文化祭 三
「とは申しましても、傀儡のオーナーが国の法律を遵守するつもりであれば、むやみと騒動を起こすようなことはしないのでしょうが」
お嬢様は着慣れない服を身体に馴染ませるように、すこし身を捩って、肩口のあたりを確かめている。
「なら、そんなに警戒しなくても良かったのか?」
ほっとした声で質す俺に、そのまま彼女は軽く肩をすくめてみせた。
「それが、そうも安心できないのです。当家と月詠は、お世辞にも、あまり仲の良い間柄とは言えませんので」
「あのへんなの、月詠の傀儡なのかよ」
その一派の誇るところ、大和にのみ信仰を寄せるのが唯一という点にかかっている。もっとも、大和朝廷の勢力を由来とする根拠は今も曖昧であるし、その長い歴史を誇示するためなのか、やたらと鷺ノ宮家にちょっかいをかけてくるのは、まことに迷惑千万なことだと、お嬢様は不満をもらしていた。
「彼らの誇るものは些末なものでもありますが、当家やほかの旧宮家などの起源・伝播を自分たちに求めるのは、強い嫉視による場合が多く、私どもも、ほとほと迷惑しているのですよ」
ミカンコは嘆息する。
「いわゆる起源主張説みたいなもんか? アイデンティティの不足しがちな人たちが患うという」
「一昨日、八咫烏の方たちがお会いして、先方へも自制を促すよう、強く言い含めたそうですが―――」
「ほう」
先生の働きかけで、一応は釘を刺してくれたらしい。
「―――でも今回は、私自身にも油断がありましたわ。まさか彼らが平気で傀儡のような危ないものを校内に持ち込もうとするだなんて」
俺は向日葵ちゃんを横目でちらと窺って呆れ顔になる。このお嬢様だって、日頃から堂々とその危ないものを持ち込んでいらっしゃるではありませんか。
「私は、良いのです。この学校の生徒ですし」
ええんかい。
「きっとあのとき、月詠たちも何らかの異変に感づいていたのでしょうね」
「異変?」
「ホホ、御存じないのですか? あなたのことですよ」
ミカンコはおどけた感じで言った。
「――なるへそ。それで今回、文化祭の見学を口実にして校内を再調査しにきたと?」
「そこまでは分かりませんが、そんなものを持ちこむのなら、まずはこの私へきちんと話を通すのが、筋というものです」
なんだかお嬢様は、珍しくご立腹していらっしゃる。
「で、どうすんだよ。ほっといていいのか?」
「ほっといていいわけもありません」
そう言うと、ミカンコは向日葵ちゃんを手で招いて、自分の前に据えた。
「本来、そうした傀儡は希人とこの娘を繋いで探知するわけですが、さすがに今、その手のものを解いたら、もっとたいへんなことになってしまいますからね。今日はこの娘と一緒に探してみますわ」
「わかるの?」
「お互いうんと近くに寄らないかぎり、探知することは難しいですが、幸いにもあなたが一度、その姿を確認しておりますので、そんなに目立つものであれば、私でもわかりますよ」
「でもいいのかよ、その…」
俺はやや遠慮がちにミカンコへ指先を向ける。
「ええ、そのもしものために、この娘がいるわけですし」
優しく頭を撫でられている向日葵ちゃんが、目をぱちぱちさせていた。
「いや、そうじゃなくてよ」
俺の指先は、その妹ロボではなく、ミカンコ嬢の衣裳へと向けられていた。
「そんな恰好でおまえが外へ出て行ったら、もうインスタの餌食になっちまって、たいへんだろうがよ」
「―――あっ」
こうまできちんとした生活態度でいらっしゃるお嬢様であっても、うっかりすることがあるらしい。
もう慶将と交代する時間でもあったし、それ以上は俺も聞けなかったが、結局、お嬢様はその衣裳のままで巡回にでかけていたようである。
さて、新校舎の三階の一部を情報分析部が借り受けて、ひどくどうでもよさげなことをボードに張り付けた二台のディスプレイで表示していたものだが、まあほんとうに訪れる人もなく、これをあと小一時間ほど、じつに退屈なものである。
パンフにある展示物の概略には、信号機における物流の効率化とか、タックスヘイブン(租税回避地)を利用して稼いだ場合の収益率とそのリスクとか――。
