傀儡たちの狂騒曲 六
ミカンコは専用のクロスを使って傀儡の全身を一通り磨くと、「この子、まだ名前はないのですよ」と言って愛情たっぷりに見つめていた。いろいろ触っているうちに、なにか情でも湧いたらしい。
「美しい傀儡ですね」
慶将も、表装に映しだされた自分の顔を見て、賛意を貢ぐ。
「そうでしょう?」
傀儡の前にしゃがみこみ、お嬢様は優しくささやいた。
「芹沢先生も、この型の傀儡はご覧になられたことがないそうです」それから肩越しに、後ろの俺に眼を向ける。
「ハンチさん、ニ、三質問してよろしいですか?」
「そりゃあ、なんなりと」
少しは用心深い目をしていたと思うが、今の俺は会った頃と比べてずっとくつろいだ気分で、給水タンクのコンクリに寄りかかっていた。
「あなたのお生まれと、それから今まで通った習いごとや学校のこと、仲の良かったクラスの友達など、今、覚えていることだけでもお話して頂けますでしょうか?」
プライバシーにも立ち入った質問に、リベラルのような反発心を覚えなくもなかったが、きっとそれには何か深い理由があるのだろう、今の俺はさっさと面倒ごとを終わらせたいだけである。
ただ、質問事項を埋めてゆく間に、ちょっとばかり言いよどんだ。
「友達のことは、ちょっと勘弁してくれね? みんなにもいろいろ悪いしさ」
お嬢様の前では背伸びをしてみせたものの、それはさも友達が大勢いるかのように見栄を張っただけで、慶将もなんとなく察しているのか、よそを向いて肩を震わせてやがる。
「そうですね、他人のプライバシーのことまでは、さすがに躊躇われることでしょうから」
ほどなくして、お嬢様はやんわりと目を細め、膝に手を置き立ちあがった。
「よかった。ハンチさんはハンチさんなのですね」
「そりゃそうだろ、知りたがりお嬢さん」
よくわからんが、それであっさり通過儀礼のような芝居ごとは済んだらしい。
おかげで、自分が子供だった頃の記憶――欲しかったもの、親に反発したこと、嬉しかったこと、悲しかったこと――をいろいろ思い出し、俺は苦笑を浮かべた。
今も子供の頃と変わっちゃいないと思っていたが、思い返してみると、案外に変わってしまった部分もあるようだ。
それで一息つくと、いよいよ以て封印を解くとおっしゃられる。今回も少しばかり、そしてすぐに掛け直すというが、明るくなった俺の気持ちも一気に沈む。
「ほんとにソレ、大丈夫?」
俺は念を押すように訊いた。
「ですから、わざわざこの場所を選んだのですよ。お盆期間中は、これだけの広さの敷地に用務員の方ひとりだけしか居りませんし」
「いや、そういうんじゃなくて――まあ、いいけどさ」
今までのお嬢様の苦労を思うと、俺も付き合わないわけにはいかないのだろう。
そして、ミカンコ嬢の太筆が揮われた。
そのとき、この俺にはっきりとした観念はなかったが、確かなことは、忘れかけていた記憶を、その一瞬で取り戻したかのように、また知らない女性の姿が脳裏に描かれる。
その彼女は、古風な情景の中、はにかみながら、とぎれとぎれにお礼らしい意味の言葉を躊躇いながらも述べたのち、涙をこらえて、そっと顔を俯けるのであった。
そして、闇の中にぱっと円光が砕けて――――
遠望に燃え盛る炎の明りが揺らめく中、ずぅんと深い穴へ落ち入るように、この意識が遠のいていった。
少しもの悲しく、そしてむざむざと果てしなく落ちゆく心情の中で、しかしもうどうにも行き詰まって身動きの取れないような―――そんな息苦しさを覚えて、俺ははっと我に返るのである。
意識の世界より、ただちに現実の荒々しい世界へと立ち返らなければならなかった。なによりも、お嬢様と慶将が心配そうに俺の顔を覗き込んでいるのだし。
「大丈夫ですか?」
ミカンコ嬢は俺の頬や額に手を伸ばし、触診をしている。
「ああ、いや、なんでもねえ。ちょっと立ち眩みしただけだ」
俺は強がって二人を安心させるように言った。
「そうですか、なら、良いのですけれど…」
一度俺の顔をじっと見てから、お嬢様は沈黙と控えめの態度で、たった今まで俺の右手に触れていたあの筆を、そっと胸の中にしまい戻した。
