妖精作戦 四
俺は椅子にぐずぐず崩れて、ため息をついていた。
本日は陽葵ちゃんも、カップ飲料の斬新なトッピングを楽しんでいるようなので、俺もどう身を置くべきなのか悩んでしまう。
かつてなら、妹を放ってでもプリプリ怒って席を立っていたのだろうが、今はそういうわけにもいかなかった。
この妹が何も知らずに、翠ちゃんとお喋りしながら、ときおり楽しそうに身体を揺すらせているのを、こうして俺が安堵の気持ちで眺めていられるのは、いままで数々の危機を必死にくぐり抜けてきた、そのご褒美でもあるのだろうし。
お嬢様いわく、「あなたの妹さんには今の時代の女子にあたりまえのように備わる女性的な狡知が一切なく、その感じは幼くても、表も裏もない純粋な心持ちが強くあって、私はそれをたいへん快く思っているのですよ」だそうで、俺はそれをただの天然と思っていたが、してみれば、そうした精神の根っこが強い妹でもあったからこそ、あの酷いイジメを乗り越えることができたのかもしれない。
それに加えてまた、悲惨な墜落事故まで起きるのである。
ほんと、そうした災難の連続に、よくぞここまで無事に生き延びてこられたものだと、俺は感嘆の念を禁じ得ないのだ。
思うに、陽葵ちゃんが元気に存在しているこの時間軸というものは、過去の俺にとっても現在の俺にとっても、まるで夢のような奇跡のような未来であったにちがいない。
そんなことをぼんやり思って、もう仕方なさそうに苦笑している俺の顔を、翠ちゃんが不思議そうに見てくる。
何を思うのかその娘は、こちらと目が合うとずいぶん慌てた様子でいたので、俺もちょいと目が離せないでいたが。
そこへ、この俺の視界をぬっと遮って、髪の短いジャージ娘のひとりが、険しい表情で睨みつけてくる。
「ねえ、あなた、大丈夫? この男に変なことされてない?」
「いくら奢ってあげるといわれても、危険だよ!」
「こいつきっと、女の子の身体が目当てなんだからさあ」
そんなことを言って、妹たちを仰け反らせていた。あの翠ちゃんでさえ、度を失ってたじろいでいるのである。
「うっわー、なんなんだよ、おまえら突然、失礼だなあ!」
この失敬なジャージ娘の一団を俺が叱責するも、女どもはあくまで平然として落ちつきはらって、
「女の敵からこの子たちを守ってるのっ!」
もう月に代わってお仕置きをするつもりで、たいしてない胸をふんぞり返していた。
「いったいだれが女の敵だよっ、勘違いにもほどがあんだろ!」
このわからんちんどもを前に、俺は胸を搔きむしられる思いで、苛々。
そこへ、颯爽と翠ちゃんからの擁護の手が入る。
「そうですよっ、お兄さんはただのお尻愛好家なんですから!」
「おいきさま、ちょっと黙ってくれません?」
そんなんだから、ジャージ娘たちの頭はますます石のように固くなってしまって、俺が何を言おうとも聞き入れず、まったく歯噛みをする心地。目を丸くしている陽葵ちゃんを見つけて、
「いやそもそも、この子は俺の妹なんだから――」
と、そこに一縷の望みをかけてみせるも、「妹プレイなんかをさせていたの? 最低っ!」などと罵られる始末なのである。
とはいえ、こう死に物狂いの抗弁をしていると―――よけいな心配なのか、ただむやみと焦っている俺がそそっかしいだけで、妹がきちんと喋りだすと、ジャージ娘の一団も、ようやく自分たちの方がおかしいことに気づいてくる。
「で、でも、あなた、お兄さんとぜんぜん似てないよね」
まだ済まないのか、妹へ向けては容姿についての質問が続いた。
それでも陽葵ちゃんがきちんと返答をすると、お互い顔を見合わせて、ばつが悪そうに舌打ちをするのだ。
「おぅら、てめえら、ごめんなさいの言葉は?」
俺は巻き舌になって、今にも怒りだしそうな笑顔をわなわなと震わせて、ジャージ娘らに謝罪を求めた。
「何言ってんの、世間様に誤解を与えるような顔つきで生まれた、キミが悪いんじゃん」
「そうそう、私たちは悪くない。未然の犯罪を未然に防いだだけなんだし」
わけの分からん理屈を用いて、まだ自分を弁護しくさる。
どうもこいつらは、あれだけの中傷をしておきながら、その後の責任をいっさい取りたがらない、オフィスの給湯室で常にたむろをしているような人種らしいのだ。
