妖精作戦 一
夕刻、俺は自室で冬休みの宿題をさっさと仕上げていると、下から母さんに来客を告げられた。
あと二ページほどで今冬の憂いはなくなり休み放題―――せっかく興が乗ってきたところで嫌だったけれども、部活の人というので下へ降りてみると、あのお嬢様ではない、見たことのあるような美人さまが学校の制服姿で立っていた。
最初こそ、あの女に妹でもいたのかと思ってびっくりしていたけれど、母さんの眼を盗んでこっそり人差し指などを唇に当てたりするもンだから、どうやらご本人らしいことは理解できたが、これまた見事にうちの高校生になりきっているのである。
化粧を落としてすっぴんになると清楚感もマシマシになって女子生徒にもなれるらしい。女は化けるとよくいうが、そのコートを羽織らなければ、規格外のボディがすべてをぶち壊しにしてしまうにちがいない。
その人は丁寧に頭をさげて、母さんに向けては部活の相談でやってきたと、それらしいことを言う。うちの高校の内部生のような上品な物腰で丁寧な言葉づかいで、目を丸くする母さんを圧倒しているのであった。
「鷺ノ宮さんにお尋ねするつもりでしたが、ただ今おいでになりませんので、私、半田クンにおことづけをと…」
母さんが丁寧にお茶を勧めていたが、その人は辞退して立ったままだった。
「あー、母さん、へいき。俺がバス停までしっかり見送りするからよ」
「そう? ならお願いね。こんなお嬢さん、ひとりで暗い道を歩かせるのも怖いから」
母さんはほっとしたように言う。
友則の学校のお友達って、皆すごいのねえ―――俺が靴を履いていると、腰をかがめた向こうから、母さんがそんなことを感心そうに呟いていた。
たしかにすごい人たちなのだろうけど、このご婦人、母さんの抱いている印象をはるかに超越しているところが、またすごいところなわけでして。
少し歩いて車のよく行き交うところに、黒いセダンが停まっていた。
家族の誰かに見られることを考慮して、あらかじめ少し離れた場所に車を移していたようだ。
彼女が車の横にやってくると、ドアロックの外れる音がする。
「ご苦労様です、芹沢さん」
中から中年の男性の声がした。
「ほんとご苦労よ。あなたがもっと若ければ、私も高校生にならずに済んだのに」
「無茶言わんでください」
男性は苦笑する。とくに特徴のあるご容姿というわけでもないその人は、俺に木村だと名乗って、かるく会釈をした。
俺は「あっ」と小さく叫んで、自分の記憶力に感謝する。
たしかこの男性は、妹のピンチのときにあの神社にまで駆け付けてくれた背広の人のはずである。
そのことを尋ねると、木村氏は頭を掻いて気恥ずかしそうに微笑んだ。
「その節はどうも。私も、キミの妹さんが無事でなによりでしたよ」
「あのときは、ホンっトに、お世話になりましたあ!」
俺は深く頭をさげて、思い出せるかぎりの話をした。
先生の方は、もうさっさと後部座席の奥へ入ると、俺を手で招いて呼んでくる。
「ほら、今は半田クンも、目立つから――」
ここは敢えて謙譲にならず、俺も車中にすとんと納まった。
先生たちがわざわざ家へやって来たのは、どうしてもの内緒ごとを、電波にすらのせずに俺へ伝えるためであった。
なんたってついこの前にも、通信に使うサーバーを使った違法なネットワークが国連本部から約50キロ圏内の複数の箇所に設置されていたというし、実際、国家レベルの諜報機関が動いたならば、たやすくそうした情報も盗み取れてしまうのである。
あの先日の、自衛隊車両に化けた傀儡の顛末には、口外できない秘密が多々あるのだという。それがまたお嬢様を経由せず、慎重に家までやって来るということは、よっぽどの極秘扱いということだ。
「その前に、ちょっと待ってね」
先生はやや苦しそうに、「ん」と背筋を反らせて、コートの中で後ろ手に回すと、そこで小さく音がして、コートがボンと膨らんだ。
ただでさえ素敵なお胸の膨らみを、さらに立派に大きく押し上げてくれるものだから、俺はもう目が点になった。
「はぁ、苦しかった。これでようやく息ができるわ」
「そのスタイルで高校生は、さすがに無理でしょうからねえ」
