予兆、醸して 四
芹沢先生たち一行が再び戻って来たのは、それからしばらく経ってのことだった。
「いる?」
外から先生のくぐもった声がして、部室の扉が開けられた。
俺は待ちくたびれた思いと安堵の気持ちで、皆を立って出迎えた。
その先生のすぐ後ろから、ミカンコが向日葵ちゃんの手を引いて部屋の中へと導いてくる。
「向日葵さん、ちょっとお口を漱ぎましょうか」
この部屋は、大卓も敷物も衣紋掛けも、昭和様式のたいへん古風なものであった。その中を、当時の蒸気機関車のように口からポッポと煙を吐きながら、向日葵ちゃんが通されてくる。
「え、なに、どうしたの!」
俺がびっくりして問うと、
「ホホ、ご心配なく。まあなんとも久しぶりに、この娘は火扇筒を使ったものですから」
そんなことをミカンコは言う。
「火扇筒?」
――花林糖の聞き間違いではないかしら?
奥へ行くふたりを、俺はぽかんと見送った。
「少しお待ちくださいね」
お嬢様はガラス窓の明るい縁先に、向日葵ちゃんを立たせて、そしてこの俺も、洗面器やら手拭いやらを支度して、向日葵ちゃんをパイプ椅子に座らせ仰向かせると、ミカンコによる整備点検が始められる。
心配して見守る俺の視線に気づいた向日葵ちゃんは、鳥の羽のようなものを振りかざして、瞳を愉快そうに細めていた。
まあよく分からんが、外では大変なことがあったらしい。
「ええ、ほんとうに大変なことがあったのよ」
先生はそう言って、ソファに腰を落ち着けた。
「あれは、偶然ではないのでしょうね」
向日葵ちゃんのお口の中を白木綿で丁寧に拭いながら、ミカンコが応える。
俺は遅れて入ってきた慶将を見つけて、その腕に抱えられているものを凝視した。ほとんどは焼け焦げてボロボロだったが、ドローンのような回転翼が確認できた。
「なにそれ?」
「いや、これがなんなのか、僕も、まだ詳細には知らされていなくてね」
慶将は小さく肩をすくめている。
「外で、何があったんです?」
ようよう皆が落ち着いてから、俺はあらためて先生に問いかけた。
「どこかの傀儡が、どうも挨拶に来ていたようなのよ。それをあの向日葵さんが見つけて、撃ち落としたわけ」
「傀儡? ドローンじゃなくて?」
それで、俺は床に置かれた黒焦げの物体をしげしげと観察した。傀儡というわりには、やけに近代的な造りで、スピリチュアルな趣とはずいぶんかけ離れている気がする。
「傀儡といっても、その利用の仕方は現代のドローンとほとんど一緒よ。見つかったら自分で勝手に煙幕まで張って、昔のAI(人工知能)も大したものね」
「はあ…」
最初にAIという言葉を用いたのは、米国のニューハンプシャー州にある大学の教授らしいが、人工的に作られた知的な振る舞いをするシステム全てのことを指すのなら、なるほど昔の傀儡もAIなのだろう。
「すごかったわよ、その娘。口から、いきなりビームを放つんですもの」
先生は髪を手で軽く梳きながら、そんなことも言った。
「えっ、ビーム?」
とするならばあの一閃、やっぱり向日葵ちゃんが発振したものなのか。
ミカンコは苦笑して、ちいさく頭を振るった。
「専門的なことはよく分かりませんが、あれは火廣金の共振によって得られた熱量を、そのまま筒から相手にぶつけただけですよ。私どもの流派では、それを火扇筒と呼んでおりますが」
「ほう、火廣金ですか」
なにかこう難しい言葉が使われると、とたんにこのイケメンがしゃしゃり出てくる。
「なんだよ、ひひろかねって」
慶将は大卓を囲う皆をひとわたり眺め、俺に向けては軽く吐息をついた。
「ほんとうは、キミこそ知っていなければならない、最低限の知識なのだけど」
「やかましい、さっさと教えろ」
「古代の、伝説の金属などと古文書では伝えられているけれど、要するに、鉄のことさ」
それはまた、ずいぶんと平凡だ。
「鉄って、ふつーにそこいらにある、磁石にくっつくやつのことでいいのか?」
「磁石にもくっつくのだろうが、そんじょそこらにはない鉄の方だね」
「おいおい、ナゾナゾじゃねえんだからよ」
俺はソファに身体を埋めて、不満げに鼻を鳴らす。
こうした場合、やっぱり忍耐の上でも年長者の方が優れているのだろう。頬杖をついて面白そうに目をくるくるさせていた美人さんが、ちらと目配せをしてくる。
