妖精作戦 九
「どこかの国の特殊部隊が―――ええっ!」
やがてやってきた木村氏は、右手で握る銃のマガジン底部にもう片方の手を添えたまま、自分とすれ違いに歩いてゆくお嬢様を見つけ、目を丸くした。
今宵は星の光もまったく冴えず、遠くの山火事が海面におぼろに浮かぶなか、その明かりを受けて、朱墨のような人影がぽつぽつあらわれる。
目を凝らすと、全員が衣服のふくれた感じに前かがみで、足の裏の土踏まずをきっちり地面につけるような、不自然な歩き方をしていた。
そんな連中へ向け、ミカンコは野原に蓮華の花でも摘みに行くような気軽さで、平然と歩いてゆく。
木村氏も思わず幹の影から身を乗りだし、声を荒げた。
「だめです、あぶないですよっ!」
その声はすぐさま鼻先を掠める弾丸によって、悲鳴に代えられる。
―――ティンシァ、ビエトォン!
武装した男たちからの警告が発せられた。
連中は腰をかがめたまま、距離を取ってひとりの少女を半円状に包囲する。
その少女は、あきらかに丸腰であった。
そんな相手になど、わざわざ銃を持ち出さずとも容易く制圧できるはず。しかし殺気に敏感な今の俺には、手に取るように分かってしまうのだ。連中を指揮するあの男は、流血の嗜虐に胸が躍り、歓喜にふるえて踊りださんばかりなのであった。
―――クィシャァバ、ニィレン
大きな銃を構えて、静かに言う。その男へ向け、なにか部下のひとりが諫めるような態度を見せていたが、男はするどく睨みを利かせ、部下を威迫した。
やや困惑しているようでもあったが、他の連中は、その男に従う素振りをみせている。
この俺にしたように、あくまで、目撃者は処分するつもりなのだろう。
お嬢様はひとり、その中心にぽつんと立っていた。
目に見えざる白熱の、その焔の如き憤怒の中心で、ミカンコ嬢は妖しくにんまり笑っていた。
はたして、連中にはあの恐ろしい瞳が見えていないのだろうか。俺自身、今やそのご御稜威にあてられて、全身が石のようになっているというのに。
彼女は肩に流れる黒髪をもてあそびつつ、恍惚と、その焔の瞳で一同を見渡した。
このとき、いったいどんな変化が男たちの身に起こっていたのか。
陰鬱な褐色の夜空の下に、だらしなく落ち着きなく男たちが包囲を乱す中―――それら不快な人影はどこの地へ吸われ去ったのか、忽然と姿を消すのである。
薄明りの下、美しい少女だけが夢のように浮かんでいた。そして閉じた瞼から洩れでる白き焔の名残が、ちらちら仄かに瞬いていた。
いつまでもいつまでも、しんと静まり返っているので、おそるおそる声をかけてみると、振り向く彼女の衣擦れの気配、かすかな吐息。
俺の胸ははげしく動悸を打って、なんとも表現できない魅力に慄いた。
「おわりました」
ミカンコはさっぱりした声で言う。
何が終わったのか、彼らはどこへ消えたのか。燈火の明かりを淡く受けて立つお嬢様は、まるで知らない誰かのようでもある。
「ええと、まだ、たしか別動隊の車も――」
「そちらも一緒に、処分しておきましたわ」
処分て。
彼女はそっと笑うと、さながら徳松のお犬様が俺にのしかかってきたときのように「まあ!」と感嘆詞を放ったのち、
「そんな顔で見ないでくださいな」
と口を尖らせるのである。
そうは申されましても、先ほどまでのミカンコ嬢は、あの姫路城に隠れ住まうと云われる長壁姫を彷彿とさせるほど、なにか得体の知れないものに見えて恐ろしかったし、なにしろ相手は銃器を多数所持している武装集団だ。その顛末を聞かされないうちは、この俺だってたやすく緊張を解くわけにはいかなかった。
「でしたら、実際にご覧になってみてはいかが。ここで私が申すよりも、ご自分の目でお確かめになられた方が、理解は早いでしょうから」
「え、ご覧にって?」
俺は阿呆のような顔になって聞く。
「じつはまだ皆さん、あそこにいらっしゃいますのよ」
