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その奇譚(きたん)、叶えるのは難あり  作者: あみの よもやま
52/72

夢を補うるもの 七

 いったい、何が起こったのか。


 もちろん、まさか、と思って、なんども連絡を入れたさ。

 でも、どうしても繋がらなくて、俺は、底なしに湧いてくる最悪の予想を打ち消しながら、妹のスマホ、母さんのスマホへとなんども連絡を入れ続けた。

 けれども、まったく繋がらない。

 神経が、ききっと鈍く鳴るようだった。


 ―――どうすりゃいい?


 このときの俺はテンパって、頼りがいのあるミカンコや先生に(すが)ることすら、忘れていた。

 そのうちに、なにかが落ちたようだと、乗客の一部が騒ぎだす。

 俺は真っ青になって窓の外を覗いたが、遠望にもそんな痕跡はまだ見られなかった。

 それからしばらくして、交通規制をはじめた警察官たちによってバスが停められる。

 俺は運転手に、もうふたつ先に家があるからと懇願し、なんとかバスから降ろしてもらうのだった。


「ここ、ほんとうは降ろしちゃいけない場所なんだけど…」

「すんません! ありがとうございますっ」


 まるで怒鳴るように礼を言って、すぐさま駆け出すも、周囲の通行人たちはこちらの気持ちなど少しも知らないで、平気で横に拡がってくれる。俺はこれをどう(ののし)ったらよいのかと、途方に暮れてしまった。

 それでも、俺は走り続けた。

 家へ近づくごとに、周囲の騒がしさが増してくるようで、遠くからは様々なサイレンの音がしてくる。内心せき立てられながらも、家が見える近くの角をやっと曲がったとき―――

 俺の全身を廻っていた真っ赤な血流が、一気に音を立てて引いていった。


 ―――おいおい、冗談だろう!


 耳の中のどこかで、そんな声を放つ感じがした。

 けれどもそれは、もはや記憶にすら残らなかった。何かべつの熱い憤りが、ただちに俺の脳内へと注入される。


 ……けがはないですか? どなたか、返事、できますかぁ!


 助ける者、助けられる者が交錯する中、俺の家があった場所を中心に、その数軒先までもが、倒壊した屋根のすきまからオレンジ色の炎を吹きあげていた。

 垂直にそそり立つ飛行機の尾翼らしきその下は、もはや溶鉱炉のような濃密な炎で覆われていて、妹や母さんの名を呼ぼうにも、一目で、生存は不可能であると思われた。


「なにをしている! あぶないぞっ」

 近所の人のどなり声を背に、俺は、押し寄せる熱風をもろに顔面に受けながら、自分の家だったものを凝視した。

 そして、ひょっとしたらと妹の名を叫び、周囲の人々の中からなんとか探し出そうと、懸命に目を血走らせる。

 けれども、何も知らない誰かが、心配そうに話しかけてくるだけだった。


 ―――マジ、なのかよ


 俺は、いつ熱い地べたに座り込んでいたのだろう、その俺の腕が、誰かによって吊り上げられる。

 今の俺はまるで一個の人形のようだと、自分の存在をそう認識していた。

 それから、笑うのだ。

 さても運命のもつ残虐性というものが、こうして俺の下へもやってきたというわけか。

 それがなぜ、俺へ向けてではなく、母さんと妹でなければならない?


 <理不尽、きわまりねぇ>


 いったい誰の声だったのだろう、ひどく感情を押しつぶした声がした。


 目の焦点のあわない俺は、それでも、邪魔だとばかりに自分を拘束していた手を振り払った。ボキリともろい手ごたえがして、そのあとに大人の男性のする悲鳴が一筋、残された。

 振り向けば、防火フードの隙間から、消防士の驚愕のまなざしが、化け物でも見るかのような目つきで、俺を射ていた。


 <あンときも、そうやった>


 また、その声が頭に響く。


 とたん、どうすることもできない憤懣(ふんまん)の炎が、再び胸中に燃え上がった。

 右の上腕部すべてに施されていた複雑な紋様が、微かな明滅ののち、あっけなく吹き飛ばされる。

 このとき、俺は目の前の現実を滅ぼそうとしてかかるような、そんな意志を、はっきり打ち出していた。

 やり場のない狂気が、ただ一点へと集約されてゆく。


 <そう、あンときの空襲でも>


 この俺は、たった今まで、栞雫(かんな)嬢の手を引いていたはずなのに、激しい熱風のさなか、無我夢中で探そうにも、煙で眼が不自由になって、足もとさえおぼつかない。

 どこをどう歩いたのか、あるいはただ同じ場所をぐるぐる巡っていただけなのか、皮膚が(ただ)れて垂れ下がり、喉がひどく渇いていた。ふいに足もとが濡れたので、俺はとっさに地面にしゃがみこみ、その水気を口に含もうとして、ただちに吐き出した。

