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その奇譚(きたん)、叶えるのは難あり  作者: あみの よもやま
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妖精作戦 八

 ちいさな神さまから頼まれたことを、俺はひとこと木村氏に伝えた。

 その人は笑顔で返事をすると、ひとまず車に戻り、後ろのトランクを開けて荷物をひっくり返す。さすがに女子の服は用意していないが、大判のタオルくらいなら常備しているそうである。


 まだ波間に姿は見えず、遠くの山の燃えている火だけが、岸壁に砕けて泡と散る波がしらに赤く映っていた。

 やがて、公園の続きにある海上自衛隊地方総監部の建物も騒がしくなってくる。停泊している護衛艦の燈火がみるみる増えて明るくなった。

 俺は公園にある操舵輪型のオブジェの横を駆け抜けて、湾内の見晴らしの良い場所に立つ。まだあたりに人影はなく、今のうちに現れてくれないものかと、気を揉んだ。


「ここじゃ!」


 そこでようやく、お待ちかねのイオっちの声である。

 俺は欄干に腰をひっかけ波間を望むも、暗い海の中、どこにいるのかさっぱり分からない。しかし二度目の声で、力なく俯いた裸身の少女が、すぐ足下の岸壁に半身をもたせかけているのを見つけるのだった。

 俺は諸手を振って、ミカンコたちを呼んだ。

 その間、向日葵ちゃんの背中から生えたイオっちの小さな翅が細かく震え、岸壁を伝うように登ってきて、また静かに降ろされる。

「はぁ…、どうなってんの?」

 俺は感心した目でその様子を見ていた。

 腕に肩に焼け焦げた衣服が張り付く中、その向日葵ちゃんの真白い肩甲骨のあいだから、艶やかな藍色の翅がちょこんと飛び出ていた。本来ある空力特性をどんなに効率化したとしても、人の手などでは、そんなちいさな翅でこの娘の身体を浮かせることなど不可能である。


「ちょっと海で材料を集めよるから、後はおまえに任せたぞ」

 その翅から直にイオっちの声がすると、ぽろっと背から剥がれて、そのまま岸壁の外へ落ちてゆく。

 俺は向日葵ちゃんの身体を抱きかかえながら、下の海面を慌てて覗いた。

「おいおい、イオっちさんよ!」


 俺があたふたしていると、ミカンコが向日葵ちゃんを奪うように引き取って、その裸体にタオルをくるくる巻いた。それから俺を軽く睨めてきて、この()にも自我はあるのですから、と小言のようなことを申すのだ。


「ああ、わりぃ。でも、まだ意識はねぇみてえだけど、大丈夫か?」

 向日葵ちゃんはずっと首を俯けたままで、俺がそう心配するのも当然である。今はエネルギーが枯渇しているのか、自己保全機能が働いているのだという。

「じゃあどうすンだ? 俺の右手をのせれば良い?」

「まだ待ってくださいな、そのために、わざわざ丹造さんを連れてきたのですから」

 そして呼ばれたその人は、傀儡の身体を抱えると、この場から離れて少し歩いたところへゆく。そこには公園の樹木に隠されるように、一台の背の高いオフロード車が停まっていた。

 いつものようなセダン車とは違って、俺好みのなかなかスポーティな車体である。お値段もそれなりに高価なもので、北アフリカなどでは、これにオプションとして二十ミリ機関砲なども搭載される。


「へえ、こんなところに停めていたのか」

「ええ、総代様はこっそり静かに、目立たないようにとの仰せでしたので」

 丹造さんのその声は、やや(かす)れはしているものの、加齢を感じさせないしっかりした声音であった。

「どうなされますか、丹造さん。この娘を診るのに、もし間に合わなければ警備も呼びますが、父の知人に頼めばすぐですよ」

 お嬢様は、なにか気がかりな様子であったが、ご老人はちいさく笑って首を振るった。

「それには及びませんよ、総代様。なにより目立ちますし、この場で意識を起こして自己修復させた方が早いでしょう。今は用心のために自閉状態にあるようですな。先ほどの騒ぎもたいへんなものでございましたから」


 丹造さんが向日葵ちゃんを頭から後部座席に入れるのを、ミカンコが反対側のドアを開けて手伝っていた。

 俺にもなにか役割はないものかと、後ろでうろうろしていたが、向日葵ちゃんは極めて精巧な少女型の筐体を持った傀儡(くぐつ)なのである。男子である俺が下手に手を出そうものなら、妙な顰蹙(ひんしゅく)を買いかねなかった。


 処置はまず、繊細な感覚器官から優先して行われた。

 たった今、湾内のひとつの山が焼き払われていることなど、まったく与り知らぬとばかり、この丹造さんは、紙縒(こよ)りの先に白い金属片をつけたようなものを、向日葵ちゃんの眼や耳付近にぺたぺた張り付けてゆくのである。