木村氏は運転席でのんきに笑っている。
「だからあなたがもっと若ければ良かったのよ。次にやる機会があったら、今度こそ、男子高校生になってもらいますからね」
それがまた本気なのか冗談なのか、木村氏は小さく悲鳴を上げると、首を竦ませた。
「うへ、冗談でしょ?」
「あら、私は本気で言ったつもりなのだけど」
ヘッドレストにひょいっと隠れたその薄い頭をみつけて、先生はなおも意地悪く続けた。
「そうね、鬘は自前で用意するのよ」
「もうっ、マジックでいいですよ、マジックで」
木村氏は諦めたように唇を引き結ぶと、憮然とした顔でハンドルを握るのである。
こうした一連のやりとりの中、先生の柔らかな唇から洩れでる声は、一律きれいな音色のようであった。それに引きかえ、今の俺の困惑した表情は、まことに良い対照である。
先生は俺をちらと見て、軽く微笑みかけると、それで会話の糸口は解けたとばかりに、先の騒動のことを少しずつ語りだすのだった。
あの日、陸自の16式機動戦闘車に擬態した傀儡は、厚木海軍飛行場から北西、約一キロほどの厚木街道をゆっくりと無音で南下していたが、大和厚木バイパスの少し手前で、突如、動かなくなった。
そこへ、最初に接触を試みたのが県警である。
自衛隊へ知事からの要請があったとはいえ、治安出動のさいにおける自治体との協定によって、今はまだ警察の領分であった。幸いなことに事犯車両は停車したままなので、これ以上のさばらせない状況をつくりあげるためにも、まずは手順通り、一定区画に封じ込めることにした。
そこの区間は、車線も多く道幅が広いので、鹵獲するにはうってつけの場所である。停車した傀儡の制圧と駆動輪の拘束、これさえ実現すれば、当初の目論見どおり、あとは自分たち警察力だけでも十分に対処できるはずだった。
ところが、旧海軍機が墜落し、希人の封印が完全に解かれてから、程なくして――。
指揮車両の『鳥かご』で、双眼鏡を片手に警戒していた職員が、野太い声を張り上げる。
―――おい、動いているぞっ!
そのときもっとも迅速に対応できたのは、慶将のいる16式小隊であった。
監視のために先着していた陸自のオート一個班の隊員らも、遠望にただ眺めているしかない状況で、警察車両をひき潰しながら力強く前進しはじめた傀儡へ、小隊の戦闘車は順次加速していった。
壁となっていた県警の特型車両も、少しの間はずるずると横に滑ってこらえていたが、26トンの戦闘車相手ではさすがにもたず、あっけなく交差点脇へと押しやられる。
しかしながら同じ重量の車体であれば、まだしも押しとどめることくらいはできるはず―――そう判断した隊長車へ向け、傀儡は石臼を挽くように砲塔をごりごり巡らせると、その黒い砲口をぴたりと車体の中央に据えるのである。
一瞬、誰もがぎょっとして、その後の惨事を想像し、身構えた。
ところが、傀儡が発砲することはなかった。
よく見れば、隊長車の砲塔の脇には旭日旗がひよひよとはためいている。それは慶将の入れ知恵で、あらかじめ小隊の各車両に取り付けられていた御旗であった。
もともとは上陸してきた連合軍を迎え撃つための傀儡である。幸いなことに、それで16式小隊を味方認定してくれたようで、傀儡車両は砲塔を前に戻すと、再び力強く動き出すのだった。
発砲を恐れて急停止した隊長車の前を、傀儡車両はうなりをあげて加速してゆく。それを慌てて追跡するも、厚木基地の正面ゲートまで、あとほんの少しの距離しかない。
標的までの視程はひらけていたが、ガードレールに身を寄せて何事かと騒ぐ見物人が大勢いる中で、この小隊長も、まさかの発砲をするわけにはいかなかった。
そろそろ、メインゲートの建物も見えてくる。
今事案にあたり、統合幕僚監部から米太平洋軍司令部、そして在日米軍へと駆け抜けた情報は、ただちに現地の米隊員らにも伝えられていたはずである。
厚木基地内に展開していた日本の海上自衛隊も、この日のために密かに策定していた対テロ計画を実行に移すはずだった。
ところが、基地側からは何の対応も見られない。