俺に代わってそちらから頼んでくれるらしい。
「それは私も気になるな。ねえ慶将くん、いったいどんな鉄なの?」
先生が訊くと、慶将の態度は一変、
「つまり、超々高純度の鉄の塊なんですよ。さすがに安彦アイアンとまではいきませんが――」
とまあ、ペラペラペラ。
先生に褒めてもらえるという期待が、慶将くんをお調子づかせていたようで、いつもの冷静なヤツの態度を考えると、俺も突き上げてくる笑いの発作に苦労するほどだった。
「でも、それだけなら、そんなに珍しくもない鉄よね?」
「ええ、そうですね。しかしその鉄の珍しいところは、なんといってもその由来にあるのです。推定圧力は三十~五十万、摂氏二千八百度以上の、そんな過酷な環境下にずっと置かれていたものですから」
先生はびっくりした目で慶将を見る。
「ねえ、ちょっと待って、それってひょっとして」
「ええ、この星のコア以外、そんな自然環境は有り得ないでしょうね。どうしたら今の時代にそんなものが地表にまでやってこられるのか、僕も皆目見当がつきませんが」
「でも、それが、現実に目の前にあるわけなのね」
先生は大仰なため息とともに長い前髪を掻き上げる。そしてミカンコ嬢の後ろに控える向日葵ちゃんを見つけて、「あなた、すごいのねえ」と感心した口調で褒めそやしていた。
褒められている向日葵ちゃんは、その賛辞をまともには受けかねる様子で、もじもじと落ち着かない。
「ほら、向日葵さんもがんばったのですから、お兄さんに、ご褒美を貰ってらっしゃいな」
ミカンコにも促され、逃げるように向日葵ちゃんがやってくる。
「ご褒美って?」
そう聞くと、お嬢様は右手を頭の上にのせるような仕草をした。外で消費した分のエネルギーを、この娘にあげてやってはくれまいか―――。
そんなことを、彼女は言っているようなのである。
「え? この右手って、封印されてんじゃねぇの?」
「もうだいぶ綻びも見受けられますので、直接触るのでしたら、ある程度供給できると思います。やっぱり、前回にもいろいろとありましたから…」
「いろいろ?」
ああ、そういや、俺の遠い叔父さんまで現れたっつうしなあ。
「ってことは、もう崩壊寸前てことなのか?」
「崩壊、とまではいきませんが、今は布の生地を強く張ったように、網目の穴が広がって、力が漏れ出ているといったところでしょうか」
しばらくの間、向日葵ちゃんは俺の膝の上で大人しく安らいでいたが、そこでお嬢様たちのしていた話は、とても安らぎを得られるようなものではなかった。
「先生は、その傀儡の持ち主に心当たりがございますか?」
「それはなんとも答えようがないわね。扱える人たちとも親交はあるけれど、もしそうだとしても、ここまで飛ばしてきた理由が思いつかないのよ」
「ほんとうに?」
「ええ。それに私も味方ばかりでなく、敵だって大勢いるのよ。お爺様の孫娘とはいえ、そのお爺様が亡くなって以降、中央の意思に従わない私は、格好の攻撃対象になっていますからね、あのおかしな崇拝者たちの――。官僚の中には、私の不始末を挙げようと躍起になっている連中もいたわ。なんとか上手く事が運べば、私もすべてを放りだして、お茶を啜りながら余生を過ごすことができそうよ」
飄々とした顔で語る芹沢女史を前に、お嬢様は口元を隠して笑った。
「ホホ…、それで、あの可愛い神さまはどうなさいました?」
「さあね。こっそり何かやっていたのは間違いないけれど、私は知らない、知りたくもないわ。触らぬ神に祟りなしよ。とにかく彼らが崇拝していたのは、あの子たちではなく、あくまで内務省時代から続くお爺様の権力だったから」
それから、先生は手持ちの名刺入れから一枚の黒いカードを抜きだすと、それをミカンコ嬢の前に提示した。
「それほど精巧な傀儡を扱えるのだとしたら、心当たりはこれくらいかしら。ついさっき用事ができたのも、実はここに呼ばれたからなの」
ただの紙切れとはちがうそのカード、代表者名が書かれて肩書が添えてある。裏を返せば、鳳凰のような三本足の御神紋。
興味深そうに見ている俺へ、お嬢様がそのカードを寄こしてきた。
「いいの、俺なんかが触っちゃって?」
「多少乱暴に扱っても、きっと折り目すらつかないと思います。むしろあなたの指先の方にご注意してくださいな」