右手を開けば掌紋がほんのり浮き出ていて、つまりこれが仮解除の状態なのだろうと――なんだかひどく懐かしくも感じられたが。
「希人、か」
俺はそれをしげしげと眺める。そしてあの哀しそうな記憶は、ひょっとしたら遠い叔父のものかもしれないと、想像するのだった。
しばらく黙り込んだあと、口を開いた。
「なあミカンコ。これをそっくりそのままコピーして、他のヤツにも移したら、そいつもやっぱり希人になるのか?」
曾祖母の代より受け継がれしその器量良しの顔をかたむけて、お嬢様はおっしゃられる。
「活花を巧みに活けてみせても、世の常の花にはあらずと―――、お花自体はその本質ではございませんの」
そこへ慶将がご注釈を添えてくる。
「その掌紋が無くなったとしても、キミ自身は希人に変わりないだろう?」
つまりこの掌紋は、地上に咲いたお花のようなもので、希人の本質は、また別なところにあるということか。
「なるほど、で、これをどうすンだ?」
屋上に敷かれた格子目の石床の先には、黒い影をつくってぽつんとたたずむ傀儡があった。個人の秘蔵品でありながら、その年代的、文化的価値も相当なようで、ほんとうにあんなものが動くのだろうか。
「では、こちらに来てください」
ミカンコに招かれ、傀儡の傍に立たされた。
「ミカンコさん、僕のやることは?」
慶将は、当然のようにミカンコの隣に位置をとった。きれいな声が応じたのは、その慶将の足元からである。なにか方位磁針のような丸いものを地べたに置いて、方角を調べているらしかった。
「ぴったり合っていますので、もう大丈夫ですよ、あとはハンチさんにして頂くだけですから」
慶将は、ほっと肩をすくめて息をする。この重たそうな物体をこれ以上動かさなくて良いと主から言い渡され、安堵をしているようだった。
「ではハンチさん、その御手で、この子の額に触れてあげてくださいな」
ミカンコ嬢はそうおっしゃられるが、この末広がりな物体のどこに額があるというのでしょうかね。
「つまり、そのてっぺんですわ」
「真ん中あたりで、いいのか?」
「はい、そのあたりで…」
しかし『この子』とは、その法師の気質から、彼女は無機物にまでいたわる心づかいなのである。
俺は苦笑しつつも、傀儡にかるく触れてみた。
この炎天下のもと、それはひんやりとした心地を示すだけで、なんら変化はみられない。
「おい、やっぱ壊れてねぇか?」
そう俺が口にした途端、ちいさく唸る音がする。
はっとして眼を向けると、その俺の触れたところに小さな光が一滴、それがすっと側面に垂れ零れて、さまざまな細工が施された隙間のあいだを、縦横無尽に駆け巡る。
俺と慶将が驚きの目で見守る中で、雫のひいた光跡は次々に分割し、扉を放つように各々の細工が外側へと開いていった。それが全身にまで及ぶと、今度はその扉が順々に、内部へと引き込まれてゆくのである。
小さな扉が取り込まれるたび、その傀儡はぐんと背が伸びて、代わりに胴体が柔らかな丸みを示しつつ、細く優雅に引き締まっていった。
一部の取り込まれない扉からは、ヒトの腕のようなもの、そして脚のようなものまで飛び出てきて、俺たちを驚嘆させるのだ。
「おい、これって・・・」
「ああ、間違いなく、ヒトの形だね」
やがて俺の触れた額の部分まで割れだすと、そこからは完成された頭部が立ち上がってくる。ご丁寧にさらさらとした繊細な髪の毛まで備わっていて、その面立ちを見つけた瞬間、俺は仰天して、大声で叫ぶことになるのだった。
「ひ、陽葵ちゃんじゃねーかよっ!」
もうこれ以上変化することのない傀儡は、俺の良く知る少女の裸身を示して立っていた。まるで本当の一個の人間が神の手によって創造されたのを、たった今、この眼によって目撃したかのように、俺たちふたりは呆然とするばかりである。
「まあっ、ハンチさんの妹さんを…」
ミカンコも興奮したように、その妹そっくりな傀儡に近寄って、上から下までじっくり眺めると、すこし小さく声を上げ、慌ててその裸身にスポーツタオルを巻くのであった。
そして、傀儡の肩越しに、じっと見守る二人の男を顧みて、
「だめですよ、ただの傀儡ではないのですから。もうっ、嫌なひとたちね」
