文化祭 六
ほんの息抜きの文化祭であったつもりが、やっぱり妙な展開になってしまった。
俺は目を閉じて指でこめかみを押さえる。ミカンコのすることは正しいのだろう、きっと半分くらいは―――そして未熟な吾輩は、ただ状況に流されるしかないわけだ。
「さ、もうすぐだよ」慶将がスマホの時刻を見ながら言う。「傀儡が一斉に校門から入ってくるようだね」
俺は深呼吸をし、心を落ちつけて、目を開けた。
この季節の午後六時というと、もう秋の黄昏過ぎて空に夕月が昇る頃合いである。俺はアリオと連れ立って、秋明菊の繫茂する花壇沿いの夕闇を、やや小走りに通り抜けていった。
慶将に指示された校門脇までふたりでやってくると、正面玄関の網目の入ったガラス越しに、慶将が手を大きくふるって合図をしてくる。アリオはまだ俺の腕を強く握って緊張していたが、それでも笑って見返してやると、少しは安心できたようだった。
明日は予備日として片付けの時間が設けてあるので、生徒たちも来場者の帰ったあとを、いそがしく提灯やら天幕だけ外して、今日の祭りの余韻をしみじみ語り合いながら、皆連れ立って校門を抜けてゆく。
その校門の少し離れたところでは、件の丸い傀儡たちが、帰りゆく生徒たちへ向け、手を振って見送っているのである。
そして最後尾の生徒の一団が通り過ぎると、ようやく傀儡たちは動きだした。
こちらがどれだけ身を隠していようとも、傀儡たちはあらゆる遮蔽物もお構いなしで、その白い面をずっと俺たちへ指向し続けてくるのだから恐ろしい、ホラー映画なみのスリラー感たっぷりであった。
「なるほど、見えていなくても、近場の狗の存在だけは分かるんだな」
「ねえ、もう破いていい?」
傀儡の群れは一列に連なって、足を止めずに歩き続ける。はたから見れば何かの演目のように見えなくもないが、あいつらの目的は間違いなくアリオであった。
俺が合図をすると、アリオは焦る気持ちでさっとお札を破いた。
とたん、傀儡たちは歩みを止め、ひび割れたコンクリートの地面をくるくると見回す。お嬢様の申していたとおり、傀儡にとっては狗の駆除がなによりも優先されていたことが、これで証明されたというわけだ。
ふたりともお面を被り、そのまま一目散に駆け足で正面玄関へと戻った。
転がるように戻って来た俺たちを、慶将が笑みを向けて労ってくる。
「首尾は上々のようだね。見たまえ、あの傀儡たちは皆、部室棟の方へ向かいはじめたよ」
ご機嫌な慶将の指さす先では、傀儡たちがやはり一列に並び、規則正しく足を運んでいた。生き物と違い、パッチワークで組み上げたように一糸乱れず集団行動をとれるというのが、物の強みというやつだろう。
「今、部室にはミカンコしかいないけどよ。もしも、ってことはねーのか?」
「大丈夫さ。そもそも、彼女がいないと傀儡は部室棟へ向かってもくれないだろうしね」
つまり、今のお嬢様は誘因のための餌代わりになっているわけだ。
「俺、こういうの知ってるぜ。なんとかホイホイってやつだろ」
「バカ言ってないで、さっさと行かないと――」
手で押し出すように追い立ててくる慶将にちょっとした反発心を覚えながらも、俺たちは校舎の反対側から抜け出て、先回りをした。
陽が完全に落ちると、風がやや強く吹きはじめてくる。
このために天幕だけ外すよう、先に執行部からご通達がなされていたのだろうけど、今やその風が、アリオの短いスカートを尻にまとわりつかせ、俺を嬉しく不安がらせていた。
「ほら、見てごらん」
皆で部室棟脇の植え込みに身を隠すと、慶将はさりげなくアリオの肩に手を置いて、その視線を導く。
ちょうどこの角度からだと、いつもの入り口が外灯のあかりに照らされて、はっきりと見えていた。そして暗がりの奥の方からは、傀儡たちが一匹の大ムカデのように連なって、次々とまるい筐体を現してくるのである。
「ほう、ムカデとはよく言ったものだね」
お面の下ではどんな顔をして嘆じているのか、珍しく慶将が、俺のした表現を褒めてくる。
