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その奇譚(きたん)、叶えるのは難あり  作者: あみの よもやま
7/43

邂逅するのは、突然に 七

「よく(かわ)したね!」


 ふたたび慶将(ちかまさ)の、(うれ)し気な叫びがする。

「え?」

 このとき、空白となっていた俺の心が動いたのは、ついさきほど内臓の(つぶ)れた痛みを思い出したからである。

 たしか俺は、こいつに腹を蹴られて瀕死(ひんし)のはず。


「いったい、なんで―――」


 しかし呆然とするまもなく、ただちに生存本能が俺をつき動かしてくる。

 おそらく慶将(ちかまさ)はその勢いのままに、このすぐ後、がら空きになった俺の腹を狙ってくるはずなのだ。

 ―――ふっ!

 俺は軽く息を抜き、上体を(ひね)りながら後ろへ跳んだ。そこへ迫りくるヤツの(ひざ)を両手で受け止めつつ、その勢いを利用して、さらに後方へ飛び退いた。

 思いもかけない距離を渡って、俺はひらりと、地に降り立っていた。

「ほっ、うまいものだね」

 感嘆(かんたん)の声がする。

 俺が無言で睨み返すと、慶将は小さく肩をすぼめてみせた。

「てめぇ、今、俺を本気で殺すつもりだっただろ!」

「ころす? 僕が?」

 さも意外そうな口ぶりで、慶将はゆったりとこちらに近寄ってきた。

 夕陽を背に歩む慶将の表情はかげって見えにくいが、妙に楽しそうなのは、その態度から明白だった。


「あれだけ鮮やかに僕の攻撃を()けてくれたんだ。少しくらい本気になってみても構わないだろう。なあ、ハンチ君。ミカンコさんの言う通り、キミは本当に希人(まれびと)なのかい? それとも、以前なにか武術でもやっていたのかな?」

「なんにもやってねぇよ! つうかなんだ、その希人ってのはっ」

 慶将は足を止め、ニヤリとした。

「そうだね、希人とは、言うなればこの世界を変革するような、特殊な能力をもつ稀有な存在らしいけど――――ゲームでたとえるなら、勇者ってやつに近いのかな。でもね、そんなことはどうでもいいんだよ。キミは強そうだ。僕にはそれだけで十分さ」


 そう言うなり、慶将(ちかまさ)跳躍(ちょうやく)し、上方から一塊となって迫ってくる。俺はそれと入れ違うように宙を飛んで、交差した。

 俺が近くに飛んでくるのを見て、ミカンコは慌てて幹に背中をはりつける。

 すんでのところで慶将をやり過ごした俺は――――そう思う? 実のところ、俺はヤツと交差したときに二回ほど、たぶん頭蓋(ずがい)を割られている。そしてまた瞬時に直前まで巻き戻って、続きを行っていたのである。


 ―――また、これかよ!


 いったい、この現実はどうなっているのか。

 こいつらの態度を見るかぎり、俺が致命傷を受けた際、時間が巻き戻っているのをきちんと認識しているのは、俺だけらしい。

 それがそこの危険人物の言う、希人とやらの能力なのかも知れないが、とにかく字義通りに、毎度死ぬようなダメージを喰らっている俺の肉体と精神には、たまったものではなかった。

 これぞまさしく、狂気の沙汰(さた)


「てめぇ、いいかげんに―――」


 こうも命を(もてあそ)ばれる感覚に、恐怖よりも、俺は憤怒(ふんぬ)の方が先に立った。

 こんどは姿勢を整え、慶将を迎え撃つ態勢をとる。

 ブロンドの髪が、ふたたび流れるように俺の懐まで詰め寄ると、下から(あご)を狙ってきた。


 俺の視界にヤツの眼から放たれる閃光がまぶしく映り、そして(あご)をたやすく打ち抜かれ、俺の口蓋(こうがい)からとび散った血煙がその光景をおおい隠す。そしてそれがまた瞬時に巻き戻って、この頬を(かす)めるようにヤツのこぶしが通過するのである。

