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その奇譚(きたん)、叶えるのは難あり  作者: あみの よもやま
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邂逅するのは、突然に 五

 今朝はこんな面倒なことがあって、あきらかに遅刻となってしまった俺は、慶将(ちかまさ)の助力を仰いで、封鎖された朝の学校へ忍び込むことになる。

 慶将の方も、なにか俺を助ける義務でもあるような態度で、学校の裏手の雑木林の一角へ俺を案内するのだった。

 それはちょっと外からは見えにくい場所にあったが、石畳を踏んで近くにまでやって来ると、格子状の背の高い扉が、塀の一部に埋め込まれるようにして備え付けられている。

 この扉は、学校に資材を運び入れる用務員専用のものらしく、ふだんは鍵がかけられているが、この男はなぜだかその鍵を所持しているのだ。


「おい、どうしたよ、それ」

「彼女が僕に貸してくれたんだよ。おそらくこうなるだろうと、あらかじめ占っていたようだね」

「彼女、ね」


 その彼女とは、言わないでも分かる。あのへんな女のことなのだろう。

 扉を開けて敷地へ踏み込むと、今は使われていない焼却炉の脇に出た。その向こうには体育館、そして部室棟となった木造の旧校舎などがうかがえた。

 今はまだ予鈴が鳴って、数分といったところだろうか。

 校門はすでにアウトだが、教師があらわれるその時までに、とにかく教室へ滑り込んでしまえば良い。


「ああそうそう、ハンチ君、キミに伝えなければならないことがあったよ」

 靴箱へ向けて走りかける俺の背に、慶将(ちかまさ)が声をかけてきた。

「なんだよっ、時間ねぇぞ、おい!」

「放課後、鷺ノ宮さんが何か用事でもあるらしい。行く気になったら、まずは僕へ声をかけてくれたまえ」

 こいつはそう、俺に(こと)づけてくるのである。


 それで午前の授業はとくに変わったこともなく、やがて昼休みになった。


 俺は鞄から菓子パンの入った袋を引っぱり出すと、校舎の中央にある階段の手すりをとぼとぼたよって、屋上へのぼる。

 これも成績のためと思い、授業中、ずっと無理に教師のぶつぶつを解読していたせいか、俺の頭はたいへんお疲れであった。

 あの昼の教室の、賑やかに交わされる女子の笑い声というものは、今の俺にとって、スチール缶を耳元でガラガラかきまぜるのと同じようなもの。生徒のほとんど来ない屋上では、俺一人だけがその静寂を占有できて、この灰色の脳細胞をゆっくり休めることができるのである。

 俺はそれだけを思って、毎日、わざわざ屋上まで足を運んでいた。

 この特別なスポットを見つけたのも、ごく最近のこと。

 雨季前のうりうりずんずんな陽射しを浴びながら、呆けた頭でもぐもぐ口を動かしているには、うってつけ場所であった。

 他の連中は食堂へ行ったり、あるいは教室で、仲の良い友達同士が机を寄せ合って、お昼の一時を楽しんでいる。


 べ、別に、俺に友達がいないわけじゃあ、ないんだからねっ。


 ほ、ほら、食堂へ行ってもさ、ハイソな群れがお(しと)やかにランチを頂くなかで、やっぱり俺だけが、具のないソバをすみっこで(すす)っているってえのも、なんだか人目立ちするし、教室で一緒に弁当を広げるにしてもさ。

 もし目の前で、(うるし)塗りの金箔の立派なお(ひつ)(ふた)でも堂々と開けられてごらんなさいな。

 もう俺はそのまま、ステンレスの蓋をペルシアと戦う重装歩兵の盾のようにして、よその視線から貧相なおかずを守りぬくしかないじゃありませんか。


 いやほんと、あいつらの経済状況って、いったいどんななのよ。


 つまりは皆と一緒に食事をしていると、世界で俺だけがマルクス主義の死んだ現実を思い知らされているようで、たいへん切ないのである。

 べつに友達がいないわけじゃあ、ないと思うわけよ。


 うむ。


 一応は、候補もいるんだよな、二人ほど。気軽に声をかけられるんじゃないかなあって、男どもが。

 そのうちの一人、久場(くば)は、宮城の山奥からわざわざ上京してきたご苦労な男で、聞いた話では、材木屋の社長の(せがれ)でもあるらしい。

 こいつは物静かで生真面目で、そしてどこか(たくま)しい雰囲気がその身にあって、背もかなり伸びていた。うっかり口から方言がついて出てくるのを恐れているためか、ほんとうに寡黙(かもく)な男で、それがまたクラスの皆とも壁を作って、ちょっと親しみを持ちにくいようなのである。


