夢を補うるもの 六
期末試験も無事に終わり、翌朝には、堂々と寝坊のできるこの幸せ。
腹筋を使って起きるのも面倒なので、もうそのまま横に転がってベッドの下へ落っこちた。
辛かったあの苦闘の日々、張ったヤマが次々と的中してくれたのは、やはりミカンコお嬢様のくださった御守りの効験か。良いときも悪いときも、どうせ人生半々というけれど、今回のこればかりはあからさまに偏っているようにも思われた。
いやはや、霊験あらたかとは、まさにこのことを指すのだろう。
俺は薄明りの白い壁に、額縁へ入れてお花まで添えて飾り奉る御守り様を見つけると、もうミカンコ教に入信したての信者のような気持ちになって、パンパンと―――二礼二拍手一礼などをするのである。
さて、着替えをしてのそのそ部屋を這い出ると、下から陽葵ちゃんが呼んできた。
「お兄ちゃ、おべんとう、できた」
本日は妹が俺の弁当を作ってくれたようだ。
それで、お兄ちゃんのンが抜けているのはなぜかしらと思って、下に降りて妹のいるキッチンへむかうと、制服にエプロン姿のその足元に、母さんがぐでんと横たわっていた。
すわ、一大事かっ!
いやいや、心配ご無用。
昨晩深酒をして、二日酔いになって潰れているだけである。
俺は妹に礼を言うと、その母さんを引きずって、無造作に寝室へ放りこんだ。
このところ、毎月最低一回はこれをやらかしてくれる。さすがはあのお祖母さんの血を引く娘だと感心させられる。今日の父さんは早出なので、母さんを運ぶ余裕はなかったようだ。
「へへ、お兄ちゃんの好きそうなの、いっぱい入れといたよ」
陽葵ちゃんはテーブルの上の弁当を指さして、得意げに胸を張った。
この妹のすることだからまず間違いない、おかずはみな、茶色いのである。
今朝は気分の大変よろしいこともあって、俺のバイブスは天井知らず。帰りしな、なにか菓子でも買おうかとの申し出に、この陽葵ちゃん、そんなものはいらないと、お姉さんらしいお澄まし顔で断ってくる。
「あ、でも、ラップは買ってきて」
「いったい どんな ラップだyo!」
「そのラップじゃなくって!」
弁当の残り物をくるんで冷蔵庫に詰めたら、ちょうど切れてしまったという。
本日は晴朗なり、俺は無心で校門をくぐった。
暦の上でははや大雪である。靴箱に冷えた手をついて履きかえながら、厚着の女子の可愛い装いをこっそり愛でていると、校門の方から大人の人たちが二、三人、せかせかと入ってくる。
その人たちは皆、おそろいの長いコートを着ていた。そのコートの着こなし方が、俺の目にはやたらとしみついた。
どこかの業者の人かしら―――ワックスのよくかけられた廊下で立ち止まって見ていると、遠目にもはっきりわかる、スタイル抜群のお胸の女性が、そのコートの集団と一緒に校門を出ていった。
「え? なんで芹沢先生?」
朝のHRの始まる前から、もう嫌な予感しかしてこないのはなぜだろう。
俺が不安な気持ちで教室へ向かっていると、後ろから飛鳥が追いすがってくる。
「ハンチ、なんかあったの?」
俺は内心、びくんとした、頬が少しこわばる。
「いや、なんにもねぇよ」
「あからさまにそんな顔をして、よく嘘がつけるものだね」
飛鳥は呆れた。
それから俺の顔に、ちいさなメモ用紙を突きつけてくるのだ。
「ほら、これ。蜷山君からキミに渡してくれってさ」
「慶将が?」
飛鳥は天使のような微笑みをしていた。
春からの付き合いの中で、俺にもだんだんと分かってくる。こいつの天使というものは、嫌悪に歪められたときにしか現れない。
「あいつとハンチとの信頼関係も、ずいぶんとまあ培われてきたようで、なによりだよ」
「おまえそれ、ぜってー本心から言ってねーだろ」
小柄でまだ幼い感じをのこす容姿の飛鳥であったが、純真そうにみせかけて、腹の底は墨汁よりも真っ黒いのである。
普段はあたり障りのない態度で周囲に接しながらも、その半面、集団から離れた俺のような男には、その本性を如実に示してくれるのだ。
「んで、あいつ、今はどこにいってんだ?」
「さあ、知らない。学校にいないのは、確かだね」
先ほど見かけた先生もそうだが、なにか厄介ごとでも起きているのだろうか。
「ハンチに関わるのでないなら、あんなやつの頼まれごとなんか、誰がするもんか」
