再スタート
声を押し殺して拳を握る。涙が喉の奥でつっかえ、テーブルにポタリポタリと大粒の涙が落ちていった。
どれくらい時間が経ったのだろう。15分くらい?もっと長く感じたかもしれない。個室の扉が静かに開き、海堂さんが戻ってきた。片手に水の入ったグラスを持ち、無言のまま隣に腰を下ろすと、私の頬にそっとその冷たいグラスを当ててくれた。
「もう泣くな。お前は十分頑張った。半端な気持ちではこんなに一人を思い続けることはできない」
その言葉に、また涙がこみ上げてくる。
「……ただ好きなだけじゃ、ダメなんですか? 好きな人と一緒になるって、そんなに難しいことなんですか?」
「お前たちは少し特殊だった。もちろん、それがダメな理由じゃない。ただ、優しすぎるんだよ、お前も、あいつも」
そう言って、海堂さんは体の向きを変え、私をそっと抱きしめてくれた。肌に伝わる温もりに、張り詰めていた心が緩む。涙が止まらなくなって、子どものようにわんわん泣いた。何度も経験してきた失恋とは違う。心の支えだった人との、終わり――。
「恋人とうまくいかないとき、いつも諒太を言い訳にしてたんです。……私が好きなのは諒太だから、恋人の気持ちが私に向いてなくても、寂しくなかった」
「うん」
「最後に会ったのは何年も前、連絡も取らない。ただ会いたくて、会えるだけで幸せだったはずなのに……心の奥では、選ばれることを望んでいました」
「うん」
「……諒太にその気がないのは、ずっとわかってた。わかってたけど、どこかで、もしかしたらって……期待してたんです。そんなの、あり得ないのに」
「もう、わかったから」
小さく震える私の肩を包んでいた腕が離れ、代わりに大きな手が私の頭を優しく撫でてくれる。どんな言葉よりも、心が落ち着いた。
「お前がどれだけ本気であいつを好きだったか、俺はよくわかってる。それに……あいつがどれだけお前のことを本気で考えてたかも、俺は知ってる」
「……諒太は、一度でも私を女性として見てくれたことがあるんでしょうか」
「どうだろうな」
「ないですよね。普通に考えたら」
「俺はあいつと18歳の頃からずっと一緒にいるけど、お前ほど悩んだ女の話は聞いたことがない。あいつも、誰も傷つけない方法で前に進もうとしてたんだよ。お前も、お前の家族も……あいつにとって大切だったんだろうな」
海堂さんがグラスに焼酎を継ぎ足し、私にも同じ焼酎の水割りを作り、グラスを差し出しながら、ほんの少し笑っている。
「しつこいくらい聞いたよ、本当に。メールが来ればニヤニヤしながら携帯見てるし、寂しそうな顔したり、喜んでたり……当時は理由がわからなかったから、本気で情緒を疑った」
「……なんか、想像できません」
「だろうな。お前の前では、カッコよくいたかったんだろう」
海堂さんの真似をして、私もグラスをぐいっと飲み干す。アルコールが喉を過ぎると同時に、熱が顔に上がり、視界がわずかに揺れた。
「私は……ただ、叶わない恋に酔いしれていただけだったのかもしれません。夢の中での諒太は、いつも私を大切に思ってくれて、優しさに包まれていて、まるで王子様のようでした。過去さえも、今ではまるで夢だったように感じます。きっとこれも半透明に変わって、いつかは忘れてしまうんです」
「無理に忘れようとするな。二人の思い出は、二人だけのものだから。誰にも邪魔されずこの心の中にしまっておけ」
そのあともしばらく会話と酒は続き、私はやがて、完全に酔いつぶれた。海堂さんの大きな手が私の左手を包み込んでくれていて、そのぬくもりに安心感を覚えながら、眠りへと落ちていった――。
頬に涙の跡を残したまま、すっかり眠ってしまった。普段はカクテルばかりだから、焼酎なんか飲めばこうなると思ってたけど……。
小さな左手を見つめながら、今日一日を思い返す。
個室から出てきた諒太は、頬に涙を流しながらそれを服の袖で拭っていた。
「あと、美玲頼める?」
「拒否権のない質問をするな」
「今日俺の奢りで」
そう言って現金をカウンターに置き、諒太はそのまま帰っていった。
「バカだな……」
空になったグラスを見つめて考える。だけど、答えなんて出るはずがない。あいつらが10年かけても出せなかった答えを、俺が一瞬で見つけられるわけがない。
でも――せめて、答えに辿り着くまでの道を、一緒に探すくらいはしてもいいだろう。唯一無二の親友と、俺の心を焦がす、あいつのために。