第6章:ソラティア研究所への接近
大分市内に到着したのは夕刻だった。久留米からの特急バスは予想以上に順調で、黒いスーツの男たちの追跡を完全に振り切ることができたようだった。
日が傾き始め、街全体が淡いオレンジ色の光に包まれている。その光が建物や道路に長い影を落とし、穏やかな春の夕暮れを演出していた。
「ここが大分か…。」
清六は感慨深げにバスの窓から外を眺めた。幼い頃の記憶がないとはいえ、何か懐かしさを感じるような不思議な感覚が胸中に広がっていた。その感覚は説明できないものだったが、自分自身とこの場所との繋がりを暗示しているようにも思えた。
「まずはホテルにチェックインしましょう。」
凪子が提案した。その声には冷静さと計画性が滲んでいる。彼女は事前に市内中心部のビジネスホテルを予約していた。
「バスターミナルから徒歩10分くらいよ。歩きましょうか。」
三人は荷物を持ち、夕暮れの街へと歩き始めた。大分市は福岡ほど大きくはないが、整然とした街並みと独特の温かさを持った雰囲気がある。
その雰囲気は春の柔らかな夕暮れ時にさらに際立っていた。帰宅する人々や飲食店に向かう人々で街は適度な賑わいを見せており、その中にはどこか懐かしさすら感じさせる光景もあった。
「大分って、思ったより落ち着いた街ね。」
沙織が周囲を見渡しながら呟いた。その声には初めて訪れる土地への新鮮な驚きとほっとしたような感情が滲んでいた。
「そうね。別府が近いから観光客も多いけど、大分自体は穏やかな雰囲気があるわ。」
凪子が答えながら前を歩いていた。その姿には、この旅への使命感と冷静さが感じられた。
「そういえば、ソラティア研究所は別府にあるんですよね?」
清六が尋ねると、凪子は振り返りながら答えた。
「正確には別府市郊外ね。市街地から少し離れた場所よ。」
彼女は少し間を置いて続けた。
「表向きは『大分県食品技術研究所』として、地元の食材研究や食品安全技術の開発をしているということになっているわ。でも、その実態については謎が多い。」
ホテルは駅近くの便利な場所にあった。モダンな外観の中規模ビジネスホテルで、ロビーは広々としており、落ち着いた雰囲気だった。チェックインを済ませると、三人それぞれ部屋の鍵を受け取った。
「一度部屋で休憩して、19時にロビーで集合しましょう。」
凪子が提案すると、三人はそれぞれ頷いて部屋へ向かった。この新しい土地で待ち受ける未知なる真実――その期待と不安が胸中で渦巻いていた。
清六の部屋は7階の角部屋だった。シンプルながらも清潔で機能的な部屋に荷物を置き、窓辺に立つ。窓の外には大分市の夜景が広がっていた。遠くには山々のシルエットが浮かび、その手前には街の明かりが点在している。
「ここにあるのか…僕の秘密が。」
清六は窓越しに広がる景色を見つめながら小さく呟いた。その言葉には期待と不安が入り混じっていた。
***
19時、三人はホテルのロビーに集合した。夕食を近くのレストランで済ませた後、凪子の部屋で作戦会議を行うことになった。
「まずは情報を整理しましょう。」
凪子はノートパソコンを開き、これまでの調査内容を表示した。画面にはソラティア研究所に関する公開情報や衛星写真が映し出されている。
「ソラティア研究所は別府市郊外の丘陵地にあります。表向きは『大分県食品技術研究所』として、地元の食材研究や食品安全技術の開発をしているということになっています。」
凪子がノートパソコンの画面を見つめながら言った。そこにはソラティア研究所の衛星写真が映し出されている。白い建物が緑に囲まれ、駐車場やセキュリティゲートらしき構造物が確認できた。その様子は食品研究所としては異様に厳重な印象を与えていた。
「でも、この施設については謎が多いわ。」
凪子は画面を指差しながら続けた。
「例えば、研究成果がほとんど公表されていないこと。それと、このセキュリティゲート――食品研究所としては異様に厳重よ。」