俺は苦笑しながら、そのメモ書きを手にして読んだ。
たいへん短い文なので、すぐに顔を上げたが。
「たったこれだけなら、わざわざメモにする必要もねーんじゃね?」
そこに書かれていたものとは、『傀儡が現れましたので、身辺にもご注意を』と――――ミカンコ嬢のひどく達筆な一文だけだった。
「なら、そんなものをわざわざボクに届けさせた、その意図を考えた方がいいと思うよ」
「どんな意図なんだ?」
「ふんっ、そんなこと知りたくもないね」
よく分からないが、飛鳥はぷりぷりしながら行ってしまうのである。
対テロ戦の市街地訓練でさえ、治安出動の口実、とマスコミに喧伝されるのをひどく恐れてきた防衛省も、前大戦の亡霊がいよいよ現実的なものになってくると、各主要施設に特殊作戦群を展開することになる。
その任務は、都市型近接戦闘(CQB)主体の作戦連隊が担っていた―――そう、慶将からはいらん知識を教え込まれたものだが、このときはまだ、府県の首長から治安要請がなされていないため、防衛省の情報本部も傀儡発見の一報を受け取ったまま、関連部署へ情報を伝えるだけであった。
昼の鐘が鳴った後、俺はすぐさま人気のない屋上へと駆け上り、ぽつんとひとり、外の遠景を眺めながらイケメンのように黄昏る。
完全無欠のボッチ絵というものは、それだけで、扉の挿絵としてもふさわしいものではないかしら。
あえて釈明させてもらうが、それには真っ当な理由があったからで―――ほれ、さっそく慶将のヤツから連絡が入る。
『こちらマルヒト、マルキュウ、感明送れ』
「マルキュウ、感明よし」
とまあ、俺も思わずノリでやってしまったが、あいつは今、自衛隊と行動を共にしているらしいのだ。
『感明交信、おわり』
「おわりじゃねーよっ、そっちの状況を教えろっての!」
俺はスマホに向けて怒鳴った。
つうか、俺のことを09(まるきゅう)なんぞと呼んでいたが、それって愚者の隠語のはずである。
『おや失敬、それをご存じとは露知らず』
「失敬なのはそこじゃねーだろっ」
隠れて俺をバカ者扱いしていたことが問題で、まったく、ふざけやがれっての。
「つうか、通話にやたらと騒音が入って聞き難いんだが?」
『ああ、それは…』
世界では六十トンが標準の主力戦車に比べると、16式機動戦闘車は砲塔を持った車輛としてもだいぶ小ぶりで、その8輪コンバットタイヤが主たる特徴であった。
つまりはたった今、あやつはそこの砲塔の車長用ハッチから上半身を乗り出して話をしているわけで、このやかましい騒音は、16式の直列4気筒水冷ディーゼルから発せられたものであるというのだ。
「なにそれすごいっ、あとで俺も乗せてくれね?」
『乗せられるわけもなかろう。あの先生の依頼もあって、僕は傀儡の確認のためだけに、特別に協力しているにすぎないのだからね。―――あ、ちょっと待ってくれ』
小隊長から前進との指揮が発せられ、慶将も車長と交代し、いままで立っていた車長席の横にかがみ込む。車内は若干の揮発油と合成ゴムの臭いがしていたが、我慢できないほどではないという。
『我慢できないのは、やっぱり騒音だよ。知識では知っていたが、かなりうるさい』
「へえ」
だから映画に出てくる戦車兵たちは、あんなにもごついヘッドセットを頭に付けているわけなのね。
現在、目標とする傀儡は神奈川県にある米国の海軍飛行場へ向け、厚木街道を時速10キロ程度でのろのろと南下していた。
県警は、綾瀬市と大和市に緊急配備を敷きつつ、管区警察局を通じ、早々に応援要請を出していた。
俺はあのメモ書きを受け取ってから、しばらくのち、恥ずかしながら校内放送にて名指しで呼び出され、第一校舎玄関脇の受付にて、そこの固定電話から、こうした一報を受け取っていたのである。
つか、慶将も俺の携帯番号くらい、きちんと保存しとけよな、まったく。
『たった今、都と県知事から自衛隊の出動要請がなされて、それを政府が受理したそうだ。今回も、政府が決断したわけではなく、あくまで、自治体の要請に応じた形で、ようやく許可が下りたらしいよ』
