海堂 康仁
古びた赤い暖簾をくぐると、懐かしい匂いと熱気が迎えてくれた。店内は仕事帰りのサラリーマンや学生たちで賑わっていて、あの頃と何も変わっていない。カウンターの奥、ひときわ笑顔の男が、こっちに気づいて笑いながら手を振っていた。
「お前、帰ってきてたなら連絡しろよ」
「昨日の夜着いたんだ。生でいい?」
「さんきゅ」
ビールの泡がグラスの縁から溢れそうなほどなみなみと注ぎ、久々の乾杯を交わした。
諒太と二人きりで酒を飲むのは、どれくらいぶりだろうか。想い出話も、他愛もない話も、次々と湧いてきて、気づけば酒のピッチも自然と上がっていた。
「同窓会のためにわざわざ戻ってきたの?」
「いや、まぁそれもあるけどさ。十年経つんだよな、親父が死んでから」
「ああ」
それだけ言って、俺はそれ以上追求しなかった。諒太は、自分から父親の話をすることがほとんどない。俺たちはあの頃からずっとそうだった。余計なことは聞かない。それが暗黙のルールみたいになっていた。
「墓参りなんて数年に一度しか行かないけど、行くたびに綺麗なんだよ」
「管理人が掃除してんだろ」
「うーん。でもな、線香の灰だけがいつも残ってるんだよ。不思議じゃないか?」
「灰だけ?」
「そう、普通枯れた花とかありそうじゃん。でも花挿しは綺麗なままで、線香のところだけ燃えかすが残ってるの、毎回」
ヘラヘラと笑みを浮かべながら「怖くね?」そう言って、手元のビールを一気に飲み干した。
気づけば一升瓶を追加していた。俺はストレート、諒太は水割り。どっちも酒には強い方だけど、久々の再会に緩みが出る。ここは、学生時代に一緒に見つけた店だ。もう15年も通ってる。焼き鳥の煙と、懐かしい笑い声に包まれてどこか時間が巻き戻ったような気がした。
そして、そろそろ本題に入ろうかと、俺は探りを入れた。
「ところでさ。お前が昔よく言ってた女の子、今どうしてんの?」
「ん?……さぁ。もう連絡も取ってないしな」
「連絡先とか残ってんの?」
「まあ、変わってなきゃ入ってるけど。なんで?」
俺はグラスを傾けながら、あいつの視線を真っ直ぐ捉えた。
「……俺の職場の後輩にさ、めちゃくちゃ仕事できるやつがいるんだよ。入って5年目なのに、俺も頼りっぱなしでさ」
「へえ。お前が頼るって、よっぽどだな」
「女なんだけどな。弱音は吐かないし、仕事早いし、知識あるし……正直、仕事では勝てる気がしない」
「そんで?まさか、彼女できた話?」
「いやいや。その子がな、たまに物凄く悲しい眼をするんだよ」
「……32歳にもなって、お前意外とロマンチストだな」
からかうように笑う諒太を横目に、俺は続けた。
「俺、わかっちゃったんだよね。その子が10年片想いしてる相手」
「10年!?それはまた長いな」
「だろ?んでさ、昨日、花火大会の話をしたときに寂しそうな顔をしてさ」
その瞬間、諒太の眉がわずかに動いたのを見逃さなかった。やはり俺の考えは間違っていないようだ。
「前に『なんでそこまで頑張る?』って聞いたことがあるんだよ。そしたら『憧れの人に少しでも近づきたいからです』ってさ……怖いくらい意識高くて」
グラスを軽く揺らして、息を吐く。
「色々と、頭の中で繋がった。新卒の頃から聞いてた“あの子”と、違うところが見つからない」
そこで、俺は決定打を打った。
「お前がずっと好きだった女の子、神崎美玲だろう」
その名前を口にした瞬間、諒太はまるで時間が止まったように固まった。表情は変わらない。でもその瞳だけが強く揺れていた。
「……え、美玲?」
「あぁ」
「いやいや、そんな偶然……」
「俺も最初はそう思ってた。でも、この間飲んで潰れたあいつを家に連れて帰ったとき、名前を呟いてたんだ。お前の名前」
さらにたたみかける。
「大学出て就職してすぐくらいだったかな。お前、俺に相談してきただろ。『恋の終わらせ方を知りたい』って。でも何を聞いても、ただ『諦めたい』しか言わねーしさ」
「……」
「あいつもあいつで、ずっと『片想いなんです』って言うし。お前らなんなの? どういう遊び?」
そこまで言ったとき、ようやく諒太が小さく笑った。
「……いや、あぁ、まぁ。美玲か、そっか」
「なぁ、ここまできたらさ、もう“縁”だろ。聞かせてくれよ」
胸の中でもやもやしてたものが、やっと形になりかけていた。グラスの酒を一口飲み、喉を潤す。
「お前ら、なんなの?」
店内のざわめきの中で、この席だけが妙に静かだった。冷水をぶっかけられたみたいに空気が止まった。
「美玲は知ってる?俺とお前が知り合いだってこと」
「伝えてはいない。でもこの前、家で寝かせたときに写真を何枚か散らしといた。反応からして、見つけたんだろうな」
「……寝かせた?」
「飲んで潰れて連れて帰った。って、さっきも言ったろ」
その瞬間、諒太の目つきが鋭くなった。まるで俺を睨むような視線。
「……そんな反応すんな。うざい」
何かを考え込んでいる諒太からは感情が読み込めず、真実が知りたいだけの心がソワソワとしている。