覚悟 八
亡くなった生徒たちの遺影が講堂の壇上に据えられ、駅前の花屋から取り寄せた白い菊の花が幾つかならんでいた。
全校集会となった本日は、ひとりひとりがお悔やみを申し上げ、事前に渡された菊の花をその遺影の隣に添えてゆく。すでに各々家族の方で本葬儀は終えており、その亡骸を想って最後の別れを告げるため、こうして生徒の皆が本講堂に列していたのだった。
「ほんと、可哀そう。運命って…」
「ご遺族の方もいらっしゃるのですよ。もうすこし声を抑えて…」
女子の間からは、哀惜の想いなども、涙ながらに漏れ聞こえてくる。
列の前の方では、学校の職員たちが各々遺影の前にお香をたいていた。
俺は黒い額縁の横に、小さくなって花を添え、そのまますごすご列に戻った。そこにあった遺影の写真を、どうして俺がまともに見ることなどできようか。
最後のあいさつに、生徒代表として、また親族の代表として、荒川ちゃんのお兄さんが悲しみを押し殺してお礼を述べる。
壇上の写真のひとつには、先日の交通事故で亡くなったその妹の笑顔も含まれていた。
荒川良子―――まさかあの荒川ちゃんを、こんなことで永遠に送り出すことになろうとは。
式が終わると、悲しい鬱屈した空気に圧されながら、俺は他の生徒たちと一緒にとぼとぼ講堂を出た。
最後にもう一度振り返ると、ミカンコがあのお兄さんに寄り添って話しかけている。荒川兄のいつにも増して整った顔立ちが、悲壮な哀れさを痛いほど思わせた。
海岸清掃の課外実習が行われた日の十六時十分頃、川崎市浮島の東京湾アクアライン出口付近にて、帰路へ着くマイクロバスと大型トラックの絡む事故が発生した。
バスに乗っていた生徒と教員の計二十一人が怪我をし、うち六人が救急搬送されたが、いずれも重傷であった。県警高速隊によると、対向車線を走っていた大型トラックが中央分離帯を乗り越え、生徒たちの乗ったマイクロバスに正面衝突したらしい。怪我人は生徒が十九人、四十代の教員が二人。相手の三十代男性運転手に怪我はなかった。
同日二十二時、記者会見の場で重傷者六人のうち、三人が亡くなったことを告げられる。残りの生徒たちの怪我の具合、事故を起こした相手方運転手について、記者たちから矢継ぎ早に質問が投げかけられた。
懸命な救護のもと、その若い命を救えなかったのは断腸の思いであると病院側も応じ、残りの生存者も、予断を許さない状況だという。またネットニュースなどでは、たまたま通りがかった車の運転手から、路上に横たわった生徒の白い骨が突き出た脚を、必死に止血している救急隊員らの凄惨な状況なども伝えられていた。
教室に戻ると、担任が忙しそうにやってきて、それで本日は休校になった。
まあ当然だ、今もあちらこちらでふるえる泣き声を細かくあげて、ほろほろと涙をあふれさせている生徒が大勢いるのだし。
飛鳥や久場とも、今朝ひとこと言葉を交わしてから、俺は会話らしい会話もできずにいた。
今日はずっとそんな感じであった。
そもそもなんで、荒川ちゃんが課外実習などに同行しなければならなかったのか。
聞いた話では、二年の生徒会役員の男子が体調不良で、その代理として、彼女が同行することになったという。
まったくなんて間の悪いことだろう。
俺は鞄をかついで廊下に出た。よっぽど恐い顔をしていたのか、通りがかった女子が小さく悲鳴を上げる。俺は「わりぃ」と短く詫びごとを言うと、そのまま黙って階段へ向かった。
すると、よろけながら辛うじてその階段を這いあがってくる、渦中の先輩を見つけるのである。
うつむいたその顔はよく見えなかったが、まるで大罪を背負う囚人のように蒼ざめて、首を重くうなだれていた。生徒会役員として、自分の身代わりとなった彼女のことを、どれだけ深く悔いていることだろうか。