こうなったらもう、その大小ある尻をテーブルの上に一列に並べて、端から順に嬉しくひっぱたいても、俺はなんら法に触れることなく済まされるのではないかしら。
そう思い始めた矢先―――
店の外で、ひゃーっという吃驚の叫びが響き渡った。
間髪をいれず、光と爆音に建物自体が揺さぶられる。
いっとき、俺は身体が左右に持っていかれる感覚までした。
やや遅れて、悲鳴や怒号がする。
電線でも切れたのか、店内の明かりがいっせいに落とされた。
「伏せてろっ」
俺は鋭く叫んで、身をかがめた。
普段から避難訓練をよくする義務教育の方が、俺ら私学よりもいくらかマシなようで、妹たちは早々にテーブルの下へ避難していたが、たいへんなのはジャージ娘たちの方である。
俺は頭を抱えてパニックになっているこいつらを伏せさせて、とにかく窓から遠ざけた。
こうした場合、ベイルート港で発生した爆発事故のときのように、窓ガラス付近にいるのがいちばん危ないのである。
その考えは的中したらしく、つぎの爆発で、分厚い窓ガラスは粉々に砕け散り、テーブルの上へと一斉に降りかかってきた。
我ながら、非常時なのによく冷静でいられるものだと感心する。
これもまた、何度も死にかけては繰り返してきた、希人による臨死体験の賜物でもあるのだろう。
外がすこし静かになってきたところで、周囲の皆に声をかけた。
「おいっ、落ち着いて避難するぞ!」
ジャージ娘たちが膝を震わせながら階段を下りてゆく中、妹が振り返って俺を見てくる。こうしたときは、お兄ちゃんである俺こそが殿を務めなければならない。そう思っていると、まだ残っているサラリーマン風の男性らに、先に避難するよう言われる。
「いや、でも…」
「大人の俺たちが最後じゃないと、きまりが悪いだろ?」
それで、もう左右から妹と翠ちゃんに腕を取られるのだ。
「いくよ、お兄ちゃん!」
ふたりに引っ張られながらも、俺は一度だけ上の方を振り返っていたが、それもわずかのことだった。
再び、大きな音とともに建物が揺さぶられる。
けれども、その音は最初と違って、だいぶ遠くから発せられたもののよう。
下へ行くと、店員が非常扉の方へ皆を誘導していた。シェルターを兼ねた外の地下街の方がより安全なのだという。
―――また、飛行機でも落ちたのかな?
―――あっちで、だれかガス爆発って言ってるけど?
皆が一団となって路地を渡っているところで、俺は足を止めた。幅の広い車道に停まっている車から、俺を呼ぶ声がしたからである。
「こちらですよ!」
砂埃のたつ乾いた空気の中から、地味ながらもよく透る声が俺たちを呼んでくる。
その聞き覚えのあるおじさん声は、もう見ないでもわかる、あの木村氏だろう。
俺たちの無事を確認すると、すぐさまどこかへ連絡を入れていた。
―――はい、いま彼を保護しましたが、どうも、火元は地下空孔のようで…。ええ、そうです。
駅のロータリー前に敷かれた片側二車線の国道を、青信号なのを幸い、車は加速しながら抜けてゆく。
駅前の方もさぞや騒然としていることだろう。
車窓の向こうではクラクションを鳴らし、窓を下げて派出所の警察官に尋ねているタクシーの運ちゃんも見受けられたが、その警察官も何が起きているのかわからず、困惑しているようだった。
「お嬢さんたちも、ご無事で何よりです。状況はわかりませんが、とにかくこの場からは離れましょう。それから各々、ご自宅の方へ―――」
まだ興奮の冷めやらぬ中で、木村氏の呼びかけにふたりの娘が小さくうなずいた。その木村氏と面識のある俺が、ふたりの娘へ向け、「この人は、うちの部活の先生の…」と、簡単な説明をするのである。
「あの、木村さん、これいったいなんの爆発なんです?」
「私にも解りかねますが、どうも地面の下で何かあったようですよ」
「地面の下?」
「先程、爆発と同時にマンホールの蓋が高く跳ね上がって行くのを、私も見たものですから」
「うわ…」
俺はその光景を脳裏に描き、爆発の規模を想像する。
「電柱をなくすため、このあたりの地下には電力線や通信線などをまとめて収容する電線共同溝などが張り巡らされておりますから、そこにガスが溜まったところで、ネズミかなにかが齧ったのではないでしょうか」
報道機関を納得させるための話ならば、それだけで十分なのだろうが。
「そうなんですか」
俺はまったく信じていない顔で、ヘッドレストから覗く木村氏の薄い髪を見つめていた。