 もうひとりは、藻南(もなみ)とかいう小柄な男だ。

 なんと親父(おやじ)さんは県の議員らしい。

 ところがその息子、安穏と人生を過ごすには申し分ないほどのご家庭で育っておきながら、いつもなんだか不安そうに、教室では隅っこにばかりいる。ちょっと休憩時間になると、まるで陽を恐れる吸血鬼のように、いつのまにか消え去っているものだから、なにか用向きがあったとしても、探すのにひどく骨が折れる男なのだ。


 ま、俺の教室での近況はこんなもんか。

 おおっと、今朝、もう一人候補ができたっけ。

 つまりは金髪碧眼(きんぱつへきがん)の、喧嘩(けんか)バカのことである。


 あの騒動の後、だいぶ陽も昇りかけてきた国道を、危ない綱渡りをひやひやしながら見事にやってのけた心境で―――慶将(ちかまさ)も気分が高揚していたのか、俺の問いかけにも嫌な顔をせず、案外にすらすら答えてくれた。

「おまえもヘンなやつだな。朝からわざわざ面倒事に首を突っ込むだなんて」

「そりゃあ、ミカンコさんに頼まれてしまえば、仕方がないさ。それで十分楽しめたしね。キミは楽しくなかったのかい?」

 俺が騒動に巻き込まれることは、先刻ご承知のようである。

 まったくもってミカンコ嬢の千里眼(せんりがん)、さすがと言わざるを得ないのだが、その用心のために、あらかじめこんな男を派遣してくるとは。

「つうかさ、どうして俺なんかにそこまでのご配慮を頂けちゃうわけなのよ?」

「さあ。本人に直接聞いてみたらどうだい?」

 これまでの経緯から勝手に推察するに、お嬢様はやっぱりこの右手にご興味があるのだろう。あるいは巫女的知覚によって、他になにか感知し得たものでもあったとか。

「…ふむ」

 何を思うにせよ、その根拠とするところ、本人にしか知り得ないものであるのだが。


 それで、ミカンコに依頼された慶将(ちかまさ)は、今朝の騒動を巧みに利用して、スリルあふれる冒険の世界をひとり満喫することになる。

 そもそも(まじな)いだか占いだかで最初から分かっているのなら、その青い眼の整った(つら)をひっさげて、あのでかい尻の女に一言ご注意申し上げておけば、それだけで済んだ話のはずなのに。

 俺があえてそう不平を垂れてみせても、この男はどこ吹く風だ。


「で、なんなわけ? おまえはミカンコの下僕(げぼく)なの?」

「下僕だって? そこはまた、協力者、とでも解釈してほしいね」

 下僕にしろ協力者にしろ、無償で我が身を捧げ尽くすような、そんな献身的な男にはとても思えないのだが。

「それは、彼女の家に恩義を感じているのは僕自身ではなく、僕の両親にあるからだろうね」

「両親? おまえの親って、何やってんの?」


 こいつの両親は、都内にある某大学病院の医療研究者だという。

 今でこそ、医学博士といえばそこそこ通る名前だが、当時は大した学位もない貧乏医学生で、大学からの給金も少なく、生活もかなり困窮(こんきゅう)していたというのだ。


「僕も専門家ではないから、詳しくは分からないけどね。僕の父は国の健康保険の認可すら降りないような、非常にまれな難病の研究をしていたようなんだよ」


 そうした病原を見つけるためには、まず、病原の存在と病気の発症の因果関係を立証しなければならない。その因果関係は、原因と思われる状況を人為的に作り出し、予想される結果が起きることで、初めて立証されることになる。

 そしてその立証には、個人などではとても(まかな)えきれないほどの、金銭的負担が要求される。

 これがメジャーな病気ならともかく、経済的リターンの少ないマイノリティな研究の、しかも無名の若手研究者がすることであれば、当然、大学だって費用を出したがらない。

 しかしそうした費用の一切合切(いっさいがっさい)を、あのお嬢様のいる鷺ノ(さぎのみや)家が出していたというのである。


「おかげで研究は大成功し、新薬の開発にも繋がった。世界中で治療を待ち望んでいた多くの患者が救われることになり、僕の両親の地位も名声も、そこで揺るぎないものとなった。その息子が、鷺ノ宮家のご息女から何か頼みごとをされてしまったら、いったいどう断ればいいんだい?」

