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フライング・コード ~遺伝子の胎動~  作者: 地熱スープ
第一部:着信の謎と日常の崩壊
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第3章:養父の秘密

夕暮れの「天野書房」は、いつもの穏やかな雰囲気に包まれていた。


古書の匂いと木の温もりが混ざり合う店内で、養父・天野誠司は黙々と本の整理をしていた。店内には静かな音楽が流れ、時折ページをめくる音が響く。

その穏やかさは、清六にとって子供の頃から変わらない安心感を与えるものだった。


しかし今日は、その空間がどこか異質に感じられた。清六が帰宅すると、誠司は顔を上げて微笑んだ。その笑顔にはいつもの温かさがあったが、清六にはその裏に隠された何かがあるように思えた。


***


「おかえり。今日はどうだった?」


誠司の声は穏やかだったが、その響きには微かな緊張感が混じっているように感じられた。


「ただいま…」


清六は言葉を選びながら答えた。フライドチキン店での出来事をどう説明すればいいのか迷っていた。自分でも信じられない体験だったし、それを養父に話すべきなのか確信が持てなかった。


「お父さん、ちょっと…話があるんだ。」


その言葉に誠司は一瞬動きを止めた。本棚から離れて彼の方を向く。その動作には微かな緊張感が漂い、彼の目には何かを探るような光が宿っていた。


「何だ?清六。」


誠司の声は冷静だったが、その背後には隠しきれない不安の影が見え隠れしていた。それを感じ取った清六もまた、自分自身の胸中で渦巻く不安と疑念を抑えきれなかった。


「今日、友達と食事に行ったんだけど…」


清六は言葉を選びながら、フライドチキン店での不思議な体験を話し始めた。頭痛に襲われたこと、気づいたら厨房で料理をしていたこと、そして完璧な「とり天」を作っていたこと――それら全てを。


話が進むにつれ、誠司の表情が徐々に変わっていくのが見て取れた。最初は心配そうな顔だったが、それが次第に緊張した表情へと変わっていく。その変化は微妙だが確実であり、清六にはそれが見逃せなかった。


「…そして、僕自身も驚いたんだ。料理なんてしたことないのに。」


清六が話し終えると、店内に重い沈黙が流れた。誠司は言葉を失ったように立ち尽くしていた。その姿は普段の穏やかな養父とはまるで別人だった。


「お父さん?」


清六の声で我に返ったように、誠司は慌てて笑顔を作った。しかし、その笑顔は無理に作られたものだということが、清六にも分かった。その笑顔の裏には隠しきれない動揺と不安が滲んでいた。


誠司は深く息を吸い込みながら静かに口を開いた。


「それ…本当に自分でやったんだな?」


その問いには単なる確認以上の意味が込められているようだった。清六はその意図を読み取ろうとしたが、自分でも答えきれない疑問ばかりが胸中で渦巻いていた。


「そりゃあ、疲れてるんじゃないか?最近、勉強が忙しいって言ってたよね。」


誠司の声にはわずかな震えがあった。それは普段隠し通している秘密が揺さぶられる瞬間だった。


「でも、みんな見ていたよ。沙織も店の人も。僕が料理したのは本当なんだ。」


清六は誠司の目をじっと見つめながら言葉を続けた。その視線には、自分でも説明できない出来事への答えを求める切実さが滲んでいた。


「そう…なんだろうね。」


誠司は棚の本を無意味に並べ直し始めた。その動作には焦りとも取れるぎこちなさがあり、手元が微かに震えていることに清六は気づいた。


「気のせいじゃないかな。あるいは、小さい頃に見た料理番組の記憶がストレスで突然蘇ったとか…」


その説明は明らかに不自然だった。誠司の声は穏やかさを装っていたが、その裏には隠しきれない動揺が透けて見えた。清六は養父の目を見つめ、その奥底にある真実を探ろうとした。しかし、誠司は視線を逸らし、棚から別の本を手に取っただけだった。


「お父さん、本当に何も知らない?」


清六の問い掛けには、自分でも気づかないほど強い疑念が込められていた。その言葉に誠司は一瞬だけ動きを止めた。しかし次の瞬間には、何事もなかったかのように微笑みながら答えた。


