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アネモネ  作者: Miley
答え合わせ
16/19

再開の答え

 


「明日、夜。駅前の居酒屋、予約しといたから」

「え?はい?……なんでですか?」

「どうせ、いつもの店行くんだろ?」

「まぁ、行きますけど……」

「じゃあ、その予定は変更で。あとで店のURL送る」

「ちょ、ちょっと!」


 海堂さんは一方的にそう言うと、嵐のように去っていった。私が反論する暇も与えずに。


 ――あの仮称・経費改ざん事件のあと、柏木さんは地方支社のカウンター業務へ異動となった。左遷、という言葉がぴったりだった。小林専務はというと、降格と減給処分。不倫の件は弁護士から奥さんに連絡が入り、今は離婚調停中だと聞いた。


 以来、陰湿ないじめもなくなり、海堂ファンクラブも自然消滅……した、はずなんだけど。彼の後ろにはいまだに数人の追っかけが張り付いている。


 初めて降り立った吉祥寺駅は、想像以上に賑やかだった。さすが「住みたい街」ランキング常連。駅前は人であふれ、商店街にはどこか懐かしい下町の風景が残っている。


 スマホの地図を見ながら歩き、赤いのれんのかかった小さな居酒屋の前で足を止めた。


「……ここ?海堂さんにしては、庶民的な」 


 扉を開けると、「いらっしゃいませー!」と元気な声で厨房からスタッフが小走りでやってきて、私に問いかけた。


「何名様ですか?」

「あ、待ち合わせなんですけど……」

「お待ち合わせですね!」


 中に入ると、カウンター席にテーブル席が五つ。奥には個室が見える。案内されたその個室へ向かい、私は扉を開けた。 


「海堂さん、お待たせしまし――」


 言葉の続きは、目の前に座っていた人物を見た瞬間、喉の奥に消えた。扉を閉めることも、何か言うことも忘れて、私はただ、ただ、まばたきだけを繰り返す。



「久しぶり」



 10年ずっと聞きたかった声、ずっと見たかった顔。見間違うはずがない。あの日から忘れたことなんかない―――諒太だった。


「おい、地味に寒いから。さっさと閉めろ」


 我に返り、私は慌てて扉を閉める。心臓の音がうるさくて、毛穴から汗が噴き出すのがわかる。頭が現状を受け入れてくれない。


「なにやってんの」


 今度は海堂さんが扉を開けて、目の前に現れた。


「海堂さん?!なんですか!え、え?なに?普通にパニックなんですけど!」

「いいから、入れって」

「無理です!無理です!!」


 海堂さんは、ため息をついて席に戻ってしまった。扉の向こうに彼が消えると、私の目の前には諒太が、再び現実として立っていた。


「驚かせてごめん」


 彼は私の荷物を取って、背中にそっと手を回し、あのときと同じように優しく私を席に座らせた。


「いや、本当にまって……。海堂さん?説明してください!」

「わかったから、落ち着け」

「変な汗、めっちゃ出てるんですけど。……とりあえず、生で」

「飲むんだ」


 ビールが届くまでの間、海堂さんと諒太は世間話をしていた。私は、ようやく目の前の現実を少しずつ理解し始めたところだった。


「もう全員気づいてたと思うけど、俺と諒太は学生時代の友達。神崎は会社の部下。そして、諒太と神崎は従兄弟。……この全貌が見えるまで、本当に苦労したんだぞ」

「……それで、なんで今日このメンバーが?」

「そろそろ鬱陶しいから」

「は?」

「二人が、ちゃんと話すべきだと思った」


 私は、話すことなんてないと思っていた。この気持ちはずっと、心の奥に閉じ込めて、誰にも見せずに生きていくはずだった。海堂さんに話してしまったことは想定外だったけど、諒太から何かを聞きたいとも思っていない。


「俺、トイレ行ってくるから。さっさと話終わらせといて」


 海堂さんが席を立ち、店のホールへと出ていった。静寂に包まれる気まずい空気。私は乾いた喉にビールを流し込んで、なんとか正気を保っていた。


「元気だった?」


 諒太が、柔らかく笑みを浮かべて、何も変わらない声で問いかけてくる。


「……うん。諒太は?」

「俺も、元気だよ」


 ―――気まずい。


 本当は、好きなものの話とか、楽しかった思い出とか、会社のこと、海堂さんとのこと、話したいことは山ほどあったのに。いざ本人を前にすると、何も言葉が出てこない。


「同級生だったんだね、海堂さんと。びっくりしたよ」

「俺もだよ。まさか友達の会社に美玲がいるなんてさ」


 はは……と乾いた笑いがこぼれる。空気は少しずつ和らぎ、やがてふわりと軽くなる。


「仕事、頑張ってるんだってな」

「そんなことないよ、普通だよ」

「あの美玲が、営業やってるなんてなぁ。驚いたよ」

「ていうか来るなら言ってよ、今日すごい地味な服で来ちゃったよ……」

「似合ってるよ?」

「それは、私が地味ってこと?」


 会話を重ねるうちに、少しずつ距離が近づいていく。


「ねぇ、アリアリゾートホテルのジョディさんって知らない?」

「知ってる!なんで知ってるの?」

「俺が留学してた時のホストマザーだったんだ。仕事でアリアに泊まったら偶然再会してさ。家に遊びに行ったら、美玲の写真が飾ってあったよ。サンタモニカのピアの前で撮ったやつ」

「あー、あのときのかな。現地ミーティングのあとに観光連れてってもらったんだよね」

「従姉妹なんだって話したら、どうりで波長が合うわけだって笑ってた」


 楽しい時間だった。ほんの少し、あの頃に戻れたような気がして――このまま、ずっと続けばいいのにと、思った。


 だけど……ふと、ある言葉が、頭の中に浮かぶ。




 『もしあなたが私の最悪の時にきちんと扱ってくれないなら、私の最高の瞬間を一緒に過ごす資格はない』




 私の“最悪の時”に、そばにいてくれたのは――。


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