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その奇譚(きたん)、叶えるのは難あり  作者: あみの よもやま
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傀儡たちの狂騒曲 五

 この高校に入ってから、最初の現国の授業で、各々読書の思い出を語るよう、先生から言われたことがあった。

 中学一年の時に「ゲーテ」を読んだとか、田辺哲学の入門書を理解するのは骨が折れたとか―――挙手をして、はきはき答える連中の影に埋もれて、無学の俺などは、(すみ)っこに縮こまってしょんぼりとしていたものである。


「ホホ…、それは最初の授業で必ず問われるものとして、中学から上がってきた内部生たちの間では、もうすっかり周知されているものですのよ」


 ミカンコがあとからこんなことを教えてくれた。

 つまり、皆はあらかじめ用意してきた模範的返答をしただけという――なあんだ。

 俺はヘンな安堵を覚えてほっとした。

 ところが、そんなものでも動機になって、俺は試験の結果を良くするだけではない読み物にも、いろいろ目を向けるようになっていた。

 おかげで、今では空想科学もそれなりに(たしな)むことができている。

 化学や物理学には、いたって弱い俺だけどね。

 ともあれ、これからミカンコ嬢がお披露目するのもまさにソレであった。

 陰陽五行のサイエンスなどという、わけのわからん空想科学で創造されたと俺が申し述べるのもよけいなこと。とにかく、百聞は一見に如かず、ぜひご覧になっていただきたい。



 さて、八月も盆休みになると、毎日行かねばならぬ学習塾も、五日ほどの期間を設けてひと休みとなる。

 本来なら、俺も九州にある母さんの実家へ家族と出向くはずが、あのような進学校に入ってしまったのが運の尽きだ。

 もっとも、休みがたった五日しかないのであれば、九州までの交通費がもったいないというのが、うちの両親の本音だろう。


 というわけで、築二十五年の中古物件のこの家も、たった一人きりになってしまうと、やけに広々と感じられた。上の自室から下の居間まで寝っ転がっていける自由さもあって、朝の七時半には整うはずのこの支度も、時計を見ればもう八時すぎである。


 結局、ミカンコと約束した時間よりも小一時間ほど遅れて、俺は学校に到着した。

 気の抜けた休暇モードの脳みそでは、まあこんなものだろう。

 ミカンコたちは部室で首を長くして待っているのかもしれない。とはいえ、せっかく来たのだから夏休みの静まった教室などを覗いてみたりもする。もちろんそこには誰もいなかったが、俺の机の上にだけ、一枚の紙が置かれてあった。

 それはコピーし損ねて、斜めに印刷された夏休みの課題の一部らしく、その裏に、えらい達筆な筆字で『屋上にまでいらしてください』とだけ書かれていた。

 あれこれ詮索せずともこの筆跡、まちがいなく、あのお嬢さまご本人のもの。

 俺が一度教室に来ることを見越して、このような書置きを残してくるとは、さすがは空前絶後で超絶怒涛(ちょうぜつどとう)のミカンコお嬢さまなのである。


 それでよく昼休みに利用する屋上へと、俺は大汗をかきつつ階段を駆け上った。

 屋上にはミカンコだけでなく、慶将(ちかまさ)の姿もあった。

 もしやあの可愛い荒川ちゃんもいるのかしら、と期待したが、さすがに呼べるはずもないようだ。

 しかしながら、いったいあれは何ぞ。

 給水タンクの手前にそびえ立つ、信楽焼(しがらきやき)のタヌキのような褐色のずんぐりした物体が、俺にはどうにも気になった。

 いかにもお役目大事とばかり、ふたりとも何かの作業に夢中らしく、この俺も遅れてきた手前、ちと声を掛け辛い。

 しばらく遠くから黙って見物していると、振り向いてきたミカンコが、大きな声で呼び掛けてくる。普段と違って他に人がいないから、そうした声も出せるのだろう。


「ハンチ君、遅いぞ」

 慶将が恨めしそうな顔で、俺を見てきた。

「いやあ、むしろ遅くて正解っぽいようなんだが。ホントご苦労さんだな、おまえも」

 これをわざわざ屋上まで運んできたヤツの苦労を思うと――俺は哀れみを含んだ声で労ってやった。

「まったく妙なところで要領がいい。キミは」

「まあまあ、怒らない。それで、このへんちくりんな土偶だか焼き物みたいなの、なんなの?」

 俺はそれに手を触れてみる。つるつるとまるでガラスのような感触だった。

「これは、当家の正倉から持ってまいりました、古い傀儡(くぐつ)ですわ」

 ミカンコがそう答えた。

「傀儡?」

 いつもならもっと驚いてみせてもよいものを、今までに幾度となく非常識な洗礼を浴びてきたものだから、俺もそうしたものに半ば食傷し、もう慣れっこになっていた。


「あの永田町の、US・エイドマンみたいな?」

「ええ、原理は同じですよ。けれども、これはずいぶんと古い時代に成形された大掛かりなもので、正倉のずっと奥に保管されていたものなのです」

「古い時代って、いつよ?」

「さあ、あれからどれくらい経つのでしょう」

 ミカンコはその傀儡の周りを歩きながら、しげしげと見ている。

 それで俺も腰を落としてよく観察してみた。それは美しい細工の造詣を張り巡らされた、美術的にもかなり精錬された感じの、しかし妙に非生物的なデザインである。

「なんかの生き物を模したようだが、頭がないな、これ」

 非生物的な、と俺が評した理由が、それだった。

「頭は、これから作られるものですから」

「作る?」

 なんだろう。今日は皆で屋上に集まって陶芸大会でも催すつもりだったのだろうか。

「いえいえ、そうではありません。傀儡というのは、使役者の意志を反映するものですからね。頭部も、それに同調して変化(へんげ)するものなのです」

「へえ」

 使役者の意志ねえ。


「最初の頃の傀儡はサイズも大き目で、そのうちに法師が持ち運べるよう、木か和紙で作られるようになったらしい。それが洗練されて、全盛期には手のひらサイズにまで小さくなっていったそうだ」