 ぬめる口元を(ぬぐ)い、煙に沁みた眼をむりやり開けると、この手は血と(すす)で赤黒く汚れていた。


 呆然としていたところへ、ちゃぶ台ひとつぶんくらいの火の塊が背中へ飛んできて、ガンと意識が遠のく。思わぬ痛みに堪えていたところで、なにか柔らかいものに手が触れた。

 その辺りには人が倒れたり、呻いたりしていたが、俺が触れていたのもその(むくろ)のひとつである。

 黒い煙で肺が焼け付くように痛み、せき込んで息ができない。それでも立ち上がろうと膝を立てたところで、その(むくろ)の美しい顔がこちらへ向けられた。

「あっ!」と肝が冷え、思わず総毛だつのだった。


 そのときに感じた絶望は、まことに筆舌尽くしがたく、へなへなと、俺は腰が抜けたように座り込んでいた。


 思うに、なんと甲斐のない、人生であったことか。

 俺は引きつった笑いを洩らして、その美しい顔に手を触れる。

 どこか奥底から、快い暴虐(ぼうぎゃく)の甘味が湧いてくるのを、しみじみ奥歯で噛みしめながら、このとき、自暴自棄に狂いかけていた俺は、狂喜の奮えが脊柱を伝わり昇ってゆくのを感じていた。


 <もう、世界がどげんなろうと、知らんばい>


 俺と、もう一人の俺は同じ意味の言葉を吐いていた。


 そうして、感覚的にもそうとうな時間が経ったのち、周囲がほのかに明るくなってくる。

 俺はぼそぼそと地の底から這い抜けたように、顔を上げた。

 周囲がやけに賑わっていた。

 通りがかる母子が、俺を不審そうに注視して、そのまま通りすがる。子供の方が俺を指さすと、母親はひとこと(たしな)めてその手を降ろさせていた。俺はその母子の後姿をぼんやり見送りながら、しかしすぐにそのことは忘れて、目のまえの、賑やかな商舗の連なりに視線を移した。


 ここは、駅前のアーケードの中、だったろうか。


 ふらふら歩くと、以前、あの翠ちゃんに付きまとわれた茶屋の前では、古本屋が山のように漫画を積んで、朱の札を立てていた。

 たしか俺は、なにか妹にと、そう考え、このワゴンの中を(あさ)っていたはずである。

 すると、はかったように手元に二、三冊、書籍がばさばさ落とされる。

 見上げると、そこには知らない女子が笑って立っていた。

 やはり、うちの学校の生徒である。

 俺はその女子と、眼の前に落とされた書籍とを見比べた。本には「九州倭政権と蛮族」などのお題目があった。

 彼女は興味深く、ひとわたり俺の顔を見廻している。


「まて、おまえ…」

 俺は右手を伸ばし、ただちにその女子の腕を捕まえた。

 彼女の表情からはなんの反応もみられないので、俺は脳裏にぱっと浮かんだ、その筋道の立たない解答だけを口にする。


「おまえ、飛鳥だな」


 とたん、バチンと光が弾けた。

 一瞬であるが、こいつと繋がったその一閃(いっせん)の中に、さきほどあった残酷な情景がまざまざと映し出されていた。それらすべての記憶を、俺の従者(ズサ)たる飛鳥はただちに一部の損ないもなく写しとってゆく。

御名答(ごめいとう)

 女子に化けたまま、飛鳥はくるりと目をまわして笑っていた。

 そこへ、俺の頭のはるか上空を、ゴーっとした爆音が通過してゆく。


「ボクを見つけたということは、そういうことなんだね。ほらっ、急ぐよ。今ならまだ間に合うはずだ!」


 周囲が騒然とする中、飛鳥はこの手を握り返してくると、そのまま力強く引っぱって、どんどん明るい方へと駆け抜けていった。

 どこを曲がってどう行ったのか、たしかな経路は覚えていないが、気がつくと、見覚えのあるロータリーのところにまで出ていた。ここには警察の輸送車両が停まっていたはずである。しかしまだその車両は現れず、今は客待ちのタクシーが一台、近くに停車しているだけだった。