沙織が不安そうに尋ねた。
「明日はどうやって行くんですか?」
凪子はノートパソコンの画面から目を離さず、冷静な口調で答えた。
「レンタカーを手配してあるわ。朝9時にホテルを出発して、まずは周辺を回りながら様子を探る予定よ。」
沙織は少し安心したように頷いた。しかし、すぐに新たな疑問が浮かんだようだ。
「直接近づくわけじゃないんですね?」
「ええ。正面から向かうと目立つし、不審に思われる可能性もあるわ。まずは遠くから状況を確認することが大事よ。」
凪子は視線を前方に向けながら言葉を続けた。その声には慎重さと計画への自信が滲んでいた。
清六はパソコンの画面を食い入るように見つめていた。その白い建物が、自分の過去と未来を握っているかもしれない――そんな予感が胸中で膨らんでいた。
「この研究所…本当に僕が生まれた場所なのかな。」
清六の呟きに、凪子は優しく微笑みながら答えた。
「それを確かめるために来たんでしょう?でも、無理はしないでね。あくまで安全第一よ。」
作戦会議を終え、それぞれの部屋に戻ることになった。廊下で別れる前に、凪子が二人に注意を促した。
「部屋のドアはしっかり施錠して。そして不審な点があれば、すぐに連絡を。」
清六と沙織は頷き、それぞれの部屋へと向かった。清六の部屋では、大分市の夜景が窓越しに広がり、その光景が彼の心にわずかな安堵感を与えた。
***
翌朝、三人はレンタカーに乗り込み、別府市郊外へと向かった。運転席に座る凪子は、ナビゲーションシステムを確認しながら慎重に進路を決めていく。清六と沙織は後部座席に座り、窓の外に広がる景色を眺めていた。
「綺麗な景色ね。」
沙織が感嘆の声を上げた。別府の街を抜けると、鮮やかな山々が広がり始める。初夏の陽光を浴びた濃い緑の斜面と、遠くにきらめく海の青さが、まるで一幅の絵画のように美しい光景を作り出していた。その豊かな自然の風景は、彼らの心に一時的な安らぎをもたらしているようだった。
「ここから先は裏道を使うわ。」
凪子が言い、車は舗装された幹線道路から山間部の狭い道へと入っていった。周囲には背の高い木々が立ち並び、その隙間から差し込む陽光が地面に模様を描いている。
「この山を越えた先に研究所があるのよ。」
凪子の声には冷静さと慎重さが滲んでいた。それでも清六には、その言葉がどこか重く響いた。
20分ほど山道を走った後、凪子は車を路肩に停めた。その場所は森の入り口に近く、小道へ続く案内板が立っている。
「ここからは徒歩で行きましょう。この先に展望スポットがあって、そこから研究所が見えるはずよ。」
三人は車を降り、それぞれ荷物を整えながら森の中へ足を踏み入れた。初夏の木々は濃い緑に覆われ、葉の間から差し込む陽光が柔らかな陰影を作り出している。
小鳥のさえずりが心地よく響き渡り、その自然豊かな環境には穏やかさが漂っていた。しかし――清六の心は穏やかではなかった。
彼は自分自身の起源に近づいているという実感とともに、胸中で緊張感が高まっていくのを感じていた。その感覚は説明できないものだったが、それでも彼自身にとって避けられない運命だということだけは理解していた。
小道の先に開けた展望スポットに到着すると、眼下に広がる景色に三人は息を呑んだ。初夏の強い陽光が丘陵地を照らし、その中に広がる白い建物群が異様な存在感を放っていた。
「あれが…。」
凪子が双眼鏡を取り出し、遠くの白い建物群を見つめた。その手元にはわずかな震えが感じられる。
「ソラティア研究所ね。」
彼女は清六に双眼鏡を渡した。清六が覗き込むと、高い塀に囲まれた広大な敷地内にいくつかの白い建物が見えた。中央の大きな建物が本館らしく、その周りには付属施設と思われる建物が整然と配置されている。その全体像は食品研究所という表向きの説明とはかけ離れたものだった。
「これ、普通の研究所じゃないよね…。」
