文化祭 五
それでともかく人の混み合う紅白の通路を、俺はアリオの手を引いてそそくさと通り抜ける。
「ど、どこいくの?」
アリオが頬を紅くして聞いてきた。
「こうした場合、やっぱ専門家だろ――って、なにテレてんだよ」
「いや、だってさあ」
そう口ごもるアリオの周囲では、あら―――という声が通りすがる女子生徒たちからいくつも起きていた。そうした声がまた、コンクリートの路に簀子を敷き詰めた渡り廊下まで続くのである。
こいつは俺と違って交友関係が海原のごとく広いので、こうした場合、世間の煩わしさをいっさい知らない可哀そうな俺様の方が、堂々としていられるのだからおかしなもの。
「あとで、たいへんだよ、もう」
「おまえなあ…」
こいつは口からビームのことなんか知らないから、そんな暢気なことを言っていられるのである。
「マジでしばらく隠れてねぇとヤベえかもしれねぇっての。だからウチの部室に―――」
外から自分たちの姿を見られたくないので、窓のあるところはできるだけ頭を低くして、そのまま旧校舎の方へと抜けていった。
あの、いつだかアリオに署名させられた露天の通路の横には、狭いところであったが、ビニールプールに帆船模型などを浮かべてなにかの演目をやっている集団もあって、脇には観客が立ちならび、たいへん賑やかである。
本来ならば俺も観客の一部となって楽しむところ、今ばかりは仕方のない。
それで、やっと安全地帯の扉の前へ到着する。
アリオと連れ立って中へ入ると、窓にかかる欧州風のカーテンのちょうど真ん中に、ミカンコが立っていた。このお嬢様の背中を見つけると、それだけでほっと安堵の吐息が洩れてくる。
もう初めて会ったときのようにただ待っているのではなく、俺は自分から声をかけた。
「ミカンコ、このおっちょこちょい、ちょっと匿ってやってくれよ」
すると綺麗な声がひとつして、耳にすっと落ちてくる。もう儀仗隊とかの衣裳ではなく、いつもの制服に包まれたお馴染みのお嬢様に戻っていた。
ところが、ミカンコの姿を認めるや、アリオははっと顔色を変えて蹲ってしまうのである。
「ご、ごめんなさいっ!」
俺は目を丸くした。
「おいおい、なんだよ、いきなり」
「だって、だって!」
俺がどう尋ねてみても、アリオは嗚咽を洩らすばかりで、まったく要領を得なかった。
それで、妹の幼少時代を思い出して、一緒にしゃがんで目線を合わせてやる。やさしく声をかけてその細い肩に手を置くと、アリオは縋るように俺の手を掴み返してきて、怯えた感じの目を上げた。
「なんだ? ミカンコがこわいのか?」
ハイともイイエともつかないアリオの鼻声である。
それでお嬢様を、俺も首を伸ばして拝見するも、とくに変わった印象は見られない。
「べつに、鼻にしわを寄せて烈火のごとく怒っているわけじゃあねえみてーだけど」
「まあっ、私、そんなふうにしてあなたを怒ったことなど、一度たりともございませんよ」
お嬢様は不平を申し立てているが、このアリオの怯えよう、ちょっと尋常ではないようだ。
とにかくアリオに寄り添ってソファに座らせる。少し落ち着くまでは、このまま俺も隣にいたほうが良いのだろう。かつて陽葵ちゃんが両親に怒られたときのことを思いだすようで、なんだか懐かしくも感じられたが。
ミカンコは情緒不安定なアリオのまえに、紅茶を淹れたカップを置いて一言添えた。
次いで、俺の前にも紅茶が運ばれてくる。
「なあ、こいつ、どうしたってんだ?」
「おそらく、アリオさんは狗として成長しているところなのでしょうね」
お嬢様も困っているらしく、眉尻を下げてちいさく微笑んでいた。
「いや、わかんねぇって」
「ですから、余計な力があるぶん、常人には見えないものが見えてしまっているのではないでしょうか」
「見えないもの?」
俺の隣では、まるで水に浮かぶひとつの油滴のように、身じろぎもせず、アリオは身を固くして縮こまっている。
