妖精作戦 三
俺が中学へあがって、まだ間もない頃。
陽キャとはとても言い難い俺は、目つきの悪さも手伝ってか、ヤンキー予備軍などと陰で囁かれることも多かったが、ある日の朝、そんな俺のいる教室へ大勢の上級生たちが押しかけてきたことがあった。
その彼らは、教室にいる生徒たちを脅しつけながら、大人しく座っている俺のまわりへ集まってくる。
俺は内心、ひどく怖気ながらも、がんばって虚勢を張って、身体の大きな連中と対峙した。
「よう、おまえが半田か?」
「そ、そうだけど、何の用だよ」
聞けば岡本という男からの指示で、俺をサッカー部に誘いに来たのだという。
この上級生たちに面識はないが、その岡本というのには覚えがあった。なんたって俺が追い出された、あのジュニアサッカーチームでやたらと絡んできた先輩のことだからである。
つまりこいつらは皆、その嫌な先輩の僕ということだ。
だったらなおさら、素直に従うはずもないだろう。
それで、俺が心底嫌そうに拒否をすると、連中の一人が短く口笛を吹いて、すぐさま俺の周囲に壁をつくってくる。大きな身体で外からの視線を手際よく遮ることからも、暴力にたいへん手慣れていることがうかがえた。
やべぇ、今回のこれは単なる嫌がらせの域を超えるかも。
俺はひどく慌てていた。
「おまえに拒否権なんてねーんだよ」
「そういやおまえ、やたらと岡本さんに睨まれているみてーだけど、以前、何かやらかしたのか?」
―――なに、何かって、なんだ?
いっとき、俺はぽかんとする。
サッカーチームを退会した後は、顔を合わせる機会もなかったので、その嫌がらせもずっと途絶えていたけれど、ここへきて急に風向きが変わったのは、俺が中学へと上がって、やっぱりあの岡本の目にとまったからなのだろう。
「ハッ、ようするに、なんだかんだ理由をつけて、おまえら、俺をパシリに使いたいだけなんだろっ」
下級生の俺がどれだけ睨みつけても、連中はびくともしない。自分たちの暴力の優位性を、はなから確信しているようだった。
「なんだ、わかってんじゃねえか」
「おらっ、ウンて言っちまえって!」
連中は大勢で俺の髪の毛をつかみ、無理にでも頷かせようと上から抑えつけてくる。
「いてぇよっ、やめろよ!」
ほんと、何もかもが理不尽だ。
そのよく陽焼けした乱暴な手に俺は揉みくちゃにされて、天地が逆さまに見える中―――なにか心の奥の方で、ふいに熱いものが注がれる。こうして無理強いされていると、九州男児の反骨心というものが、むくむくもたげてくるのである。
「誰が、てめーらなんぞの部に入るかよ!」
俺は全身の血を、みな一度に沸騰させた。
やおら大声を張り上げると、その不細工な眼に鼻に指を突っ込んで、連中をひるませる。その隙に拘束を振りほどいて、自分の机の上へ飛び乗った。
そしてそのまま、雁首そろえた上級生たちの鼻づらへ、俺は鮮やかな三日月蹴りをお見舞いするのだ。
上履きの先で顔を打たれた小気味よい音が、パンパンと続けて鳴った。
最初に俺の髪を掴みにかかってきた男子が、悲鳴を上げて尻もちをついた。
「おらっ、やるってんなら構わねーぞ! 不祥事上等できやがれやっ、金輪際、対外試合なんてさせねーからなっ、てめぇら監督ごと全員大問題にしてやらぁ!」
この唐突な反抗の狼煙に、上級生らはみな仰天した。
相手はたかが一年坊主、なあに、皆で囲んで脅してしまえば、へこたれて大人しく付き従ってくるに違いない―――そのはずが、こう教室の真ん中で堂々と騒ぎ立て、今やよそのクラスの生徒までが何事かと集ってくる始末。
「こ、こいつ、イカレてんのか?」
「やべえ、もうすぐ先生来ちまうぞっ」
「ど、どうしよ」
さすがに現状の不利を悟ったか、連中の一人が後ろからこっそり抜け出すと、それに気づいた他の者たちも、堰を切ったように慌てて教室から逃げてゆくのだった。
思えば、俺が中学で三年間、孤独を愛しながらもイジメらしいイジメを受けなかったのも、こうした祖母の血統にあったからだと思われる。
それで、用があって仕方なく話しかけてくる前の席の男子なども、俺へ向けては「さん」付けなどをしてくる。その言葉に含まれるよそよそしさは、クラスメート全員の思いを代表しているようだった。
―――知ってる? あいつ、放課後に〇〇先輩とタイマンして、勝ったらしいって
―――〇〇先輩って、空手とかやってる人なんだろ
―――ガチやべえな、半田には関わらないでおこうぜっ