「なるほど、少しの明かりの下にまっくらに映ることで、生き物のような不気味さを浮かび上がらせるというわけか―――それで久場くんの方は、どうかな?」
「こっちはいいぜ」
その久場の代わりに、俺が返事をした。
この大男は四つん這いになって地面に手をついていたので、無理に身体を伸ばさずとも、その首筋には簡単に手が届いた。
「きちんと男同士、おたがい直に肌で触れ合っているかい?」
「言い方っ」
そうしないと希人との接触がうまく保てないらしい。
分かっちゃいるが、できることなら、俺は風にたなびくアリオの柔らかお尻に触れてみたかった。
しばらく見ていると、大きなムカデはその頭から、簀子を踏み鳴らして校舎の中へと入ってゆく。その長さから、最後尾が入ってしまう前に二階の部室にまで到達してしまうのではないかと危ぶまれたが、案外にも入りきるものである。
「無事に入ったみてーだぜ」
「いや、ハンチくん、油断はならないよ」
言うが早く、慶将がうしろを振り返りつつ立ち上がった。
俺と久場はわけも分からず、背中を緊張させる。
とたん、なにか物の壊れる凄い音がして、俺たちの背に頭にバラバラと細かいものが降りかかってくるのである。
「な、なんじゃっ」
首を竦めて振り返ると、夕闇のつくる丸い影の後ろに、背の低い女の子が立っていた。俺にとっては馴染みのある、妹そっくりの姿をした向日葵ちゃんである。
「油断大敵」
向日葵ちゃんはぼそりと言う。そこでは傀儡のひとつが腕を振り上げたまま停止していた。いつ背後へ回り込まれたのだろう、俺たちは吃驚して言葉もなかった。
よく見ると、月詠御謹製の傀儡さんの、その丸い腹からは向日葵ちゃんのほっそりした手指が突き出ている。
「ほう、さすがは向日葵さんだ」
慶将が嘆じた。
向日葵ちゃんは背後から貫いていた手を、またすごい音を立てて引き抜くと、うしろにとんぼを切って飛び退いた。
そこへ、光跡を引いて何かが地面に突き刺さる音、それがふたつみっつ、そのときにはもう、広葉樹の木立が黒い影を落とすところへ、向日葵ちゃんは跳んでいた。
着地をしたその背後から、再び光るものが投げ込まれる。それを器用に避けた向日葵ちゃんの頭上には、刺々だらけの丸い影が。
手足を引っ込めて、代わりに刃を生やしたその姿は、まるで陸に上がったウニのようで、攻守兼備のその傀儡が向日葵ちゃんに襲い掛かってくる。
とっさに身を投げ出した向日葵ちゃんの横を、幾本もの刃が掠めた。
しかし地面に刺さった鈍い音が俺の耳にまで届いたときには、もう向日葵ちゃんは地面を蹴って宙にいる。
そのまま、傀儡の頭頂部へふわりと舞い降りるのだ。
傀儡はすごい勢いで筐体を回転させるも、ちょうど独楽の芯の上に立つような向日葵ちゃんにとって、その抵抗はまったくの無意味だった。
もうなんの躊躇いもなく、傀儡の頭を踏み潰す。
その重い手応えとともに、筐体に繋がる隙間からは青白い火花がとび散り、まるで糸の切れたようにして、その場に擱座するのだった。
俺は息を呑んで、この累々と転がる傀儡たちを見つめた。こんなヤバイ相手、人の手などではこうも容易く葬れまい。
「さすが、お見事です」
慶将が褒め上げる。
その賛辞に、俺も慌てて言葉を添えた。
「助かったぜ、マジで」
その功労者である向日葵ちゃんは黒曜石のような瞳を光らせ、しばらくじっと見張っていたが、きちんと破壊したのを確認できると、そこでようやく、人の温みのする笑みを見せてくるのだった。
お祭りのあった夜であれば、居残っている生徒たちの姿もなく、こう注意深く校舎の窓に人影を求めても、教室いっぱいに黒い夜の冷たい空気がひろがっているだけである。
あたりが水を打ったように静かになるにつれ、虫の鳴き声がしんみり聞こえてくる。その臆病な鳴き声のするあいだは、突然の襲撃もないのだろう。
俺はいまだ久場の首筋に右手を伸ばしたまま、疲れてその場にしゃがみ込む。アリオもそこで手持ち無沙汰にスマホを弄っていたが、さすがにひとりで帰る度胸はなさそうだった。
「今、どんな状況なんだろ」
