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その奇譚(きたん)、叶えるのは難あり  作者: あみの よもやま
46/72

夢を捕うるもの 一

 高校生活も半年を過ぎ、こう長らくミカンコ嬢の近くにいると、自然なスナップを思い返す機会もいろいろ増えてくる。

 それは、手をあてるのが少し遅れた小さな欠伸(あくび)や、箸から落ちた里芋がころころするのを慌てて拾いあげる仕草とか、あるいは友人に背後から抱き付かれて目を白黒させている姿など、みな表情を豊かにして彼女の人となりの一端をのぞかせた感じだった。


 そんなふうに、男女を問わず好感を持たれる彼女であったから、ある秋の日の放課後、俺の手を引いて校内を歩いている姿などがよく目撃されると、あちらこちらで妙な噂が囁かれる。


 もちろん俺も、あんな美人と本当に良い仲であれば、あまんじてその嫉妬を受け入れもするが、実際は、希人(まれびと)を今しばらく抑え込むための考試が部室で繰り返されていたにすぎない。

 これがまた、ある種のホラーじみた、背筋も凍る怪奇な現象を次々と誘発してくれるものだから、俺もとうとう(たま)りかねて、しばしば脱走を試みたものの、そのたびに連れ戻され、それが校内ではちょっとした噂になってしまったのである。




 パラパラパッパと鳴りだしたスピーカーの音で、クラスの男子が体育館の中央へと繰り出す。体育の先生が演壇に立ち、声を張り上げ号令をかけた。

 それで俺たちの体操の一幕が、真っ直ぐ振りあげられた腕のキレイにそろった動作で始められ、身体が火照(ほて)った頃には曲目を終える。


 なんでも、この高校に古くからある伝統の体操ということで、それを授業にも取り入れて、毎年、中間テストを終えたこの時期に、ヒマな一年生は教え込まれることになるらしい。

 そのお遊戯をようやく終えると、それぞれが列を作って体育館から退出する。

 ボッチの俺は、当然最後となる。

 皆の行くその後ろを、ぶらぶらついて歩いていると、次に体育館を使うらしい二年生の男子たちが、もう廊下の脇に控えて待っていた。


 ―――ああ、またかよ


 あの噂が広まってから、俺はしばしばこうした災難に見舞われる。

 先輩たちの目つきを見れば、もう明らかだった。また足でも引っ掛けて、この俺に嫌がらせのひとつでもしたいのだろう。私立とはいえ、男の嫉妬心は全校共通でもあるらしいから。