清六が呟いた。その声には驚きと疑念が滲んでいた。塀の上部には監視カメラが設置されており、正門には警備員が立っている。さらに敷地内では巡回する警備車両も確認できた。その厳重さは食品研究所という名目では説明できないほどだった。
「確かに、食品研究所としては異常なセキュリティね。」
凪子も同意しながら双眼鏡を取り戻し、さらに敷地内を観察した。その目にはジャーナリストとしての探求心と警戒心が宿っている。
「もっと近くで見てみましょう。」
凪子の提案に清六と沙織は頷いた。三人は展望スポットを後にし、さらに下りの小道を進んだ。木々の間を縫うように歩いていくと、次第に研究所の塀が見えてきた。その塀は高さ数メートルにも及び、その上部には有刺鉄線が張り巡らされていた。
「ここまで来ても異様な雰囲気ね…。」
沙織が小さな声で呟いた。その声には不安と緊張感が滲んでいた。凪子は三人が塀の陰に隠れるよう指示した。その動作には冷静さと慎重さが感じられた。
「ここから先は慎重に行動しましょう。」
凪子の言葉に清六は頷きながら塀越しに敷地内を見つめた。この場所には、自分自身について何か重大な秘密が隠されている――その予感が胸中で膨れ上がっていった。
三人は展望スポットを後にし、さらに下りの小道を進んだ。木々の間を縫うように歩いていくと、次第に研究所の塀が見えてきた。その塀は高さ数メートルにも及び、有刺鉄線が張り巡らされている。その異様な光景に、清六は無意識に息を呑んだ。
「ここなら見つからないはず。」
凪子が低い声で言いながら、三人が塀の陰に隠れるよう指示した。彼女は再び双眼鏡を取り出し、慎重に研究所の様子を観察し始めた。
「正門から誰か出てきたわ。」
凪子が囁くように言うと、清六と沙織も身を乗り出して視線を向けた。正門から白衣を着た女性が歩み出てくる。その女性は30代半ばくらいで、知的な雰囲気と美しい容姿を持っていた。黒髪のロングヘアをまとめ、どこか疲れた表情を浮かべている。
「あの人…。」
凪子は双眼鏡から目を離さずに言った。
「椎葉彩乃だわ。ソラティア研究所の主任研究員よ。」
「椎葉彩乃?」
清六は首をかしげたが、その名前にどこか聞き覚えがあるような気がした。そしてすぐに思い出した。誠司の書斎で見つけた報告書――その署名欄には確かに「椎葉彩乃」という名前が記されていた。
「報告書に名前があった…。」
清六の声には驚きと戸惑いが混じっていた。「彼女が僕の…。」
その言葉を続けられないまま、再び正門が開いた。今度は黒塗りの高級車がゆっくりと敷地内から出てきた。その車から降り立ったのは、一人の威厳ある高齢の男性だった。短く刈り上げられた黒髪に高級スーツを纏い、その鋭い目つきで周囲を睨むように見渡している。その存在感は圧倒的だった。
「あれは由布厚生。」
凪子が小声で言った。
「食品資源庁の特別顧問。この地域の政界では有力者として知られているわ。」
「何か話してる…。」
沙織が言った。その言葉に清六も双眼鏡を覗き込む。確かに椎葉彩乃と由布厚生は正門前で何か重要な話をしているようだった。彩乃の表情は硬く、時折頷いている。一方の由布は指示を出すような仕草で話している。そのやり取りには緊張感が漂っていた。
「読唇術ができれば良かったんだけど…。」
凪子が悔しそうに呟いた。その声にはジャーナリストとしての無力感も滲んでいた。
会話を終えた由布は再び車に乗り込み、研究所を後にした。一方、彩乃も別の車に乗り込み、反対方向へと走り去った。
その光景を見届けながら清六は胸中で疑念と不安が膨れ上がるのを感じていた。この場所には、自分自身について何か重大な秘密が隠されている――その確信だけは揺るぎないものとなっていた。
「引き上げましょう。」
凪子の判断で、三人は来た道を戻り始めた。
***
木々の間を歩きながら、清六は凪子に尋ねた。
「あの椎葉彩乃という人…僕の報告書に名前があった人ですよね?」