ミカンコは、俺と木村氏を手で招いた。
ふたりで彼女の指さす場所へ向かう。そこはとくに珍しくもない、石材を敷き詰めた路面にすぎないところであったが、木村氏は世にも珍しいものを見物するように、まわりを見廻したり、なにかを拾い上げたりしていた。
「これは、服ですか?」
それで俺もよくよく目を凝らせば、この暗がりの中、脱ぎ散らかされた服があちらこちらに散乱している。そればかりか、連中が所持していた銃器まで、無造作に置かれているのである。
「中身は、どこへいったんだ?」
俺はつい、深夜のストリートキングの集団を想像してしまい、自身でげんなりした。
そこへ、ちいさな悲鳴がする。
「ひぃ!」
木村氏の持ち上げた衣服は、まるで脈を打つように動き悶えて、それを慌てて放り投げていた。
「だめですよ。怪我をなされたらどうするのですか」
「なんだあの服、生きてんのか?」
「ホホ…、服が生きているはずもございません」
お嬢様は口元を抑えつつ、静かな笑いを燻らせる。
「じゃあなんだよ、動いてんじゃねぇか」
その服は、まるで生き物が跳ねるようにして、俺たちから遠ざかろうとさえしているのだ。
木村氏は、やや気を取り直して、その服を再度摘まみ上げる。
すると中から何かがするする滑ってきて、石畳の上にぽたりと落とされた。
俺は死者の国のホラーじみた異様で気味の悪いものを想像し、思わず身を退きかけたが、まだ好奇心のほうが勝っていたようである。木村氏の足元をよく覗き込んでみると、柔らかな毛に覆われた生き物が、びっくりした様子で周囲をきょろきょろ見回していた。
「ウ、ウサギ?」
ここでまた、ミカンコ嬢の笑い声が洩れた。
木村氏も安堵をした表情を浮かべる。しかしながら、俺は怪訝に思って眉をひそめた。なぜそこにウサギがいるのか、その根拠を考えると、公園の足元の石畳が冷々と俄かに湿ってきたような気がして、ぞっとする。
「おい、まさかコレって」
「はい。そのまさか、でございます」
ミカンコが意地悪な顔で俺を見る、その彼女はいつの間に、すぐ隣に寄り添っていたのだろうか。ほんとに綺麗な目鼻立ちで、今のちょっと険味のある目つきでさえ、思わず見惚れてしまうほど。
「おまえって、ホントに美人だよな」
俺のそうした返答は、さすがにこの長壁姫も想像していなかったようで、きょとんとしていた。
「なるほど、これが鷺ノ宮の、呪いというやつですか」
木村氏が小腰をかがめて捕まえようとするも、その手をすり抜けるようにウサギは逃げていった。俺が声を上げる間もなく、もう暗がりに紛れて見えなくなるのである。
「なあミカンコ、あれ、ほっといていいのか?」
俺はウサギの逃げていった方を指さして、聞く。
「ホホ、もちろん解呪もできますが、大自然の興に乗じられているご本人が、今もそれを望むのかどうか――」
「でもよ、ここだって野良猫くらいはいるだろうし」
「それこそ自然の摂理というものでしょう」
「うわあ…」
つまりは弱い者の肉が強い者の食料となる世界へ、解き放たれてしまったということか。
なるほど、かねてから古の呪い云々の話は聞かされていたけれど、どんな強者でさえも小動物にしてしまうのである。マジでとんでもねえ特級呪術だ。
いくつか落ちていた衣服を拾ってみたが、中身はなく、皆すでに逃げ去ってからっぽのようだった。
そのうちに様々な緊急車両のサイレン音も響いてくる。木村氏は、慌てて実弾の入った銃器を回収しだした。がやがやと話し声が聞こえて、これからさらに人も増えてくるのだろう、俺も一緒になって手伝った。
本物の銃は想像していたよりもずっと軽いのだけれど、これを何丁も抱えるとなると、さすがに重たくなってくる。
公安の車は破壊されているので、とりあえず、これらをミカンコ達の乗ってきた車へと運び入れた。