「もちろんさ。ただ、君が疲れているだけだと思うよ。」


その笑顔はどこかぎこちなく、清六にはそれが無理に作られたものだということが分かった。そしてその笑顔の裏側に隠された真実――それを知りたいという思いが胸中で膨らんでいった。


「お父さん、昨日電話してた『由布さん』って誰?」


清六の唐突な質問に、誠司の手が止まった。本を落としそうになり、慌てて受け止める。その仕草からも動揺していることが明らかだった。


「なんで急にそんなことを…」


誠司は目線を逸らしながら言葉を濁した。その態度こそが清六の疑念を深める原因となった。


「昨日、僕のスマホに『ソラティア研究所』から着信があったんだ。」


清六は真剣な表情で続けた。


「『プロトコル実行の時期です』って言われた。何のことか分からなかったけど…今日の出来事と関係あるんじゃないかって。」


誠司の顔から血の気が引いた。その変化は明白であり、それまで隠していた秘密が表面化する寸前であることを示していた。彼は本棚に手をついて深いため息をつき、その後ゆっくりと顔を上げた。


「清六…」


緊迫した沈黙が流れる中で、誠司は表情を取り繕うように笑顔を作った。しかし、その笑顔にはどこか壊れそうな脆さがあった。


「気のせいだよ。電話の相手は昔の取引先で、本の仕入れについて話していただけさ。それと今日の出来事は、たまたま才能が目覚めただけじゃないかな。」


その説明には不自然さしか感じられなかった。誠司の声には穏やかさを装う意図が見え隠れしていたが、その裏側には隠しきれない動揺が透けて見えた。


清六は養父との間に漂う違和感から目を逸らすことなく問い詰めるような視線を送った。

「本当のことを教えてよ。僕の身に何が起きているのか…」


「何も起きていないよ。」


誠司の声色が急に変わり、そのトーンには会話を強制的に打ち切ろうとする意図が滲んでいた。その瞬間、清六は養父との間に横たわる見えない壁を痛感した。それは単なる親子関係の溝ではなく、清六自身も知らない何か重大な秘密によるものだという確信が胸をよぎった。


誠司の態度には明確な拒絶と防御の意図が込められており、「それ以上話すつもりはない」という強い意思表示だった。しかし、清六には確信があった――養父・誠司は何か深刻な秘密を隠しているのだ、と。


***


部屋へ戻るため階段を上り始めた清六は、背後から微かな声を感じ取った。振り返ると、誠司がスマホを耳に当て、小声で誰かと話し始めている。その姿勢から漂う緊張感は明らかだった。


(「由布さん」という名前なのだろうか。それとも別人なのだろうか…?)


清六はその内容までは聞き取れなかったが、誠司の肩に浮かぶ微かな硬直や視線の落ち着きのなさから、ただならぬ会話であることを感じ取った。


部屋へ戻った清六はベッドに横たわりながらスマホ画面を睨みつけた。「ソラティア研究所」に関する検索結果一覧画面へ再び戻る。しかし、有用な情報は一切見つからない。「情報が見つかりません」という冷たい文字列が画面に浮かぶだけだった。


清六はため息をつきながら、「沙織」宛にメッセージを送信した。「お父さんへ相談済み。でも反応奇妙過ぎ未解決。」


すぐに返信が届く。「やっぱり!絶対何か隠してるわね。明日詳しく聞かせて。」


清六はスマホを握りしめながら天井を見つめた。養父・誠司が隠している秘密。それは、自分自身に関する何か重大な事実なのだろうか?そして、「ソラティア研究所」との関係は?


疑問が次々と湧き上がり、頭の中を埋め尽くしていく。その不安と疑念は、静かな夜の中でますます膨れ上がっていった。


疲労感に襲われた清六はようやく眠りについた。しかしその夜、彼は奇妙な夢を見た。


***


夢の中で、清六は見知らぬ場所に立っていた。薄暗い部屋には無数のモニターが並び、それぞれに映し出されている映像はどれも意味不明だった。


動物の細胞分裂、複雑な化学式、人間の顔――断片的な映像が次々と切り替わり、その統一性のない情報が彼の頭を混乱させた。


「天野清六…」


背後から低く響く声が聞こえた。振り返ると、白衣を着た男が立っている。その顔はぼんやりとしていて、輪郭が曖昧だった。まるで霧の中にいるかのように、その存在感だけが異様に際立っていた。