なんにせよ、急ぎ警備力強化となれば、近場にいる自衛隊の作戦連隊を派遣するしかなく、それが慶将の同乗する16式小隊というわけで、情報本部では木更津にある第一ヘリ団の派遣まで検討していたというが、兵棋演習とは違い、どうも省庁間でいろいろな問題が生じているようなのだ。
16式の小隊は四両でひと編成となっており、慶将の乗る車両は先行する小隊長のすぐ後ろについていた。まだ車長用潜望鏡(J3)では目標を捉えられないらしく、その代わりに、現着した偵察小隊からは逐次報告があがってくる。
「気をつけろよ」
俺も心配して声をかけた。
ところで、旧帝国陸軍の戦車が国道を堂々と走っているのであれば、地上波の放送でも、相当な騒ぎとなっているはずなんだけど。
『それはないよ。なんたって――』
今回、発見した傀儡というのは、なんと慶将の同乗する16式そっくりに化けているというのだ。
「ええっ、あの貧相な昔の豆タンじゃねーの?」
『傀儡に、そうした固定観念を持つのが、そもそも良くなかったようだ。なかなか侮れないよ』
「なんつうか、すげえな、当時の傀儡ってえのも」
自在に化けることができるのなら、そりゃあ今まで、誰にも見つからなかったわけである。
『ひょっとしたら、上陸してきた連合軍のⅯ4戦車に、そのまま化けてしまうという計画まであったのかもしれないな』
「そんなもの、警察もどうやって見つけたのよ?」
『それは―――』
16式機動戦闘車は特殊車両の区分となるので、公道を走る際には、特殊車両通行許可証の申請をしなければならず、また弾薬を積載するのであれば、その運搬証明書を、管轄の警察署を経由して公安委員会に提出しなければならない。
慶将の同乗する16式も、そうした窮屈な許可を得て、ようやく公道を走行できるというのである。
今回、特殊車両通行許可証の定める公道以外の区分を16式が走行していたため、不審に思った一般の警察官がそれを見つけ、確認し、報告に至ったという。
『発見と同時に、その傀儡は米軍基地へ向け、ゆっくり動きはじめたそうだ』
「しかしよ、自衛隊もただ国道を走るだけなのに、いちいち申請するのも、大変だな」
『きちんとした法治国家というのは、そういうものだよ。今回はその面倒くさいのが役に立ったのさ』
「役に立ったのは良いんだけどよ、ほんとうに戦闘となった場合、自衛隊って街中で弾を前に撃てるのかよ」
『安心したまえ。自衛隊車輛に化けたあの傀儡も、おそらく発砲することはないはずだ』
「なにゆえ?」
『この僕の、希望的観測さ』
「おまえ、いい加減にしやがれよな」
つまらなさそうに悪態をつく俺へ、慶将は笑って言う。
『いや、ちゃんとした根拠があるんだよ。キミもご存じの通り、アレには火廣金の欠片が含まれている。長らくため込んだその力を、傀儡は偽装のために使用したようだから、今はもうすっからかんのはずなんだ』
それで今回、傀儡は米軍厚木基地までの、のろのろ行軍になっているのだという。
『この国にとってはその戦闘力よりも、現地に紛れての公共施設や重要インフラを狙われる方が、はるかに脅威なんだけどね』
「まあ、目的が分かっているぶん、対処もしやすいってわけか」
『どんな形であれ、今のままなら米軍の基地へ突入する前に、警察だけでも十分に制圧できると思うよ。もう治安要請はなされているわけだけど』
「でも考えたら、自分たちの国のど真ん中に、よその国の軍隊がいるってのは、やっぱ変な感じがするもんだよな」
そこへ、もし日本国旗を掲げた陸自の車両が突入したらどうなるのか。
あそこは米国の国土のようなものなのだ。この国の外交政策がめちゃくちゃになることくらい、俺でも容易に想像がつく。
「でもよ、ヤバくなったら、マジでさっさと逃げろよ」
俺がそう言うと、慶将はふっと語調を明るく変えた。
『そりゃあもちろん。高校生の僕が、そこまで付き合う義理はないからね。それで僕からも忠告させてもらうけど、いくら後方にいるからって、ハンチ君もあまり気を抜かないように。盤上のキングは、あくまでキミなんだからさ』
そして、くれぐれもご注意を―――と。
それで、長々とした通話をようやく終えた。
時計を見れば、昼休みもあとわずかばかりである。さっさと飯を食わねばならない。
俺は給水塔のコンクリ基礎をベンチ代わりにすると、膝に弁当をのせ、恭しく蓋を開けた。
「おおっ」
