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その奇譚(きたん)、叶えるのは難あり  作者: あみの よもやま
31/33

秘匿作戦:昆虫採集 二

 先生が学校を離れたのは午後二時すぎ。

 都営三田線や東京メトロの通る日比谷公園は、ここから車で行っても一時間足らずでつくはずなので、今頃は先生ではなく、本来の役人顔に戻っていることだろう。

 その土地は様々な政治家や、それに詳しいジャーナリストが多数輩出されたところで有名だった。

 本日はそうした政治に興味のある人たちが一堂に集うというので、それを報道する政治部の記者たちも大勢集まってくるはずである。

 傀儡の種を所持するその人物の特定はできていないが、選挙前のマスコミというのは、ある意味特権を有しているようなものなので、そうむやみと(やぶ)をつつくわけにもいかず、警備側も苦慮しているようだった。


「とはいえ、(ヒマ)だよな、こっちは」

 俺はソファの上でだらしなく手足を伸ばしながら、呟いた。

 窓際の大机では暇を持て余したお嬢様が、向日葵(ひまわり)ちゃんを呼んで頭の髪などを編んでいる。髪は肩までしか伸ばしていないので、そう長く編めるものでもないのだが、彼女は頭の上にお団子をいくつか(こしら)えて、それを楽しんでいるようだった。


 そして慶将(ちかまさ)は、ミカンコ嬢が家から持ってきた大きなアルバムなどを、興味津々、眺めていた。

 それが今朝の風呂敷包みの中身であり、俺もそこにミカンコの幼少時代の写真でもあるのかと期待したが、開けてみると、古い時代のポスターでびっしりだ。

 それらは亡くなったミカンコの祖父の趣味らしく、暇さえあればそうしたものを収集していたという。


「これは以前、僕が彼女にお願いしていたものでね」

「やんごとなき方々は、また変わった趣味をお持ちでございますなあ」

興味なさそうな俺を見て、慶将は腕組みをしてみせる。

「そうは言うがハンチくん、こうした古いものも、今では相当に値打ちのあるものなんだよ」

「なに? その紙切れが、何千万もすんの?」

「さすがにそこまではしないが―――」

 慶将は苦笑して、ぱらぱらとめくってきたものを提示した。

「―――たとえばこれだ。日本で初めてデパート様式を整えた〇越のポスター。当時、町の人たちは汽車にのる用事がなくても、わざわざこれを見るために駅まで訪れたそうだよ。もちろん当時は物珍しさも手伝っていたのだろうけど、それよりも、もっとこう美術的な観点で皆はこれを仰ぎ見ていたのだろうね」

「へえ」

 慶将が眼を寄せ、そしてまた遠くに離して眺め入るそれは、元禄時代の風格を思わせる美女が太鼓を打つ姿であった。その元禄美人のモデルは、〇井のとある実業家の奥さんであったらしく、さらにそれを描いたのが、「あやめの衣」でも有名な、あの画伯というのだから、驚きである。


「それが公開された年の冬、残念ながら、絵の中の美しい夫人は亡くなられたのですが」

 向こうからミカンコが解説をしてくる。

「詳しいな、おまえ」

「ええ、当時の新聞の中に、黒い棒が引かれた夫人の名を発見して、皆もずいぶん悲しみ惜しんでいたものですから。美しいその夫人は絵姿のみでついぞ見る機会を逸してしまった、と―――ですが、後にその旦那様とお会いする奇妙な縁もございまして、ホホホ…」

「なあ、それ、お前のお祖母(ばあ)さんか誰かの話だよな?」

 こいつの昔話を聞いていると、いつも話し手の主体があやふやになってきて困るのである。

「ええ、もちろん、曾祖母(そうそぼ)の話ですわ」

 コホンと、ミカンコは口調を整える。

「それで旦那様は茶道にたいそう(たしな)み深い方でいらして、低い声がほどよく間をおき、そしてやや偏屈(へんくつ)。茶席の会合もつねに礼儀と尊攘(そんじょう)の念を守らねばならぬと、そんな堅苦しさに、曾祖母も心中反抗しておりましたが、なんにせよ、和敬清寂(わけいせいじゃく)をこよなく愛していたお方、だったそうですわ」