いったい何が見えているというのだろう、背筋のすっと伸びたお嬢様のシルエットをいろいろ観察してみても、俺にはさっぱり見えてこないのだが。
「アリオ、まさかへんな病気とかじゃ、ないよな?」
「ホホ、大丈夫ですよ、しばらくすれば治まります。狗になったばかりの方に、希にあることなのですよ」
「なら、いいんだけどよ」
その間、俺は外であったことを手短に伝えた。
ミカンコからは、あまりよその傀儡と関わらない方がよいとのご指摘を受けたものだが、それよりも鷺ノ宮の総代とやらが気になった。なにやらその人が不義を働いたせいで、傀儡たちが学校の周辺にまで押しかけたというのだから、俺もこのお嬢様に楯突きたいわけでもないけれど、その総代とやらにはひとこと文句が言いたかった。
「総代ですか…」
「なんか約束していたらしいぜ。それが履行されなければ、今夕六時にまた来るって息巻いてたし」
「約束していたわけではないのですが…」
ミカンコはなにかを思案しつつ、流しで手を動かしている。
少しして、アリオもまともな返事ができるようになると、お嬢様はすっかり冷めてしまった紅茶を淹れなおして、ふたたび卓の上に置いた。
ちいさくお礼を言うアリオは、なんだかくたくたに疲れているようだった。
「おまえ、大丈夫かよ。なんか妙なこと口走っていたけどよ」
「ん、ゴメン。アタシもよくわかんなくって…」
そしてミカンコを仰ぎ見るも、今まで何を怖がっていたのか、本人も分からずじまいなのである。
とにかく症状が治まったのなら、俺も一安心だ。
アリオも少し余裕ができてきたのか、立ち上がると、壁際の鏡に自分の顔を映して、指先で細かに整えている。
「そういや向日葵ちゃん――と、慶将の姿も見えねえけど、どこ行ってんだ?」
俺はそこのギャル娘の尻をさりげなく眺めながら、ミカンコに尋ねた。
「ふたりは今、この校舎の周辺に、ちょっとした仕掛けを施しておりますの。まさか学校を巻き込んでまで、こんなことをするとは思いもしませんでしたが」
「巻き込んでって…」
大丈夫かおい、警察沙汰になるのだけは勘弁だからな。
「本当でしたら稀人のことも、夏の間に一息に収束させるつもりでしたのに、まあ次から次へと厄介ごとが持ち込まれるものですから」
それに関しては、俺もまるっきり同意見だ。ホント、こんなに忙しい進学校の生活では、身体がいくつあっても足りゃしない。
「ところでその、仕掛けって?」
「鏡みたいなものですよ」
「鏡?」
まるですべてを熟知しているような余裕をみせてくるお嬢様は、頼もしくもあったが、具体的にどうするのかはさっぱりである。
「その、呪いとか、いわゆる巫術みてーなもんでも使うわけか? あの傀儡ども、ごていねいに受付でビジタープレートまでもらいくさって――」
「おそらくそれをしていたのが、傀儡たちの棟梁なのでしょうが」
とにかく、このお嬢様が責任をもって何とかしてくれるのなら大助かり。俺はソファの背にだらしなく寄りかかって、疲労の溜まる目を瞑った。
「それで話は戻るが、おまえン処の総代って、いったい誰様なのよ」
俺はちらと目を開け、美人の横顔をこっそり覗う。
「ホホ、忘れたわけではないですよ」
その笑いを含んだ声に続いて、黒い瞳が悪戯小僧を見つけたように睨めてきた。
ミカンコはふいにその場から離れると、近くの収納棚を開けて、和紙で包んだ封筒ほどの大きさのものを取り出してくる。
「実はこれが、先の月詠の傀儡に使用されていた、火廣兼なのですが」
そうして俺の前に拡げられた和紙の上には、ちっぽけな一分銀ほどの金属片がのせられていた。
「へえ。あの黒焦げから、よくも取り出せたもンだな」
そんな話をしていると、アリオも興味深げに顔を寄せてくる。俺はそれを指でつまみ上げ、アリオにもよく見せてやった。これがあの、煙幕を焚いていた傀儡を制御する、火廣兼の一部でもあったらしい。
「いえ、一部ではなく、それで全てなのです」
「うん?」
つまり、あの大きな筐体を動かしていた中身の、これが全部ってことなのか?
