文化祭 一
校内はどこかガサゴソと騒がしく、文化祭気分もだんだんと濃くなってくる、十月の初旬。
放課後になっても、受験を控えた生徒でもなければ、あまり帰ろうとせずに、ちょっと歩くだけでも、変わった装飾やら凝った着ぐるみ、妙なモニュメントなどをよく見かけて、すっかり盛り上がっているようだった。
俺はそんな雰囲気に少しも触れずに焉として、ひとり部室棟へ向かっていると、ジャージ姿の女子の一団にぶつかった。
「敵潜、ピンガー音を確認、こちらに向かってきています」
なんだろう、女子一同、そんなことを言いながらボール紙のメガホン越しに俺を覗いてくる。
「第三船速、プレリーマスカー起動」
「T・A・O、単魚雷三発用意」
「右舷クリア、ソナー、データ入力」
まだ少し離れているうちに通りすぎてしまえば、ああしたおかしなグループと関わらずに済みそうだと、俺もやや足を速めて、露天の渡り廊下を逃げるように歩いていった。
ところが、用箋挟を胸に抱えたアリオ様が、仁王立ちになってゆく手を遮っているのである。
「魚雷発射、つづいてサルヴォー」
「イエッサー」
そして、わーっという掛け声とともに彼女たちは俺を取り囲んでくる。
そのまま揉みくちゃにしてもらえたなら、なお嬉しいどころか、こちらから抱きついてやりたいところだが、さすがにそうした貞操観念は弁えているようだった。
「な、なんばしよっとか?」
母親譲りのなんばショットで迎撃してみせるも、彼女らはすこしも意にも返さず、もうそのまま拿捕されてしまう。
そこへ、ほくそ笑むアリオがやってきて、用箋挟をぐりぐりと俺のほっぺに押し付けてくるのだ。
「ほれ、ハンチ、これに署名して!」
「なんの署名だよっ、なんの!」
そうしたものにいきなりサインして、ロシアの外人部隊にでも送られてしまったら、たいへんだ。
「文化祭で、ダンスをするのに、実行委員会の許可が必要なんよ」
「ほう、アリオ、ダンスなんかやるんだ?」
「う、うん。ちょっとね…」
ふむ、そういえば、いつか顧問の先生の顔見せのときに、なにやら理由があると申して、アリオに欠席を頼まれたことがあった。もう夏休み前の話だが、他にも、いるはずのない放課後に体育館へ向かうこいつの姿を見かけたり、何かの衣装を着ていた丈の短いスカートの尻を、偶然にも花壇の中から発見したり―――そして今日の、ダンスの話。
ひとつひとつ並べてゆくと、そこにはある答えが浮かびあがってくる。
「なるへそ、そういうわけだったのかよ。ならダンスの練習だって言やあいいのに、あンときだって…」
「いやあ、あのときはまだ、カタチにもなってなかったから…」
かねてよりこっそり練習してきたそれを、アリオたちグループは文化祭でお披露目することに決めたらしい。
「まあ、いいけどよ」
もちろん俺とて賛同するのにやぶさかではないが、でもなんで署名?