 慶将(ちかまさ)は、そこで観念したように両手を上げる。

「息子が、まさかそこで不義を働くわけにもいかねえだろうしなあ」

 こいつもこいつで、立場がそれを許さないらしい。

「それにしたって、あの女、なんか恐ろしくねえ? おまえもよく一緒にいられるな」

 俺が感心そうに言うと、この男は黙って肩を(すく)めてみせた。

「それは、ハンチ君だって同じではないかな。僕からも聞いてみたいね。キミこそ、未だにあのミカンコさんのことを周囲に言いふらさないのは、どうしたわけだい?」

「そりゃあ―――」

 そんなもの、言わずとも分かるだろう。ちょっとうちの若い女教師に向けて、俺が暴露する姿でも想像してみたらよい。


「先生、大変申し上げにくいことですが、実はこの教室に、魔女がいるんです」

「ええっ、ホント?」

「間違いありません。あいつは魔女なんです」

「ホントにホントなの?」

「はい。さっさと魔法少女でも呼びつけないと、これから何かとんでもない騒動を引き起こすかもしれませんよ」

 すると、先生は俺の両肩をいきなりつかんできて、

「半田君、あなた、ホントに大丈夫?」

 その眼鏡の奥の方から、さも憐れむような眼で俺の顔をのぞき見て、すぐさま特別な病院を紹介してくれるにちがいないのだ。


「何笑っていやがんだよ」

 こいつの口許に浮かぶ、その締まりのない笑いに気づいて、俺は文句を垂れた。

「いや、キミもすっかり、毒されているようだからね」

 つまりは常識の中にひそむ非常識ほど、厄介なものはないらしい。

 とにかくもう一度、俺はあの女と真正面から向き合わなければならないようだ。


 それで、ミカンコには一切合切(いっさいがっさい)の服従を(むね)としている慶将(ちかまさ)くんの案内もあって、放課後、俺はそのアジトへ向かうことになる。

 行き先は、旧校舎の理事長室だったところ。

 当時であれば、そんなお(おそ)れ多い部屋など、俺みたいな外部生には顔を出す資格すらなかったはずだが、今では部活やサークル活動のために普通に解放されている。

 俺たちは屋外に設置してある渡り廊下を抜け、その旧校舎に入った。

 ちょうど斜めに(かし)いだ陽が、校舎の上半分を明るく照らし、くたびれた木造の外壁を二色に塗り分けている。廊下を歩く俺の影もすっかり伸びてしまったが、日の暮れるまでにはまだまだ時間がありそうである。

 俺はこの渡り廊下を以前にも歩いていた気がするが、当時はなにも知らずに通り過ぎていたらしい。

 その重厚そうな立派な扉の前まで、慶将(ちかまさ)に連れられやってきた。


「入らないのかい?」


 気後れする俺を見て、慶将は軽くノックをする。

 それからノブを回すと、仰々しい扉がすうっと開かれた。

 俺はやや緊張した面持ちで、ごくりと喉を鳴らした。

 扉の向こうからは、あの独特な雰囲気をまとったお嬢様ご本人が現れる、かと思いきや、意外にも、中にはだれもいらっしゃらない。

「おや?」

 慶将(ちかまさ)も拍子抜けのようだ。

 そのまま、俺たちはちょっとくたびれた唐紅(からくれない)絨毯(じゅうたん)を踏み、中へ入った。

 部屋の中の造りは昭和の時代の古風な感じで、壁際にはなにか分厚い本のぎっしり詰め込まれた棚がある。その脇の空いたところに、文字の入った絵画の額などが飾ってあった。


「さて、彼女はいったい、どこへいらしているのか」

 部屋の一番奥にある、主のいない黒檀(こくたん)の机を眺めながら、慶将は呟くようにものを言った。

 その机の上には、まだ箱に入れられたままのディスプレイ、そしてコード類が、とぐろを巻いて置いてあった。

「ミカンコはどこ行ってんだ?」

「おそらく、備品を貰い受けているところではないかな」

「備品?」

「実はこの部屋、先週に借りたばかりなんだ。今どき、サークル活動もネットくらいには繋がっていないと、不便で仕方がないだろう?」

 まあ一般的にはそうなのかもしれないが、はて、サークル活動とは?