納税は国民の義務だと申していたどこかの元総理も、それに関わって図々しく小銭を稼いでいたというのだから、まったくもって呆れ返る。
こんなつまらんものに、いったい今どきの高校生がどうやったら興味を持つのでしょうかね。
おそらく、慶将の方もそれを見越した上での選択だったのだろうが、真面目に部活を行うアリバイ作りのためとはいえ、せっかくの祭りなのだし、もうちっと楽し気なものを展示してやっても罰は当たらないと思うのだけど。
欠伸を噛み殺しつつ、ぼんやりパイプ椅子に座っていると、間もなくアリオが俺を探しにやってきた。
「ハーイ、ハンチ。なあに、真面目にやってんだ」
元気そうに片手を挙げてから、入口できょろきょろ室内を見まわした。俺以外に人のいないのがわかると、こんどは堂々と入ってくる。
「もうすぐ、うちらも初演なんだけど、さ」
「そのダンスの初演、当番で動けない俺のことはすでに伝えておいたはずなんだが?」
「うん、もちろん覚えてるよ」
ダンスの衣裳を着たままのアリオが、そこでくるりと回ってみせると、パッと白菊のようにミニスカが舞って、たいへん短く好ましい。
うっかりしたら、麗しの中身が見えてしまいそうだ。
「へへっ、これ、テニスの見せパンだから、べつに見てもかまわないぜ」
とはいえ、一応は名の知れた私立の女子なんだから、もう少し慎みを持たれてみてはいかがだろうか―――などという清らかな聖人めいた訓諭を口にするなど、当然、この俺の煩悩が許すはずもなく、
「Yas bitch slay! それで尻肉も見えたら最高だぜっ」
自我とは単に我が意の意ではないことはもちろん、言ってしまってからあわてて口に蓋をする。
もし、あのご令嬢のような、やわらぎの微笑を世に送りうる徳の高貴な雰囲気の中でこれをやらかしたら、きっと俺なんぞは、たちどころに慶将によって三枚におろされてしまうのだろうが、幸いにも、今のこのアリオだけである。
俺の突飛な言動にも寛容なので、ちょいと良い尻を見かけたら、機械人形のようにシモの話を梱包してしまう吾輩にとっては、じつに心の置ける女であった。
「ああ、知ってる、知ってる。それシーモネーターってやつでしょ」
かくて、アリオは平然と笑ってくれる。
今朝方、ミカンコ嬢の家の使用人が奉持してきた菓子折りの中からひとつを渡してやると、アリオは嬉しそうに受け取って、さっそく包み紙を開けていた。
「この学校がいつもこんなだったら、楽しいんだけどな」
外からは、活気めいた祭りの声。
「そうしたものは、まだまだ大学に通うようになってからのご褒美らしいぜ」
そうした忙しい中での、今はちょっとした息抜きなのである。
しばらくすると、廊下の方から、他の誰かの足音がしてきた。
この階の並びは控室ばかりで、目的なしにその一番奥にある展示室まで足を運ぶ者など、まずいないだろうと油断していたから、俺もあわててゴミ箱の上に載せていた足をどかし、パイプ椅子を引いて姿勢を正した。
アリオも腰を上げると、これを進退の時期と思ったのか、扉の方へ向かいかける。
ところが意外にも、やってきたのは元部員であるあの荒川ちゃんなのである。
その娘と、アリオがばったり出くわした。
「あっ」と、お互いが声を上げ、ぽかんとした。
そこでいち早く我に返ったアリオが、荒川ちゃんのとなりに寄り添った。
「あれえ? アンタここ、やめたんじゃないの?」
「え、ええ。そうなのですけれど―――」
荒川ちゃんは思いがけず、びっくりして声を裏返していた。
その彼女も、わざわざこんな難しそうな展示物を見るために、この階にまで足を運ぶ生徒などいないと思っていたようだから―――そしてそこにいたのが、気持ちの上でもまだまだ整理のつかない相手なのである。
「あの、兄が生徒会の実行委員でして、私は、そのお手伝いで…」
そう理由を述べると、荒川ちゃんはA4の封筒をかかげて見せて、俺にぎこちなく微笑みかけてきた。その表情の裏には、何かしら不穏なものが含まれていたが、すぐ隣からアリオがじっと見てくるし、はっきりした態度を示せないようだった。