俺は校舎の中に入っていった傀儡たちが気になった。
お嬢様は神隠しと申していたが、その後の連絡がさっぱりだ。
「久場は、なにか分かんねえ?」
「そうだねえ、あたりに変な歪みがあって、中にはモヤモヤしたものがふたつあるんだけど、こんな感じ、僕も初めてだから良くは分からないんだ」
「ふうん」
まあ、それが神隠しってやつなのでしょうかねえ。
「あ、そういや聞き忘れていたけど、飛鳥のヤツ、どこ行ったんだよ?」
「彼ならもちろん、帰ったよ」
「帰った? あいつよく帰れたな」
俺は感心して、久場のよく刈り込んだうなじのあたりを見つめた。
「ほら、いっとき、傀儡たちは包囲を解いていたから、そのあいだにこっそり帰ったみたいなんだ。僕の方は、慶将くんに捕まってしまったからね」
「へーえ、やるなあ、飛鳥も」
その要領の良いところなど、さすがはもと女といったところだろう。
動かなくなった傀儡の横にしゃがみ込んで、その破壊孔をしみじみ観察していた慶将が、妙なことを言ってくる。
「向日葵さんもよくやってくれたものだよ。ハンチくんからの話を聞いて、僕もよもやと思っていたけれど――」
「え、俺なんか言ったっけ?」
「この傀儡の棟梁と、キミは直に話をしたのだろう?」
慶将が笑った目で俺を見た。
「そりゃあ、したけどさあ」
「その棟梁の名前、なんだったか覚えているかい?」
それで俺は思い返す、あのひび割れた白いお面、たしか内蔵助とか申していたはず。
「傀儡の個々の識別名は、その帰属や行動様式を記したものと定められている。だから、ハンチくんと向日葵さんの関係のように、その内蔵助という名にもなんらかの意味があるはずなんだ。ところで、キミは内蔵助と聞いて、まずはなにを思い浮かべる?」
慶将は面白そうに「ん?」と鼻を鳴らして問いかけてきた。
「そりゃあ、あれだ。討ち入り事件の赤穂浪士だろ。その内蔵助ってのは官名から付けられた名前で、本名はたしか良雄とか言ったはずだ」
「ほう、きちんと勉強しているんだな」
「そりゃあ、この学校の面接ン時に、趣味は時代劇鑑賞ってぇことにしていたからな」
その面接対策のおかげで、俺はすんなり合格できたわけなのだし。
「まあいろいろあって、その赤穂浪士の四十七士は吉良屋敷へ討ち入ったわけだが、今回の傀儡たちも棟梁を含め、ちょうど四十七体あったのさ」
「へえ、よく勘定してたな」
「キミが前もって情報を教えてくれたおかげでね」
慶将は片目を瞑ってみせる。
なるほど、それで最初の話に繋がるわけね。
「校舎の中に入っていった傀儡は全部で四十五体、さきほど向日葵さんが二体倒してくれたので、おそらく外はもう安全だと思うよ。あとはミカンコさんが―――おや、その彼女が校舎から出てきたようだね」
露天の渡り廊下へ出てきたお嬢様のもとへ、まずは向日葵ちゃんが走りゆく。
ミカンコはその娘を見つけ、ひとつ小さく頷いた。俺たちも安堵の表情を互いにみせる。向日葵ちゃんはお嬢様へ甘えるように、爪先立ってその腕にかるく触れていた。
「ごくろうさま、向日葵さん」
ミカンコはそう言い、渡り廊下の中央にまで歩いてくる。その彼女の傍らに、さっそく慶将が寄り添った。
「慶将くん、そちらの首尾はいかがですか?」
「ええ、それはもう、皆がよくやってくれたおかげで――、向日葵さんもしっかりしてくれましたし」
そう声を弾ませながらも、慶将は彼女の浮かない顔に気づいた。
「どうしました、ミカンコさん。何か予定外のことでも?」
ミカンコは少しためらった後、口を開く。
「久場くんのお力添えで、今回は磐座の間を開けてみたのですが、そこにはどなたかが、迷い込んでしまったのかもしれないのです」
笑いかけていた慶将の表情は、そこでぴたりと止まった。ミカンコはまだその顔を眺めている。慶将が何も言わないでいると、お嬢様はもう上履きのまま、こちらの植え込みにまでやってきた。
彼女はちらと俺を見て、そして久場の方へ顔を向ける。
「久場くんなら、何か感じられますか? 火廣兼を持つ傀儡と、似たような感じのものが、もうひとつ…」