 大きなため息とともに、心はまたもや憂鬱に沈む。

 だからもう無心になって、その差し挟まれた上履きをあざやかに踏み潰して、俺は素知らぬふりで歩くしかない。

 つま先を踏まれた男が、足を抱えて痛みをこらえていた。

 周囲からは様々な失笑を買っていた。


 まあ俺も、すぐそういうことをしちゃうから、不心得な連中も引き下がれなくなるわけで。


 すぐさま怒声とともに、背後から悪意ある手が伸びてくる。

 それを、俺は振り向きもせずに身体を丸めるだけでやり過ごして、(つか)まれかけたその腕を、上半身をひねって次々と(かわ)していった。

 どこからか、感嘆の声もする。

 それで放免かと思いきや、なおも「待てよ!」との(おっしゃ)りよう。

 喧嘩上等とばかり、微笑を(ひらめ)かせながら振り向いてやると、今にも殴りかからんと興奮していた男子の顔が、みるみる情けなく引きつっていった。

「なんだ?」

 俺が不愛想に問うと、その先輩はもごもご言って、尻もちをついた。


 そもそも、心胆(しんたん)遺志(いし)を刻み、数々の死線をくぐり抜けてきた本物の軍人相手に、平和な時代でぬくぬく育てられた俺たちなんぞが敵うわけもないのである。

 先の通路では、慶将が苦笑して待っていた。


「ハンチくん、まだちょっと封力が足りていないようだね」

「ああ、そうみてぇだ」


 俺は腰を抜かしている上級生らを一瞥(いちべつ)して、ため息をつく。

 この俺も、ドスの効いた眼力というものを知識の上では心得ていたが、その威圧は、自身で鏡を見ることすら躊躇(ためら)われるほどに強烈であった。

 希人に含まれる叔父の知識や経験、そしてその背後に何千年分もあるかもしれないあまた記憶の繋がりが、この貧弱な坊やでさえも、歴戦の猛者(もさ)たらしめていた。


「とすると、希人っていつから存在すンだ?」

「さあ、僕に聞かれてもね。キミの記憶にはないのかい?」

「どうしたわけか、そうした肝心のモンがさっぱりなんだよ。この喧嘩っ(ぱや)いのだけは、もともとの血筋みてーなんだけど」

 つまり俺は、まだきちんとした希人になったわけでもないということだ。

「今のところ、それが唯一の救いなのではないかな。ところで、キミの従者(ズサ)たちは何か言っていたのか?」

「いや、なんも。以前にも聞いてみたけど、古いことはあいつらも分からねえ、っていうか、感覚だけ残っているだけで、遠い記憶は摩耗して消えちまうんだとさ」

「ほう」

 昨日やった授業の内容でさえ、うっかりすると忘れがちになるのに、何千年分もあるかもしれない記憶など、覚えていろという方に無理がある。


 そんなこんなで、放課後、掃除の当番を終えると、俺はミカンコと慶将の待つ部室へ急いだ。

 急がないと、またミカンコ嬢がしかめっ面で俺の手を引っ張りにくるからである。

 部室の扉を開けると、制服を着せられた向日葵(ひまわり)ちゃんが出迎えてくれた。

 お嬢様いわく、備品と同じ扱いだから学校へ連れてきても問題はないとのこと。理屈の上ではそうなのだろうが、そとに知られてしまったら、ちょいと面倒なことになりそうである。

「あら、半田クン、お久しぶりね」

 そして本日は嬉しくも、顧問の先生までいらっしゃるのだ。



 この俺が、内心では芹沢先生と呼ばずにこっそり女史(じょし)と呼んでしまうのも、地位や名声のある女性へ向けて敬意を示すには、それがもっとも適当だと思われたからである。

 そしてその女史は、こと希人に関して、ミカンコのあくまで縁の下の人となって助勢してくれる。

 先の光柱騒動では地上波でもあれだけの騒ぎになったのに、この人の行政府ならびに報道機関への素早い対応のおかげで、騒ぎは続かずそれっきりとなっていた。

 そればかりか、このところ頻発する奇妙な事案まで処理してくれているというのだから、ミカンコだけでなくこの俺ですら、感謝せずにはいられない。


「あ、あの、先生、お茶、()れましょうか?」

 慣れないことを俺がたどたどしく申し出ると、奥でミカンコが吹き出す。

「おかまいなく。もう、鷺ノ宮さんから頂きましたから」

 その先生の前にはティーカップが一客、すでに添えてあった。

 俺はきまり悪げに、もう少しでそっぽを向きそうになるのを、辛うじて堪えて、照れ笑いをしてみせた。

 この人から(みなぎ)りあふれる知性と行動力を感受できなかったら、さながらスタイルの大変よろしい女優さんとしか思えない風采の人である。


「今のところはまだ平穏でいられるけれど、もし希人(まれびと)の存在が世間に知れ渡ってしまったら、どんな事態が持ち上がるのか。私もちょっと考えただけでうんざりしちゃうわね」