そしてなお悪いことに、この先輩は彼女と親しく付き合っていたご当人でもあったのだ。
なんと声をかけたら良いのか分からず、すれ違いさま、俺は頭だけを小さく下げた。
そうした行為がまた、今の鋭敏な神経に触れでもしたのか、先輩はみじかく悲鳴を上げると、涙に濡らした顔をぱっと跳ね上げる。
その眼は大きく開かれて、焦点の定まらない瞳が白みの中心に据えられていた。そして生唾を幾度も呑み下しながら、なにかに抗うように言葉を絞りだすのである。
「―――も、もし、ボクが彼女と付き合っていなかったら。もし、彼女が生徒会にこなかったら―――」
彼は唇を歪めたまま、気の違ったような声で叫び出し、脱兎のごとく階段を駆け上がっていった。
哀れなその後姿を、俺は無言で見送るだけだった。
たしかに、その通りなのである。
あの夏の日、俺のしでかした一連の騒動がなければ、きっと今も彼女は部活で元気にしていたのだろうから。
哀傷の念に囚われながら、玄関ではまるで機械のするように靴を履きかえた。
あの気の違った先輩を厭う気持ちに少しもなれなかったのは、この俺自身、彼女の運命に深く関わっていたからである。
すぐ近くを、帰る人たちが通り抜けながら、今日の話をしていた。
俺もその人たちに倣って、玄関を出た。
荒川ちゃんの存在していたあの懐かしい朝のいっとき、俺は中身の詰まった段ボールを抱えて、幾度もここを往復していた。そのたびに彼女は愉快そうに駆けてきて、可愛らしい息づかいで隣に並んでくるのである。
あのときの彼女は、まだ生きていた――
そこにひとつの生命の躍動があったと、はっきり覚えている。
俺は彼女がいた場所にまで駆け寄ると、大きく息を吸って天を仰いだ。
この冷たく澄んだ美しい冬空のもと、微笑んでいたあの娘が自分たちの中から永遠にいなくなってしまっただなんて、とてもじゃないが受け入れられなかった。
今でもこう、すこし手を伸ばせば、あのときの光景が甦ってくるのではないかしら―――そんな思いさえしていた。
俺は無意識に右の掌を太陽へ向けていた。ミミズだってアメンボだって―――たしかあのときの太陽は真っ黒だったはず。
すると空の模様が、そして周囲の景色が、はじめてミカンコと関わったあの日のように、昼夜が目まぐるしく変化して、街の景色をなんども塗り替えてゆくのである。
俺は恍惚と、その情景を眺めていた。
もしかして、ほんとうに、また会えるのかもしれない。
そう狂喜した矢先、ふいに巨獣が体当たりを仕掛けてきたような、すさまじい衝撃が俺の全身を撓わせてくる。
衝撃に耐えかねた俺は見事に吹っ飛んで、校門から遥か向こうの、グラウンド脇にあるツツジの茂みの中にまで飛ばされていた。
何が起こったのか、俺は混乱した頭で目を開ける。
細やかな葉の間から差し込んでくる陽光がすこし翳った、と思ったら、向日葵ちゃんの顔が視界に入った。
ついで、ミカンコ嬢の声がする。
向日葵ちゃんは俺の身体をしっかり抱きかかえながら、お嬢様と一緒にこの顔を覗き込んでいた。
「すこし、じっとしていてくださいましね」
ミカンコは早口にそう言うと、あの不思議な太い筆を胸から引き抜いてくる。
そして右手にではなく、俺の顔の真上でその筆を素早くふるうのだ。
反射的に閉ざしたまぶたを、細くして開けると、宙に描かれた文字がキラと明滅し、上方から一塊となって顔面へ降り掛かってくる。
お嬢様は何をしているのか、外光を背に負うその表情は暗くかげって見えにくかったが、その瞳だけは、金箔を散らしたように綺麗にはっきり輝いていた。
「なんとか間に合いました。悔しいですが、伏見宮も、このために前もって封印を仕掛けていたのでしょうね」