「プロトコル実行…準備完了。」


その言葉とともに、モニターの映像が一斉に変わった。画面には「ソラティア研究所」のロゴとともに、「遺伝子活性化プロトコル」という文字が表示されている。その文字列は赤色で強調され、清六の視界を支配した。


清六は身動きが取れないまま、その光景を見つめていた。突然、画面から強烈な光が放たれる。その光は彼の全身を包み込み、意識が遠ざかるような感覚に襲われた。そして次の瞬間――目が覚めた。


***


翌朝、清六は夢の内容を鮮明に覚えていた。

その夢はただの偶然なのだろうか?

それとも、自分自身に関する何か深い記憶が断片的に蘇ったものなのだろうか?


彼はベッドから起き上がりながら、その疑問に囚われ続けていた。

「ソラティア研究所」という名前――それが自分に何を意味するのか。


そして、「遺伝子活性化プロトコル」という言葉――それらは単なる夢ではなく、自分自身と密接な関係を持つものではないかという予感が胸中で膨れ上がっていった。


朝食のテーブルで向き合った清六は、養父・誠司の様子をじっと観察した。誠司は普段通り振る舞おうとしているようだったが、その仕草にはどこかぎこちなさがあった。彼の目線は清六と交わることなく、新聞へと向けられている。その手元は微かに震えているように見えた。


「今日は図書館で勉強してくるよ。」


清六は自然を装って告げた。その声には、自分でも気づかないほどの探るような響きが含まれていた。


「そうか。頑張って。」


誠司は微笑んだ。しかし、その目には笑顔とは裏腹な緊張感が漂っていた。その微妙な表情の変化に清六は気づきながらも、それ以上何も言わず席を立った。


大学へ向かう途中、初夏の日差しが福岡市内を穏やかに包み込んでいた。街路樹の青々とした葉が風に揺れ、遠くから鳥のさえずりが聞こえる。その爽やかな景色にもかかわらず、清六の心は不安定だった。


歩きながらスマホを取り出し、「ソラティア研究所」を再び検索した。

すると、前日とは違う情報が表示された。


「大分県食品技術研究所(通称:ソラティア)、別府市郊外に所在」という簡単な説明だけだった。

しかし、その場所が実在することを知った瞬間、清六の心には小さな確信が芽生えた。


(やっぱり何かある…)


その情報は断片的ではあったものの、自分自身に関わる重大な秘密への手掛かりになるという予感が胸中で膨れ上がっていった。


***


西福大学に着くと、沙織が入り口で待っていた。彼女はいつも通り明るい笑顔を浮かべているが、その目にはどこか心配そうな色が混じっていた。


「清六くん!詳しく聞かせて。」


沙織は駆け寄りながら言った。その声には期待と不安が入り混じっているようだった。

二人は人気のない中庭のベンチに座り、昨夜の出来事について話し始めた。


「お父さん、明らかに何か知ってるみたい。でも教えてくれない。」


清六は養父との会話を詳細に説明した。その不自然な態度や言葉選びについて話すと、沙織も眉をひそめた。


「怪しいわね…」


沙織は考え込むように言った。その表情には真剣さが滲んでいた。


「それに『ソラティア研究所』も謎だらけ。大分県にあるらしいんだけど。」


「大分…」


沙織はスマホを取り出し、検索結果を確認しながら眉をひそめた。その画面には「大分県食品技術研究所(通称:ソラティア)、別府市郊外に所在」という簡単な説明が表示されていた。


「実在する場所なんだね。」


清六はその情報を見つめながら呟いた。その言葉には、自分自身に関する何か重大な手掛かりを掴んだという小さな確信が込められていた。


「ねえ、この研究所…遺伝子操作とか能力開発とか噂されてるみたいだよ。」


沙織がスマホ画面を見ながら呟いた。その言葉に清六は驚いて顔を上げた。


「遺伝子操作?それってどういうこと?」


清六の声には戸惑いと興味が入り混じっていた。沙織は少し考え込むようにして言葉を続けた。


「うーん…詳しいことは分からないけど、何か刺激とかきっかけで能力が目覚める現象って、『活性化』って呼ばれることもあるんだよね。SF小説とかでよく出てくるけど…」


沙織は画面から視線を外し、清六の顔を真剣な表情で見つめた。

「もしかして昨日のあれも、それなんじゃない?」


清六は自分でも説明できない昨日の体験を思い出しながら、小さく頷いた。その言葉には一理あるようにも思えた。しかし、それが現実世界で起こることなのだろうか?