「そうですよ。ついこの間も、月詠の使いと申す者たちが当家へ解決にやって来たそうですが、侍従たちに殴られぬばかりにされて、ほうほうのていで逃げ帰って――、ホホ、つまり彼らの約束事というのは、その火廣兼のことなのでしょうね」
火廣兼とは、地球の核を形成する鉄のことで、そのとんでもない純度のせいか、大気に触れても錆びることなく、今でも沢のある仄白い銀光を放っている。
「つーことは、月詠とやらの傀儡に、このちっぽけな火廣兼を大人しく渡せば、万事解決ってこと?」
「はい。鷺ノ宮総代としては、大人しく返すことなど決していたしませんが」
ミカンコは意地悪く笑った。
「おまえだったんかい、総代はっ」
「今では法師と呼べる者も、私くらいしか残って居りませんので、自然とそうした成り行きに…」
ははあ、もう理解した。今回の元凶はこの女ってわけなのね。
「ならさっさと返しやがれ」
「あら、数々の非礼を働いたお詫びとして、私もこうして頂いたわけですし、そもそも、総代たる私になんの挨拶もないうちからこれを返してしまっては、それこそ、旧宮家の沽券にも関わってくるというものですから」
そして、軽んじられては堪りませんわ、とも付け加えて、お嬢様は素知らぬ顔なのである。
午前中は校内のハイソな娘たち、そして午後には向日葵ちゃんを連れて仕掛けをいろいろバラまいていたイケメンが、やっと部室に戻ってきた。
学校の女子にとって、この男は魅力的で気が利くらしいが、さすがの慶将も向日葵ちゃん相手では居心地の悪さを感じていたようである。
その証拠に、今の慶将の微笑みにはなにか作り物めいた感じがする。この部屋に戻って、アリオに歯の浮くようなセリフを臆面もなく吐いてみせると、俺にはこっそり疲れた顔を披露した。
「慶将くん、ご苦労様です」
「いえ、この程度のことでしたら…」
お嬢様から心づくしの給仕を受け、いったん喉を潤すと、気分は落ち着き、鋭気も復活したらしく、この部活では間違いなくヒエラルキーの最下層であろうこの俺に、さっそく魅惑のイケボで話しかけてきた。
「どうしたんだ、ハンチくん、その浮かない顔は?」
「いや、浮かなくもなるだろうがよ」
こうした事態を招いたご本人様が、すぐそこに平気の平左でいらっしゃるのだからな。
しかしまあ世の理の中心地にお嬢様が常に御座すると信じて疑わない慶将くんには、まるで分かっていないようで、そこのスマイル0円は無邪気そのものである。
「俺のことはいいよ、んで、これから何をするつもりなのさ」
俺はさじを投げてソファに身を沈める。
「何をするも、月詠の傀儡をまとめて始末するだけさ」
「始末って…」
物騒だなあ、おい。
「傀儡の棟梁以外は、火廣兼すらない廉価版なんだから、なにも遠慮をすることはないぞ。キミだって、ゴミはゴミ箱へきちんと捨てているだろう?」
理論的代案のひとつすら思いつかない俺は、ため息をついて、となりに座ってきた向日葵ちゃんの頭を、黙って撫でることくらいしかできやしない。
それで、ミカンコは火廣兼を取り出した収納棚をふたたび開いて、お面のいくつかを取り出してくる。
読めない字で描かれた騙し絵のような、あの巨大なぐるぐる、見れば見るほど妙なもの。
「清澄さん、以前お渡ししたお面は、今日はお持ちでないのかしら?」
突然話しかけられ、アリオは躓いたようにものを言った。
「うっ、と、教室に行けば、ロッカーの中にあるけど…」
「でしたら、今はこれを御貸ししておきましょう。用心のために慶将くん、ハンチさん、向日葵さん、そして私は必要ありませんので、あとは久場くんが…」
「久場?」
知ってはいるが、呼んでもいない従者の名をお嬢様がいきなり口にするものだから、俺もいっとき、ぽかんとした。
「はい、今回は彼にも手伝っていただきますので、やはり用心のためにもこれを―――彼には必要ないかもしれませんが」
お嬢様がそのお面のひとつを壁に掛けると、壁はもぐもぐとお礼を言う。