 まだまだ騒動の終わりは見えず、先生は今から各省庁への手回しのことで頭がいっぱいのようだった。

「まずは見世物、それから保護を名目とした身柄の拘束、そこへ軍事目的の資本が大規模にドンと投入されて――といった案配(あんばい)でしょうか?」

 慶将は面白がって言った。

「てめぇ、他人事だと思いやがって」

「フフ、そうね、(いず)れの組織が関わろうとも、結局は向日葵さんが助けだしてしまうのでしょうけど」

 語気を荒げる俺に、先生はその向日葵ちゃんを寄こしてくる。そして「心配無用」と自信たっぷりに言う娘の横顔を、眼を細めて眺めるのだった。

「仕事柄、私もこんな可愛い娘の部下がひとりでもいてくれたら、って思うことがよくあるわよ」

「それは、先日の騒ぎのことですか?」

 そう口を挟んできて、二度目の紅茶をお嬢様は淹れる。

「女の身で、大勢の男の人を動かすのも、なかなか骨が折れるものなの」

「まあ、そうですの。それでも先日、きちんと(イヌ)の退治なさっていたではないですか」


 この芹沢女史、従者(ズサ)や傀儡のような異能の力に一切頼ることなく、なんと人の力だけで(イヌ)を仕留めてしまったというのだから、恐れ入る。


「そんな大げさじゃなくて、私たちが退治したのは、ちょっと風変わりなクマさんだけよ。ヒグマがなぜ本州のあんな場所にいたのか、もう最初から十分に怪しかったものですからね」


 その事件は地上波でもネットでも取り上げられ、今朝もそのヒグマの話題で持切りとなっていた。

 大勢の警察官たちが、勝浦市から鴨川市にまたがる約4キロの崖の付近にまでクマを追いつめ、最後はハンターが猟銃で仕留めたのだという。


「でも実際は、害獣駆除要請を受けた東部方面隊の自衛官たちによって駆除されたの。あまり自衛隊が表に出ると、ほら、この国のマスコミはうるさいでしょう? 少し前から、市内では推定八百キロ以上の巨大クマの足跡が確認されていたけれど、それを駆除した後、ユニックで吊り上げて測定したら、なんと二トンを超えていたのよ。そんな戦車みたいなクマ相手に、警察や民間人なんかの装備では、とても太刀打ちできませんからね」

 ところが一方で、その巨大ヒグマを駆除したことへの抗議の声が、一般市民からもかなりあったらしく、クレームを受けた勝浦市側はその対応に苦慮していたようである。


「そのクマのお腹からごろごろ出てきた未消化のヒトの一部を報道することができたなら、そんなことを申し出る人もいないのでしょうけれど」

「でも先生。なんでそれがはっきり(イヌ)だと分かったんです?」

 慶将が興味深そうに尋ねる。

「最初に襲ったコンビニで、レジの後ろに置いてある棚からタバコをごっそり盗み出したからよ。なんでも、ライターで器用に火をつけて、トラックに寄り掛かりながら一服喫していたそうよ」

 そこだけを捉えるならば、バラエティー受けするひょうきんなクマさんで済ませられようが、そうして(くつろ)いでいたのは、豪華なお食事をした後のことなのだ。


 こうなってくるともう、飛鳥や久場のような従者(ズサ)とはなんなのか。古来より希人に従うものと見做(みな)され、便宜上、そう呼んできたらしいが、もう普通に変化(へんげ)とかものの()とかでも良いのではないかしら。


「さ、ハンチさん。こちらへいらしてください」

 黒机の横に据えた椅子の後ろにミカンコが立って、背もたれをポンポンとたたく。

「やっぱやらないと、だめ?」

「もちろんです。たった今、この部屋にいる間でさえ、それは進行しているのですから」

 向日葵ちゃんにつき添われて、俺も仕方なくその椅子へ座ると、ちいさくため息をついた。

 ここで行われる処置とは、増築に増築を重ねて扶桑(ふそう)の艦橋のようになってしまった右手の封印に、さらに封印を()ますためである。


「なんだか、華僑(かきょう)によくある刺青(いれずみ)のようね」

 先生はそう評しながら、袖をまくり上げた俺の素の腕を興味深そうに見ていた。

 以前はそこから眼球や上顎(うわあご)のようなものも浮き出てきたりして、俺も仰天して学校中を逃げ回ったりもしたが、今では文字の封印だけで済んでいる。それでも、任侠(にんきょう)顔負けの刺青がどんどん増えてゆくようで、こんなものがあるうちは、近所のスーパー銭湯にすら行けやしない。