それでまあ、俺も向日葵ちゃんの脇から手を伸ばして、おそるおそるつまんでみたが、案外にずっしりしている。
「うっわ、見た目と違って重てえな、これ、鉛でできてんのか?」
「さてどうでしょう。そんなものでも、かの一派に接触するために必須なものだとか。先生も、どこからこんな貴重な物を手に入れたのですか?」
「ご先祖さまのものらしいから、私もよく知らないの。ひょっとしたら、巫女さんの方が詳しいのではないかしら?」
なにか含みのある感じで、先生はお嬢様に笑いかけた。
その奇妙なカードを、俺が縦にしたり横にしたりして眺めていると、お嬢様はたった今気づいたように、はっとして、ぱんと手を打ち合わせる。
「そうそう、ハンチさん。そのカードに書かれている文字を、決して口にしてはいけませんよ」
「なんで?」
「呪われでもしたら、困りますでしょう?」
うっかり盗人にでも渡ったときのセキュリティがそれらしい。
「そういうのは、先に言えって!」
指先に怖気を覚えて、俺がぱっとカードを手放すと、今まで一言も喋らずに、じっと堪えて肩を震わせていた慶将が、ぶはっと吹き出した。
「ハハハ、八咫烏というものは、よくそういう意地の悪い仕掛けをするものなんだよ」
「好奇心の塊のようなおまえが、黙ってニヤついているだけだった理由が、それかいっ」
俺は唾をとばして、睨みつける。
けれども慶将はどこ吹く風。俺が投げ出したカードを平然とつまみ上げると、それを先生に差し出した。
「ところで、この御神紋が八咫烏なのですか?」
「ええ、そうよ。由緒正しき、昔の政治結社みたいな図柄でしょ」
そうして一周してきたカードを、先生はまた自分の名刺入れにそっと戻すのであった。
「話は戻るけど…」
カードの騒ぎに一段落つくと、先生は脚を組みなおし、ミカンコに視線を向けた。
「私には、これくらいしか心当たりはないわね。巫女さんのご見解ではどうかしら?」
「八咫烏ではないと思います。呪符印のみで傀儡にこれほどの複雑な行動様式を持たせることは、私でも骨が折れますから」
「あら、あなたほどの方でも?」
「ええ」
ミカンコは自嘲気味に頷いた。
「ですが、火廣金を用いたのだとすれば―――私にも見当がつきます。そんな貴重なものが扱えるのは、この界隈広しといえども、当家と、もう一つは伏見宮くらいしかございませんので」
お嬢様の視線を受け、向日葵ちゃんは赤い筋の入ったカラスの羽のようなものを掲げてみせる。
その光沢のある黒い羽を見せられて、先生もなにかを悟ったようだ。
「なるほどね、なら、鷺ノ宮家よりも、むしろ私の家の方に近いのかしら」
「日頃から向日葵さんもよく訓練をしていたので、学校では騒動らしい騒動にもならずに事なきを得ましたが、もしかしたら、その向日葵さんを持ち出した、私への当てつけだったのかもしれません」
複雑そうな顔をしている先生へ、ミカンコはそう告げる。
「里見さん、もうお分かりでしょう。示威行動をしてきたのは、まちがいなく、あの月詠一派ですよ」
「あなたがそう断言するのなら、間違いないのね。伏見宮か。また、厄介な相手が―――」
先生は額に手を当て嘆息する。とはいえ、俺と慶将は置いてきぼりだ。
「あの、月詠というのは?」
一番槍は、やっぱり知らないことをすぐさま聞きたがる慶将である。
「伊邪那岐の禊から生まれた三貴神のひとつに、夜を統べる神がおりますが、そのツクヨミとは違いますからね、ご注意までに―――彼らが勝手にそう名乗っているだけですわ」
「ミカンコさんも、その方たちと面識があるのですか?」
「……」
お嬢様は、なんだかすこし不機嫌そう。
「あの、すみません、八咫烏とは、また違うんですか?」
「当家にとっては、八咫烏も月詠も同じようなものです」
ミカンコ嬢の、いつもの大人びた雰囲気の中に、ふと頑是ない態度を見つけて、先生は笑った。
「あらあら、巫女さん、ずいぶん乱暴ね。昔のことは知らないけれど、今は違うわよ」
「あの、ええと…?」
ふたりに挟まれ、慶将もどうしようかと困惑している。
それで俺も、仕方なく助け舟を寄こしてやった。
「おいおい、お嬢様よ、過去にどんな因縁があったのか知らねぇけどさ。客観的にはどうなのよ」