凪子は足を止めずに歩き続けながら、少し考え込むような表情を浮かべた。「そうね…。彼女はソラティア研究所の主任研究員で、『プロジェクト・ガストロノミックマター』深く関わっていると言われているわ。」
「プロジェクト・ガストロノミックマター?」
清六がその言葉を繰り返すと、凪子は低い声で続けた。
「食文化の遺伝子的保存と継承を目的としたプロジェクトよ。詳細はほとんど公になっていないけど、大分の郷土料理、特に『とり天』などの調理技術を科学的に保存する研究をしているという噂があるの。」
その言葉に清六は思わず立ち止まった。
「とり天…。」
フライドチキン店での出来事が鮮明に蘇る。
体が勝手に動き、完璧なとり天を調理した経験――それが彼自身の意思ではなく、何か遺伝子的な要因によるものだったとしたら?すべてが繋がり始めていた。
沙織が心配そうな表情で清六を見つめた。
「大丈夫?何か思い出した?」
清六は小さく頷きながら答えた。
「フライドチキン店で起きたこと…あれも、この『プロジェクト』と関係している気がする。」
凪子は真剣な表情で言った。
「その可能性は高いわ。『プロジェクト・ガストロノミックマター』は単なる食品研究ではなく、人間の遺伝子操作や能力開発にも関係しているという噂もあるから。」
その言葉に清六は胸中で疑念と恐怖が膨れ上がるのを感じた。この場所には、自分自身について何か重大な秘密が隠されている――その確信だけは揺るぎないものとなっていた。
***
ホテルに戻ったのは夕方だった。三人はロビーで今後の行動計画を話し合った。
「明日は研究所の裏側から観察してみましょう。今日とは別のルートで接近するわ。」
凪子の提案に、清六と沙織は同意した。
「では、今夜はゆっくり休みましょう。明日は早朝出発よ。」
三人は別れ、それぞれの部屋へと向かった。
清六が自分の部屋のドアを開けた瞬間、微かな違和感を覚えた。
部屋は一見、出発時と変わらないように見えたが、どこか空気が異なっているように感じられた。その感覚は説明できないものだったが、彼の警戒心を刺激した。
彼はゆっくりと部屋に入り、荷物を確認した。スーツケースはベッド脇に置かれていたが、そのチャックの開き方が朝と違うように見えた。そしてデスクの上に置いていたノートパソコンも、わずかに位置がずれているようだった。
「誰かが…。」
清六は慎重にパソコンを開いた。画面が点灯すると、最近使用したファイルの履歴に見覚えのないものがあった。それは彼自身が開いた覚えのないファイルだった。
そのファイル名には「FCT-1」「DNA」「プロジェクト・ガストロノミックマター」といった単語が含まれており、それらが彼自身やソラティア研究所と関係している可能性を示唆していた。
「誰かが僕のパソコンを操作した…?」
心臓が早鐘を打ち始める中で、清六はさらに履歴を確認した。
「これは…。」
清六は不安を感じ、すぐに沙織と凪子に連絡した。二人は急いで清六の部屋に駆けつけた。
「本当に誰かが侵入したの?」
沙織が心配そうに尋ねた。その声には不安と疑念が滲んでいた。
「間違いないわ。」
凪子はパソコンを調べながら低い声で答えた。
「システムログを見ると、私たちが出かけている間にアクセスされているわ。おそらくデータを探られたのね。」
清六は息を呑みながら尋ねた。
「でも、どうやって部屋に…?」
「ホテルのスタッフを装ったか、あるいは本物のマスターキーを使った可能性があるわ。」
凪子は周囲を見回しながら続けた。
「他にも盗聴器や監視カメラが仕掛けられている可能性がある。確認しておいた方がいいわ。」
三人で部屋を隅々まで調べ始めた。凪子はスマホのライトを使いながら、鏡や電化製品、コンセント周辺など隠しカメラがありそうな場所を重点的に確認した。しかし、不審な機器は見つからなかった。
「何もないみたいね。」
凪子が言ったものの、その表情には警戒心が残っていた。それでも清六の不安は消えなかった。
