夢を補うるもの 四
バスへ乗り込むさい、ミカンコは面紐のついたあのお面を「あまり目立ちませんように」とのお言葉を添えて、向日葵ちゃんの頭にちょこんとのせた。
そして俺へ向けては「おまけです」と短冊のような御守りを渡してくる。中央には読めない文字が綴られて、上下に雪の結晶のようなものが描かれていた。
「なにこれ?」
「昔々の、御宮の頃の形式に則った、御守りですよ。かつては、宮参りの方たちに差し上げていたそうですが、少しはあなたの気休めにもなるかと思いまして…」
今でもときおり、親しい人たちからは、そうした鷺ノ宮の古い揮毫を求められることがあるという。
なんでも、それを持っているだけでふしぎな効験が極まって、かの有馬記念では、なんと三連単複式をみごとに狙い中てた猛者もいるだとか。
「おいおい、すげえな、それ」
「ホホ…、あまり期待されても困りますが」
なるほどそういうことでしたら、今後も俺の秘蔵品として、ありがたく頂戴しておこうではありませんか。
さて、駅前のターミナルでバスを降り、人の多い商店街を、俺は向日葵ちゃんと一緒にそぞろ歩く。
休日には大勢の人が繰り出して、まるで一足先の年の瀬のよう。
そうして夕方まで出歩いて、今は馴染みの茶屋でお茶などを喫していた。
前回、母親の買い物に荷物持ちとして付き合わされた際には、ちょうどその席に陽葵ちゃんがいて、新しく買ってもらったスマホを嬉しそうにいじっていた。
もちろんスマホの中にいる親しい友だちの方が、くたびれた俺の顔を見ているよりもはるかに楽しいのだろうが、こうあまり構ってもらえないと、なんとなく寂しく感じられるのも、お兄ちゃん心と秋の空。
それで、「何見てんの」と、その画面を覗き込む。
「ええっ、ちょっと見ないでよう」
陽葵ちゃんはあわててスマホを身体で隠した。
どうもそれは写真や動画を加工して友だちと共有することができるあのアプリらしく、ボッチの俺には、ちょっと敷居が高いものである。
それでもやっぱり気になってお願いすると、妹は恥ずかしそうに見せてくれた。
「これ、翠ちゃんに、向日葵さんのマネをして、送ってみたの」
「ほう」
その翠ちゃんとは、陽葵がイジメられていたときにも毎日欠かさずに、ずっと家へ迎えに来てくれた同級生の娘である。
そして陽葵ちゃんはその娘に、一分の一スケールの自分自身を送っていたのだった。
じつは今回のこの茶屋も、そうしたお話の経緯から、向日葵ちゃんも同じことをされたいと望むので、俺が案内してやっていた。
今はたいへんご機嫌らしく、俺の見ているその前で、ミカンコ嬢のするように楚々と茶碗を持ち上げては、それを可愛い唇へもってくる。そしてこの仕草はどうかと訊いてくるので、ちょいと大げさに褒めてやると、また目を細めて嬉しがるのだ。
お喋り好きの妹にみるような、ぷにぷにと弾力のある血色の良いほっぺにくらべ、向日葵ちゃんのはやや引き締まっていたけれど、一種の克己的な強さを感じさせるようで、なんともお姉さんであった。
けれども、強さというのなら陽葵ちゃんだって負けてはいない。
あんなことに遭ってもなお、無邪気で快活な心は少しだっていじけたりせずに、むしろこの俺ですら、その真情で優しく勇気づけられるほどだから。
俺たちが席を立って、正面入り口からはいってくるお客たちの間をすり抜け外へ出たとき、横から意外な娘が声をかけてきた。
「やっぱり、いた!」
と、彼女は軽快に叫んだ。
やっぱりって―――この娘はいったい何者なのか、俺はまごまごして言葉を返す。
「えっと、おまえさんは?」
向日葵ちゃんに寄り添うように立つ黒髪の長いその娘は、いちど俺を見上げたあと「うんうん、この目つきの悪さ、まちがいない」と言ってひとり納得していた。
「ね、お兄さんで、いいよね?」