 唯一の救いは、今が寒い時期であることくらいだろうか。


「これを封入し続けないと、あっというまに大惨事ですのよ。最初に封入した(まじな)いは、すでにぜんぶ解呪されてしまいましたから」

 あの怪しげな太筆を俺の右腕に当てながら、ミカンコはそんなことも言った。

「へえ。私も初めて見るけれど、まるで、文字が生きているようね」

「生き物というよりは、むしろウィルスに近いのでしょう」

 (まじな)いを封入しているあいだ、同い年の美人と、少し齢の離れた美女が、俺の耳元でそんな言葉を交わしていた。

 彼女たちの唇からしてくる甘い芳香に、なんだか俺はぎりぎりのところにまで追い詰められてくるようで、そんな空気がひしひしと、若い男の身を(さいな)んでくる。

「どうなされました?」

 ミカンコが、怪訝そうな顔をした。

 どうもこの(よこしま)な情動が、清潔な彼女の意識にまで届いてしまったようである。

 俺は左右の顳顬(こめかみ)を、空いている手でぎゅっと押さえつけた。

 そして、妄想全開!


 ―――マッチョの脇汗、おっさんのビキニ…


「よしっ、()えた!」

「はい?」

 突然の叫びに、ミカンコが目を丸くしていた。

「いや、なんでも。というかさ―――」

 こんなとき、何に(すが)ってうやむやにすれば良いのかわからない、俺は今あったばかりの会話のことを思いだしてみる。

「―――これをやり続けていないと、大惨事って、具体的に何が起きるわけ?」


 そう問うと、ミカンコはいっとき、言葉を詰まらせた。

 それで先生と顔を見合わせて、その先生の方から「私が言うわ」と頷くのである。


 北九州市若松区の、とある港。

 南方に工業団地を控えたその堤防は、周囲に民家などなく、遠くから重機の音がするだけの簡素な場所であったが、その湿り気を帯びた空気の中では、福岡県警機動隊がその港湾施設入口を立ち入り禁止としていた。

 そこでは、陸自の三トン半から降り立った隊員たちが、分隊ごとの配置について二四時間の監視体制を敷いていたのである。

 満潮時には、潮風から巻き上げられた冷たい飛沫が、あたりを万遍(まんべん)なく薙いでゆく場所であった。

 じっと立つ隊員たちはまるで彫像のようで、交代のためにようやく分厚い靴底が動くと、そこには乾いたコンクリートの足跡が残される。

 堤防の先にいる一分隊の約十名は、寒冷前線からくる(きび)しい寒気の降りるなか、今も白い息を吐きながら、影との境があいまいな堤防の亀裂にずっと目を注いでいた。

 そこで再生されてゆく船体を、隊員たちはずっと監視していたのであった。


「再生? なんで堤防のコンクリの中に船があるんです?」

 先生の笑みが、不思議がる慶将の視線を受けとめる。

「その堤防は、旧日本海軍の駆逐艦三隻の船体を沈設して作られた防波堤なの。そのうちの一隻の船体に、わずかながら火廣兼(ひひろかね)が混入されていたみたいなのよ」

 その火廣兼(ひひろかね)といえば、向日葵ちゃんや、あの内蔵助(くらのすけ)にも使用されていた、たいへん貴重な金属のはず。

 そんなものが、なぜ軍艦に?

「かつての太平洋戦争は、一九四五年の八月一五日に降伏を宣言して終わってくれたわけだけど、軍部で本土決戦の構想があったことは、あなたたちも知っているわね?」

 俺と慶将はかるく頷いた。

 まあ知っているというか、それは当時の情勢であれば、軍もそう判断して行動するのではないかしら、という憶測があっただけである。

 具体的にどんなことをしていたのかなんて、俺にはさっぱりだ。


「戦争末期、帝国陸海軍作戦計画の大綱(たいこう)に沿って、各方面軍の戦力と兵站(へいたん)の編成替えが行われていたわけだけど、予定されていた決六号作戦は、別称、袖箭(ちゅうせん)作戦とも呼ばれていてね。ようするに、上陸してきた連合軍に不意打ちをして大打撃を与えようというものなの。それで、当時の軍部が目を付けたのが、火廣兼(ひひろかね)というわけ」