 そうしたミカンコの昔話を、慶将はいっさい口を挟まずに、訳知り顔でふんふん頷きながら聞いていた。

 俺と眼を合わせると、なにやら妙な笑いをしてきたものだが――――そのうちに、あの衛星端末から連絡が入るのである。


 慶将はそこの『ガラケー』を手にすると、画面をタップして耳に当てた。そのまま背筋を正して腰を上げかけていたが、俺の視線に気がつくと、すぐさま腰を落としていた。

 そこでのやり取りを聞くかぎり、現場のチームはフロアの中だけでカタを付けるつもりらしい。

 前回撮影したビデオ画像の分析から、現れる傀儡(くぐつ)は武器などを所持しておらず、極めて軽装であり、人力での対処も可能であると、先生のチームではそう判断したようだ。


「ええ、いつでも準備は整っています。あとは合図をいただければ――――」

 よくも大人の会話に平然と混じっていけるものだなあと、俺も感心した目で慶将を見ていた。

「―――ただ、ミカンコさんからも気になることが―――いえ、そうではなく、あの傀儡の容貌(ようぼう)のことなんです」


 その間、ミカンコがこちらに向日葵(ひまわり)ちゃんを寄こしてくる。俺が腰を上げるまでもなく、その子は隣に小さい尻を割り込ませてきて、ふわふわの髪に右手をのせるよう、もう催促してくるのだった。

「向日葵さん、まだですよ」

 ミカンコがおかしそうに笑った。

 それが始められるのは、この右手の封印が完全に解かれた後である。いつになるのかは、そこの会話しだいだが。


「では、通話を切らずにこのまま―――、はい、わかりました」

 慶将は衛星の端末をテーブルの上に置くと、俺たちを見まわした。

「ちょっと計画が前倒しになるらしい。始めるのは、今からちょうど十分後になるそうだ」

「いいの? それ、お手付きになんない?」

 俺は心配して訊く。

「今回の主役は議員さんではなく、マスコミの方だからね。彼らがすでに揃っているのなら、議員さんたちが登場する前にやったほうが、面倒ごとも少なくて済むらしい」

「へえ」


 計画では、そこに現れた正義のヒーロー、US・エイドマンさんが前口上を延々と垂れ述べているうちに、網と刺股(さすまた)でさっさと捕獲して、こちらの右手を再び封印状態に戻すという。

 そうすれば希人(まれびと)からの接続が断たれて、その傀儡(くぐつ)は徐々にではあるが、本来の御守りだか何だかの(コア)だけの姿に戻される。あるいは、そうなる前に所持者のところへ向かうはずである。


「そもそも、永遠に封印が効いてりゃ、こんな面倒ごともなかったんだろうけどよ」

 しかしそうなると、せっかくここまで育て上げた向日葵(ひまわり)ちゃんもなかったことにされてしまうし、この掌紋も戻らない。まあ俺も、妹が二人できたようで嬉しかったからなあ。

「ん、なんだ?」

 その向日葵ちゃんが俺の半袖をひいて、右手を頭にのせるよう、再び催促してくる。

 実妹の今後のために、どうしたらこんな娘に育てられるのかと尋ねてみたが、「ホホ…、自分の娘は可愛いものですから」と、ミカンコ嬢に軽く受け流されてしまった。


「では、そろそろ時間ですね」

 お嬢様は立ち上がった。

 慶将もスマホに表示された秒針をこちらへ向けて、時間を厳に守るようにとご注意をしてくる。

 そしてこの俺も、素直に右手を差し出すしかなかったが、たしかもう少し首を伸ばせばこの角度、太筆を取りだす際のふくらみが、もっとはっきり覗けるはずである。

 ところがそうした幼気(いたいけ)なたくらみは、慶将のヒトを殺すような視線によって、あっさり放棄せざるを得ないわけで。

「どうぞ、肩の力を抜いてくださいな」

 俺の不行跡(ふぎょうせき)を露ほども知らないお嬢様が、太筆を向けてくる。

 過去にこれをやられた際には、必ずと言ってよいほどへんな光景を見せられたものだが、しかし今回は、そうした不思議なものを見せられることもなく、解封の手間も、こうすんなりソファに座ったままでいられてほっとする。


「まったく、こんな大事なときにハンチ君は…」

 ミカンコが離れると、すぐさま慶将が文句を垂れてきた。ところが、その後に続くはずの流暢(りゅうちょう)な日本語の嫌味が、聞こえない。

 ―――あん、なんだって?