いきなり問われて、久場も驚いたようである。すばやく首を巡らし、そして引きつったような顔で、お嬢様に申し上げた。
「いや、あの、そういえば、なにか似たような感じのものがふたつ――」
そして酸欠になりかけて、慌てて空気を吸い込んでいる。
俺もさきほど、モヤモヤしているものがふたつあると、久場から聞いたばかりであった。
「やっぱり、なにかしらが迷い込んでいるのは、確かなのですね。人ではないと良いのですが…」
火廣兼を備えた精巧な傀儡というものは、皆一様に感情を持っており、そこの向日葵ちゃんのように、人と比べても遜色のないものである。
つまりそれが久場の申すモヤモヤの正体らしく、それをお嬢様も感知していたというわけだ。
「でも、人とは限らねえんだろ? なら、火廣兼を持つ傀儡が、はじめからもう一体いたんじゃねーの?」
「いえ、それでしたら、私でもわかりますので」
ミカンコは腕を組んで、部室棟の入り口に目を凝らしていた。
その目の色は濃く、外灯の明かりを返して、今はやや青味を帯びている。一瞬、俺はこのお嬢様が誰だか分からなくなっていた。もちろんミカンコ嬢に間違いないが、その目は束の間、冷たい非情な光を宿しているようにも見受けられた。
「どうする?」
俺が口を開いて訊くと、その息の詰まる気配は少し緩んだようだ。
お嬢様はうってかわった優しい目で、向日葵ちゃんを見つめた。
「いえ、私が、中へ入ってみます。この娘と一緒に」
「それは――」
一瞬、口ごもったあと、慶将ははっきり言ってきた。
「――待ってください。向日葵さんだけでも十分でしょう?」
「ですが、もし本当に人が迷い込んだのだとしたら、そこでは精神的なケアも必要となります。まだ今の向日葵さんでは―――」
「ありえない!」
俺たちはびっくりしてふたりを見る。常日頃から冷静さを保っている慶将が、こんなにも正面切って強固に反対してくるのは初めてだった。
お嬢様はただ、不始末の責任を自分で取るつもりだったのである。しかしその姿勢を、慶将は決して許さないでいた。
ミカンコは口を閉じたまま、しばらく慶将を見つめていたが、その瞳からは何を考えているのか読み取れない。慶将も自分の態度にはっと気づいて、戸惑うように視線をさ迷わせながらも、その主張を変える気はなさそうだった。
好奇心に駆られたアリオのつぶやきが、この間をひそひそ聞こえた。
―――ああもう、しかたねえなあ
おかげで横から口を差しはさむ口実ができてしまった。
この気詰まりな状況を、これ以上悪化させずに済むように、俺が行動しなければならないようだ。
「なら、ミカンコの代わりに、俺が行くよ」
「それだ!」
すかさず慶将は指を鳴らし、喝さいを以って賛同した。
「おいてめぇっ」
「ハンチくんならば、向日葵さんとの相性も良く、彼といれば、何があっても向日葵さんの力が枯渇することはありません。それに、彼は希人でもあります。もし死ぬような目に遭う未来が見えるのだったら、そもそも入る前に気づくはずです!」
慶将はこれだけのことを一息に言って、頬を紅潮させていた。
こいつがここまで必死になる理由は明らかである。それまでお嬢様に対して一切反論などしなかったが、この切羽詰まった状況で、その想いが一息に溢れでてしまったというわけだ。
とはいえ、俺も、この男の赤裸々な正直さは応援してやりたい。なにより、お嬢様を危険な目に遭わせるのだけは、俺だって御免なのだから。
「よろしいのですか? ハンチさん」
ミカンコの声に、俺の物思いは遮られた。俺は思春期の男子のような本能的なそっ気のなさを演じて、肩をすくめてみせた。
「ああ、構わねえよ。たしかに慶将の言うとおりだからな」
「私のせいで、本当にすみません」
お嬢様は深々と頭をさげる。
「おいおい、顔を上げてくれ。後でほっぺにキスでもしてくれたら、それで十分だからさ」
そうしたわけで、俺はこれから向日葵ちゃんと一緒に、未知なる決死圏へ挑むことになったのである。