たった一度きりのあの騒ぎが、半年もすると妙な武勇伝の尾ひれまでついて、無双モードの武将のように祭り上げられてしまうのだから、世間様って恐ろしいわ。
散歩の犬にワンワン吠えられ妹に縋りつくような、そんな俺様がどれだけ情けない男なのか、いちど皆にご披露してやりたいくらいである。
正直、ひとりで寂しくないといえば、嘘になる。
とはいえ、さすがに高校生にもなると、学力による振るい分けもあってか、周囲もだいぶ落ち着いてくる。
そンでまあ、今朝の話の続きに戻るわけなのだが。
先生からもらった優待券を携えて、さっそくそのオシャレな店へ向かったのは、昼前のこと。
一円も払わず購入したものをトレーに載せてうきうき二階へ上がると、ジャージ姿のうちの女子生徒が数人、店内からは遠く、福慈の山の霞がかった連峰を拝める特等席に陣取って、お喋りに夢中になっていた。
おそらく外部からきた運動部の特待生だと思われるが、春頃にはあったはずのご規律が、もうすっかり緩んでいらっしゃるご様子である。
よく陽焼けのしたひとりが俺を見つけると、
「ねえほら、あの男じゃないの?」
などと俺には聞こえないつもりで隣の女子をつつきだす。
なにを以ってあの男などと呼称してくるのか分からンが、じつに無礼な女どもである。けれどもいちいち癇に障るほど、俺も前よりは大人になっている気がする。
奥へ進むと、コーナーのソファもその一部として設置したらしい白いテーブルの端っこに、娘ふたりが仲良く陣取っていた。娘といっても、ひとりは俺の妹である陽葵ちゃんと、もうひとりは、その妹が勝手に呼び寄せてしまった毒舌少女、翠ちゃんである。
一応、うちの妹もそれなりに、また翠ちゃんも、口さえ開かなければ美少女と呼んであげても差し支えない器量の持ち主だったので、こちらを覗き見ていたジャージの女どもは、何を思うのか、ひそひそと怪訝そうな表情で、お互い顔を見合わせていた。
「わあ、きたきた!」
「お兄さん、ご馳走になります」
トレーをテーブルに置くと、ふたりは手をたたいて嬉しがった。
ほんとうなら、俺ひとりでこっそり来店するところ、今朝、妹に優待券を見つけられたらそれまでだった。
「お父さん、これなにー?」と叫んで、陽葵ちゃんはまず下の親たちへ優待券を見せに行く。ちょうど慶将から連絡が来たので、俺がそれを面倒がって放っておくと、なにを思うのか妹は、いきなり翠ちゃんまで呼び寄せてしまうのだ。
「翠ちゃん、おはよ」
「お、おはよー、陽葵。あの、お兄さんがご馳走してくれるってほんとう?」
「ほんとだよ、ほら見て、この券のもの、全部タダなんだって」
―――おいおいおい
それは株主優待券のことを親から教えられ、俺一人などではとても使いきれないだろうと思いやり、妹なりに助力したつもりらしかった。
つうわけでこの毒舌ちゃん、うちの妹とどんな会話が成り立っているのか、かねてより不思議でならなかったのだけれど、意外にも、それはふつうの女子と変わらない。年齢や性別の違いか、俺へ向けてくる感じとは違って、まったく楚々として謙譲なのである。
ところが、そのお口が俺へ向きだすと、とたん、嘲りの込められた風刺や、それを緩和するための、憫笑じみた美麗字句でいっぱいとなる。
あとで妹にこっそり教えられたものだけど、そこの娘は男子と会話をするときにだけ、ほんの少し口調が変わるのだという。
それもまた異性に対する照れ隠しらしく―――って、ほんとかよ。
平凡ならざる怪娘と吾輩がひそかに思っていたように、クラスの男子たちからも喋る地雷原と見做されていたようで、それだけの容姿を持ちながら未だ告白のひとつすらなく、そうしたことからも、この翠ちゃんという娘の特性に、俺の理解も耳かき一杯分くらいは追いついてくる。
「翠ちゃん、もうちょっと抑えてよ。うちのお兄ちゃん、こう見えても繊細なんだから」
俺に照れ隠しとやらをずっと続ける翠ちゃんを、ようやく妹が諫めてくれた。
「えっと、ごめん。でもお兄さんには、素直に私の思っている感じを伝えたくって…」
翠ちゃんは弁解した。
「そりゃあ、うちのお兄ちゃん、初めての人には怖そうで、とっつき難いかもしれないけれど」
「でしょう?」
「でも、お尻が弱点だよ」
俺はもう、黙って放っているしかない。
「それでもさ、陽葵。私、お兄さんのその、崩壊したような顔で、一度助けられたこともあるんだ」
