってくるのかは、まったく知らないです」

「10年も連絡も取らず、アメリカで何をしているのかもわからない男に、よく片想いできるな」

「その間、恋もたくさんしてきました。でも、どれもこれも本気じゃなかった。本気にはなれなかった」

「元彼たちに同情するよ」

「みんな、私を捨てた人たちですから」


 私は言葉を絞り出すと、再びカウンターに戻り、携帯で時間を確認した。涙を堪えるように、手に持っていたカンパリオレンジを飲み干した。


「お前呑みすぎ。ここで潰れると俺が迷惑だから」

「1時になったら帰ります」


 私はそう言って、カウンターに突っ伏し目を閉じた。目の前に広がる景色がぼんやりと揺れ、遠く、遠く、遥か彼方に、笑顔で手を差し出す諒太の姿が浮かんだ。ああ、消えないで。どうか、消えないで。少しずつ色をなくして、透明になっていく愛する人、行かないで、行かないで…。


「カンパリオレンジね……。あいつも、会いたがってると思うよ。」


 ふっと、どこかから聞こえる声。それは、海堂さんの声に似ていた。


 その瞬間、私の記憶は途切れた。


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