事件
人と関わり生きる中で事件は勃発する
タイトルの許要の意味は
本来は許せないことを大目に見て許すこと
許容の漢字の方はある程度まで許すという意味
ネットで検索してみたところ、そういう違いらしい、知らんけど
許容範囲の出来事ならそれ程気にしない
寝て起きたらだいたい忘れる
寝ても覚めても何年経っても忘れられない
受け入れがたいことを許す
つまり許せないことを受け入れる、というのが本当のところ
例えば、学生時代のイジメや家族の命を事件や事故で奪われる
そこまで大きな話でなくともトラウマになるレベルの心の傷だったり
そんなものを抱えて生きるのはしんどい
ふとした瞬間に蘇り、怒りが湧く
再度傷をなぞり、傷が疼く
忘れられない痛みを手放したい
時間がかかる
まずは感情が落ち着く時間が必要だ
衝撃、悲しみ、怒り、痛み…諸々の思いを充分感じきる
この時点で感情のまま行動すると、ろくなことにならない
ニュースでよくあるカッとして、というやつ
自分のために、感情の嵐を耐えて乗り切る
少し冷静になれたら、俯瞰する
最近の言い方ならメタ認知をする
客観的に多角的な視点で考える
自分の立場からしか見られなかった物事を、相手の立場から第三者の視点から
低い次元から高い次元へと変えて見る
なかなか難しい
次元の低い阿呆の思考に寄り添うのは腹が立つ
また、怒り心頭
感情を感じきるところからやり直しだ
辛いなら中断して、自分の好きなことをしよう
休憩、リラックスして自分を労る
行動には理由がある
相手の思考を理解はできずとも、起こった出来事を分析することはできる
どう対応するか決める材料にはなる
関係者ではない人間の意見を参考にするような感じだ
信頼できる人間やできた人に聞けばいいのだが
私は周りにそういう人がいないので
(自分が一番信頼できるできた人間なので)
起こる出来事に意味は無い
意味付けするのは自分だ
くだらない、とすませることも、一生許せない、と恨むことでも何でも自由に選べる
私は私を大事にしたい
私を傷つけるものは許せない
そうなると、受け入れられない
忘れられない痛みになる
それも嫌だ、自ら何度も思い出して自分を傷つけることになる
サレンダー、抵抗をやめるしかない
前に進みたいから
全ては流れていくのだから
私の中の何が抗っているのか?
プライド?人の目?許せない怒りはどこから来ているのか?
自分への愛?自我の抵抗?
出鱈目でトンチンカンな暴挙
どう考えても自分に非はない
相手の問題だ
問題解決は相手の課題
私はこの出来事により受けた痛みを手放すことをするだけだ