米国首脳部から、「基地への攻撃が避けられないと判断した場合、日本国内であっても、しかるべき手段で迎撃することは了解してほしい」との要請があったことを、のちに日本の政府関係者が明かしているが、その迎撃の兆候すらないのである。
ゲートでは、車両侵入防止装置であるボラードすら作動させず、そればかりか、招き入れるように門戸を広げ、肝心の警備隊らも左右へ大きく散ってゆくところだった。
そのゲート周辺へ向け、傀儡車両は獲物を探すように砲口を巡らせる。
もしここで米国の軍用車が一両でも捉えられていたならば、傀儡はためらうことなく発砲していたのだろう。
その傀儡車両は正面ゲートの手前で、後輪を歩道の縁石にひっかけると、いちど車体をおおきく跳ね上げ減速した。しかしその軌道を変えることはせず、そのままゲートの建物をあっさり通過してしまうのである。
16式の車内で四肢を小さく折りたたんでいた慶将は、ふいに空気の流れを感じて顔を上げた。行軍中にも関わらず、車長がハッチを開けて車外を視認しているのが目に入る。
―――ああ、やっぱり抑えきれなかったな
状況が分からず、車長も終始無言であったが、それで慶将は、鹵獲の失敗を確信するのであった。
小隊の戦闘車四両は、厚木基地ゲート前でコの字形になって停車した。
すぐに駆け寄ってきた警察の機動隊らしき人物から、小隊長が現況の説明を受ける。さすがに基地内へ踏み込むわけにはいかないので、今は上からの指示を仰いでいるところだという。
ああ、悔しいな―――車内からは、そんな自衛官たちのため息がもれ聞こえた。
この位置からでも、基地内にいる傀儡車両を狙う好機は幾度もあった。しかしながら、自衛隊が米軍の敷地内へ発砲することなど許可されるはずもなく、半ば傍観していた彼らであったが、もし中で実包による傀儡と米国との戦闘が始まってしまったら、いったいどう対応すればよいのだろうか。
その間、私物のスマホで急ぎ外部と連絡を取っていた慶将が、はっとした様子で車長を見上げると、声を張り上げ注意を促した。
「首を引っ込めた方がいいですよっ、今からきっついの来ます!」
「え、なんだって?」
赤色灯の明かりを背景に、車長の呆けた顔が慶将を見おろしていた。
暮れゆく冬の黄昏の空に、ちいさな星がぽっと燈される。
雲が薄赤く流れる中、その星はしだいに傾斜し、朦朧としてひしめき建てる基地の灯のもとへ、滑るように落下していった。
星はみるみる輝きを増し、ぼそぼそと味気ない建物の頭を照らしつける。
敷地をはしる路のほとりに、建物の影が薄白くさあっと流されていった。
大型機が駐機する広大な敷地へ、傀儡の武骨なコンバットタイヤが踏み入った、そのとき―――。
夜空より柔らかに濾されたひと幅の光が、傀儡の砲塔頭頂部を、すっと貫く。
ついで、分厚い装甲はただちに溶けて崩れ落ち、周囲の土壌に真っ赤な炎熱の光を湧かしめた。
その凄まじい熱波は、近くの物陰で状況を逐一報告し続けていた米軍人らを巻き込み、絶叫をあげる口蓋の、その奥の臓腑まで一息に炭化させるほどだった。
光点から発生した衝撃波が、できたての歪な黒い人形もろとも、周囲の下草を切り裂くように薙いでゆく。
外の警察官たちの見守る先では、基地の建物の頂から銀色の光が吹き上がっているのが見えていた。
いったい中では何が起こっているのだろう―――そう、誰もが判断つかない中で、立ち並ぶ建物の間から、突如、砂埃がぶわっと間欠泉のように吹きだしたかと思うと、それがとんでもない速度で迫ってくる。
「全員、衝撃に備えろっ!」
車外から小隊長の叫びが聞こえた。
慶将の隣では、車長が席に尻もちをつきながらハッチを閉める。そのすぐ後、ゴウっという唸りとともに、装甲が小石を弾いてきんきんと鳴った。
路上では、慌てて車両の後ろに隠れる者、道路に身を伏せる者。
このすさまじい爆風と飛石の掃射の中では、さすがの機動隊員らも身動きできなかった。
皆が肩に力を入れて堪えていると、やがて静寂がおとずれる。
ペリスコープで車外の様子をじっと観察していた車長が、そのとき、あっと声をあげた。
その彼の眼は、銀色の光輪を描きながら、爆心地よりふらふら立ち昇ってゆく何かを、捉えていたのである。
