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その奇譚(きたん)、叶えるのは難あり  作者: あみの よもやま
35/72

予兆、醸して 二

 ようやく新学期が始まった。

 お互い馴染みのある顔とはいえ、夏休み明けは皆、久しぶりでお喋りをするものだから、通学途中もがあがあと活気があって初秋らしい。

 そのよく晴れた陽のもと、校門を一歩入ると、路から一番近い葉桜のもとに、見覚えのある大男が立っている。

 この生徒の群れの中から器用に俺を見つけてきて、その体躯(たいく)を揺すらせやってきた。


「おはよう。ハンチくん」

「あ、ああ、おはよう」


 まるで構造物のような身体には、誰だって注目せずにはいられないだろう。

 腕白(わんぱく)でもいい、(たくま)しく育って欲しい―――ご両親もそんなことを切に願って、うっかり発育し過ぎてしまったのが、このご子息なのであった。

「俺もお中元のロースハム、腹いっぱい食ってみてーもんだ」

「うん、お中元?」

 久場(くば)は、榛名神社の御姿岩(みすがたいわ)みたいな頭部を傾けた。

 そしてその物陰から、飛鳥(あすか)がちょこんと顔をのぞかせる。ただでさえ小柄なこいつが、岩山みたいな男の隣にいると、なんだか目の縮尺が狂ってくるようだった。


「ハンチ、久しぶりだね。夏休みのあいだはちっとも呼んでくれなかったから、ボクもずいぶん寂しかったよ」

「なに言ってんだ。休めたンだから良かったじゃねえか」

 俺はもう、生徒の流れに従って、さっさと校舎の中へと入ってゆく。

 その俺の背に向け、ふたりはやや非難めいた口吻(こうふん)をもらしていた。夏の間にいちど封印を解いたのを、あらかじめ知らせていなかったのがご不満らしい。


 それで教室へゆくまでの道すがら、俺は夏休みのあいだにあった騒動を、ぽつりぽつりと語ってやった。

 生活指導の女の先生が、前を通る生徒に軽い微笑を投げかけながら、いちいち挨拶をしてくるときだけは、その話も途絶えていたが、俺としては内容を(おおむ)ね伝えたつもりになって、やれやれと教室の扉をあける。

 ところがこいつらは、なおも鞄を持ってついてくる。


「なに、質疑応答したいの?」

 俺が面倒そうに顔を(しか)めてみせるも、久場はまだその大きなお(あご)で聞きたいようだった。

「ハンチくん、起動した傀儡(くぐつ)というのは、ひょっとして…」

 そのはるか下方では、飛鳥も同じような顔でいる。

「いきなり、とんでもないものを持ち出してくるね」

「とんでもないもの?」

 俺はぽかんとした顔でこいつらを見た。

 あの向日葵(ひまわり)ちゃんのことをちょっと話しただけで、ずいぶんと過剰な反応を示してくれるもの。慶将(ちかまさ)がそうであったように、こちらの世界ではあの傀儡(くぐつ)ちゃん、ちょっとした有名人 (?)でもあるのだろうか。