「部でもサークルでもないアタシらが参加するには、最低、二十名の潜水艦がひつようなんだってサ」
その潜水艦がなんの隠語かわからんが、まあそうしたことならばと、俺もその紙にクラスと名前を書き込んでやった。
でもよく考えたら、この女もミカンコ嬢の部員のひとりであったはず。もちろん名前のみの幽霊部員でもあるのだが、こちらに顔を出すつもりはないのだろうか。
「うん? いやあ、ああいう真面目っぽいところには、どうもねぇ」
アリオの性格からして、堅苦しいお題目の部活動にはそのお肌が合わないらしい。
「ハンチは、どんなことをやってんの?」
と、逆に聞かれる。
「ん、俺か? そりゃあ情報分析部らしく、机を運んだり、ベニヤのボードを拵えたり、実行委員会から暗幕を調達してきたりと、忙しいことてんこ盛りさ」
「いったい、それのどこが情報分析なのよ」
アリオも苦笑していた。
しかしこんなギャル嬢でも、一応、妙な能力をもったお狗さまなのである。
うっかり忘れがちになるが、事実、その立派な尻でなんどか俺を誑かしており、それが分かっていながらも、魅惑のオメガラインにはどうにも抗い難く、俺もたびたび煩悩の犬と化してしまった。
「たぶん、ハンチだけだと思うよ、それ」
「いいや、おまえも狗なんだから、たぶんそれのせいだろ。なんだったらその尻、俺の背中に乗っけてやっても、かまわねーんだよ?」
「いあ、アタシはかまうんだけど」
周囲の目が気になったのか、アリオはしっしと手を振るう。
「ほらほら、馬鹿言ってないで、用がないならさっさと行った。こっちも、今日中にあと十名ぶん集めなくちゃいけないんだから」
「へーい」
することをさせたら、もう渋茶一椀喫するを得ず、といったあんばいで、俺も手をひらひらさせながら、そんな彼女たちを見送るのである。
渡り廊下から簀の子を敷き詰めたコンクリートの上にあがり、木造の廊下を踏み歩く。どこかで虫の鳴くような音がする階段を上がり切って、左に進むと、ちょうど部室の扉の前のところに、慶将が寄りかかっていた。
声をかけると、ヤツは肩をすくめて、今は立ち入り禁止だと申してくる。
文化祭当日は、部長であるミカンコ嬢に、制服ではなくなにか社会人らしい正装をさせたいとかで、うちの先生は、どこからか調達してきた昭和の時代の皇宮警察の古着を持ってきて、たった今、部室の中では採寸合わせをしているところだった。
「それで、おまえは外に出されたわけか」
「ご婦人の着替えを覗く趣味は、僕にはないのでね」
「でも、なんでそんなものをミカンコに着せるんだ?」
「ただの展示会では、無味乾燥で先生がつまらないらしい。それで一輪、華を添えたいそうだ」
「へーえ」
俺は重厚そうな扉を眺めながら、ため息をつく。
「部活動をきちんと装うってーのも、大変だな」
「多少は本物らしくしないとね。嘘というものは収拾がつかなくなることがあるから、そうなったら本当のことを隠すために、大風呂敷をさらに新調しなければならなくなるだろう?」
「まあ確かに恐ろしく面倒になるよか、マシだけどよ」
常識的な人間が、そもそも呪いや希人の話なんてまともに信じるはずもないのだし、こうした活動も、丁度いい目くらまし程度にはなるのだろう。
「つうか、長くね?」
男二人でぼんやり廊下に立っているのにも飽きてきたころ、俺はそう呟いて、扉に耳を当てた。隣のイケメンが顔をやや顰めて窘めてきたが、本気で止めるつもりはないらしい。
「ひひひ、ちゃんと実況してやるからよ」
「キミは生まれてこの方、大人になろうとしたことがあるのか?」
慶将は呆れて言う。
「ならなくて済むなら、なりたくはないね」
俺がニンマリ返すと、もう何も言うことはないようだった。
耳を澄ますと、中から冗談めいた話声がしてきて、そこにときおり、笑声も含まれる。けれども先生が「下着以外ぜんぶ脱いで」と言ったとたん、ミカンコ嬢はただちに声を荒げるのだった。
「里見さんっ、ただの文化祭の衣裳ですのに、なにもそこまでしませんでも…」
しかし先生は有無を言わせない。
「脱ぐのよ。当日はあなたの親族の方もこっそり参られるのでしょう? そんなところに、お祭りの雰囲気を壊すようなつまらない恰好で出ていったら、それこそどう思われることやら。いつものように、ただつんと澄まして我関せずとしているあなたの姿など、顧問としても放っておけません」
「ひょっとして、面白がっていらっしゃるの?」
「滅相もない。これは、あなたのお家の趨勢を憂いてのことなのよ。あなたの資質を懐疑的にみる輩が現れて、将来、鷺ノ宮家が傾きでもしたら、私だって困るもの。そんな憂いを無くすためにも、ここは私に従ってもらいます」
「つまり、面白がっていらっしゃるのね」
ミカンコ嬢の大きなため息が聞こえてくる。
あいつはどんなことにも動じない大人だと思っていたけれど、案外、少女めいた恥じらいもあるようだ。
それから、しばし衣擦れの音。
長い黒髪が肩からこぼれ落ちて、それが尻の丸みに緩やかに散るのを想像しながら、俺の煩悩も大忙しであった。
「楽しそうだな」
「しっ、黙ってろ」
邪魔をしてくる慶将をひと睨みして、俺はさらに扉の向こうへと意識を集中させる。
「あら、なかなか良いのではないかしら」
「なにが良いと仰るのですか」
褒める先生に対し、ミカンコ嬢の、つんとしたその声音。
「いえ、ほんとうに悪くないのよ。胸はまだまだ発育途上だけれど、その分、ウエストのラインから続くやや大きめのお尻が…」
「いったいなにが、大きめなのですって?」
まことに珍しい、お嬢様の大声である。
「そのおかげで、あなたのシルエットはたいへん魅力的なの。ほんと、確かめておいてよかったわ。そのままだったら、きっとパンツがぴっちぴちになっていたところでしょうから」
「もうっ」
ぴっちぴちのミカンコ嬢だそうである。
―――やべぇ、見てみてえ!