 その金属片は、向日葵ちゃんに触れるや、すぐさま茶褐色に変色していたが、中には変化のないものも幾つか見受けられた。


「ふうむ、もし希人殿の力を無理に注ぎ込もうものなら、神経経路の一つでも焼き切れていたかもしれませんぞ」

 丹造さんは物騒なことを言って俺に振り返ると、少しお面を上げて、素顔をちらと見せてくる。その顔には老齢を示した深い(しわ)がいくつも刻まれていたが、双眼はなにか若々しく、職人らしい精悍な感じであった。

「あの、どうかよろしくお願いします」

 俺が頭をさげて頼み込むと、丹造さんはまたうってかわった茶目っ気のある笑顔を見せて、片目を瞑ってみせた。

「希人殿には、たいへん大事にしてもらっておるそうで、傀儡(くぐつ)師としての冥利に尽きますわい。御安心なさい、(ワシ)がきちんと直してみせますから」


 座席の後ろに向日葵ちゃんの顔をあおむかせ、その感覚器官の処置を行っている丹造さんの隣で、お嬢様はその助手となって、まめまめしく器具の設置その他を手伝っていた。

 ミカンコたちは、処置が終わり次第、この場を離れたいという。

 なら、なぜさっさと安全な場所へ移動せず、向日葵ちゃんの起動を第一に優先させていたのか。



 湾の向こうの山火事を見つけて、だいぶ見物人も増えてきたようだが、公園の物陰に隠れる俺たちに気を留める者などなく、今も静かである。

 ところが俺だけは不思議と、身体が固くなるような緊張感を周囲の空気から感じとっていた。

 本能的に暗がりへ目を投じたが、なにも異変は見られない。

 これはどうしたことか、先のお嬢様たちのときもそうだったが、俺は気配というものにやたらと敏感になっていた。


 ふと、花壇のある向こうの方で、なにか大気の揺らぐ感じがした。

 山火事を見物に来た幾人かが途中で足を止め、あたりを見回していたが、なにも見当たらないのか、気にせず歩き出す。

 それと入れ替わるように、木村氏がやってきた。やや小走りに、その表情は緊張感に包まれて、絶えず周囲に眼を配っていた。


 ―――木村さん?

 どこか違和感を感じとった俺は、車のふたりに声をかけ、そして木村氏に近づいてゆく。

 その俺の足を、手で抑えるようなジェスチャーで止めた木村氏は、近くの太い幹に身を隠して、後ろをうかがうのだ。手にはP230、小型のセミオートピストルを構えて、俺をぎょっとさせていた。

「こちらの車は壊されました。はやく逃げてください!」

「壊されたって…」

 俺は木村氏を見て、そして丹造さんの方に振り返って、慌てて駆け出す。なにか俺の手に負えないヤバイ事態が進行しているらしい。


「丹造さん、ミカンコっ!」

 丹造さんはそれでも作業の手を止めず、下を向いたまま、細いワイヤーのようなものを手繰って、棒のようなものに巻き付けていた。

「はっは、少し間に合いませんな!」

 そう焦りながらも、愉悦さえ感じさせるような口調である。

「私が出ましょう」

「しかし総代様、そちらの筐体(きょうたい)は調整がまだ――」

 丹造さんは立ち上がりかけたミカンコ嬢の腕をつかみ、じっと仰ぐ。それから俺の背後へ視線を移した。そこへ……。


 影めいた小路の向こうに、複数の人影があらわれた。一見、ただの市民とも受け取れるような出で立ちであったが、やや腰をかがめた滑らかな脚運びが、あきらかに他とは異質であった。


「あれはきっと、どこかの特殊部隊か何かですよっ。米国でも、もちろん日本でもありません!」

 そう叫んだ木村氏の周囲で、なにかが爆ぜる。彼は小さく悲鳴をあげて首を引っ込めた。

 発砲音は聞こえなかったが、今のはまちがいなく銃撃だったはず。


「間に合わないのであれば、私が――」

 お嬢様たちは、当初から何者かに付けられているのを知っていたようである。

 こちらの逃走を防ぐためか、公園へ乗り入れたその出口には、すでに不審な車両が塞ぐように横付けされていた。

 左右のドアが開き、そこからサプレッサー付きの短機関銃を手にしたアジア系外国人が、次々と路上に降り立ってくる。

 これは、プロによる明らかな襲撃だった。

 しかし何を思ったのか、ミカンコはその襲撃者たちをぎゅっと睨むと、傀儡師の手を振りほどいて、自ら彼らの方へ歩き出すのだ。

 それを見て、俺は慌てて駆け寄った。


 ―――おいっ、こいつら銃もってんだぞっ


 とした瞬間、俺は足を滑らせ、宙に浮いていた。

 取り巻きつつあった襲撃者たちの間から、発火炎がちかちか瞬く。

 乾いた薬莢の落ちる音と、俺が頭から路上に倒れ込んだのは、ほぼ一緒であった。

 俺は額の痛みに顔を顰めながらも、ぱっと目を上げる。

 ミカンコになにか言おうとしたが、声が出ない。それどころか息もできない。

 自ら仰向けになって、なんとか言葉を発しようと大きく口を開けるも、その行為は、ただ細かな痙攣(けいれん)となって舌先を震わせるだけだった。


 俺は(のど)に非情な(かつ)を覚えた。両手で喉元を掴むと、手ごたえなくぬるっと滑った。鎖骨のあたりにあった血だまりが、地面に(こぼ)れてどんどん広がってゆく。ズドンと激痛が脳天を貫いた。それで俺は首に致命傷を負ったことを知るのである。