今までの戦車の話はどこへやら、茶色く輝く様々な揚げ物が現れるや、俺はぱっと目を輝かした。脂ぎった素敵な香りが鼻孔に充満し、それが生唾と共に嚥下する。
そこへ更に、ランチャームから押し出されたソースの濃厚な香りが絡まって、その匂いは、あまた数々の語彙の中から引き抜かれたどの言句にも勝り、さらに深く強く俺の食欲を煽りたてるのだった。
「陽葵ちゃん、いただくぜ!」
まずは食への渇望を満たさんと揚げ物をかっ喰らう、いかにも血管に悪そうな、ラードに塗れた脂質過多のこの衣、高血圧を誘発する過度に濃い味付けは殺意さえ込められているようで、それを白米の炭水化物で決める。これぞまさしくあの世への昇天セット。
生命のテロメアが千切り落とされてゆくようなこの感覚は、もはや誰にも止められない。殺意ある弁当というものは、完食させることに意味があるらしい。
―――ふう。
こうして俺は、瞬く間に米粒一つ残さず平らげた。
流れる雲をぼんやり見上げる。予鈴の鐘が遠くでぽつんと鳴っていた。
旨いものを腹いっぱい食って至福の心地に浸っていると、この世全ての煩わしさが、もうどうでもよくなってくる。もちろん傀儡騒ぎのことまで忘れてしまうのはいけないが、なんだか不思議と元気づく。
なんにせよ、俺好みのこんな旨い弁当を用意してくれた陽葵ちゃんには、もう感謝の言葉しかないのである。
それから俺は教室へ戻って、ミカンコと慶将の空席を気にしつつも授業を受けた。眠たそうに伸びをする頃には、もう冬の黄昏が空にほのかに煙っていた。
信じられないが、この平和そうな情景のすぐ隣では、あんな騒ぎも起こっているのである。
そのことを露ほども知らない生徒たちが、いそがしく帰り支度を整えている。
今日は向日葵ちゃんも見当たらないので、きっとお嬢様と一緒にどこかへ出かけているのだろう。俺も鞄をかついで教室を出ると、もう部室へは寄らずに、そのまま家へ帰ることにした。
そこでふと、妹との約束を思い出し、バス停へは向かわずに、少し歩いて、駅前の商店街の方へ足を伸ばした。
買い物は、ラップだけで良いと言われていたが、年の暮の趣が添えられる商舗の中を、ただぶらぶら歩いてみるのも、ひとつの好奇心というやつである。
しばらく歩くと、以前、あの翠ちゃんに付きまとわれた茶屋の前では、古本屋が山のように漫画を積んで、朱の札を立てていた。
これを土産代わりにすれば、妹も断ることはしないだろうと、俺はそう考え、なにか適当なものはないかしらと探していると、手元に二、三冊、書籍がばさばさ落とされる。
「おわっち!」
びっくりして顔を上げる、そこには知らない女子が笑って立っていた。
うちの学校の見慣れた制服を着ていた。
「え、えっと、誰?」
一瞬、またなにか女難の相かと危うんだが、あのときの翠ちゃんのように絡んでくるわけでもなく、彼女はただ興味深そうに、ひとわたり俺の顔を見廻すと、もう踵を返して行ってしまうのであった。
俺はぽかんとして、その女子のお尻姿を見送った。
ところが呆けていたのも束の間、まるで商店街を丸ごと揺るがすような、そんなゴーっとした爆音に、とつぜん脅かされる。
「な、なんだあ!」
ひゃーっ、という女性たちの悲鳴が上がる中、俺はその人波をすかして、明るい通りの方へ目をやった。
周囲が騒然となる中、若い母親が子供の手をひいて慌ててアーケードの外へ出て行く。
俺も先の戦車事件を思い出して、人々をかわしながらアーケードの外へ出ると、バスの行き交うターミナルの広場へと駆け込んだ。
もう前以て待機していたものなのか、そこには機動隊の輸送車がでんと横付けされている。
乗り場の方は人でごった返していたが、こちらのロータリーは、まだ人影もまばらである。そこへ、側面のドアがひらいて、重武装の隊員たちが次々と降り立った。
異変を察知した近くの会社員らが、指をさして声を上げながら、同僚と足早に立ち去ってゆく。
また、傀儡戦車でも現れたのだろうか。
このようなときに頼りになるのは、やっぱりあの男である。
俺はさっそくスマホ片手に連絡を取った。こうした場合、たいてい何かしらの理由をこしらえて繋がらなくなるというのが、物語での鉄板らしいが。
『ハンチくんかい?』
おや、あっさり繋がるではありませんか。