「そこの先生にお尋ねしてみましたら、お如何?」
あ、こりゃダメだ―――という言葉を腹に溜めたあと、俺は翻って先生に尋ねた。
最近になって分かってきたことだが、ときおり、このお嬢様は子供のような振る舞いをしてみせるのである。
先生も苦笑して、ゆっくり頷いた。
「そうね、かつては八咫烏の分派でもあったけれど、その過激さから、もうずっと昔に罷免されているの。その残党が集まって、自らを月詠と呼ぶようになったのよ。今では、一見すると実業家みたいな身なりで教養もあって、礼儀もそれにふさわしいのだけれど、私が調べた昔の調別の資料によると、その実業家の仮面に隠れて、自分たちに不都合な大臣が総理にならないよう、野党の議員に怪文書を配布させて、国会の場で貶めようとしたり、以前にあったセスナ機自爆事件でも、右翼の犯人が使用した機体の調達役を買って出たり、かと思えば、中核派に加担して、外務省審議官宅の放火にも関与していたり―――」
「なんというか、あの、それは思想とか関係なく、もう手あたり次第…」
口ごもる慶将に、先生は笑みを閃かせた。
「そうなのよ、彼らは彼らの目的のためになら、もう右も左も利用する。日本国ではなく大和に忠誠を誓った、都市伝説のような組織なの。表向きは世間にも認められた評論家や、実業家、官僚などの支持者から成る組織を結成しながらも、その中核は、『黄泉』と呼ばれる実行部が主導している。自らは表立って手を染めることなく、政財界にもそれなりの人脈を構築しているから、公安もうっかり手を出すわけにはいかず、ずっと監視対象のままなのよね」
「それはまさしく、かつての先生のお立場ではございませんか」
大卓を挟んで腰かける先生に、お嬢様が硬い眼差しでもの申すと、その先生もおなじく、つんと澄ました態度で応じた。
「滅相もないわ。私は、お爺様にお供をして参った、ただの孫に過ぎませんからね。あのちっちゃな子の世話係というだけよ」
「あら、それこそ、私たちのような一般人には近づくことすら許されない、畏れ多い方なのでは? なんでも、一風変わった神さまだと伺っておりますわ、あなたご自身から」
「巫女さんを一般人の範疇に含めるのは、いささか無理があると思うのだけど、そうね。ま、楽なお仕えではないわね」
そしてふたりの美人は顔を寄せて、笑い合う。
――なんなんだよ、ホントに。
俺といえば、わけもわからずふたりの顔を見比べるだけ。
「つまり、毛虫が桜の葉に自ずと集るように、月詠も、向日葵さんを見つけてやってきたというわけです」
ミカンコはやんわり言った。
「ひでぇ言い様だな」
「かつて、亡霊を蘇らせようとしたり、ふたつの月をつくったり、雲から血を吹き出させようとさえしなければ、鷺ノ宮家も正面から反目することはありませんでしたが」
「なんじゃ、そりゃ」
難しい話を今までだまって聞いていただけのこの俺も、さすがに突っ込まざるを得なかった。
「それもまた、昔の話ですよ」
ホホホ、とお嬢様は典雅に笑う。
「なら、この件はしばらく私に任せてもらえないかしら。久しぶりに八咫烏の方々とお話しする、ほどよい材料にもなりますから」
そう言って、先生は腰を上げた。
「芹沢家のあなたが言うことなら、彼らも素直に聞くのでしょう。私が直接出向いたら、いったいどんな騒動になりますことやら」
「あら、今のミカンコさんでしたら―――、それこそ彼らなんか、その凶悪な呪いで…」
先生は言葉の終いに笑いを忍ばせて、ミカンコの顔をちらと見た。
「それ以上、仰ったら、里美さんのそのモラルが低下してしまいますわ。そうでしょう?」
釘を用いるような口ぶりで、お嬢様はすこし目をきつくする。それから、ほっと肩をすくめて、すっかり陽の暮れた窓の外を眺めるのである。
「今、何時頃でしょう?」
慶将が時刻を伝えると、今から車を呼ぶという。
「私が先生をお送りしましょう。もう妙な傀儡は来ないと思いますが、あなたたちも一応―――」
面の割れていない俺と慶将は、こっそり裏の通用門から帰ることを勧められた。
それで、俺も向日葵ちゃんと一緒に立ち上がって、痺れはじめた両脚を屈伸させるのである。
厄介そうなことがずいぶん増えてきたが、この俺も、先生みたいな人が周りにいてくれるので、まだしも気分の上では楽だった。