「僕だけを狙っているなら、沙織と凪子さんの部屋は大丈夫かもしれません。」
沙織は眉をひそめながら答えた。
「でも、それって逆に怖いよね…。清六くんだけ狙われてるなんて。」
凪子は真剣な表情で言った。
「油断はできないわ。今夜は警戒した方がいい。私の部屋には追加のロックを付けておくわ。」
凪子が自分の部屋に戻った後、沙織は心配そうに清六を見つめた。その目には彼への心配と、この状況への不安が入り混じっていた。
「清六くん…一人で大丈夫?」
「うん、なんとか…。」
清六は強がろうとしたが、その声にはわずかな震えが混じっていた。沙織は彼の不安を見抜いたようだった。
「あのね…。」
沙織は少し恥ずかしそうに言葉を続けた。
「私、今夜ここに泊まろうかな。二人なら何かあっても安心だし…。」
その提案に清六は驚いて沙織を見つめた。彼女の頬は薄く赤く染まっており、その表情には照れと真剣さが入り混じっていた。
「でも、それじゃあ沙織が…。」
「大丈夫よ。」
沙織は微笑みながら答えた。
「私も一人で部屋にいるの、ちょっと怖いし。」
その言葉には実際的な理由も含まれていた。もし何かあった時に、一人よりも二人の方が対応できる。それでも清六は少し戸惑いながら頷いた。
「わかった。ありがとう。」
しかし、問題はベッドだった。部屋にはダブルベッドが一つあるだけで、ソファも小さすぎて寝るには適していない。清六は言葉を探していると、沙織が微笑んで言った。
「背中合わせなら大丈夫よ。お互いに端っこで寝れば。」
その提案に清六は少し安心しながら頷いた。
「そうだね。それなら問題ないかな。」
***
夜になり、二人はそれぞれバスルームで着替えを済ませた。清六はTシャツとスウェットパンツ姿、沙織は淡い色合いのパジャマ姿だった。その姿勢には互いに気を使う緊張感が漂っていた。
二人とも緊張した面持ちでベッドに横になった。背中合わせの姿勢で、お互いの体が触れないように気を配りながら静かに横になる。その距離感には照れと安心感が入り混じっていたものの、不安な状況下でも互いに寄り添うことで心強さを感じていた。
「ごめんね、こんな状況で…。」
清六が小さな声で言った。その声には申し訳なさと不安が滲んでいた。
「気にしないで。友達でしょ?」
沙織の声も少し震えていた。静かな部屋の中で、お互いの呼吸だけが聞こえる。その音が、二人の間に漂う緊張感を一層際立たせているようだった。
「沙織。」
「なに?」
「今日、あの研究所を見て…僕、思ったんだ。」
「何を?」
清六は少し間を置いてから答えた。
「もし本当に僕があそこで生まれたとしたら…僕は何なんだろうって。」
沙織は一瞬考え込むように沈黙した後、静かに答えた。
「清六くんは清六くんよ。どこで生まれたとしても、どんな理由で生まれたとしても。」
「でも、もし僕が普通の人間じゃなかったら…。」
清六の声には戸惑いと恐怖が混じっていた。それでも沙織は体を少し回し、清六の背中にそっと手を当てた。その温もりが彼にわずかな安心感を与えた。
「そんなことない。」
沙織は優しい声で続けた。
「あなたは私の大切な友達。それだけは変わらないわ。」
清六は沙織の温もりを感じながら、小さく息を吐いた。その一言に救われる思いがした。
「ありがとう…本当に。」
二人は再び背中合わせの体勢に戻った。外から漏れる街の明かりがカーテン越しに部屋を薄暗く照らしている。その光景が、不安と期待に揺れる二人の心情を静かに包み込んでいた。
「明日、真実が分かるかもしれないね。」
清六が呟いた。その声には期待と不安が入り混じっていた。
「うん、一緒に立ち向かいましょう。」
沙織の声には強い決意が込められていた。その言葉に清六も頷きながら目を閉じた。二人はそのまま、緊張と期待が入り混じる中で少しずつ眠りに落ちていった。
明日は、彼らの人生を大きく変える日になるかもしれない――そんな予感だけが静かに漂っていた。