「へえ、今は荒川ちゃん、生徒会の方にいってんだ」
俺も平静をよそおいつつ、そんな彼女のうわべに付き合った。さりげなく握るこの手のひらが、にわかに湿ってくるようでもある。
「あの、鷺ノ宮さんには、お伝えしておいたのですけれど」
この、お互いがお互いの気持ちを察しつつも、まるで役者のように振る舞わなければならないというのは、また可笑しな話でもあったが、皆さまも当事者となれば、きっと同じような態度でいたに違いない。
「ああ、そういやアタシもそれ貰ってたなあ。目安箱みたいなの作ったから、そこに意見を書いた紙を入れてくれって」
ぽつりと呟くようにすれ違いつつも、アリオの視線はずっと荒川ちゃんに注がれたままである。
その娘が自分に対し、すこし不快な底意を持っているのも、アリオは敏感に感じ取っていたようだ。
「あの、鷺ノ宮さんは、今どこにいらっしゃるのでしょうか?」
荒川ちゃんがそう訊いてくる。
俺は知らないと応じるより他にない。なんせ月詠の傀儡さんとやらをたった今、向日葵ちゃんと一緒に探し回っているようだから。
―――そうですか。
彼女は口の中だけで呟いた。それで仕方ないように俺の前へ進み出てくる。さっさとその用紙だけを渡して、お辞儀をして終わらせるつもりらしかった。
ほんとうなら、ミカンコにだけ手渡すつもりだったのだろう。俺のことなど一顧だにせずに――。
かつては好意を持たれていただけに、その裏返しの態度は胸にちくりとした。
これもまた、後の祭りというやつだ。
そンならもう、誤解されたままでも構わないと、諦めかけてすっかり放り投げていたところへ、
「ねえ、荒川さん。アンタなんか勘違いしてるみたいだけど、あのカレシにはいろいろ手伝ってもらっているだけで、べつに付き合っているとかじゃあ、ないよ」
と、背後からアリオが空とぼけて言う。
それから苦笑してみせて、鮮やかな爪の手を振りつつ、扉の向こうへ消えてしまうのだ。
ぽつんと取り残されたように立ち竦んでいる荒川ちゃんが、困惑した表情を浮かべて、俺を見た。
「あ、あの…」
俺はしかたなく返事をする。
「ま、気の合う遊び仲間ってヤツかな」
アリオめ、よけいなことを。
実際、あの夏期講習のときだって、俺はアリオにサボっていたぶんの内容を教えてやっていただけだし、分からんと騒ぐその尻を、つい引っ叩いてしまったのはそうなのだが―――文化祭のダンスのことだって、その賛同者の一部となっていたにすぎない。
それが、なぜにこうも親しいのかと問われれば、それはあの女が狗であるからに他ならず、意外にも、俺は恋愛の感情などを露ほども持ち合わせていなかった。
あるのはむしろ、お互いに秘密を持ち合う者同士の、同朋意識みたいなものと、あの素晴らしき尻にたいする、すけべえ心くらいなもの。
「実行委員の手伝いは、たいへんなの?」
俺は笑って尋ねてみる。
こちらから明るく声をかけたら、そこで固まっている彼女の顔も、少しは和らぐのかなと思って。
「忙しいのは、そうですけれど…」
秋の陽気はからっとして、窓から流れる風も心地よい。
外では、午後からの催しの布ビラが、滑車でガラガラとあがってゆく。拡声器から流されていた音楽も、いつのまにか止んでいた。
荒川ちゃんは少しものを言った。そこにはとつぜん部活をやめたことにたいする、詫び言もあった。
「いや、いいんじゃね。自分のすることは自分で決める。それも荒川ちゃんの人生よ」
俺は快活に笑った。
そうした誤解も、俺へ向けての好意があったればこそ、今ではもう、さっぱりとした潔い態度を示すだけである。
「ま、良かったら、またお茶を飲みに来てくれよ。ミカンコも、俺なんかより他の女子とお喋りするほうが、ずっと楽しいのだろうし」
彼女の去り際、そう声をかけたら、戸惑ったようにこちらへ向き直って、少し頬を赤くした。
「あ、ありがとうございます。でも…」
その彼女の躊躇いは、俺にもすぐに了解できた。
きっと生徒会の方でも、もう彼女は自分の居場所を見つけてしまったのだろう。そうしたものを、俺もはっきり感受してしまったので―――。
