花火大会
洋服を買ってもらったあと、私たちはまた電車に乗り、新橋へと向かった。地下鉄を降り、そのまま地下道を歩いて駅直結の高層ビルに入る。エレベーターの中はゴールドの照明がやわらかく輝いていて、重厚な扉が静かに閉まる。隣に立つ諒太に、話したいことも聞きたいこともたくさんあったのに、どの言葉も口には出せなかった。
35階で降りると、左右に扉があり、正面には会社名が掲げられていた。ここは諒太の働いている会社だ。「ちょっと待ってて」と言って、カードキーをかざして中へ入っていった。
待っている間、私は社名が書いてある壁を見つめていた。高校でもない、大学でもない、誰もが知ってる会社の前で、まるで別世界に来たみたいだった。
3分ほどして戻ってきた諒太の顔には、少しだけ申し訳なさそうな色が浮かんでいた。
「ごめん美玲。前にメールで話してたフロアなんだけど、今日は入れそうにないんだ」
エントランスからは東京タワーが綺麗に見えるらしい。オフィスの窓からの景色を、ロビーからでも少しだけ見せてあげたいと言ってくれていたのだ。
「全然大丈夫だよ!こんな立派なビジネスビル入るの初めてだし、いい経験だった」
そう返すと、諒太は少し安心したように微笑んだ。
「ありがと。下に美味しい牛タン屋あるから、そこでランチしよう」
再びエレベーターで2階まで降り、有名な牛タンのお店に入った。
「諒太、毎日こんな贅沢ランチしてるの?」
「まさか。たまにだよ」
「だよね。でも、本当すごいなこのビル」
高校生の私にとって、ビジネスビルは未知の世界だった。週末で人は少なかったけれど、休日出勤のサラリーマンたちの姿がちらほら見えるのも新鮮で、なんとなく将来を垣間見た気がした。
「美玲、今日は夜まで出かけてて大丈夫?」
「うん、大丈夫」
「19時から花火大会あるんだけど、見に行こうか」
「えっ、花火!見たい!」
ランチを終えたあと、諒太の家の最寄り駅へ向かって買ったものを置かせてもらい、再び東京の街へ繰り出した。
花火大会は関東でも屈指の規模で、17時にはすでに人でごった返していて、交通規制までかかっていた。
私たちが会場に着いたのは19時半。橋の上から花火を見ようとしたけれど、列はなかなか進まず、聞こえてくるのは遠くの花火の音ばかりだった。
「ビルが高くて見えないね」
「だね。中継やってるから、今はこれで我慢してな」
そう言って、諒太が携帯のワンセグを起動し、画面を私の方に傾けてくれる。その優しさに、胸がぎゅっと締め付けられる。画面は小さいけれど、花火の色がちゃんと映っていて、それだけで十分だった。
少しずつ列が進んで、ようやく橋の上に辿り着いたとき、ちょうどラストスパートの花火が空を彩った。
「……きれい」
空に咲く大輪の花、川辺に反射する光の粒。右を向けば、「おー!」と笑顔を浮かべる諒太がいる。
――この瞬間が、永遠に続けばいいのに。
私は視線を花火に戻して、そっと諒太のシャツの裾を掴んだ。
花火大会が終わり、人の波が再び動き出す。歩きながらふと不安が胸をよぎる。まるでこの道を戻れば、前のように合わない日が当たり前で連絡を取ることすらなくなる、そんな感じがした。花火の余韻が消えていくように、今夜の特別な時間も終わってしまうのではないか。
橋の中央にある仮設所のUターン地点では、中央分離帯を跨ぐように2段の階段が山の形で設置されていた。諒太が先に降りて振り返ると、「ん、」と小さく声を出しながら階段を降りる私に手を差し出した。心がぎゅっと締め付けられると同時に、さっきまでの高鳴りが少しずつ現実に引き戻されていくようで、なぜかとても切なかった。
諒太の家に寄って荷物を受け取り、駅まで送ってもらう。
「諒太、今日はありがとう」
「こちらこそ。新宿まで、ほんとに送ってかなくていいの?」
「大丈夫。諒太は明日仕事なんだから、ちゃんと休んで」
「夏休みだからって、あんま千恵ちゃんに心配かけるなよ」
「……わかってる」
「またね」と言って手を上げると、その手に諒太の大きな手が触れ、指が絡まった。
たった数秒のことだったけど、その感触があまりにも強くて、手が離れると胸がじんと痛んだ。
―――――
頬をつたう涙を拭って空を見上げると、晴れていた空が曇り始め、今にも雨が降り出しそうだった。
「ねぇ、おじちゃん。私が諒太に会いたいって思うの、やっぱりおかしいのかな?諒太の毎日のどこかに、私は少しでも出てきたりするのかな……」
もちろん返事なんてない。だからこそ、墓石に向かってこうして気持ちを吐き出すことが、今の私には唯一心を保つ手段だった。