「久場くんも厭々でしょうが、本当にあなたが平穏でいられるのは、やはり希人のいるここなのかもしれませんよ」
すっかり背景の一部と思い込んで吃驚していた俺の顔を見つけて、慶将がニヤニヤ笑いを隠しもせずに呼び掛けてきた。
「おや、どうしたのかな、ハンチくん」
「いや、どうしたも、なにも…」
その得意げなイケメンから、俺は壁際へと視線を移した。ミカンコ嬢が近くに寄るだけで震えだすそのでかい身体は、紛うことなき久場のものだった。
「おい、久場。おまえいつの間に入ってきたんだよ」
お面を被った久場は、恐る恐る、返事をする。
「さ、さっき、慶将くんに見つかって…」
それで部室にまで連行されてきたのだという。
俺も視点の高さをずっと向日葵ちゃんに固定していたので、その遥か上方までは、まったく注意を払っていなかった。
「うわあ、おっきい!」
アリオも今気づいて、目を丸くする。
そこへミカンコが、スクラップブックから一枚の札を抜き出してきた。
「清澄さんはこの御呪印を持って、あとでそれを半分に裂いていただきます」
「え、 アタシ?」
ミカンコから渡されたお札を持って、アリオはしみじみ眺め入る。俺も興味津々、朱色の符文で描かれた札を横からのぞいた。
「なにこれ」
「ハンチさんは、触れてはいけませんよ、においが移ってしまったら元も子もありませんからね」
「におい?」
「それは手にした者のにおいを模倣する御呪印なのです。この場合のにおいというのは、臭覚で感じられるものとは、また違う意味合いを持つものですが」
まあいわゆる霊的な山勘的な第六感みたいな、そんな得体の知れないものなのだろうな。
そこへ、慶将がもの知り顔で言ってくる。
「つまり、今は狗であるアリオさんのにおいを拡散して、しばらくの間、傀儡たちを煙に巻いてしまおうというのだろうね」
「ほう、アリオスキー粒子ってわけか―――おっと」
また話が横に逸れそうになる。俺はかるく咳払いをして、ミカンコに続きを促した。
そのお嬢様は腕を組んで笑っている。
「この校舎の外へ出たら、アリオさんはお面を被る前に、それを破いてくださいな。そしてお面を被ったら、もうこの校舎には入り直そうとしないこと。お面はお札と同じく傀儡の五感を欺けますが、それを被ったまま校舎へ戻ろうとすると、傀儡と一緒に神隠しに遭ってしまいますからね。なにもこれは、アリオさんだけに言っているわけではないのですよ」
「神隠し?」アリオが不安そうな顔をこちらへ向けてくる。
「大丈夫じゃね? みんないるし」
俺は笑って肩をすくめた。もしこれが本当に上手くいくのなら、大きな騒ぎにならずに済みそうである。少なくとも、世間さまの目から見るならば。
「傀儡が全てこの校舎に入るのをきちんと確認するまでは、みなさんご一緒に隠れていてください。外でうっかり見つかったら元も子もないですからね。そのあいだ、ハンチさんは久場くんに右手で直に触れてあげてくださいな。それで力の供給を受けた久場くんが、傀儡たちの迷い込む薤露の路を補強してくれると思いますから」
ミカンコがひとりでここまで詳細に語るのは珍しい。それだけ、実は危ない橋だったのかもしれない、なんせ神隠しなんて言葉も口にするほどである。
そんな不安を俺が口にしてみせても、きっとお嬢様は上手にはぐらかすのだろうけど。
「ところで、薤露の路ってなんだ?」
「一般的には、今にも消えゆくような儚げな路のことを指すようだね」
さすがは物知り慶将くんである。そのまま、神隠しの事も解説してくれたらありがたいのに。
ミカンコの唇が、穏やかではあったがちょっと棘のあるような笑みをつくって、慶将を軽く睨めていた。
「慶将くんも、難しいことは後にしてくださいな」
「ハハっ、もちろん分かっていますよ」
わお、こいつがご注意を受けるとは珍しい。
お嬢様はちいさくため息をつく。
「ほんと、困ったものです。当家はともかく、芹沢家まで関わっているのですから、月詠も少しは自重してくれるものとばかり―――」
それが今のお嬢様の、鬱悶たるお顔の理由らしかった。