機敏に向けられた顔でそう問われ、向日葵ちゃんがおずおず頷くと、娘はなにやら訳知り顔で「ほんと、私じゃなければ青少年保護育成条例違反として、警察へ通報されていたところですよ」などと、失礼きわまりないお口ぶりを披露する。
はて、この娘、俺たちが通りを歩いていたのを見かけたのか、はたまた店の大きな飾り窓の外から見つけてきたのか、なんにせよその悪いお口の示すところ、これから一切の敬語を使わずに済みそうである。
「おい、なんで俺が青少年保護育成条例違反になんだヨ!」
「誰がどう見たって、ガラの悪いヤンキーが、気弱な女子中学生を拐かしているようにしか見えないじゃないですか」
俺は口をぽかんと開けて、この娘を見た。
すると彼女は愉快げに笑って、自分の顔を指さす。
「あれ、毎日来ていたのに、分かりません?」
そう首を傾げた娘が、自分の服を確かめて、制服じゃないからかな、ともつぶやいている。
それで俺は、ぴんと電極がつながったようにのけ反って、口を開くのだ。
「まさか、翠ちゃんか?」
「なんて鈍感、やっと気づいたんですか。ねえ陽葵、あなたたちってホント似てないよね。このお兄さんなんか、生まれはポストじゃないのかって、疑っちゃいたくなるくらい」
もう俺を気やすく友だち扱いで、ひでぇことを言いやがるのだ。
いやまさか、つい先ほど記憶の隅にちょいと出てきたばっかりなのに、すぐにもフラグになってしまうとはなあ。
この翠ちゃん、妹の語る彼女の姿からは想像もできないほどに、言葉もはきはきと意気軒昂であった。
その瞳にだけは、中学生らしいあどけなさも残されていたが、それも溌剌とした気の強さによって、印象がぜんぜん違って見えていた。
俺たちが歩きだすと、翠ちゃんも当然のようについてくる。
とある事情から、彼女とはすこし距離を置きたかったが、もうばっちり捕まってしまったし、ちょいと仕切り直しをするにも、手遅れである。
妹と妙に気が合うのは、そのお喋りな気質のせいでもあるのだろう。こちらが何を問わずとも、みずから雄弁になって、しきりに話しかけてきた。
「今日は、修理に出していた楽器を取りにきたんですよ。私、吹奏楽部に入っているんです」
そして翠ちゃんは身体を少しひねると、「ほら」とばかりに肩にかつぐケースカバーを見せてきた。
「それ、なに入ってんの?」
「ベークラリネットです。私、ほのぼのとした音色が好きなので」
「ふうん」
かつて妹も誘われたというが、あんな事件もあってか、それっきりとなっていた。
それはいいのだが、前からやってくる中坊らしき小僧どもが、やたらと俺を睨みつけてくるのはなぜだろう。
それであらためて見るのだけれどこの娘、長いきれいな黒髪を、翡翠を思わせる石の髪留めで脇に寄せ、幼いながらも、その顔はほどよく締まって大人びていた。
―――なるほどねえ
あの中坊、俺に喧嘩でも売ってんのかと思っていたが、そうではなく、ありのままに申してしまえば、この翠ちゃんは将来の美人を約束させるような、そんな風采の娘なのである。
そして隣にはもうひとり、俺は向日葵ちゃんまで連れている。
つまり吾輩は、あの小僧どもから羨望とやっかみの視線を向けられていたようで、ミカンコ嬢のご尊顔を普段から見慣れてしまうと、ちょいと鈍感になるらしい。
「ねえ、陽葵。そのお面なに?」
翠ちゃんが笑顔を見せて近寄ってくると、陽葵、もとい、向日葵ちゃんはなにか気まずそうにして、俺にすがってきた。
傀儡や狗にむけては、比類なき強さを誇る向日葵ちゃんであっても、この翠ちゃんにだけは、かたなしのご様子である。
俺は可笑しくなって、つい大声で笑ってしまった。
すると彼女はびっくりして、訊いてくる。
「どうしたんですか? お兄さん」
「いや、なんかさっきから誤解しているようだけどよ、この娘は妹じゃなくて、そっくりさんなんだよ」
ま、この翠ちゃんになら、打ち明けてしまっても構わないだろう。先に妹も話を通していたようだしな。
ところが、その翠ちゃんはきょとんとしている。