 そのように、何十回となく、俺は殺されかかった。

 避けど叩けど(のが)れられない状況に、俺は絶望した。


 俺の内側で何が起こっているのか、ただ(たの)しむだけのこいつには知る由もないのだろうが、俺は自分の生にむけて落ちるべく、もう血路(けつろ)(ひら)きにかかるしかなかった。

 ヤツの急所を狙うことを躊躇(ためら)わずに、平気で眼球を突きにかかった。

「むっ!」

 こちらの意識の変化に、慶将もいち早く感づいたようだ。

 死に物狂いの気力が絞り出してくる、爆発的な俺の膂力(りょりょく)に圧倒されて、さすがの慶将もじりじりと後退しだす。

 ただ一方的にやられる、と思われていた状況はすでに一変していた。能力と経験にどれだけ差があろうとも、俺はすでに一刻ちかくも死の狂気に揉まれ続けていたのである。

 気迫などでは、もうこの男に負けるつもりなどなかった。

 その間、ヤツの攻撃が俺にヒットしたのは二一発。そのすべてが、致命傷並びに死亡確定だと思われた。


「おおおおおおっ!」

 このやかましい雄叫びは、俺の喉奥から絞り出されたものだ。

 すべての記憶は臓物の破裂する恐怖と共に脳みそへ叩き込まれ、俺のまともな精神は、すでに崩壊していた。ついさきほどまで、ただ避けるしかなかった人間とは思えないほどの、苛烈(かれつ)極まりない猛々しさが、この全身に(みなぎ)っていた。


「勝負あり!」


 (りん)とした声が、俺の心に『自分』を呼び戻した。

 脳幹(のうかん)のマヒしたような感覚から、やにわに血流を注ぎ込まれるようにして、しだいに意識もはっきりする。あたりを見回すと、慶将(ちかまさ)が樹木の根元に長い手足を放り出して伸びていた。

「もう、いいです。勝負はありましたからっ」

 気づけば、女の細い腕がこの腹に巻きついていた。

「ミカンコ?」

 息を切らせて背後から必死にしがみつくミカンコを、俺はぼうぜんと見つめていた。

 この意識のない間、俺はいったい何をしていたのだろう。ゆっくり首を起こして俺を見つめる青い眼にも、もう戦いを挑んでくるだけの輝きはないようだった。

 それで、俺はようやく終わったのかと思ったとたん、全身にどっとふるえがくるのである。




 もうまもなく、この黄昏の陽も完全に没するのだろう。

 あれから帰り支度を整えた後、ミカンコの家の車が来るまでは、俺も仕方なく校門の隅で付き添っていた。そのあいだ、ミカンコは地べたに座り込む慶将(ちかまさ)をずっと介抱していた。

 結局、慶将の(こぶし)は一度だって俺に触れることすらできずに、この俺なんかが完封したことになっている。

 それを俺は、いまだ納得できずにいるのだった。


「なあ、結局、希人ってなんなのよ?」


 俺はそこのふたりに、躊躇(ためら)いがちに聞いてみた。

「それはもちろん、強い人間のこと、さ」

 肩で息をする慶将から、すぐさま返答がきた。けれどもミカンコは黙って、俺に背を向けたままである。

「まさか俺は本当に、選ばれし勇者とかいうヤツなの?」

 その希人だったときの猛々しい(たか)ぶりは、あのミカンコの一声で、俺の中からきれいさっぱり打ち(はら)われていた。今の俺の精神は本当に、ただの凡人のそれに過ぎないのである。


 ミカンコは無言で立ち上がると、俺の顔をじっと見ていた。長い前髪のかかる瞳には、やや疲労の色がみてとれた。

「ご理解いただけましたか?」

 彼女はそれだけ言うと、また口を(つぐ)んだ。

「り、理解はしたけどよ」

 俺は、ついと眼をそらしてしまう。

 あんなとんでもないことがあったにせよ、なんら身体的証拠の残っていない状況では、まるで悪い夢まぼろしのようである。

 むしろこの、一方的に慶将(ちかまさ)を叩きのめしてしまった現実を見せられてしまえば、そこで悲壮な顔をして介助をするこの女と視線を合わせることが、どうにも躊躇(ためら)われるのだった。