 その間、団体というほどのものでもないが、少しかたまった人数の女子たちが、俺たちの脇を通りすぎる。

 普段、あまりお喋りでない男子の会話が気になったのか、それぞれが、こちらを見て見ぬふりで覗いてゆくのである。


「おい、おまえら、もうちっと声を落として(しゃべ)りやがれよ」

 俺は用心のために、そう注文をした。

 それで向日葵ちゃんのことを詳しく話すと、ふたりはやや当惑した様子で顔を見合わせる。

「むう、でも、なんだってハンチくんは妹さんを―――」

「まあ、それで起動しちゃったのなら、まだしも不幸中の幸いなんだけどさ」

 こいつらの態度を見せられていると、なんだか俺まで不安になってくる。

「なにを騒いでンだ?」

 すると飛鳥はそらとぼけて、わざとちょっと考えるふりをする。

「ええと、ハンチの性癖について、ボクもちょっと誤解をしていたようで、まさかそこまでシスコンだったとは」

「てめえ、正直に言いやがれ」

 俺が睨んで、その首根っこを掴むと、飛鳥はあっさり白状した。

「そういうのって、たいていは起動した人物の従属下に置かれることになるわけだから――つまり、その傀儡はいつだってハンチの味方になってくれるんだよ」

「それがなにか問題でも?」

 俺はぽかんとした顔で問う。

「もちろんないけど、なんで貴重なあの傀儡を、そう簡単にあいつが手放すのか、それがボクらにはどうにも()せないんだよね」


 こいつが言う『あいつ』とは、やっぱりあのお嬢様のことなのだろう。清楚で控えめながらも、自分の方がぐっと大人だという魅力をいつも俺に示し尽くして。

 すると計ったように、そのミカンコ嬢が教室へ現れる。

 いつもの崇拝者たちと軽く挨拶を交わしながら、とり澄ました顔で席につくと、鞄を机の脇に引っ掛けて、黒い瞳を向けてきた。


 ―――そこにいらしたの?


 しっとり落ち着いた瞳から、(じか)にそう言われた気がした。

 それから、きちんと顔を向けてきて、


 ―――なんのお話?


 その眼差しが、寡黙にして雄弁に語りかけてくる。

 すると、飛鳥と久場はあわてて俺の(そば)から離れていった。

 殺虫剤よりも効果のあるその効き目には、まったく呆れるより他になかったが、なんだってあいつらはそうまでしてミカンコ嬢を恐れているのだろう。

 そこのところだけは、どんなに問い質してみても、(がん)として口を割らないのである。


 やがて無粋なスピーカーから、聴きなれた鐘の音が今朝のフリートークの終わりを告げてきた。

 俺たちは担任を迎えると、皆で席を立ってそのまま体育館へ。

 永い人生の習わしのごとく、新学期における校長のどうでもいい訓話を、そこで延々と聞かされることになるわけである。



 その日は、珍しく他の男子が俺に話しかけてきた。

 なんでも、皆の誤解は早めに解いておいた方が良いらしい、その上で、鷺ノ宮家ご令嬢の信奉者(シンパ)のもとにお(うかが)いを立てておけば申し分ないという。

 何を言っているのかさっぱり分からんが、どうも今朝からちらちらと俺に視線が寄せられるのは、むやみと騒いでいたからではなく、何らかの特別な事情があるようだ。

 となれば、あいつに聞くのがもっとも手っ取り早かろう。

 その信奉者たちと同様、ミカンコを心底崇拝している男が約一名、部室にもいるからである。


 そうしたわけで、あの、俺が両手を(ささ)げ尽くして支えねば、すぐさま横から(こぼ)れ落ちてしまいそうになる立派なお胸の持ち主が、本日はいないので、正直なところ、わざわざ行く必要もなかったが、ここのところ妙な心配事ばかりが増えるので、そのうちの一つくらいは解消しておいた方が気分の上でも安かろうと、そんな気持ちで放課後、俺はぶらぶらと部室へ向かうのだった。


 途中、同じ部員の女子が対面からやってくる。

「やあ、荒川ちゃん」

 その彼女は俺と眼が合うや、慌てるように視線をそらせ、軽く会釈をすると急いで遠のいていった。

 いつもはこの俺にすら、気軽く声をかけてくれる優しい娘のはずなのに、どうしたわけだか、あまりにもつれないその態度。

 俺はただただ、ぽかんとしてその後ろ姿を見つめるばかりである。

 そういえば、今朝もあの荒川ちゃん、挨拶どころか顔を合わせようとすらしなかった気がする。そのときはなにか生理的なお加減(かげん)でも悪いのかと思って、あえて触れずに、のんきに過ごしていたけれど…。


 やべぇ、なにか俺の知らないところでは、ほんとうに大変な事になっているようだ。


 一体その原因とは何なのか、『廊下は静かに』の張り紙があるところ、ほかの視線の届かなくなるところでは(おの)ずと駆け足になって、部室の前に到着する。

 扉を開けると中にはミカンコ嬢だけがいた。

 慶将(ちかまさ)のことを尋ねてみると、あいつは掃除当番でまだ来ていないとおっしゃられる。

「ふ、ふうん、そうか…」

 俺はしかたなくソファに座り、大人しく、まずは同性の男が来るのを待つことにした。

 このお嬢様へじかに尋ねてしまえば、すぐにも解は得られようが、不始末の見積もりすら(まま)ならないうちに、うっかりそれを聞いて、メンタルが削られてしまっては堪らない。