銃器を趣味として模型を集めている人からしてみれば、今はその趣味も立派な実用になるのだろうけど、あいにく俺はからっきしである。銃口の向きにだけは気を付けて、一息ついていると、前の座席から向日葵ちゃんがひょっこり顔を出してきた。
「お、動けるんだ」
思いがけず驚いたように声をかけ、この娘の頭を撫でると、向日葵ちゃんは丸い瞳の縁に愛嬌を添えて「お兄ちゃん」と呼んでくる。
その向こうでは、お面を額に上げた丹造さんが満足そうな笑みを浮かべていた。
「今あるもので処置しましたが、希人殿の目から見て、いかがですかな?」
焼けた衣服のことなど、むろん物の数ではないのだろう。大きな災難には違いなかったけれど、この娘が笑顔で無事なのが何よりであった。
「―――ハハ、そうですか。では手が空きましたら、少し力を分けてやってくれませんかね。それですっかり元通りになると思いますから」
「そりゃあもう、今すぐにでも」
俺は二つ返事で引き受けると、丹造さんに感謝し、前の席へ移って、向日葵ちゃんの隣に尻を据える。その向日葵ちゃんは、嬉しそうに微笑むと、俺の膝の上へ力なく倒れ込んできた。
いつものように溌剌としているわけでもなく、燃料切れを起こしているのは本当のようである。
俺はその旋毛へ、右手をパイルダー・オンしてやった。
もう何日か経てば、ここいら一帯も年越しで満艦飾となって、信号旗や万国旗などで飾りたてられるのだろう。しかし、今はまだこの公園も広々として索漠たるものである。
おかげでタオル一枚の娘を横にさせても人目に触れずに済んでいたが、だんだんと外も騒がしくなってくる。木村氏も、物騒なものはあらかた回収し終えたとみえて、今は縁石に座って肩で息をしていた。
外からミカンコが呼んでくる。
「ハンチさん、あけてくださいな」
この車の内装はなかなか豪華な様式で、木目のある枠のスイッチを軽く押すだけで、ドアは音もなく開かれた。さすがは資産家の車である。開くとすぐ足元にステップがあり、目印に蛍光の白い線が引かれてあって、踏み誤らないようにしてあった。
そこへお嬢様がおみ足をのせて、中へ入ってくる。ひんやりとした冷たい空気の湿気とともに、なにか心の安らぐ香の匂いのようなものが漂ってきた。
そのまま、彼女は俺の隣にすとんと納まった。膝には向日葵ちゃん、そして横からは制服姿のお嬢様が身を寄せてきて、じつに不思議な気分である。
「私も、そろそろ動けなくなるようですので、この身体、お預けしておきますね。よもや変なことはなさらぬと思いますが」
ミカンコは典雅な含みのある笑いを、ひとつ俺にしてみると、「では――」と姿勢を正したまま、そっと目を瞑った。
そこへ、運転席で細かな器具の後片付けをしていた丹造さんが、振り返ってくる。
「総代様、時間もぎりぎりでしたな。はじめて動かしたにしては、よくもったものですよ」
しかし彼女からの返事はない。
束の間、今の世を忘れさせるような沈黙が流れた。
丹造さんは照れくさそうに笑って、肩をすぼめてみせる。
「もう、行ってしまわれたようですな」
「はあ…」
俺は曖昧に頼りなく返事をしてみせたものの、あの無くなった時間の中で見せられた現実を知っていたので、あらかた察してはいたのである。銃弾をいくつ受けても、このお嬢様はまったく怯むことをしなかったのだから。
「やっぱり、学校で拾った、あの傀儡なんですか?」
「ええ。向日葵さんほどではないですが、あまりにも精巧な造りのために、総代様もたいへん惜しまれて、壊して火廣金を取り出すことはせず、ならいっそのこと、動かしてみようかという運びになりまして―――私もご注意申し上げたのですが」
一見、冷たく距離を置いているような態度をみせながらも、ふいに優しい情感を、それこそ親身になって示すような、そんな気まぐれなお嬢様なのである。丹造さんも、俺のその評価にはおおいに賛同していた。
