なんで口喧嘩するの?
考えれば考えるほど不思議である。
あなたは口喧嘩、いわば思想のぶつけ合いをしたことがあるだろうか?おそらくあると思うが。
大体が良い思い出ではないだろうし、自分にとって完璧な終わり方でもなかったはずだ。
しかもどうでもいいことに限ってか、長くなる。
まず、私はそれについて意見を言いたい。「なんでそんなことをするのか?」である。
例としてAとBがまさにそれをしていたとき、AとBどちらかが折れる必要がある。
だがしかし、折れるのは簡単ではない。
その上、自らが間違っていると認めるのも癪なものである。
さらに、それをしていると言うことは双方で悪い所があったと言うことに変わりない。
よく義務教育の範囲や目上の人が中に入ると「双方でごめんなさい」で終わってしまう、よくある話だ。
つまり意味のないことに変わりない上、納得もできないだろう。
この文章をわざわざ読んだのなら考えて欲しい。
「なぜ納得できないのか?」
私はこれこそ知能だと思っている。
物事を良いと捉えれるならその逆も然る。
そうなのだ、AとB双方が正しいから納得できないのである。
しかしながら、世には正しい、正しくないが存在している。
何が正しいのかと言う話なのである。
それはおそらく合理的かつ感情的に考えた末にあると思う、要は場面ごとに異なると言うことである。
合理的に正しいからと言って、AがBを否定するのは間違いと言えるが、否定をしてしまったらAを合理的に正しいと言い切れないし、感情的に正しいとBがAを否定してしまえば合理性が無くなるだろう。
それはなくてはならないものだろう。
まとめると、結局正しいことは認めなくてはいけないし、捻くれてると思うことに楯突くのも必要なことだ。
忘れてはいけないのはそれをしている時、捻くれてるのは自分である可能性があると言うことだ。
別に低い可能性でもない。
付け加えるなら、それに気づかず捻くれていきていくのは虚しいし悲しい。損である。
だが捻くれてるのを正しいに昇華させる方法もある。
判断基準としては第三者になったつもりで、あらゆる情報を照らし合わせてみることだ。
小中大ではなく1%,2%,...100%で考えることだ。
友の数、周りからの好感、社会的な視点、友好的な視点、否定的な視点。むしろ正しいと思うことほど自分を疑うべきやもしれない。
それこそ、自分で「1年前の自分より大分変わったな」
「世界がひらけて見える」「周りからの評価が変わった」など、最近感じない人こそ疑うべきやもしれない。
1番ダメなのはSNSメールアプリなどでも恒例のブロックというシステム。
文明の利器の闇の部分の代表だろう。
それはせっかくの関わりを切る、と言うことであるし成長の機会を自らの手で消すのと等しいだろう。
反面教師でも参考にするのでも貴重な成長源であることに変わりないのに。
あとシンプルムカつくし。
そう言えば感情もなぜ存在するのか。
あった方が楽しいことに変わり無いが。
ただもちろん、1つの正しいや完璧があったとして、地球上全員がそこへ向かうことは正しいと言えないだろう。
考えれば考えるほど不思議である。
私は陰謀だの幽霊だの伝説だのは信じないが、人の存在意義については結論に辿り着けたことがない。
地球にとって人は不要でしかない。
その上SDGsだの歌ったり、私たちの星だの言っている。
さらに言えば美化して映画を作ってしまったりもする。
そしたら地球の存在意義もわからないが。
考えるだけ無駄というものかもしれない。
とりあえず今日はここまでで。
どちみちわからないことしかないのだから楽しむのが一番良いとも言える。
他に迷惑をかけなければそれで良いと。
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もっともっと考えて。
派生させるなり、ひっくり返すなり、生み出すなり。