 削られるとしても、せめてワンクッションくらいは欲しいわけで。


 その間、廊下を生徒が二、三人、なにか声高で話し合って通りすがる。

 しんとした明るい室内に美人とふたり、なんだか弱気の虫が騒ぎ立てるようで、やたらと居心地が悪かった。


「お茶、いかがですか?」


 その明るい微笑みに、俺もついつい、ぎこちない笑顔なんぞを振り向けてしまったが、それだけでもう、このお嬢様には十分だったらしい。

「どうしたのですか、深刻ぶって」

 なにを頼むでもなく、話したいことがあるのを察して、すぐさまぴんと交流してくる女の敏感さには、いつも舌を巻く思いであった。

「えっ、そう見える?」

「ホホ、なんでしたら、ご相談も承りますよ」

 相談を持ちかけるまでのきっかけには、まだまだずいぶんもの足りなかったけれど、ただ黙っているだけでは、思うまいとすることをよけいに強く思ってしまうだけ。

 そのままの忍耐が永遠に続くのならまだしも―――それで迷っていた俺は、もう思い切って打ち明けることにした。


 つまるところ、今朝のクラスの、あの皆の様子。それから、俺へ向けての、荒川ちゃんのそっけない態度。

 あれはいったいどういうことなのか―――その()には入学以来、少なからず好意を寄せていただけに、うっかり話をすることもできず―――しかし自分に素直になって向き合うとき、ミカンコにも問えないことはないと思い、まずは当たり障りの少ないところから口にした。

「そうですか…」

 ミカンコはティーカップ一式をしずかに棚から持ちおろしてきて、俺の前に丁寧に並べた。そこへ保温のための湯を入れ、いちど捨てると、蒸らしていた琥珀(こはく)色の液体を注ぎ込み、「さあ、どうぞ」とすすめてくる。

 その紅茶を含んでほっと一息ついたころ、お嬢様は一枚の紙を差し出してきた。


「実はさきほど、その荒川さんから退部するとの申し出がありまして」

「退部っ!」

 両手をついてその用紙を喰い入るように見ると、退部の欄を丸でなぞったその下に、彼女の自筆の名が記されてあった。

「ホホ、まあ、仕方ありませんが…」

 ミカンコはそこで暢気(のんき)に笑ってくれるが、俺は愕然(がくぜん)とした思いである。

 まさかそこまで事態が切迫していたとは――――


「すまん! 何が何だか分からんが、おまえまで巻き込んじまって」

 俺はすぐさま頭をさげた。

「かまいませんわ。彼女の自主性を否定するわけにもいかないのでしょうし、なにより、私にも責任の一端(いったん)はありますからね」

「責任?」

 その語句を聞いて、俺はぼんやり、お嬢様の顔を見る。

「ほら、夏期講習でハンチさん、清澄さんとお会いになりましたでしょう?」


 それで思い起こす、上から教壇を見渡せる広々とした講堂の中に、ひとりの友達もいない俺などは、仲良し集団の笑顔から少し遠ざかったところで、ただ黙々と講義を受けていたものだが、その最終日だけは、お(ケツ)のばんと張った小麦色の陽気な娘をとなりに据えて、珍しく舞い上がっていたのである。

 おかげで講内の粛然とした空気を、そこだけは賑やかにかき乱してしまって、(うらや)み歯噛みする男どもの傍焼(おかやき)が、たいへん香ばしくもあったのだが…。


「ああ、たしかに俺、アリオと一緒にいた…」


 なるほど、それならば今朝の妙なことにも、いろいろ辻褄(つじつま)が合ってくる。


 つまり、教祖(ミカンコ)(しもべ)たるこの俺が、そのことで他の教祖(おんな)に興味が移ったのではないかと勘違いされてしまい、信奉者(シンパ)どもに逆賊の徒と見做(みな)されてしまったというわけだ。