「大丈夫ですか、お兄さん。いい病院、紹介しましょうか?」
「え、以前、うちの妹、話してなかった? 向日葵ちゃんのこと」
俺は意外に思って、ひとこと弁じた。
「そりゃあ聞いてますけど、あれ、陽葵流の冗談だとばかり―――え、ほんとだったの? 別人?」
翠ちゃんは、ちょっとお辞儀の真似をしてみせてから、お面を下げて竦んでいる向日葵ちゃんの横顔を、まじまじと見入っていた。
そしてすぐさま腰に手を当て、俺を睨んでくる。
「ウソつき、陽葵じゃないですか」
「やっぱ言うと思ったわ」
それで、俺は妹へ電話をすることをお勧めした。
「ひょっとして、兄妹で、私を担いでません?」
「いいから、掛けてみやがれって、マジなんだからよ」
「もしウソだったら、そこのクレープ屋で一番高いの奢ってもらいますからねっ」
「じゃあ本当だったら、フロントダブルバイセップスでナイスポーしろよなっ」
不審そうな顔を見せてくる翠ちゃんが、きちんと妹へ連絡を入れるその間際まで、俺は大声で自分の正当性を主張し続けていた。
そうまでしないと、近所のパトカーのサイレンで、俺の声がかき消されてしまうからである。
「つか、なによこれ、やかましい。事故?」
商店街のアーケードを抜けたその先では、歩道脇のガードレールに大勢の人だかりができていた。俺もその様子が気になって、ふたりの娘を連れ立ち、ひろい国道の方へと歩いてゆく。
何が起こっているのかと、背伸びをして黒い頭の群れから様子をうかがうと、GHQの指導から始まって以来の白黒ツートンの車が一台、信号待ちをしている車列の間を抜けながら、なにか騒がしく注意を促して通り過ぎていった。
次いで、対面の車道の奥の方から、さらにパトカーのサイレン音が幾重にも重なって聞こえてくる。
「お兄さん、なにが起こってるんですか?」
スマホ片手に、翠ちゃんが不安そうに訊く。
「俺にもわからん」
どうしたらよいのか判断がつかず、俺たちはただ周囲をうろうろとするばかりである。
「ちと、離れとくか?」
そこへ、車道に出ていた警察官のひとりがするどく笛を鳴らした。それから群衆へ向けて急いで離れるよう、身振り手振りを加えて叫ぶのだ。
なにかバリバリと大きなものがぶつかる音。ディーゼルエンジンから吐き出された黒煙が、もくもくとあたりを覆い、しばらくすると機械式の排土板を前面に装備した装軌車輛が、信号待ちをしていた車列を押しのけ現れる。
突然のことに、誰もがびっくりして、言葉もなかった。
俺のとなりでは、お面をすっぽり被った向日葵ちゃんが、もう臨戦態勢の構えである。
「なんですか、あれ!」
なにか事情を知ってそうな警察官を捕まえ、俺は怒鳴るように聞いた。
「戦車だよっ、更生戦車ってやつ」
「更生戦車って?」
とした俺の声は、ただちに甲高いエンジン音によってかき消されてしまうのだ。
金属の尖った悲鳴をかき鳴らしつつ、その出来損ないの重機みたいな戦車は、煙幕のような黒煙をもくもく吐き出しながら、キャタピラだけを器用に滑らせ交差点を曲がっていった。
その際、長方形の排土板が上下に振られて、押しやられた車が次々と車道脇のガードレールへ乗り上げてゆく。
小さな悲鳴がいくつも上げられる中、俺は翠ちゃんを庇うように慌てて車道から身を遠ざけた。
振り向くと、向日葵ちゃんだけはひっくり返った車の一台に跳び乗って、逃走する戦車の方をじっと睨んでいる。
「向日葵ちゃん!」
この目に用心の色を浮かべているのを察したのか、向日葵ちゃんは何もせず、すぐさま車を飛び降りて戻ってきた。
追いかけて一発くらいはくれてやりたかったのだろう、しかし今ここでそれをやられてしまうと、取り繕うのもたいへんなのだ。
お面を外した向日葵ちゃんは、なんとも冴えない表情を浮かべていた。
俺は笑って、その頭を撫でてやった。そしてふりかえりざま、翠ちゃんに向けては、肩をすくめてごまかすのである。