 と言ったつもりの、俺の声も聞こえなかった。

 ―――あれ?

 そうした異常に気づきだすと、俺の心は大慌てだ。

 ところがどうしたことか、この身体だけはひどく落ち着いた様子で、そこにいる慶将と、勝手になにかを言い争っているのである。


 そのことを理解してくると、俺の心はますます混乱した。

 この音のまったくしない世界の中で、俺の視界いっぱいに、とつぜんお嬢様の驚いた顔が現れる。

 身振り手振りを交えながら、誰かを必死に説得しているようだった。


「ハンチさん―――」


 ミカンコの声が、はじめて俺にとどいた。

 あらためて周囲を見まわすと、ソファに座ったまま青い顔をして呆然としている慶将と目が合った。

 いったい、なにが起こったのだろう。

 右手を拡げると、そこにははっきりとした掌紋が浮きでていた。

「ハンチくん、か?」

 慶将がなにか勇気を振り絞って、おそるおそる言葉をかけてくる。それでいつもの俺に気がつくと、安堵を隠しきれないまま、ずるずるとソファに沈み込むのだった。


「僕のことが分かるようだね。一時はどうなることかと…」

「おい、何があったんだ?」

「いや、なんでもない」

 うそつけ、なんでもあるだろう。

 この身体が勝手に動いていたとき、慶将にはなにか大きな災難でも降りかかっていたらしく、その証拠に向日葵ちゃんが、背後から俺を羽交い絞めにしている。やや表情の足りないところが、かえって落ち着いた少女の趣をみせていた。

「いったい、なにがあったんだ?」

 俺は首をねじって、その妹そっくりちゃんにも問いかけた。

 まるで頑是(がんぜ)ない子供の扱いに困るように、向日葵ちゃんはお口をもごもごさせていたが、すこし思考したのち、ぼそっと言う。

希人(まれびと)


 ―――ああ、やっぱりか


 以前にも見せられたセピア色の経緯からも、なんとなく察しはついていたが、そうするとこの場合、本来の希人ご本人が俺の身体を借りてご降臨なされたということである。

 あの、恐山(おそれざん)巫女(みこ)の、口寄せのように?


「しばらく前からキミも気づいていたようだが、そのことを僕から口にしてしまうと、うわべばかりが怖がられ、キミの現状認識があいまいになってしまう恐れがあったものでね」