「向こうではそんなことが?」
「そうよ。いくらかは個人の端末から映像が流出しちゃったけれど、肝心なところは規制が間に合ったから、地上波でもそんなに騒いではいないでしょ?」
先生は淡々と事務的に言った。
あのときは俺もたいへんな失意のさなか、残酷物語を変幻自在にひっくり返して、母さんと妹をようやく救出したばかりであったので―――その後は身代わりとなった被害者のことばかりを考えて、あえてミカンコたちに深入りせずにいたものだから、地上波で流された内容くらいしか知らされていなかった。
「その、最後はいったいどうやって傀儡を破壊したんです? 米軍が、なんかすごい秘密兵器でも使ったんですか?」
「やったのは米軍じゃないのよ、困ったことに…」
「困ったこと?」
無理に笑みを作ろうとして、先生は唇の両端を動かしていたが、やっぱり憂鬱そうな顔になる。
「日本政府は、あの傀儡を、米国に売ったの」
「はぁ、売ったんですか」
「もしろん金銭的な意味じゃないわよ。いわゆる政治的取引というやつかしら。政府は在日米軍の突発的な介入を恐れ、未知なるオモチャを与えておけば、暫くは大人しくしているだろうと、そう考えたようね」
「そのことは、先生も知らなかったんですか?」
「知ってたら、あんなことにはならなかったわよ」
そして、さも無念そうに吐息をついた。
昨今の騒動のさなか、防衛大臣らは総理の指示で、芹沢女史率いる専門家チームの知見に一切頼ることなく、在日米軍と極秘裏に交渉ごとを進めていたらしい。
その舞台となったのが、港区南麻生にある、ニュー〇〇ホテルであった。
日米の政府間の取り決めによって、そのホテルは米国大使館や在日米軍基地と同様、今でも米国領土として扱われていた。
海兵隊のグアム移転問題や、横田基地の管制空域などの重要な取り決めも、二階にある在日米軍司令部専用の、その会議室で行われていたというのである。
「その交渉のなかで、傀儡を譲渡する代わりに、米軍も日本国内で大掛かりな作戦行動を起こすことはしない、という取り決めが為されていたようなのだけど、ほら、それも見事にご破算にしちゃったでしょ」
なるほど、だから困った事なのか。
「こっちも、三年前にようやくバータの騒動が収まったばかりだというのに、ホント、私の言い方が不味かったのかしらね。あの子たちは口実さえあれば、もう嬉々として物を壊したがるから」
「はあ…」
はて、バータとは何だろう。
この先生にも、なにかしら俺たちの与り知らない内緒ごとでもあるようだ。
「つまり、そのバータというのが、傀儡をやっつけたんですか?」
「そうよ。今でこそ、神輿にでも祭り上げられるような立場でいるけれど、現実はもっとこう、危険で不調法な子たちなの。まあ、それだけ力があるってことよね」
そういや、俺もずっと以前から聞かされていたなあ。なんでも、芹沢家にはちっちゃな神さまがいるだとか。
「とぼけても、巫女さんには通用しないから、彼女にはすぐに口頭で申し伝えたけれど、あなたにも知っておいてもらったほうが良いと、先日、彼女からもお願いされたのよ」
「さ、さいですか」
とりたてて特色のないマンションの明かりが過ぎ去ってゆくのを、俺は車窓から眺めながら、困り顔で相槌をうっていた。
ミカンコがそういうのなら、近い将来、俺もその神さまとやらに、じかに関わることになるのだろう。
なんせあいつは、未来を視る占いの法師でもあらせられるから。
「あの、見た感じはどんななんです? その神さま」
「そうね、一見すると、虫の翅の生えた子供ね」
それから先生は、嫋々たる声で「性格まで子供なの」と笑い燻らせる。
「はあ。つまり、絵本に出てくる、あのいたずら妖精サンみたいなもンですか?」
「そんな感じね。いざというときの後詰として、私もあの子にお願いしていたのだけれど、まさかあそこまで大っぴらにやるだなんて」
そして、政府とも再度調整が必要になるだろうと、今後の展望を語る。あの総理、もうすぐ辞めることになるのだろうけど―――。
そんなことも言って、またちいさく笑うのだった。