「ほら、採寸するから、さっさとこっちに来てちょうだいな」
「へんなこと、しないでしょうね」
「しませんよ。――あら、気づかなかったけれど、お尻にずいぶんと可愛いえくぼができるのね」
慶将を見ると、相も変わらず背を壁に預けたまま、両腕を組んで無関心を決め込んでいる。となりで息を上げる俺のだらしない顔をご覧になっても、どうしたわけだか、何も騒ぎ立てないのだ。
「な、なあ慶将、今、中で何があったか、教えてやろうか?」
「いや、いい」
そこの大人ぶった慶将君のために、わざわざこの俺がお尻のえくぼのことを教えてやろうとしているのに、なんと可愛くない男であることか。
「ほう、とんでもないミカンコの秘密を知ってしまったのに。わかった、じゃあもう、おまえには教えねー」
「ああ、かまわんよ」
慶将は、あくまでその仮面を外さない。しかしいくらイケメン小僧とはいえ、こうも本能に背き続けていてはつまらんだろうに。
「なら、今度は僕から忠告してやろう」
慶将はその高慢ちきな目をこちらへ向けてくる。
「あ? なんだよ、何を忠告してくれるつーのよ」
「じつは、今も中に、彼女らの護衛として、あの傀儡さんが…」
―――あの傀儡さん?
「わかったっ、わかり申した!」
俺は泡を食って扉の前から飛び退いた。
するとすぐさまその扉が開いてきて、向日葵ちゃんが顔を覗かせる。眇めた眼で俺をじっと睨むと、静かに叱ってくるのだった。
「盗聴厳禁」
「いやいや、もうしないって」
それで俺は、この合掌させた両手よりもさらに頭を低くして、いち早く向日葵ちゃんにお詫びした。
そうした態度に、向日葵ちゃんも毒気を抜かれたらしく、「君子豹変」などと申していた。今回は、俺の素直さに免じてご容赦を得たらしく、部室の扉はなにごともなく閉じられるのである。
「ああ、びっくらこいた、ビームで串刺しにされるかと思った」
いやはや、今のこの胸の動悸たるや、まるで大太鼓を打ち叩くようにフルボッコである。
「ハハ、大丈夫だろう。キミは希人なんだし、そのまま一度や二度くらい死んでしまっても」
「軽々しく死ぬって言うな、つか、今は封印中だから、死んだらそこで終わりじゃねーかヨ」
その返答に慶将は興味を持ったらしく、こちらに身体ごと向けてくる。
「いや、わからないぞ。ミカンコさんも封印にはかなり綻びが見られると言っていたし、自分の命くらいなら、今でも守れるのではないか?」
「いやそもそも、その希人の力ってさあ――」
ほんとうなら、この金髪野郎に対しひねくれた感情を持つ俺などは、ありのままを語るつもりなどなかったのだが―――
しかし博識なこやつの思考の中から、そのアイデアの芽を摘み取ることも悪くはないと思い直し、かねてよりの考えを持ち出してみるのだった。
「――ふむ、僕もあのときキミが体験した出来事を、ミカンコさんから聞き及んではいたけれど」
けれども俺の言う、時間遡行の話には、ある視点が欠けていると指摘してくる。
なにをっ―――と、思わず息を巻きかけたが、科学的な考証には、今までろくすっぽ注意を払ってこなかったので、それを指摘されると、俺も少しばかり考え込んでしまうのだ。
「正直なところ、僕は時間が巻き戻っているとは考えていないんだ。なんせ情報の高度に発達した現代社会においては、仮想的な現実をPCの中に作成して模擬的に実験することも容易いのだし、時間遡行なんて、ブラックホールすら作れるほどの莫大なエネルギーをいちいち調達してくるのも、非効率きわまりないことだしね」