「昨日のフライドチキン店、油の匂いが刺激になったのかも。」


沙織の推理に、清六はさらに考え込んだ。

匂い――それならば確かに、自分自身でも説明できないほど強烈な反応を感じた瞬間だった。その感覚は単なる偶然ではなく、自分自身を変える引き金になった可能性すら否定できない。


清六は深く息を吸い込みながら呟いた。

「もしそれが本当なら…僕は遺伝子操作された…?」


その問い掛けに沙織は言葉を失った。そして二人の間には静かな沈黙が流れた。その沈黙は、これから明らかになるであろう真実への不安と期待感を象徴するものだった。


***


その日の午後、西福大学内のカフェテリアで昼食を取りながら、清六と沙織はさらに話し合った。窓際の席から見えるキャンパス内では学生たちが自由気ままに過ごしている。その穏やかな光景とは裏腹に、二人だけは異なる空気に包まれていた。


「やっぱり、大分に何かあるんじゃないかな。」


沙織がスマホで調べた情報を見せながら言った。その画面には「別府市郊外」という地名だけが記されている。それ以上具体的な情報にはアクセスできなかった。


「でも、具体的な情報がなさすぎる。公式サイトさえないなんて普通じゃないわ。」


沙織の言葉には疑念と警戒心が混じっていた。その声にはどこか苛立ちすら感じられる。一方で清六も同じような感情を抱いていた。「ソラティア研究所」がただの食品技術研究所ではないことは明らかだ。しかし、それ以上何も分からないという事実だけが彼らを苛立たせていた。


その時、不意に隣のテーブルから視線を感じた。

清六は気づかないふりをしながらそっと目線を向ける。そこには30歳前後と思われる女性が座っていた。肩まで伸びたボブヘアと知的な雰囲気を持つ彼女。その視線には何か意図的なものを感じ取れた。


「あれ…?」


沙織も気づき、小声で言った。「なんだか様子がおかしいわね。」



その瞬間、その女性が立ち上がり、彼らへ近づいてきた。彼女は爽やかな笑顔を浮かべていたが、その目にはどこか慎重さが漂っている。そして、柔らかな声で話しかけてきた。



「すみません、お二人の会話を聞いてしまって…」



その声には穏やかな響きとともに、どこか慎重さと緊張感が含まれていた。その態度から、ただならぬ事情を抱えていることが伝わってくる。


「ソラティア研究所について調べているんですか?」


その問い掛けに、清六と沙織は驚き顔を見合わせた。清六は警戒心を抱きながらも、女性の問いに答えるべきか迷う。一方で沙織が先に口を開いた。


「ええ、そうですけど…。どうしてそれを?」


女性は少し微笑むと、バッグから名刺を取り出した。その仕草には一切の無駄がなく、まるで何度も繰り返してきた動作のようだった。


「私は春日凪子といいます。フリーランスの食品ジャーナリストです。ソラティア研究所について調べていると聞いて、ついお声をかけてしまいました。」


凪子は柔らかな笑顔を浮かべながら名刺を差し出した。

その名刺には「春日凪子 食品・文化ジャーナリスト」と書かれている。その肩書きに清六は少しだけ安心したが、それでも完全に気を許すことはできなかった。


「ジャーナリスト…ですか?」


清六が慎重に尋ねると、凪子は頷いた。その仕草には自信と慎重さが同居しているようだった。


「ええ。実は大分の郷土料理、特に『とり天』に関する本を執筆中なんです。その調査の過程で、ソラティア研究所という名前を耳にしました。」


「ソラティア研究所が、とり天と関係あるんですか?」


沙織が鋭く尋ねると、凪子は少し考えるような仕草を見せた。その一瞬の沈黙が、彼女自身も確信を持てないことを暗示しているようだった。


「表向きは食品技術研究所として知られていますが、その実態については謎が多いんです。私も詳しいことは分かりません。ただ、一部では『特殊な研究』をしているという噂があります。」