とはいえ、この場であれこれ詮索するつもりはない。今は妹たちが無事なだけで十分だった。
帰宅後、ニュースでは駅のホームからも煙が上がっていたと伝えられたが、そのままとくに問題なく鎮火されたようである。
ネットに投稿された映像を見てみると、近隣の商舗には消火用ホースが幾重にも伸ばされて、まるで黒光りする大蛇のようにうねっていた。電気系統による再発火を恐れ、消防隊もそのまま一晩明かすという。
この俺も、妹たちへの責任を持つだけに、本日の一部始終を大人たちへ説明しなければならなかった。それで居間に行くと、これから翠ちゃんの親父さんまで来るというのだ。
岡本一派の虚言に騙されて、かつてこの俺をサッカーチームから追放してくれた人だけに、いったいどんな顔をして俺の前に立つのかと、興味津々で待ち構えていたものの、あの監督は何のこだわりもなく玄関に現れてくれるので、俺もすっかり拍子抜けだった。
「お兄ちゃん、ごくろうさま」
大人たちからの質問攻めにあって、疲労困憊のていで自室に戻ってきた俺を、妹が労ってくる。
「うちの親、大変だったでしょう? 娘の事となるといつも大騒ぎするの」
翠ちゃんの声も、珍しく本心から同情する感じだった。
このふたりがあまりにも自然に部屋にいてくれるので、俺はベッドにひっくり返ってからも、気づくまでにちょっと時間が掛かってしまった。
「おいおい、ふたりとも何で俺の部屋にいんだよっ」
とくにそこの翠ちゃん、そのまま自宅まで送り届けるつもりだったのに、本人は気が変わったとかで、家まで一緒についてきてしまったのである。おかげで因縁あるあの監督とも会わねばならず、こちとらエライ迷惑なのだ。
「えー、べつに良くないです? お父さんなにか変なこと言ってました?」
「いや、言ってねーけどさ」
ほんと、あの監督はあまりにも平然としてくれるので、その間、俺はずっと困惑しっぱなし。
そんな話をすると、翠ちゃんはなにかに気づいたようにポンと手を打った。
「あ、それですね、ひょっとしたらうちのお父さん、あのときのお兄さんだと気づいていないかもしれません」
「え、どゆこと?」
「お兄さん、小学生の頃と比べて、けっこう顔立ち変わっていますよね?」
「つまり、イケメンになったってことか?」
「いえ、ちがくて」
それで、俺は妹にもこの凛々しい顔を振り向けてみせる。
「俺、そんな変わった?」
「さあ?」
「そりゃあ、毎日顔を合わせている兄妹だから、分らないかもしれませんけど―――」
翠ちゃんは笑っている。
「お兄さん、毎朝きちんと自分の顔を鏡で見てみたらどうです? そんな緩んだエッチな顔じゃなくて、もっとこう引き締まった感じでいたら、少しはモテるかもしれませんよ」
「ほっとけやっ」
俺がガーッと両手を上げて襲うようなそぶりを見せると、翠ちゃんは可笑しそうに小さく悲鳴を上げて、陽葵と一緒に隣の部屋へと避難する。
「いったい誰が、エッチな顔だっつーの!」
などと憤慨しつつも、以前に妹がくれた手鏡のなかの自分を覗いて、ついつい百面相をしてしまうのも、やっぱり多感なお年頃でございますので。
下では、大人たちが今日あった騒動の空気を和らげるために、いろいろ話題を工夫しているようだった。
幸いにも皆が無事で済んだのである、ここでまた俺が参加するよりは、大人たちだけで会話をさせた方がより面倒はないのだろう―――そう考えて、麹屋の父娘が玄関に立つまで、俺はとくに何をするでもなくスマホをいじっていた。
夕方の帰りしな、再び呼ばれたので下へ行くと、どうしたわけか、その親父さんがむやみやたらと俺に頭を下げてくる。
翠ちゃんはじっとその様子を見つめていたが、ふっと笑って、
「お兄さん、私からも言い聞かせておきました」
などと、可愛らしく片目を瞑ってみせるのである。
こりゃまた余計なことを―――と、思わなくもなかったが、しっかりお腹に力を入れて、自分から取りなしてみせると、親父さんもほっと安堵をして、
「今日は娘にずいぶん怒られてしまってね。あのときは、ほんとうに不甲斐ない監督だった。申し訳ない…」
俺なんかに深々と頭を下げてくる。多少の嫌味も覚悟をしているようだった。
「いえ、いいんですよ」
俺は笑顔で応対する。
そんな古いこと、もう解決した話でもあるのだし。




