弁明会
「海堂さん!? なんでここに?」
突然目の前に現れた彼に、思わず声が上ずった。
「別に。そっちこそ、何してんの」
「いや……有給がちょっと溜まってたので、消化してます」
「こんなに煮詰まって?」
机の上には赤橋部長から預かった資料と、私が書き散らしたメモ、それにデスクから引っ張り出した書類がぐちゃぐちゃに広がっていた。
「……まあ、仕事も溜まってるので」
「さっき立花本部長から聞いた。赤橋部長は捕まらなかったから、簡単に説明して」
そう言って海堂さんは向かいの椅子に腰を下ろし、ジャケットを脱いでワイシャツの袖を無造作にまくる。広がった資料に目を通しながら、スマホのメモアプリを開いた。
私は会議室でのやり取りをざっくりと伝え、大きく息を吐いた。
「どこまでスキーム組めた?」
「残業は別クラウドで管理してます。領収書はコピー済み。エアチケットはK社の町田さんにお願いしてますが……ステイの証明が」
「K社の営業部長、知り合いだから当たってみる。ホテルはアリア以外なら俺が確認取れると思う」
「え……手伝ってくれるんですか?」
「とにかく、今ある資料で整理して」
そこからの海堂さんは、本当にすごかった。
電話とメールを同時進行でこなし、得られた情報を片っ端から電卓で整理し、すべて書き記す。日本語で私に話しかけながら英文メールを打ち、その逆も瞬時にこなす姿に、空いた口が塞がらない。私の資料に不足があれば的確に指示を飛ばし、想定すらしていなかった証拠についても次々と要求された。
架空領収書に関しては、該当店舗の監視カメラ映像を確認してもらい、私は少し恥ずかしさを感じながらも、日帰り温泉で集めたスタンプラリーの台紙を提出した。
モニカに来てからすでに4時間。ホテルの確認は時差の関係でまだだったけれど、K社の本部長からの連絡で当時のレートが判明し、私の提出資料と一致していることが確認された。他の資料もすべて揃った
「……こんなもんだろ」
「すごい……。一人だったら絶対、夜までかかってました」
「これも人脈だな」
「ありがとうございます。明日、経理部に提出します」
「いや、今から戻る。立花本部長と赤橋部長には連絡済み。19時からエスカレーション」
「え、今日これからですか!?」
「先延ばしにする必要がない」
歩美さんにお礼を言ってモニカを出て、海堂さんの一歩後ろをついていきながら電車に乗って会社へと向かった。この数か月相当疲れも溜まっているだろうに、余計な仕事をさせてしまったことを後悔している。
「海堂さん?」
「ん?」
「ありがとうございます」
「別に」
海堂さんの優しさはいつも少し不器用だ。
気持ちの整理もついていないまま、私は報告の場に立たされた。
「立花本部長、赤橋部長、海堂部長。お時間をいただきありがとうございます。本日昼にお話しいただいた、私の経費改ざん(仮)についてご報告いたします」
もう二度とやりたくない弁明プレゼンだった。作成したパワーポイントを使い、自分の勤務実態を冷静に、でも確実に説明していく。赤橋部長からいくつか質問が入るたび、私は口頭で補足しながら進めた。海堂さんは終始黙って、私の話に耳を傾けてくれていた。
「以上の資料から、私が提出した経費書類は、承認後に誰かの手によって修正・偽造されたものと判断いたします」
「宿泊費の件はどうなっている?」
「ホテルの件については、後日アリアリゾートホテルを含む三施設から返答をいただける予定です」
「赤橋部長、ここまで明白なら神崎さんは無実で間違いないですね?」
「……そうだな」
立花本部長と赤橋部長は資料とモニターを見比べ、小声で「であればこの件は一旦クローズさせて……」と話している。
「この話をここで終わらせるわけにはいきません」
会議室に聞こえわたるほどクリアに言葉が出た。
「業務を中断し、無駄な作業に時間を取られ、チームにも影響を及ぼしています。本当にこれで終わりにするおつもりですか?」
会議室の空気がぴりっと張り詰めた。赤橋部長は何か言いたそうに私の視線を直視する。
「ここから先は私にお時間をいただけますでしょうか?くだらない改ざんを行った人物と、風紀を乱す役員についてご説明いたします」
そう言って海堂さんは資料のスクリーンを操作し、新たに文書と写真を映し出した。
「この件の主犯は、経理部の柏木絵美さんです」
立花本部長と赤橋部長の間でざわりと空気が揺れた。
「彼女は神崎さんへの言動が以前から厳しく、脅迫に近い発言も複数の社員が聞いています。改ざんの証拠も、同じ部署の社員から得ています」
「なぜ柏木さんはそこまで……?」
「神崎さんと私が同じチームの責任者であることが発端のようです。詳しい理由はご本人にお尋ねください。そして、小林専務と柏木さんは、2年前から不倫関係にあります」
スクリーンには、二人が食事をし、ホテルに入っていく写真、メールの画面が並べられていた。
「今回の改ざん騒動は、彼らの関係に私たちが巻き込まれた形です」
私は思わず息をのんだ。
「小林専務には小学生のお子さんがいると伺ってます。会社がこの事実を黙認されますか?」
沈黙が落ちた。
「立花本部長、赤橋部長。神崎さんをまだ責め立てますか?他にやるべきことがあるはずです」
「……」
「なお、私は明日、小林専務の奥様にアポイントを取っております。本人にはまだ何もお伝えなさらないようお願いします」
「それは……大事になるのでは?」
「ええ。けれど、私はここ数ヶ月まともに仕事をできていません。何泊も社内で過ごしました。証拠も出しましょうか?労基に相談し、会社全体が巻き込まれるか、それとも一個人が処分されるか。ご判断はお任せします」
その後のやり取りは、静かに、しかし着実に方向を変えていった。
「じゃあ私はこれで」
会議室を出ようとする赤橋部長の背に、海堂さんの声が飛んだ。
「ちょっと待ってください。神崎さんへの謝罪がまだです」
「え?」
「他人の仕業とはいえ、神崎さんを追い詰めたのは事実でしょう。謝罪すべきでは?」
「海堂さん……もういいです」
「よくないだろ。散々泣いて怒って仕事して……チームのみんなにも八つ当たりしてただろ」
一瞬、視界がにじんだ。
「……海堂くんの言う通りだ。神崎さん、この度は申し訳なかった」
深く頭を下げる赤橋部長に、私はただ一言だけ返した。
「無実が証明されて、本当によかったです。佐伯さんの件も、どうかうやむやにせずに対処をお願いします」
長い長い一日が、ようやく終わりを告げようとしていた――。