その言葉に清六と沙織は驚き顔を見合わせた。「特殊な研究」という言葉が彼らの心に不安と興味を同時に呼び起こした。


「特殊な研究…?」


清六の胸がざわついた。その言葉が、自分の中で何か重要な記憶や感覚に触れるような気がした。昨夜の夢――「遺伝子活性化プロトコル」という文字と白衣の男の声。それらが現実とリンクしているような感覚に襲われた。


「どんな研究なんですか?」


清六は慎重に尋ねた。その声には、答えを求める切実さが滲んでいた。


凪子は少し声を落として答えた。

「遺伝子操作や、人間の能力開発に関するものだと言われています。ただ、それが真実かどうかは分かりません。公式には何も発表されていませんし、関係者も口を閉ざしています。」


その言葉は重く響き、清六の思考をさらに混乱させた。「遺伝子操作」「能力開発」という言葉が、自分自身に関係しているという予感が胸中で膨れ上がっていく。


凪子は続けた。


「私も調査を進めていますが、情報が少なくて…。ただ、大分県別府市郊外にあるということだけは確かです。」


「それで…」


沙織が慎重に言葉を選びながら尋ねた。その声には警戒心と好奇心が入り混じっている。


「あなたは私たちに何を求めているんですか?」


凪子は少し微笑みながら答えた。その微笑みには穏やかさとともに、何か隠された意図が感じられた。


「求めているというよりも、お手伝いできることがあればと思ったんです。私もソラティア研究所について調べていますし、大分には何度も足を運んでいます。もしお二人がその場所について知りたいなら、ご案内することもできます。」


その申し出に清六と沙織は顔を見合わせた。確かに、大分という土地には馴染みがない。凪子のような地元事情に詳しい人間が同行してくれるなら心強い。しかし、それ以上に彼女自身への疑念も拭えなかった。


「どうしてそこまで協力してくれるんですか?」


清六が率直に尋ねると、凪子は少し目線を落として答えた。


「正直に言うと、私自身もこの研究所について知りたいんです。これまで調べてきた限りでは、どうやら単なる食品技術研究所ではないことは間違いありません。でも、それ以上踏み込むには限界があります。一人では情報収集にも限界がありますから。」


その言葉には真剣さと切実さが込められていた。そして何より、自分たちだけでは解決できない問題だという現実を突きつけられたような気がした。


話し合いの末、清六と沙織は凪子の協力を受け入れることにした。

ただし、大分へ行く計画については慎重に進める必要がある。特に清六の場合、養父・誠司への説明という大きな壁があった。


カフェテリアで別れ際、凪子は二人にもう一度名刺を渡した。その仕草には落ち着きと慎重さが漂っていた。


「準備が整ったら連絡してください。その時点で具体的な計画を立てましょう。」


そう言って彼女は立ち去った。その背中にはどこか決意めいた雰囲気が感じられた。沙織はその姿を見送りながらぽつりと言った。


「この人、本当に信用していいのかな…」


その言葉には疑念と不安が滲んでいた。清六も同じ疑問を抱えていた。しかし今、自分たちには選択肢が限られている――それだけは確かだった。


清六は名刺を手に取りながら深く息を吸い込んだ。


ソラティア研究所という謎――それを解明するためには、この女性の助けも必要になるだろう。


***


その夜、自室で再びスマホ画面と向き合う清六。養父・誠司との会話や凪子との出会い、大分への旅立ち――すべての出来事が頭の中で渦巻いていた。そして、その中心には常に「ソラティア研究所」という存在があった。


ふと窓の外を見ると、夜空には満月が浮かんでいた。その光は冷たく澄んでおり、どこか遠い未来を指し示しているようにも感じられた。その輝きは、清六の心に静かな決意を呼び起こした。


「僕は…行くしかない。」


清六は小さく呟いた。それは自分自身への宣言でもあり、この先待ち受ける未知への覚悟でもあった。その言葉は、彼の胸中で渦巻く不安と期待を抑え込むように響いた。


そしてその決意が、この穏やかな日常から彼を遠ざけ、新たな運命へと導いていくことになる――まだその全貌を知らないまま。


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