 ミカンコの足元で、慶将は息をするのも苦しいといった顔をして俺を見上げてくる。

「ま、キミには分からないだろうね。僕も詳しくは知らないけれど、それも仕方のないことだと思うよ。なんたって、希人というのはキミの資質とはまったく無関係に降りかかってくる、いわば、災厄のようなものらしいから」

「災厄?」

 いったいなにを言い出すのだろう、俺はこいつの正面にしゃがみ込んで、痛みにしかめる顔を覗き込んだ。

「どういうことだよ」

「いや、僕に聞かれても、答えられないから」

 慶将は、そこではにかむように笑うと、ミカンコの方を見る。

 つられて俺も、彼女を見た。

 さすがにこれを問われて返答がなければ、俺も気が済まない態度であった。


「ハンチさんの、そのご期待には(そむ)きますが――――もうひとつだけ、はっきり確認しなければならないことがあるのです」

 ミカンコはたゆたい、控え目に言った。そして俺に何も知らせずに慶将(ちかまさ)と対決させたことへの、その()び言も添えられた。

 まあ実際、俺がその希人というのは本当のことらしいし、それをきちんと(あば)き立ててくれたことに感謝すれこそ、むやみと(とが)め立てをするわけにはいかない。

 こんな災難にでも遭わなければ、俺は間違いなく、このふたりを頭のイカレたヤバイやつらで片づけてしまっていたのだろうし。


「で、なんだよ。確認したいことって?」


「実は―――」何かこう言いながら、ミカンコは鞄から古い写真をとりだして、俺に差し出してくる。

 その白黒写真というものは、セロファンで密封されていなければ、今にも朽ちてしまいそうなほどにボロボロで、その正面に写っている着物姿の男性の顔も、よく目を凝らさないと輪郭(りんかく)すらおぼつかなかった。

「あなたのご親族の方で、このような方、御存じないでしょうか?」

 こんな大事そうにしている年代ものを、気安く手に取るわけにもいかなかったので、俺はミカンコの手の中のものを(かし)げるようにして眺めていたが、

「いや、さすがに分かんねえよ」

 と、困った顔で首を振るう。

「この(かた)も、あなたと同じように掌紋(しょうもん)の無い(かた)だったのです」

「え、マジ?」

 それでまた、俺はセピア色の写真を覗き込んだ。

 なんだかやたらと姿勢の良い凛々しそうな男性が、むっつり黙り込んで構えている。その背後には、なにか歌きれのような掛け軸が掛かっていて、細首の花瓶に百合(ゆり)の花のさしてあるのが、白っぽく浮き出て見えていた。

 いったい、これはいつの時代に撮られたものなのだろう。

 おそらく昭和の中期以前のものだろうが、なんとも言えない奇妙な感じがするのである。

「これ、いつのもんなんだよ?」

「戦時中の、お写真です」

「戦時中?」

 この国で戦時中と言えば、あの悲惨な戦いしかあるまい。

 華美な日本間で悠々としていながらも、どこか妙に殺気立って見えるのは、そのせいらしかった。


「とにかく、令和の時代に生きる俺なんかにこんなものを見せられてもだなあ…」

 これもまた、至極まっとうな俺の言い分である。

 しかしミカンコは、あくまで食い下がる。

「では、このお写真を持って、ご両親か、どなたかご親族の方に、あなたから聞いてはいただけませんでしょうか?」

 まあ親に聞くくらいなら、俺もやぶさかではないのだが。

「でもいいのかよ。こんな古い貴重そうな写真をさ」

「はい、かまいません。それよりも、あなたのご親族にその方がいらしたという事実を知ることの方が、はるかに重要なことなのです。あなたのその、希人であるという『災厄』を(かわ)すためにも」

 ミカンコは、真剣そうにそんなことを言うのであった。


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