 それから――――これはアリオ自身のことにもなるのだろうが、ああした天真爛漫(てんしんらんまん)な娘というものは、ほんの些細(ささい)なことでも同性から反感を持たれやすく、永らく家柄に自由を抑制されてきた、(ほま)れ高き才媛たちからは、とかく標的とされやすいので。


「でもハンチさん。それを気にしてはいけませんよ。そこでは堂々として頂きませんと、清澄(きよずみ)アリオさんの立場がないですから」

「アリオの?」

「仮に清澄(きよずみ)さんの自由奔放さを、この国の伝統に対する欠点とみなして、気持ちの上でも軽侮(けいぶ)したとて、今の世の中、その欠点が後々に痛くこたえてくるのは、むしろ彼女たちの方なのですから」


 それを認めたくないがために、アリオの自由な振舞いを肯定するような俺の存在が、ひどく(うと)ましく思えたらしい。

「家柄の良い女ってぇのも、大変なんだな」


 あっ、でも――

 それは、荒川ちゃんの話とは、また違う気がする。少なくとも、彼女はそんな高慢(こうまん)ちきではない、そのことは、いくら神経の鈍い俺でもわかっている。

「その、荒川さんのことは、私からも申し上げ(にく)いですが…」

 いままでは指先を添えて丁寧に導くような態度であったミカンコが、ついと言葉を濁した。

「なんで?」

 俺がぼんやり問うと、なぜだかミカンコは、微笑みながらもきゅっと睨んできて、

「少しは、ご自分でもお考えになられたらいかがかしら」

 と、素気(すげ)無くおっしゃられる。

 なんだろう、そんなふうに言われると、ますます気になって落ち着かない。この俺が、荒川ちゃんに嫌われるその理由とは?


 やがて鐘が鳴った。

 部活に入っていない生徒たちは、もうあらかた下校している。もはや俺がここに留まる理由などないのだが、しかしそのまま帰るわけにもいかず―――としたところへ、ミカンコが大卓(テーブル)に手をついて顔を突き出してきた。


「な、なに?」

「もうっ、子供のように世話が焼けますのね。あなたは」


 その細い眉を仕方なさそうに寄せると、冷たい手で俺の頬にそっと触れてくる。

 ミカンコは、あの太い筆を取り出してくるでもなく、ただそこで、ふつうの娘のように唇を開くと、俺の耳もとでそっと囁いた。


 ――――嫉妬(しっと)、ですよ。


 ミカンコはその一言だけを告げると、俺から顔を離していった。

 俺はいつのまにやら真っ赤になってしまって、それから、はっと気づく。


「嫉妬だって?」


 つまり、俺は荒川ちゃんから本気で好かれていた、と?


 そのことを初めてミカンコから知らされたときには、ほんの一瞬、胸の高鳴りを覚えたものだが、それと一緒に、両手に一抱えもあるほどの、怒涛の後悔と落胆が―――胸の奥から、そして現実からも、残酷なほどに手きびしく(あかし)たてられるのであった。


 あの最終日、アリオと一緒に騒いでいた俺の姿を、きっと彼女もどこかで見ていたにちがいない。講堂での、ちょっと弁明のしようもないあの騒ぎを――。

 だとしたら、こりゃあもう、申し開きどころの話ではないぞ。


 部室の重たい扉がゴトゴトと鳴った。

 そこから慶将(ちかまさ)が顔を出してきて、ムンクの叫びのような俺の姿を見つけると、戸惑った様子で訊いてくる。


「ハンチくん、どうしたんだ?」


 俺はこの情けない顔を慶将へ向けると、「なんでもねえ」とひと言。荒川ちゃんの名が記された退部届の用紙をミカンコに返した。

「その紙は?」

 それを慶将が目聡(めざと)く見つけてくる。

 もう、自分のマヌケぶりを笑うしかない。

 慶将はお嬢様の持つそれを拝読し、嘆息したような声を放つのだった。


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