 俺は「なるほど」とだけ言って曖昧に応えていたが、おぼろげながらも、そこにはとんでもない光景が浮かびあがってくる。

「ひょっとして、軍艦一隻を丸ごと傀儡(くぐつ)に?」

 もしそんな事ができるのだったら、現代の技術力から(かんが)みても、おそろしい戦力になるのではないかしら。自己修復どころか、大砲からビームまで飛び出すのである。

「さすがに無理ね。そこの向日葵(ひまわり)さんの分量ですら異常なのよ。ましてや駆逐艦サイズだなんて」

 そう言えば慶将も言っていたなあ。向日葵ちゃんひとり分だけでも戦艦が買えてしまうのだとか、なんだとか。


「それで、今日は巫女(みかんこ)さんに折り入って、私も話があって来たのだけれど、そうしたら、さっそく断られてしまって」

 とりつく穂すらないようなお嬢様の態度に、もう(さじ)を投げたと言って、先生は笑っていた。

「以前にも申し上げましたが、先方から当家になんの謝罪もないまま、火廣兼(ひひろかね)を渡すことなどいたしません」

 (かたく)なな態度の彼女は、きれいな眉を寄せ、なにかしらの笑みを口の端に浮かべながら、先生をかるく睨めている。

「そうね、少しはあの方たちにも、あなたに直談判(じかだんぱん)する苦労を知っておいてもらいたいものよね」

「里見さん、もし私からこれを首尾よく取り上げることができたなら、それを材料に、八咫烏(やたがらす)へも入り込もうとするおつもりね?」

 ミカンコは一息にずばりと言った。


 彼女の視線を受け止めて、先生は肩をすぼめながら、屈託のない笑いをみせる。

「そのついでに、核の部分も掌握してやろうと思っていたのよ。少しは変革してあげないと、今の時代にすっかり取り残されてしまっているようですからね。あの月詠(つくよみ)に、はっきり対抗できる勢力を作っておけば、いろいろ味方をしてくれるでしょうし」

 先生は端然(たんぜん)と、声も凛々とさえていた。

「でも、なにも里見さんひとりでそこまで頑張らなくても、だれか適当な男性でも見繕(みつくろ)って、その後援で、気楽にやってゆく手もあるのではなくて?」

「あら、巫女(みかんこ)さんの推薦する殿方でもいるのなら、私も(やぶさ)かではないわよ?」

「人でない者でもよろしいのでしたら」

「残念ね。そんな度胸のある人たちは、八咫烏(やたがらす)の中にもいないのよ」


 本気なのか冗談なのか、ともかく先決事項は希人(まれびと)のことだろう。

 もうすでにその兆候は日本各地に現れている。

 俺は手を上げて、教室にいる従順な生徒のようにふるまって。質問をした。


「あの、先生。軍艦が完全に再生された場合、いったいどうなるんです?」

 先生は俺をじっと見ると、面白いものを見つけたように言う。

「現在の日本へ向けて無差別に攻撃してくるのではないかしら。なんたって、帝国軍人であった希人さんの、その従者(ズサ)が扱っていた傀儡というのですから」

「はい?」

 俺は当惑して、眉をひそめた。


「つまり、かつての希人さんの唯一の従者(ズサ)が、軍が所有する傀儡たちの司令塔となって、現在でもどこかに潜伏しているみたいなの。本来なら希人さんが未来へ転移したときに、その接続も断たれているはずなのだけど、それが中途半端だったのかしらね」

 つまり、作戦命令の解除が為されないまま、今も連合軍を待ち構えているというわけか。

「でも、なんで自国を攻撃するんです?」

 それには、先生ではなく慶将が応じてくる。

「ハンチくん、現代の日本は民主主義国家として、古い時代の面影を残すことなくすっかりアメリカナイズされてしまったものだからね。当時の命令を保持したままの傀儡では、きっと日本も米国も区別できないと思うよ」