「前にも言ってたね、それ」
「覚えてる?」
「そりゃあ、覚えてるよう」
はて、俺が助けたとは何の話だろう。この怪娘とまともに会話ができたのは、あのときが初めてなのだし――。
「ええとね、お兄さんも知っての通り、うちのお父さん、土日にサッカーチームの監督やってるでしょ? 以前、そこの男子のひとりに、変なふうに付きまとわれたことがあってね――」
小学生のころ、その親に付き添ってチームの練習試合を見に行くと、呼びもしないのに、毎回上級生のとある男子がやたらと絡んできて、翠ちゃんもたいそう迷惑していたそうである。
その上級生というのは、彼女とは三つも学年の離れているレギュラーの選手であった。
ベンチへ戻ったときなど、わざわざ遠くにいる自分を見つけてきて、肩に腕をまわしてきたり、髪にべたべた触ってきたりして鬱陶しいことこの上ない。翠ちゃんが心底嫌そうに身を縮こませて黙っていると、承知したわけでもないのに、自分は惚れられているとまで吹聴しだすのだ。
「ええっ、翠ちゃん、大丈夫だったの?」
「大丈夫じゃなかったよ、陽葵、それでね――」
それであるとき、偶然にも練習試合の末席にさし加わっていた俺を見つけて、この彼ならばと、翠ちゃんはその男子の誘いの前に、ついつい、俺の名を持ち出してしまったというのである。
「うちのお兄ちゃんを?」
「うん。同じ噓をつくにしても、目を見張るようなイケメンよりは、野蛮で粗暴のレッテルでも張ってある方が、より説得力があるし、盾としても、こう、頑丈で強固な感じがするでしょう?」
「おいおい、なに言っちゃってくれてんだよ!」
しかも俺を野蛮と称し、勝手に盾役にまで仕立てあげて、この聖名をそのストーカーの前へ軽々しく差し出してしまうとは、なんたる無礼千万な娘であろうか。
そんなことを叫んで、俺は鶏冠にきてもよかったが、もうガキの頃の話なので黙っていた。とはいえ、ちょいと看過できないことがある。
俺は平静を装い、翠ちゃんに質してみた。
「それって、俺が追い出される前の話のはずだよな。つーことは、翠ちゃん、まだ小学三年生くらい?」
「はい、そうですよ」
「そんな幼女に、もうストーカーするド変態が、あのチームにいたわけ?」
俺が問うと、翠ちゃんはぷーっと頬を膨らませる。
「幼女なんかじゃないですっ、立派な女の子です! それに当時も、私はすごい可愛かったんですから」
「当時は?」
「当時もっ」
さようでござんすか。
「―――いやでもさ、はなし聞いてたらそのストーカーって、まだ六年生くらいだろ? いったいなんて名前のやつだったの、そのロリコン」
「岡本っていう人でした」
「は?」
「お父さんのチームの、キャプテンの人でした」
その岡本といやあ、俺へしつこく嫌がらせをしてきた張本人の名に他ならないが、そいつめが俺だけではなく、この翠ちゃんへも周囲に憚ることなくチョッカイをかけていたとはなあ。
「あんにゃろう、幼女趣味だったンかい」
とはいえ、肝心なのはそこじゃあない。
少し考えれば、すぐに思い至るはず。
過去、ずっと散々な目に遭わされてきた俺は、今のこの瞬間にて、ようやくその因縁を知ることになったのだから。
「お兄ちゃん、その人を知ってるの?」
ひどく動揺している俺へ向け、陽葵ちゃんが聞いてくる。
「ああ、とんでもねーヤツだったよ」
何も知らない妹がその男の名を聞かされても、とくに何を思うわけでもないのだろう。この俺のように、あらかじめ理不尽な体験をしていなければ、幼女趣味のド変態が過去にいたというだけで終わりである。
しかしながらたった今、翠ちゃんのお口からその名をはっきり聞かされて、今まであった様々な理不尽に、ようやく因縁深い繋がりができたのだった。
それは思いもかけず、パズルのピースがぴたりと嵌ってしまったかのように―――そういえば、僕共もはっきり言っていたではないか。あの岡本へむけ、何かをやらかしたのではないのかと。
「つまり、あれら山のような嫌がらせの全ての元凶は、この翠ちゃんにこそ、あったってわけなのかい!」
なんて、疫病神。
ちょいと頭に熱が出てきた気分だ。
学校の職員室前にある計測器で額を照らしつけたら、三十七度ちょいくらいじゃないかしら。
ふだんは風邪なんかひかないから、それだけでも俺はかなりフラフラ。やっぱりこの疫病娘と会うものではない。妹を置いてゆくわけにもいかないから、今は立ち去ることもできないけれど。