 慶将は歯に衣を着せない言い回しで、これだけのことを言うと、その視線をお嬢様へ向けた。

「あの、すみません、ハンチさん。隠していたわけではないのですが、私も、どう上手く説明したら良いのかと…」

 その彼女も、申し訳なさそうにしていた。

「ああ、わかってるよ、記憶ってやつだろ? 飛鳥たちが以前、なんか言ってたよ」

 自分だけは大丈夫かと思っていたが、どうやらそうでもなさそうだ。この俺も、いずれは混ざってしまうものらしい、その希人の魂とやらに。


 そこへ、俺の情けない顔でも見つけたのか、向日葵ちゃんがあやすように、優しく頭を撫でてくる。

「よしよし」

 俺は、破顔して笑った。

 これから先、この俺が憂鬱(ゆううつ)の沼に沈み込まないでいられるのなら、それはきっと『妹』のおかげなのだろう。

 なんせこの傀儡ちゃん、素直で優しく、関わるものすべてを和ませる魅力を備えていた。そして俺の本質も、よく知っているようだから。


 ほんと、妹の前では、いつだってお兄ちゃんは強くなければならないのである。


「大丈夫、俺は強いんだぜっ」

 俺は何もかもをぐっと吞み込むと、向日葵ちゃんの丸い瞳にむけて、強がってみせた。

「安心?」

「そうそう、安心」

 すると向日葵ちゃんは嬉しそうにする。

 まずはこの妹君を守ることが、兄役たる俺の努めでもあると思えたから、そんな俺が怖気(おじけ)ていたら、ますます格好がつかないだろう。


 そこへ、衛星回線を通して先生の声がした。


『どうしたの? もう一分もオーバーしてるわよ』

 慶将はすぐさま端末を手にすると、ひとことふたこと何か詫びごとを入れていた。それで俺もさっと頭を切り替える。まだまだとても安心できるものではなかったが、今はあっちを終わらせることの方が、先決だった。

「――もう解呪はできていますが、先生の方はどうでしょう、何か変わったことは?」

 その様子から、なんら変化はないらしく、そうした場合、作戦の中止も余儀なくされる。


雲集霧散(うんしゅうむさん)


 向日葵ちゃんが、ぽつりとつぶやいた。

 俺がその顔を覗くと、向日葵ちゃんはなお同じ言葉を繰り返す。

「おい、なんか言ってるぞ」

 ミカンコは俺の言葉を受けて、一度こちらをじっと見ると、そのまま視線を慶将へと振り向け、ちいさく頷いた。

「慶将くん、これはおそらく…」

「はい、やっぱりミカンコさんの危惧された通り…」

 ふたりには、なにか思い当たる節があるらしい。


「先生、そちらになにかこう、虫っぽいものが飛んではいませんか?」

 そう問いかけると、端末の小さなスピーカーから、なにか先生の息を呑むような気配がした。

 慶将は、そこから聞こえてくる物音をいっさい(のが)さじと、耳に意識を集中させる。

『虫よっ』

 先生の驚いた声がした。

「は?」

『窓の外に、大量の黒い虫がびっしり!』


 それは、さも身の毛がよだつような光景であったに違いない。


 俺も小学生くらいのころ、九州の祖母の家へ遊びにいったさい、妹とよくお寺に行って(せみ)取りをしたものである。

 田舎は都会と違って、わざわざ目を凝らして探さないでも、一本の木に勝手に百匹くらいくっついているものだから、その木を蹴とばして適当に網を振るっているだけで、自然と虫カゴは蝉だらけになった。

 そうした虫取りは、子供たちを誘惑するには十分だったが、やがて成長するうちに、人は虫に触れることさえ、忌避(きひ)するようになってくる。


 今回、その大量の虫を前にしているのは、子供心をすっかり忘れ去った大人たちばかりであった。

 しかもその対象がホタルや蝶々などではなく、ゴキブリやカメムシであったとしたら、どうだろう。

 先生は衛星の端末を他の人に預けてどこかへ避難したらしく、代わりに別の男性がでてきた。


『もしもし、代わりました。私、木村(きむら)と申します、ただいま、どこからか大量の虫がフロアの中に入ってきてですね、うわっ!』


 その黒光りのする虫たちが大きな羽音を打ち立てて、フロア一帯を乱舞しているのだという。口を開けていると、その虫が口の中にまで飛び込んでくるというので、詳しい話は聞けずじまいであったが、とりあえずは下の階まで避難するそうである。

「なんて恐ろしい」

 ミカンコですら、寒気を覚えて自分の肩を抱きしめている。

「マジでこっちにいて助かったぜ」

 俺の意見に、慶将もすなおに賛同した。


 しばらくすると、ふたたび端末から声がする。

 それはまた先生の声のようで、今はビルの警備室へ飛び込んで、そこのモニター前から、現場の様子を確認しているらしかった。

『虫たちは一ヵ所に集まりはじめたようね。丸い大きな塊となって、上の階をころころ転がっているわ』

「今回の登場は人型ではないようですね。あの、上に残っている記者の人たちは、大丈夫なんですか?」

 慶将がたずねる。

『それが、ほとんど人が見えないのよ。皆、避難したのかしら』

 けれどもすぐさま、それを否定する言葉を、先生自身が言ってきた。


『違うわっ、あの黒い塊の中に、みんな取り込まれているみたい!』


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