「うへえ」

 そうしたことを、先生たちはたいへん危惧しているというのである。


「私も、ハンチさんの中に留まり続けている希人(まれびと)を、先の時間軸へ送り届けるために、でき得る限り穏便に済ませるよう努力してきたつもりですが、どうもそれを察した月詠(つくよみ)に、今回は、してやられてしまったようなのです」

「だから、その月詠(つくよみ)を忙しくさせる組織も、作っておいた方が無難なのに」

 先生が、口をとがらせる。

「私は、こんがらがった糸を(ほど)いているところなのですよ、里見さん。昔懐かしい(よすが)に、絡み絡まったままの糸くずを渡しては、私も面目(めんぼく)が立ちませんので」

「つまり、その懐かしい(よすが)というのが、栞雫(かんな)さん、という方なのね?」

 ミカンコは、はっとして、澄んだ瞳を大きく開いた。


 先生は、悪意なくゆったり微笑む。

「ごめんなさいね。私も色々調べてみたのよ、当時の、細かな人事のこととかね」

「なんの人事なのです?」

 ミカンコの笑みはこわばっていた。

「大本営のとある部局に、不自然な文官組が含まれているのを見つけたのよ。戦況に沿ってよく逐増していたところなので、名簿すら満足に揃っていないのだけど、偶然手に入れた私物の書付の中に、その人のお名前があったわ。あなたの曾祖母と一緒にね」

「私物の書付ですって? よくもまあそんなものが…」

「なんでも書く癖があるのは、日本の役人の習癖のようなものよね」

 先生は笑って言う。

 国の組織の中では、いつ身に覚えのない不始末の責任を押し付けられてしまうのか、まったく知れたものではなかったので、現代でもそうしたものが、職員の間では我が身を守る術策として、広く知れ渡っている。

 処世の術策と呼ばれる所以(ゆえん)でもある。


 ミカンコは小さく嘆息した。

「それで、どこまでお調べになられたのですか?」

「そうね、その栞雫(かんな)さんというのは、かつてあなたの曾祖母(そうそぼ)と一緒に華族女学校へ通っていたご学友の方で、法師としてもかなり優秀な方だったとか。それから、当時の希人さんの婚約者でもあったようね。その馴れ初めは、霞ヶ浦での一件だそうよ」


 先生の言葉はもの柔らかだったが、それだけに、底に張りがあるようだった。

「わかりました。もうそれ以上、おっしゃらないで」

 ミカンコは、めずらしく全身を張り詰めるようにして、感情をあらわにした。

「ねえ、これも、取引材料になるのかしら?」

 その先生の顔を見て、お嬢様はじっと黙っている。韜晦(とうかい)という言葉は、今の彼女にはないらしい。

 いろいろ手柄を立てていただけに、このとき、先生も少しはお嬢様を抑え切る自信があったようだ。


 少しして、ミカンコ嬢の(たお)やかな(うなじ)が、そっと頷いた。


月詠(つくよみ)火廣兼(ひひろかね)をお渡しすることはできませんが、代わりに私の収集物の中から、八咫烏(やたがらす)を説得できるだけのいくつかを、いろいろ見繕(みつくろ)っておきましょう」

 観念したように、ふっと語調を明るく変えるその彼女は、(まじな)いの法師として恐れられているものの、この場面だけを切り取れば、ひとりの明敏(めいびん)な少女にすぎない。

 その返答に、先生は満面の笑みで首肯する。

「それでこそ、巫女(みかんこ)さんね。とても助かるわ」

「私、ひょっとしたら、とんでもない方を味方に引き入れてしまったのではないかしら」

 お嬢様は、ぽつりとそんな言葉も口にした。

「大げさね。女っていうのは男とちがって、細かなことにもいろいろ気がつくものなのよ」

 先生は愉快そうに笑う。

 ミカンコは、その笑いに釣られるわけにもいかず、むっつりと黙り込んだままであった。


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