ミカンコはそんなことを言いながら、俺に掛けられた封印をさらに補強すべく、術式を重ねてゆく。しばらくして、補強はこれで十分だと、安堵の表情で吐息をついた。
「ハンチさん、ご気分は、いかがでしょう?」
「いや、べつになんともねーけど、おまえ何やってんだ?」
すると少しの沈黙ののち、太筆を胸に戻して、彼女は気まずそうに簡単な受け答えだけをする。このときの俺の意識は、ちらと覗いたブラの白さにばかり気を取られて、どうにもはっきりしなかった。
「お兄ちゃん?」
そんな俺の様子が気になったのか、向日葵ちゃんまで心配してくる。
「ん、ああ、いや、なんともないぞ」
俺は向日葵ちゃんの胸から起き上がると、強がって力こぶを作ってみせたりした。
冷たい早春のたそがれ、俺はグラウンドの隅っこで、精神の平衡を失ったようにきょとんとしていた。
その俺の背を、向日葵ちゃんの小さな手が支えている。ミカンコは手を束ねて俺の顔をじっと見たまま―――澄んだ瞳が憂いている、その瞳が、いつしか吸い付けられるように俺の右手へと向けられた。
俺はその手を持ち上げて、お嬢様へ差し出してみせる。
「どうした?」
彼女はまじまじと見たあと、少し汚れていますわね、と言う。俺は笑って、手のひらの埃を打ち叩いた。
「なに、俺、気でも失っていたの?」
教室を出てから、ここへ来るまでの道程がさっぱり思い出せなかった。
「そう…、ですわね。向日葵さんが、ハンチさんを見つけて―――」
「ほう」
俺は首をねじって、向日葵ちゃんを見る。
「―――長いこと講堂の中でじっとしていたので、気の抜けたあと、立ち眩みでも起こしていたのではないでしょうか」
「そりゃあ面倒を掛けたな」
そう軽く詫びながら、肩越しに手を伸ばして後ろの娘の頭を撫でた。
ミカンコは眉をすこし寄せていたものの、なにか申してくるわけでもなさそうだ。
「なあ、今日はもう、帰っていいんだろ?」
俺はなるべくこだわらない感じで口を開いた。
そして軽く笑ってみせたのは、悲嘆に暮れる現実に向けて、男の子らしい意地を示したかったからである。
「はい、たいへんな一日でしたから…」
お嬢様も、とくに引き留めるつもりはないらしい。
俺は茂みの上に落ちていた鞄を向日葵ちゃんから受け取ると、軽く手を上げて、校門の方へのっそり歩きだした。
その俺の背の向こうで、お嬢様がこんなことを申している。
「しばらく、お兄さんと一緒にいてくれませんか?」
向日葵ちゃんは「はい」と即答した。
俺は慌てて振り返る。
「おいおい、大丈夫だから、別に無理して付き合ってくれねーでも」
「もちろん大丈夫でしょうが、この娘もお兄さんが気になるでしょうし、ね?」
そんな言い訳めいた弁を用いてまで、お嬢様から心配されてしまったら、そりゃあもう引き受けるより仕方がないのだろう。
俺は笑って、肩から小さく息を抜いた。
「じゃ、一緒に帰るか?」
そう声をかけると、向日葵ちゃんは一足跳びで隣にやって来る。まるでご褒美をもらった子供のように、にこにこしていた。
「では、ハンチさん、また明日に…」
ミカンコはこう言うと、くるりと背を返した。
学校指定のコートを羽織って、その波打つ細い肩の向こうには、いつのまにか慶将がぽつんと待っている。俺が軽く手を上げると、あいつも笑って小さく手を上げ返してきた。
今日はずっと、自分の気持ちの心底まで倦怠と憂鬱でいっぱいになっていたので、慶将の何気ない笑顔でさえ、清々しい生新の気が感じられるほどだった。
作者より:
いつも本作品を読んでいただき、本当にありがとうございます。
誠に勝手ながら、諸事情により当面の間、本作の更新をお休みさせていただきます。 楽しみにしてくださっている皆様には申し訳ございません。
また物語の続きでお会いできるのを楽しみにしております。