「あ、おい、慶将。なんか今、駅前でまた騒ぎが起こっているみたいなんだけどよ」
俺はまず早口に、それだけのことを言った。
『騒ぎ?』
「本屋にいたら突然、外でゴーって爆音がして、それでびっくりして商店街を出たら、まるで軍隊みたいな警察官が――」
『ああ、おそらく、その爆音は空自の戦闘機のものだろう。アンノウンを追いかけて、ちょうどそちらの上空を通過したところではないのかな』
「アンノウン?」
『そうだよ。真っ赤な日の丸を翼端に描いたレシプロ機を、未確認飛行物体と呼ぶのも変な話だけれど』
俺はスマホを持ちながら、上空をぼんやり眺めた。
街中の、この狭い空ではそれらしいものは見当たらず、しばらくすると、俺を呼ぶ慶将の声が何度もしてくる。
「ああ、わりぃ。ちょっと、事態に頭がついていかねえみてぇで」
『この程度のことで、キミに呆けてもらっていては困るな』
慶将の呆れた声がした。
「そういや、そっちの戦車の方はどうなったんだ?」
『戦車ではなく、戦闘車だよ』
なにか細かいことを、この男は指摘してくる。
『予想通り、こちらの傀儡は電池切れを起こしているらしくてね。交差点の手前で停止したまま、もうずっと動いていないんだ。おかげさまで楽に鹵獲できたけれど、レッカー移動しようにも、警察のレッカー車では重量オーバーでどうにもならないから、今は周囲を警戒しつつ、専用車両の到着を待っているってところかな』
「ふうん。ま、良かったじゃねえか、そっちは無事に済みそうで」
『こちらは片付きそうなんだが、問題は、いきなり現れた旧日本海軍の局地戦闘機、雷電の方だよ。こうなるともう、市街地の警備にあたる警察ではどうしようもないからね』
慶将は笑った。
「でも、自衛隊機も出てんだろ? なら昔の飛行機なんて、楽勝じゃん」
『それがどうも、市街地上空では、空自もおいそれと手が出せないから』
「そりゃそっか」
うっかり撃墜して市街地大炎上の災厄でも招いた日にゃあ、統合幕僚長の首ひとつで済むものでもないだろうしな。
『対して雷電の方は、すでに弾薬を満載して、遊撃行動にでているらしい』
「つまり、たった今、はた迷惑なことに頭上では、空自機と旧海軍機のドッグファイトが行われていると?」
『空自機は最新鋭なうえに、ペアを組んで対処しているようだから、よもやの不覚を取ることはないと思うけど』
ただ、この情報も正規の系統からではないので、現状はどうなっているのか、まったくわからないというのである。
それで、とにかく俺は急いで家へ帰ることにした。
なんとなく、妙な胸騒ぎがしていたからである。
いつものバスの路線へ向かい、すぐに乗り込んだ。人が混んでいるので、窮屈になってつり革を握らなければならなかったが、そのバスの前方を、何台もの警察車両が赤色灯をたきながら、急ぎ通り過ぎてゆく。
年配の人たちからは、不安そうな声があげられていた。
こうした雰囲気に中てられていると、この俺にも筋道の立たない、そうした感情が、やはり漠然と起きてくるようだった。
俺は鞄に突っ込んだばかりのスマホを取りだすと、家へ連絡を入れた。
向こうからは、さっそく妹の声がしてくる。
俺だと気づくと、とたん、よそ行きの声が柔らかくなった。
『どうしたの、お兄ちゃん?』
「いや、どうしたもこうしたも、陽葵ちゃん、今、家の外に飛行機がとんでねえ?」
すると、少し間があってのち、遠くから、ちいさく母さんの声がした。
『ああ、うん。お兄ちゃん、なんか飛んでるって』
「おい、気をつけろよ、なんだかさ―――」
『気をつけろって、何に? それよか、お兄ちゃん。九州のおばあちゃんから、さっき、いっぱい美味しいものが届いてね』
こんな言葉のやりとりだけに、たった今、自分がどうしてこんなに慌てているのか、俺も不思議に思えてならなかったのだが―――。
電話の向こうの陽葵ちゃんは、今日の田舎からの贈り物を神棚にいくつか供えて、あとは、好きに食べて良いと言われて嬉しいようだった。
『ね、お兄ちゃんの好きな、あのカステラっぽいのとかもあるよ、帰ったら一緒に食べようね。もちろん、はんぶんこだよ』
そして次の瞬間、ズンっという鈍い音がして、とつぜん通話が絶たれるのである。