「つまり希人さんは、自身に降りかかってくる災難を、仮想現実の中で先んじて体験していたと?」
「将来襲い掛かってくる災難を、それこそ希人にだけ限定し、キミの意識下で展開されていたのではないか。それも恐ろしく高速、かつ精緻に」
まあミカンコみたいな将来を見通す法師が現実にいるのだし、そうした考えの方が納得しやすくもあるのだが。
「とはいえ、僕の考えも立証することは不可能だろうから、あくまでたくさんある考えのひとつにすぎない。そもそも今の話だって、僕自身がどう考えているのか、それを明確にしなければ、キミだって質疑応答することすらできないだろう?」
慶将は、なにも自分の考えが正しいと思う必要はないという。希人には希人の、常人には及びもつかない論理があるというのである。
まあそれでも、とんでもない希人の力が振るわれているのは事実だし、外から立証できなければ、もう俺は自分の考えでそこに関わるしかないのだろうな。
「ならもう、俺は俺の考えでいいよ。時間遡行が、いちばん楽でいい」
「フフ、ハンチくんがそう思うのなら、それで良いのでは?」
目を窓の外へむけてぼんやり呟く俺に、慶将は肩をすくめて笑っていた。
そこへ、芹沢先生―――この顧問は情報分析部の全責任を帯びる人である。その責任者の声が、扉の中から聞こえてきた。
「あなたたちも見てみない? 素敵よ」
ずっと外に待たされていた俺たちは、扉を開けた向日葵ちゃんに案内されて中へ入った。
入ると、いつもの卓子の上には、冊子や皇宮画報の類が見散らかしてあった。
主役たるミカンコ嬢といえば、はじめこそ、奥の目隠しカーテンにこっそり隠れていたものの、俺たちが入ってきたのを知ると、もう覚悟を決めて、その雄姿を堂々とお披露目なされるのである。
たった今から儀仗の任に赴く近衛隊のような、そんな勇ましい立ち姿を見せられて、男ふたり、思わず感嘆の声がもれでてくる。
「ほう、これはまた…」
「恰好いいじゃん」
一見、華美な衣装で彩られながらも、そこまで派手というわけでもなく、また化粧によって眉目の特徴を誇張するという外連味も一切なく――。
しかしご当人は、いたって無関心なご様子で、
「世間とは、いたく煩わしいものでございますのね」
などと、ご不満顔でいらっしゃる。
「いえいえ、おかげで僕も、あなたの美しい姿を拝見できるわけですから」
天然のホストたる慶将くんは、すかさず賛辞を貢ぐことを忘れない。
「うふふ、その彼女に本気で好かれたら、きっとあなた大変よ」
俺たちの視点での見栄えを確かめようと、後ろにまわってきていた先生が、そんなことを慶将に耳打ちした。
すると、冷たい声がただちに響く。
「なにか仰って?」
ちいさく声を発して慶将の背に隠れた先生を、お嬢様が睨みつける。その怖い眼差しが、はからずもこちらへと向けられてきた。
それで俺も、ため息ひとつだ。
ここではやはり慶将に倣って、ひとつくらいは褒めてやらねばならないのだろう。過去にも現在にも、指で突いたほどにも異性と付き合ったことのないこの俺が、あのお嬢様をどう褒めてやれば喜ぶのか、まったく見当もつかなかったが。
「ああ、似合ってるよ。素敵だ」
この俺の貧相な語彙の中から精一杯に選んだそれを口にだして褒めてやると、お嬢様はくるりと背を向けてしまうのだった。