傀儡に自らの意識を降ろすことなど、もう指先を動かすよりも容易いのだろう。なんたって古式ゆかしき鷺ノ宮、その名にし負う「巫女様」でもあるのだし。
そこへ、話しに夢中になってすっかり置き忘れていた子が現れる。
「ふむ、行ったようじゃな」
「おや、やっと帰ってきましたかい」
俺はつい、そんな相槌を打っていた。
お菓子が大好きでうっかり者で、その可愛いお口を開くだけでも親しみが持ててくる。先ほどまで大変だった俺は、いっとき射殺されたことまで忘れて、もう座席でくつろぐ心地だった。
俺は手を伸ばし、ドアのスイッチを押して窓をさげた。
冷えた空気とともに車内へ入ってきたちびっこ神さまの翅が燦然と輝いたと思ったら、またすぐに落とされた。その翅は、感情に伴っていろいろ変化するものらしい。
そしてこの子は、ミカンコ嬢そっくりの傀儡の肩にとまると、しげしげ見入っているのである。
そんなものをいきなり見せられた丹造さんは、ちょっと目を丸くして、いざというときの糧食としての携帯用ドロップ缶を、恭しくイオっちに献上したりした。おそらく丹造さんとしても精一杯の歓待を、このちっちゃな神さまに示したかったのだろう。
「うむ、おぬしも分かっておるな」
そのお手々で器用に蓋をポンと撥ねると、もう逆さにして振るっている。いったい何が分かっておるのやら。
「ところで、アレはいったいどうやったんだ? なんか翅だけになっていたけれど」
俺は向日葵ちゃんの背中にくっついていたときのことを思い出し、聞いてみた。
「ミサイルの蓋をちょっと壊したら、うっかり自分の身体まで消し飛ばしてしまってのう」
「へえ、自分の身体まで…」
おいおい平気なのかしら。この神様には、俺たちの常識などまったく通用しないようだけど。
「それで、海で材料を集めて作り直したというわけじゃ。なんぞ分からんことでもあるか?」
「いえいえ、もうばっちり、大丈夫です」
そこのイオっちは、ちっちゃなお口で赤いドロップをばりばり噛み砕いて平然としていらっしゃる。俺はあえて追及することはせず、眠気のある頼りない思考のリソースを、もうミサイルの方にだけ振り向けることにした。
「でも、なんで向日葵ちゃんをミサイルに入れて打ち上げたんだろね」
「私らの手に届かんように、とりあえず自分たちの領土へ向けてぶっ放してみたのではないか?」
「ちと豪快すぎね?」
「それだけ慌てとったんじゃろ。なんせやつらの基地では、あんなこともあったわけじゃしな」
「ああ、あの、イオっちのせいで――」
するとイオっちは心持ち、目を白黒、口から風邪をひくとはこのことである。余計なことは言うものではない、まったくせっかちな慌て方―――俺は面白いので黙って見ていた。
「ま…、まあなあ。私らも、この女狐めの姉妹喧嘩だか何だかに付き合わされて、往生しておるんよ」
イオっちはミカンコそっくりの傀儡を指さして、そんなことを申し立てた。
「姉妹喧嘩って?」
「部外者の私から見よったら、鷺ノ宮も伏見宮も、みな同じようなもんじゃろ」
そうした逃げ口上を言う神さまは、どこか愛らしく、いつからこの世にいるのか知れないが、まだまだ子供のような明るい伸びやかさに生きているように思われて、たいへん微笑ましかった。
そしてまた、缶からドロップをころころ取り出すのである。
先生からの要請があって、ようやく所轄の応援部隊が現れたのは、それから十分ほど経ってのこと。しばらく深夜の不規則な活動が続いたので、俺も明け方の疲れにはひどく参っていた。
その後も、またなんだかんだと種々のご相談が持ち上がっていたようだけど、いずれも寝てしまった俺の知ったことではない。
東の空に陽が昇るころになって、やっと自分の家へ帰された。
部屋へ入ると、なぜだか俺のベッドで陽葵ちゃんが熟睡していらっしゃる。
俺はそのほっぺをかるく突くと、もうそのまま、妹の布団に身を潜り込ませて寝てしまうのである。