 意識が遠のきかけたが、気力だけで堪えて、かっと眼を開ける。ミカンコの悲痛な顔がすぐそこにあった。彼女のふるえる唇から、かすれた声が聞こえた。普段はつんとお澄まし顔のこのお嬢様も、意外と情にもろいのである。この俺なんかに、そんな辛そうな悲しそうな顔を見せるだなんて―――。

「そのまま、動かないでくださいまし…」

 そして俺を横たえると、気丈にもミカンコは立ち上がる。頭や胸に銃弾を受けるたび、その柔らかな上体が小突かれたように揺れていた。けれどもお嬢様は不思議と意に介さず、ごぼごぼ血を吐く俺の最期を見届けながら、ただ指先を軽く回してみせるのである。

「また戻りましたら、そちらの私には容赦(ようしゃ)なくと――」


 ―――ハハッ、わあったよ。


 そのときの俺の壮絶な笑みは、生命を()しての徒花(あだばな)でもあった。

 その表情の中には、あらゆる怒りも喜びも血も肉片も心臓も―――俺のすべての捧げものが盛られていた。


 やがて身体の感覚は消失し、暗くて冷たい静かな、たいへん静かな沼底へと、すうっと落ちてゆく―――そしてまた、再生するのである。


 こうした感覚に、俺は未来永劫、慣れることはないだろう。

 まるで(さなぎ)から羽化したての蝶ように、どくどく脈打って神経がくしゃくしゃになった翅の隅々にまで行き渡るような、この不思議な感覚というものには。

 してみると昆虫というものは、我が身を滅してまた新たに再生する劫﨟(こうろう)を経ることで、生を(つむ)ぐものなのか。

 そうして説かれる諸法では、万物が不生にして不滅、不垢にして不浄、不増にして不減なり。

 なるほど今の俺にとっては、ひどく共感できる説法である。


 さて、そうして俺は再び生命のある世界へと舞い戻ってきた。

 街灯の明かりを眩しく眼底に受けて、俺はぼんやり立っていた。

 そこへ、肌がぴくぴくと警告してくる。

 今も微かに覚えているこの感覚、はっと思い出す、これは俺をあれほど苦しめ(さいな)んだ、黒い不審者たちからの殺意ではなかろうか。


 ともあれ、端から発砲してくるとは物騒すぎる(やから)である。狙いは間違いなく傀儡ちゃんだろう。米国がそうであったように、その黒い不審者たちも古色蒼然(こしょくそうぜん)たる鷺ノ宮家の宝物(ほうもつ)に、相当な関心事を見出しているようだった。


「おいミカンコっ、これから、なんか特殊部隊みてぇなヤベぇ集団がすぐくるぞ! 警告もなしにいきなり発砲してきやがる」


 唐突な俺の言葉に、向日葵ちゃんの処置をしていたふたりははっと顔を上げた。そしてミカンコは、俺の言動から何かを推察するや、丹造さんと顔を見合わせて、こくんと頷く。

「ああ、それから、あっちのおまえからの伝言な。容赦なくやってくれってよっ」

 俺は思い出したように付け加えた。

「あっちの私―――?」

 すると、お嬢様の瞳の中に、突如、するどい光が(とも)される。

 あの清楚で品の良い控えめな感じの瞳の中に、強くも猛々しい「憤怒」の(ほのお)が現れ出るのである。

 そうした感情を、今までひた隠しに抑えつけて秘められ(はぐ)くまれた高貴なお(ひい)さまは、その(さが)がいったん解放されるや、晴々とおおらかに妖しい瞳を輝かせるのだった。


「ホホ、この私がそこまで言うのでしたら―――ですがハンチさんも、よっぽどの酷い苦しみ方をなさったのですね」

「まあ、な…」

 そりゃあうっかり首なんぞへ銃弾を続けて浴びようものなら―――たしか俺の場合、頸動脈もぶち切れていたはず。だから血が吹き出して止まらなかったのだろうし、まったく喋れなかったのも、喉仏(のどぼとけ)軸椎(じくつい)まで粉砕されていたからで、ようするに、首の半分がズタズタになっていたのだ。

 ホントにひでぇ死に方を(さら)したもンである。


「どうしたのですか?」

「いや、思い出したら、なんだか気持ち悪くなってきた…」

 背を丸めて吐き気をこらえる俺に、ミカンコが微笑みかけてくる。

「気をしっかりなさって。そのために今、私が全身の血を湧かしているのではございませんか。ですからハンチさん、この私のすることをご覧になっても、決して嫌いにはならないでくださいましね」


 おしまいに笑みを見せていたのは、なにかの弱気のつもりなのか、俺は心持ち目を白黒させて、闇に向かい行くお嬢様の後姿を見送るのだった。


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