しばらくして、ミカンコ嬢と向日葵ちゃんがやってくる。
本日はこうして、入れ代わり立ち代わり、俺のもとに可愛い女子が訪れてくれる、そんな吉日でもあるようだ。
「ハンチさん、お当番ご苦労様」
「もう交代の時間か?」
時計を見上げればたしかにその時間である。こう寂しく物思いに耽っていると、時の経つのも早いものだ。
「向日葵ちゃんは、なにか面白いものでもあったか?」
おそらく初めて見る文化祭だろうから、俺も傀儡ちゃんの感想が気になった。
「千客万来!」
「まあ、文化祭だからな」
やっぱり人の賑わうところに出かけるのは楽しいようだ。
制服姿の向日葵ちゃんと、儀仗隊姿のミカンコが、ふたつの肩を並べてこの昼間―――さぞや人目を引いたにちがいない。
「あの太っちょの傀儡は?」
俺は思い出したようにミカンコへ問う。
「それが、もう近辺にはいないようでして。やはり学校へ断りもなく入り込むのは、法の観点からも、不適切だと判断したのでしょう」
ミカンコは簡潔に、収穫のないことだけを告げた。
こちらとしては、むしろよけいな事が起きなくてほっとするが、彼女にとっては、困りごとのようでもある。
「向日葵さんと違って、月詠の傀儡というものは、狗や他の傀儡と戦うことのみに注力して作られたものですから」
このままでは丸一日、束の間の安らぎすら得られないと、お嬢様は嘆息した。
「そりゃまた、物騒な話だな。うっかりすると、あの久場たちにも手を出しかねないってわけなのか」
「今は希人の力を抑えているので、大丈夫だとは思いますよ」
「なら、向日葵ちゃん目的なのか? そうだ、面倒なら、また先生に――」
俺は適切な指示を仰ぐべく、あの顧問の先生のことを口にする。
「芹沢さんなら、異動があったとかで、本日はたいへんお忙しいらしく、私も使用人の方にお託を頼んだだけで、まだ連絡は取れておりませんの。お話だけで矛を収めていただけるでしたら、それは私もたいへん助かるのですが」
さすがはミカンコ嬢である。俺の思い付きくらいは、すでに済ませているわけか。
「芹沢さんも、男社会に女の身で大変でしょうが、なによりも御自分の責務を全うしようとなさるあたりは、たいへん好感が持てますわね。なんでも、今はまた公安の方に戻るというお話でしたが」
そんな重要そうなことをさらっと言ってのけるので、俺もあやうく聞き逃すところであった。
「公安? すげえな。お役所ってそんなにホイホイ、異動できるモンなの?」
「ホホ、あの里美さん、うっかりしたら、希人であるあなたよりも遥かにとんでもない方なのですよ。法律の通用するこちらの方が、まだしも―――」
「まだしも?」
なにやら不穏な言動である。
「―――ひょっとしたら、古巣の防衛省の方にも声をかけているかもしれませんね。万事が怠りのない方ですし」
思うに、俺は自分がある特殊な位置に身を置いていることを、まだ十分に自覚していなかったようである。このミカンコ嬢を含め、そんなとんでもない人たちと、今も平然と口を利き合っているのだから。
「でもよ、そもそも法なんて、人を裁くためのもんだろ? 傀儡とか狗とか、人外のモン相手に通用すんのかよ」
その法律ですら、書いた文字で起こした箇条は不完全なものだから、生活の中の正しい常識と一致させるには、今もって人間の思考に頼らざるを得ないわけで。
「そうですね。たとえ道徳の観点から責められようとも、今の法では、人外の者を罰することなどできやしませんものね。ですから、そうした法の不備を補うために、今はこの娘がいるのではないですか」
ミカンコはその向日葵ちゃんを一度抱きしめると、隅に置いてある鏡台の前に立って、自分の衣裳をじっくり見まわした。
その色合いや柄なども、もとは役人の人間の趣味と選択によるものらしいが、どんなものを着させてみても、やっぱりいつものお嬢様になって、たいへん好ましく似合っているのである。
「傀儡がこの学校に執着しているということは、なんらかの理由があるのでしょうし、なんにせよ、少し様子を見ないといけませんね」
ミカンコはくるりと振り返って、ちいさく肩をすくめてみせた。