可笑しがって叱るような窘め方をしてくるのである。
「ああ、いや失敬」
こうしたときにも、慶将は実にスタイリッシュに顔をそむけてくれる。
しかし俺の方はそれどころではない。妹そっくりの傀儡を前にして、その理由を聞かなければ、どうにも納得できない態度でお嬢様に迫った。
「なんで、陽葵ちゃんそっくり、つうか、そのものじゃねえか、これ!」
どのような角度で眺めてみても、その姿には一片の違和感すらなく、あの先ほどまで陶器のつるつるしていた表面ですら、今はいやに柔らかな肌を整えて、本物の少女の質感まで備えているようだった。
「これは現在、あなたがもっとも愛おしく感じている対象を模倣して、こうした姿を模ったのです。このエチュード(試作器)は、もともとそうした構想のもとに作られたものですから」
「なるほど、もっとも愛おしく感じている対象を…?」
その言葉の意味をかみしめるにつれ、俺の顔にはだんだんと血がのぼってくる。
そして急いで振り返り、そこで俺と距離を保つような態度を示しつつある慶将くんに、慌てて弁明めいた申し開きをするのであった。
「いや、俺、そういうのじゃねえからっ、ただ妹ってだけで、そういうの求めているわけじゃあ、ねえから!」
「いやいやハンチ君、そう恥ずかしがらずとも結構、自分の妹を溺愛する、それは重症のシスコン患者としてひどく自然なことだからね。ただ願わくば、きちんとゴムを使用してあげることを―――」
「何のゴムだよっっ! つうか、ほんとうにそういうのじゃねーから!」
慶将だけに喋らせていると、もうとりとめもなく、めちゃくちゃである。
「当時、ひとつ子の亡くなられた帝を慰めるために作られた、特別な傀儡でしたから、模倣する対象は、妹さんの姿がもっとも相応しかったのでしょうね」
真面目そうに申しても、手で口許をそっと隠す仕草なんぞは、ミカンコがこちらのやり取りをおもしろがっている証でもあった。
「帝って何よ、いったい、いつの時代の話?」
「現在の陛下が、そう御呼ばれしていた古い時代のことですわ」
まあなんだかよく分からんが、つまりはあのメカ陽葵ちゃん、そうとうな骨董品ということである。
ミカンコが傀儡の衣服を用意している間、俺と慶将は鷺ノ宮家の家紋の入った風呂敷を持って、周囲の後片付けをはじめた。
この体温に近い真夏の環境下でも、慶将はミカンコのためであれば平気で汗だらけになって荷物を運んでいた。
俺の方は情けなくも、暑くて疲れてもう限界である。
好きな女のためならば、あの男は馬車馬のごとく身体を動かすのも厭わないらしい。
「うん、疲れたのかい?」
慶将が物思いをさえぎった。
「まあな、お前ほど体力ねぇんだよ」
俺はシャツの内側に風を通しながら、眼下の街並みに目を凝らす。
「なあ、これから、あの傀儡でどうすんだ?」
「ふむ、キミの愛すべき妹君のことだ、きちんと説明した方が良いだろう」
「まだ引っ張りやがるかよ」
不服そうに鼻を鳴らす俺の傍へ、慶将もやってきて、風通しの良いフェンスに寄りかかった。
「実はあのヒーローを誘き出すのに、格好のイベントが、近々あるんだよ」
「なんのイベントだ?」
「ほら、今度また、選挙があるだろう?」
「選挙? そういや、今朝もテレビで言ってたなあ」
先日に公示された参院選は、金融緩和策の維持と新たな財源を求める与党に対し、重税と物価高を問題視する野党などが見直しを求める構図となっていた。
その前哨戦として、記者クラブのプレスセンターでは、党首討論が行われるというのである。
「その際、各報道局の政治部の記者たちも、必ず揃うはずなんだよ」
「つまり、ヒーローとなる傀儡の種を持っている記者も、やって来るってこと?」
「まさか官房長官の取材のときにだけ現れて、肝心の、首相討論のときに来ないなんてこと、ありえないからね」
「ふうん」
「そこで、一時的にキミの封印を完全に解くことになる。影響は全国の傀儡や従者たちにも及ぶのだろうが、ほんの五分ほどの作戦時間であれば、かなりリスクは下げられるはずだ」
ははあ、つまりはあのエイドマンさんに、再びきっちり暴れてもらって、大義名分を整えたのち、妹ロボを出撃させると?