 飛鳥は、キレイにそった手指をしなやかに振りあげ、呼びかける。

 タクシーの後部座席のとびらが、ただちに開かれた。


「ほら、急げって、この愚図(ぐず)っ」


 扉の開いた後部座席の奥へと、その見事な悪態と(あわ)せて蹴られるように押し込まれた俺は、飛鳥と一緒に自宅へと向かった。


「本来なら、何が起こっているのかと、口で尋ねるべきなのだろうけど、大丈夫、もう分かっているから」

 飛鳥は腰のシートに片手をついて左右に揺られる身体を支えながら、その女顔のままで話しかけてくる。

「なあ、ひょっとして、うちの妹、まだ大丈夫なのか、また、巻き戻っているのか?」

「ほら、落ち着いて」

 一縷(いちる)の望みを(つか)みかけたような顔でいる俺の頬に手をやって、飛鳥は小さい子でもあやすように話しかけてくる。

「安心しなよ。こんなときに、ボクだって(たわむ)れで意地悪したりしないからさ。この感覚にはなんとなく覚えがあるんだ、もうずっと昔のことだけどね。それよりも――」

 飛鳥は車窓を見上げて、空に螺旋を描く航空機を見つける。

「――こんな状況になることまで()通す、あの女の恐ろしいことといったら、ホントないよね。ほらハンチ、今朝のこと、覚えてる?」

「今朝のこと?」

 そう問い返しはしたが、今の俺の頭は家のことばかりが心配で、まったく働いてくれなかった。

 飛鳥は苦笑する。

「そういうつもりで、あの連中はボクに伝言を届けさせたのだろうけど、ま、いっか。とにかく、ハンチの家族を救うことの方が先決だ」


 タクシーが家の傍にまで来ると、俺はきちんと止まる前にもうドアを開けて、そこから転げ落ちるように飛び出した。

 飛鳥は慌てて、運転手に何か詫びごとを言っていたようだけど、全ての謝罪は後回しである。

 ランドセルを背負った子供たちが「わぁ、飛行機だ!」と無邪気に騒いでいた。

 さっと仰ぐと、なるほど、くるくる旋回している旧海軍機のはるか上空を、自衛隊機が雲を曳きながら飛んでいた。


 とにかく、まだ落ちてくれるなと、俺はすぐさま家の中に飛び込んで、わけもわからずにいる妹と母さんを力づくで引っぱり出した。

 二日酔いの母さんは、履物くらい履かせてよと、額に手を当てながらひどく困惑していたようだけど、俺はけっしてその腕を離さずに、びっくりしている妹を後からやってきた飛鳥にまかせると、もうそのまま、皆で近くの堅牢な建物にまで避難するのである。


 これで、ともかくも俺は、家族のふたりを失わずに済むことになった。


 ただ、どうしたわけか、今回は俺の知っている現実と、やや違った展開をみせるのだ。


 二機の空自機により上を押さえつけられていた雷電は、急降下の後、上昇してあわよくば反撃を試みようと、その引き起こしのさなかにエンジンが急停止し、推力を失ったまま、俺の家へと墜落することになる。

 ところが見ていると、自宅からはやや逸れて、最近できたばかりの大きな介護施設の方へと尻から()ちてゆくのだった。


 その瞬間の映像は、後にネットで流され多くの人々が目にすることになった。


 県の広域消防本部によると、建物内にいた62名のうち、17名の死亡が確認され、重傷者11名を含む21名がけがをし、それぞれ救急車で市内の病院へと搬送されていた。


 その犠牲者の多さに、まず世間は驚かされた。

 そして、なぜ今になって旧世代の戦闘機が住宅地に墜落したのか。


 その後もしばらく、さまざまな憶測がワイドショーを賑わせていたが、もはや治安を侵害する勢力に警察力が追い付かないのは明らかで、今後、政府がどう判断し、事態がどう転ぶのか。

 勘の良い連中は、そろそろ気づきはじめたようなのである。


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