安堵。取り敢えずカレー。
それから瑠璃子が安堵の涙を押さえるのに、暫くの時間が必要だった・・・。
自分達が見たのが何の幻だったのかは今は分からない。
でも、人は轢いてない。
手で涙を拭った瑠璃子は、事故現場になったかと思った押しボタン式信号機の辺りを、もう一度、見渡した。
そこは、土砂降りの雨と、それに依る大きな水溜まりがある以外は、いつも見慣れた光景だった。
(だから、何も起きてない・・・・)
(何も・・・)
(だから何も・・・)
(何も・・・起きてない・・・!)
瑠璃子は心の中で繰り返し、最後には「何も起きてない・・・っ!」と、言って肩の力を抜いた・・・。
そして後部座席に座る希未留の方を振り返ると。
「ママ、もう大丈夫だから・・・一緒にお家に帰ろうね」と言った。
希未留は瑠璃子に、ホッとした表情を見せると「うん・・・」と、だけ言って頷いた。
瑠璃子は、周囲の安全を慎重に確認すると、路肩に停車してた場所から車をUターンさせ対向車線へと渡り、家路へ戻ったのだった・・・。
なんとか無事に帰宅した瑠璃子と希未留は、疲れきった表情で家に入った。
家には既に息子の亮太が、小学校から戻って一人で留守番をしてたのだが、瑠璃子が「これから帰宅する」と電話で伝えてから、何時もよりもずっと遅い帰宅だったので、途中で何かあったのかもと不安に思って居たのだった。
そこに、ずぶ濡れで疲れた表情の母と、これまで1度も見た事が無い硬い表情をして無言のまま家に入る妹の姿に、亮太は「お・・お帰りなさい・・・」と、驚いた表情で言った切り、何も言えなくなってしまったのだった。
亮太は(いったい、何があったのだろう?!)という不安に駆られながらも、今は何も聞いてはいけないような気がして、リビングに立ち尽くして居たのだった。
瑠璃子はずぶ濡れだったので、夕食の準備よりも先にシャワーを浴びようと思ったのだが、こんな事があった時だから娘も不安だろうと思い、一緒に浴室に入る事にしたのだった。
それから瑠璃子が夕食の支度を始めようとすると、何時もはお気に入りのテレビ番組を観てる筈の希未留が、キッチンの食卓テーブルの椅子に座って居た。
さらに見ると、キッチンと繋がってるリビングの方から、不安そうに立つ亮太もこちらを見ていた・・・。
亮太は妹の希未留にも、何も聞けずに居るのだ。
その我が子の姿を見た瑠璃子は、希未留もあんな怖い思いをしたし。亮太も何時もと違いすぎる私達を見て不安だろう。
瑠璃子は(今は皆、一人になりたく無いよね・・・)と、思った。
そんな子供二人を元気付けようと、瑠璃子は、わざとおどけて「今日の夕食は『取り敢えずカレー』です!」と言った。
希未留は「とりあえず?」と、まだ不安そうな表情で言ってから「それって、なあに?」と聞いた。
瑠璃子は「そ・れ・は・ね?」と、言葉の為を作った後に、亮太の顔も見た。っそして「今夜はカレーのつもりじゃ無かったんだけど・・・パパが帰る時間に間に合わせるのに、手抜きのカレーを作ります!」と、笑顔で答えた。
希未留は、ぱぁっと明るい表情になると「なにそれ~!」と言って、笑った。
精一杯の笑顔を作った瑠璃子は、娘の表情が緩んだのを見てホッとした。そして、さっきから不安そうに立って居る亮太にも目を向けて微笑んだ。
すると亮太も、ぎこちなくだったが笑顔で応えてくれたのだった・・・。
瑠璃子の手際の良さと、程よい手抜きが相まって『取り敢えずカレー』は、何とか夫の帰宅に間に合った。
それは、食材を人数分ギリギリにしたのと、野菜を細かく切って電子レンジで予め加熱したのと、それらの食材と薄切り牛肉を深底のフライパン1つでまとめて調理する事で間に合わせたのだった。
カレーが出来上がる寸前だった。
岸本家の玄関ドアの錠前が開けられ、家の中に人が入って来たのは。
「お!今夜はカレーか?良いね!」と、玄関を上がり、リビングからキッチンの方へ入って来たのは、この家の主であり、瑠璃子の夫の正行であった。
不安な事があった夜だった事もあり、瑠璃子、希未留、亮太の三人は、いつも以上に正行の帰りを喜んで迎えてくれたので、正行は「え?え?なに?なに?どうしたの?」と少し戸惑い気味だった。
たった今、出来上がったカレーが入った深底のフライパンがのったガスの火を消した瑠璃子は、はしゃぐ子供達に囲まれて戸惑ってる夫の方へと振り返ると、そんな光景を目を細目ながら見て居て居た。
瑠璃子は、毎日、家族が全員そろって夕食を頂けると言うのは、本当は、とても幸せな事なんだと改めて思い、自然と目が潤んでしまうのを感じた・・・。
それで咄嗟に涙を隠そうとした瑠璃子は「パパも帰ったから、出来立ての『取り敢えずカレー』を、みんなで直ぐに食べようか?!」と、元気に言った。
すると子供達は「おー!」っと、瑠璃子に負けじと元気に応え、互いの顔を見て大笑いしたのだった。
正行は、何時もと違う何か家族が劇団員になったかの様な違和感と、自分だけが置いてかれてる感覚と、それとは真逆に、何だか分からないけど、その楽し気な雰囲気に自分も飲み込まれてしまってる状況を、苦笑いしながらも楽しんで居たのだった・・・。
つ づ く