「いや、出撃させない」
「え? じゃあなんでこっちも傀儡を用意したの?」
俺は顔を向けて不思議がる。
「ミカンコさんが言うには、あの傀儡は完全な野良で、誰かの影響を受けこそ、支配されているわけではないらしい。そうした傀儡は、行動原理にプロテクトが掛かっていないから、同じ傀儡でたやすく行動の動機が読み取れてしまうというんだよ」
「つまり、機密情報を暗号化せずに平文で流しているってことか?」
「そんな感じだね。そこでこちらの傀儡を利用し、行動の先読みをして、捕獲、もしくは破壊してしまおうという算段なのさ。それだけなら、ミカンコさんのご友人の方たちだけで十分だろうし」
「そりゃあいい!」
なら俺は、封印を一時的に解かれるだけで、あとは良きに計らえ、で済むわけだ。
「何もしなくていい、と言ってあげたいところだが」
「え、まさか手当とか一切なしで俺も東京まで行けと?」
「いや、さすがに彼女だって、高校生の僕らをそこまで使うつもりはないよ。それは大人たちのする仕事だからね。ただ、シスコンのキミには愛すべき傀儡と一緒にいてもらわないと――」
「だあから、シスコンじゃねーって!」
ちょうどミカンコが傀儡の支度を終え、戻って来たのは幸いである。この男に妹の話をさせていると、まったく収拾がつかないのだから。
「当日は、皆で学校の部室に集まるのが良いでしょう。それでこの妹さんそっくりの傀儡が、ハンチさんに伝えたことを、私たちに教えてくだされば、それだけで済みますので」
お嬢様のすぐ後ろには、陽葵ちゃんそっくりの傀儡が、両手を前にそろえて上品に畏まっていた。
俺を視界にいれた瞬間、なにかニッと笑って手でも振ってくるような錯覚を覚えたが、やっぱりいつもの見慣れた妹とは違うようである。
「へえ、ずいぶんと上等な御べべを着せてもらって」
それはお嬢様の御下がりの浴衣なのだろうか、金魚の柄の、ずいぶんと可愛らしいもの。
「ほう、似合うな」
隣に並んできた慶将も、顎に手を添え感心そうに呟いていた。
「どのような姿になるのか、私もわかりませんでしたので、いろいろご用意させていただきましたが――」
ミカンコは持参してきたスポーツバッグをあけて、帯や着物などを、選んで出した後、この浴衣に決めたらしかった。
「それで本日は、ハンチさんにお願いがあるのですけれど、今夜一晩、この子をお預かりして頂けませんでしょうか?」
そんなことをいきなり言われてしまい、俺も面食らった。今日はこのまま帰って、家でのうのうとしているつもりだったのに。
「問題ないでしょう、ハンチ君のご家族は、ちょうど帰省中のようですから」
横から慶将が、よけいなことを申してくる。
「まあ、それはちょうどよかったですわね。決行日まで、あまり日にちがございませんの。お互いに早く慣れてくだされば、このあとも何かと円滑に事が進みますから」
そこのお嬢様からも、手を打ち合わせて信頼する瞳を向けられてしまっては、しぶしぶと頷くしかないのだろう。
「―――では、こちらの陽葵さんも、よろしいですか?」
すると、傀儡は可愛い声で返事をするのである。
「首肯」
俺はびっくりして眼をむく。
「しゃべった!」
「口を、利けるのですか?」
大概なことは知っている慶将も、これだけは知らなかったようだ。
「ホホ、もちろん喋れますわ」
ミカンコはひどく可笑しいらしくて、ひとり笑っていた。
そして咳払いをひとつ、真面目な顔に戻ると、
「かつての法師たちの、先駆的集大成と呼ぶべきものが、実はこの子なのです。長い歴史の中で、ひそかに骨董商の手に渡った時代もありましたが、ハンチさんも、ご油断召されませぬよう、この子にも、はっきりとした自我がございますから」
そんなことを、お嬢様は真剣そうにご注意してくるのである。