「知らないのかい? ある活動を通じて社交性を培うための、つまりは交流の場のことさ」

「そりゃ知ってるけどよっ」


 机の下にあるパソコン本体と(おぼ)しきもの発見すると、俺は背面の細かな入力端子などをのぞき見た。

「つまりなんだ、おまえたちはその何かのサークル活動を行うと?」

「ミカンコさんがそうすると言ったんだよ。それに、部屋を借りたなら何か活動をしていないと、いろいろ怪しまれるだろう?」

「怪しまれる?」

「美男美女。このふたりがいるだけで、いつの時代でも世間というのは口さがないものなのさ」

「死んじまえ」

 こいつが高慢ちきな性格であるというのは、俺も十分に承知しているが、しかし学校ではどうして、こうした人間の方が()て優等生で先生の覚えもめでたいのだろう。


 しばらくは俺もすることがなくなって、外で走り込みをする運動部員たちを眺めていた。

 ミカンコもすぐに戻るだろうと慶将は申していたが、いまだその訪れの気配すらなく、ぶっちゃけ暇なのである。

 それで、机の脇のパソコンに再び目を向けた。

 中学の妹に俺が勉強を教えるようになって、父さんからその活用ツールとして安いディスクトップ一式を与えられていたが、今では中古のグラボまで搭載されて、すっかり妹のゲームマシンと化している。

 もちろん、家でそんなへんな改造をするのは俺くらいなものである。

 こうした面白そうな機械を見つけると、どうも俺はいじくらずにはいられない(たち)らしいのだ。


「なあ、それ、繋いでおこうか?」

「うん? やってくれるのかい」

「暇だしな」


 それでまあいろいろチェックをしてみたが、ケーブルのバージョンも古いのと新しいのがいろいろ混在していて、しっかり選んで配線を組まないとこのパソコン、本来のパフォーマンスを発揮できそうにもなかった。

「おい、なんでこんな古いHDMIなんか混じってんだ?」

「古い? 規格が合っていれば、特に問題はないだろう?」

 慶将は後ろで青い眼をパチクリさせて、さもなんでもなさそうな態度で言う。

「まあ、繋がることは繋がるんだけどよ」

 どうもスマホに慣れきってしまった人類には、こうしたものにあまりご興味がないらしい。

「古い規格のケーブルだと、転送できるデータ量に大きな違いが出てくんだよ」

 慶将は「へえ」と、そこで分かっているのかいないのか、いささか俺も不安である。


「ま、こんなもんかな」

 一通り繋いでみせると、俺は腰に手をあて、曲げていた背筋をう~んと伸ばした。

「できたのかい?」

「プリンターにディスプレイにルーターとかはこれで問題ないはず。みんな有線だから楽なもんよ。んで、あとは…」

 それで、俺はキーボードとマウスがないことに気づくのである。


「おい、肝心のもんがねぇぞ」――――そう文句を言うつもりで、軽く舌打ちしながら振り向きかけたその鼻先に、なんの前触れもなく、マウスとキーボードが差し出された。

 おかげで俺の舌打ちは中途半端にやめざるをえなくなって、風船の空気の漏れ出るような音をシューっと静かに発したのち、


 ―――ポゥ!


 などと、へんな音を室内に響かせてしまうのである。

 我ながら、よくぞそんな奇天烈(きてれつ)な音が人類の口から発せられたものだと感心させられる。この乾いた口腔(こうこう)の裏に舌がへばりついて、奇跡の音が発せられたようなのだ。


 そしてそのまま、俺は息を呑むことになった。

 なんたって、ミカンコ嬢ご本人がそこにいらしたのだから。

 慌てる俺と目を合わせると、その奇麗な瞳に、いたずらっ子のような笑みをおかしげに(たた)えて、

「ご苦労様。それで、もうこの機械はつかえるのですか?」

 と聞いてくる。

 その声調は、しっとりと落ち着いて綺麗だった。

「ああ。あとはもう、マウスとかくっつけちまえば…」

 しかもこの美人は俺のへんな奇声を聞いて馬鹿にしてくるわけでもなく―――そう安堵をするのと一緒に、他方では、腹を抱えて(うずくま)っている金髪男を、俺は忌々しげに睨みつけるのである。

「いやいや、シュー・ポゥだって? この僕も、生まれて初めてそんな声を聞かされたよ」

 そしてまた、目に涙までためて笑いくさる。

 もともと俺を驚かすつもりで、このヤロウはわざとお嬢様の来訪を告げずにいたようなのだ。


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