 横から慶将が、聞かれてもいないのにウンチクを述べてくる。

「当時は、加工しやすく手に入りやすい材料のほうが、法師たちの稽古(けいこ)にもなりましたからね。杉、ヒノキ、柾木(まさき)、磯松、伊吹(いぶき)などの、稽古用として手ごろな三年めくらいのものが、よく使用されておりましたの」

「ほう」

 よくわからん俺は、簡単な受け答えだけをする。

「もちろん、わざわざこれだけが陶器で作られたのには、相応の理由があったわけなのですが…」


 ミカンコは足元に置いてあったバッグから、まっさらな楮紙(こうぞし)を取り出してくる。すると慶将が、この強い陽射しの下での書き物は眼に障るとばかり、給水タンクの影めいたところにまで彼女を導くのである。

 それを日向(ひなた)で俺が暢気(のんき)に眺めていると、あのぶっとい怪しげな筆を、おもむろに胸元から引っ張り出した。

「お、おいっ!」

 思わず大声を上げかけたが、俺に向けて使用されるわけではないらしい。

 ミカンコはプラスチックの下敷きの上に紙片をのせ、そこにさらさらと筆先を振るっていた。


「なあ、慶将。いつも思うんだが、インクも墨汁もないのに、あのおかしげな筆、なんであんなにくっきりはっきり書けるんだ?」

 俺は腕を組んでじっと眺めているイケメン小僧に、こっそり聞いてみた。

「僕にも理解不能だね。でも、そうした不可思議なことが現実にあった方が、生きていて楽しいと思わないかい?」

 それは手品(マジック)とか見世物までの話だろう。現に実害を及ぼしかねない法師のすることだ。少しは理解していたほうが、あらかじめ予防策も取れて安心できるというものである。


 少しして、ミカンコは書き終わったらしく、丁寧に横に揃えられた前髪の顔を上げてくる。

「ハンチさん、私の法術が怖いですか?」

 こう言われて、俺もまごついた。

「ホホ、ご安心ください。私のする(まじな)いで、間違いを犯したことなど、いままで一度たりともございませんから」

 それがミカンコの自慢らしかった。

「この傀儡を動かすにあたり、本来であれば少し補修しなければならないのですが、今回はこのご呪印で…」

「では、拝見しましょう」

 慶将は、ミカンコから受け取ったできたての呪符印をしげしげと眺める。

「なに、そのややこしい文字、読めんの?」

 俺が聞くと、慶将は声を立てて笑った。

「この符文(ふもん)のことかい? 読めるわけないさ。単に、芸術的な眼で鑑賞しているだけだよ。一度でも書道に携わった人間なら、彼女の描く文字が、いかに美しいかよく分かるだろうね」

「さようで」

 その書道とやらに縁のない俺は、なにやらハブられているような気分である。


 慶将は呪符印を手にしたまま傀儡の前にしゃがみ込むと、模様の浮き出たその表面を指でなぞりながら何かを探していた。ミカンコが言うには、底の方に彫りの消えかかった細かな符文があって、今はそれを探しているらしかった。

 その場所を探り当てると、慶将は呪符を表面の凹凸(おうとつ)に詰めるように、慎重にぴっちり貼り付けてゆく。しばらくして、傀儡の補修は何事もなく終わった。


「僕は壁紙の模様替えも、よく自分でやっているからね。この程度のこと、造作もないさ」

 俺がその手際をうっかり褒めると、さもあたりまえのように自慢してくる。

「慶将くん、ご苦労様です―――暑かったでしょう? ひとつお茶でも召し上がってくださいな」

 ミカンコは、隅っこに置いてあるクーラーボックスからペットボトルのお茶を人数分取り出して、それぞれに手渡した。何もしないで見ていただけの俺は、ただ貰うばかりでたいへん気が引けるのである。

「大丈夫だよ、キミにもきちんと役割が残されているから」

 慶将が不気味なことを申してくる。

「や、役割って、何じゃ?」

「それはもちろん、ハンチくんにしかできないことさ」


 今までの恩義(おんぎ)をひとつひとつ(はかり)に載せてゆけば、ここで気軽に断れない理由が俺にはあった。

 どうもミカンコは、このたいへん古そうな傀儡(くぐつ)を、希人の力で起動させたいようなのだ。


「大丈夫なの? そんなもん動かして。爆発したりしない?」

 俺がそう不審がるのも無理はない。この手の封印を解いて、過去、ろくな目に遭っていないのだし。

「ご安心ください。そのために、わざわざ屋上まで運んだのですから」

 ちっとも安心できないお嬢様の口ぶりである。

「これも、東京の傀儡を駆除する作戦の一環でね。そのためには、一時的にせよ、封印を解かなければならないから」

 それで、傀儡には傀儡を当たらせようという算段なのだろうか。


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