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その奇譚(きたん)、叶えるのは難あり  作者: あみの よもやま
25/33

傀儡たちの狂騒曲 三

 からっとした風の吹く、梅雨まえの午後の日盛りであった。

 校庭での走り込みのノルマを終えると、俺は先に到着していた連中の間に分け入って、奥のひんやりした芝生に腰を降ろす。

 暑光(しょこう)のもとにさらされて、やや身体が汗ばんでくるよう。となりで付かず離れずにいた飛鳥(あすか)も、上気したように頬に血をのぼらせていた。

「わかっちゃいたが、一学期は、ほぼ基礎トレばかりでつまらねーな」

「仕方ないよ、いきなり跳んだり跳ねたりをさせて怪我でもしたら、先生の責任にもなるからね」

 飛鳥は体操着の襟元をおおきく広げて、涼しい風を胸板に通しながら、俺のボヤキに応じていた。


 次の指示があるまでは、こうしてのんびりしていられるのが、体育の唯一の利点である。

 近くでめいめい(くつろ)いでいる男子たちは、成長のムラなく長い脚のシュッとしたスタイルで量産された人間たちばかりであったので、さしたる特徴もなく、眺めていてもやや面白味に欠ける。

 この規格正しい集団の中に、一人くらいは規格外が混じっていても良さそうなものなのに――。

 そんなことを考えていると、待望のトンデモ規格外が大地を揺るがせやってきた。

 身体が大きい分、基礎的な運動には有利かと思われたが、意外と、その質量がたいへんな負担となるらしい。


「僕は、重力圏だと身体が重くって」


 到着早々、久場は奇妙な言い訳をする。

 従者(ズサ)であるはずの大男も、希人さまの電力を止められているせいか、平均以下の運動能力しか発揮できないようなのである。


「なんだか、退屈そうだね」

 飛鳥(あすか)が、この俺の顔をみつけて聞いてくる。

「今日は女子の姿が見えねーからな。つか、楽しいことなんてあるのか? この授業」

 鐘が鳴ったら点呼して、柔軟して筋トレして走り終わったらココである。監督する男の先生ですらひどく退屈して、今は保健室の窓に顔をつっこんで、なにやらお喋りに興じているではありませんか。


「ところでハンチ、どのくらいの情報が集まったの? 東京で傀儡(くぐつ)が現れたらしいじゃない」

 体育座りをした飛鳥が、すっと目を細めて()いてくる。俺が言葉を詰まらせていると、さらに続けた。

「ボクだって従者(ズサ)になったんだから、それくらいは気づくさ。ね、久場くん」

「え?」

 その久場は、俺と飛鳥を見比べてから、お愛想笑いなどを披露する。

 ほんとうに分かっているのか怪しいが、まあこのくらいなら二人に話してしまっても構わないだろう。特に口止めをされているわけでもないのだし。


「ああ、その程度か…」

 正義のヒーロ―のことをかいつまんで説明すると、飛鳥は拍子抜けしたように、眼を和らげた。

「その程度って、あんなんでも結構騒ぎになってんぞ」

「そりゃお役人は大変だろうけど、ボクの知る傀儡に比べたら、アリンコみたいなもんだからね」

「ん、なんか知ってんのか?」

 俺が訊くと、飛鳥は空を仰ぎながら、とぼけたように呟く。

「ふうん、そういう話は、まだ出てないんだ…」

「いかにも、なんか知ってますう、みてぇな感じだよな」

 それで久場にも目を向けると、穏やかな顔に苦笑を浮かべている。

「なに、おまえも知ってんの?」

「僕は、その、当時の記憶があまり無いから、分らないんだな」

「なんだよ当時って。いつ頃の話だよ」

 半ば冗談かと思って気軽く尋ねたが、久場は奇妙なことを言いだした。


「呉の造船工場で働いていた記憶が最後だから、僕はそこで空襲に遭って、お陀仏(だぶつ)になったみたいなんだよ」

「なんだって?」

「生家はありふれた農家だったんだ。将来、呉市内の利便の良い場所に、文化設備の整った家を建てたいと思って、そのつもり働いていたんだけどね。まだ、二十五歳くらいだったかな」

 眉をひそめている俺の顔を見た飛鳥が「そういえば、『記憶』について、まだハンチに話してなかったね」と言って、可笑しがる。

「どういうことなんだ?」

「――あははっ、まあ夢の話みたいなものだよ。彼は普通の人間として死んだのさ、前世では」

 また担がれているのかと思ったが、久場の生真面目で愚直な為人(ひととなり)のことを理解していると、今しがたの一連の態度とやりとりは、あながち嘘であるとも思えない。

「へえ、久場くんほどの猛者でも苦労しているんだ。希人がいない時代、あるいは封印されている時代では、やっぱりそんなものかな。それでも、ボクたちは投げ出すことができないんだよねえ、この『記憶』ばかりは…」


 ―――虫の声鳴く黄昏は、往来の足音さえ優しく聞こえ、老松が石垣の上から影を伸ばし、人々の表情も穏やかになる。朽ちた鼓楼(ころう)に、華やかな明かりが灯り、箏曲(そうきょく)が通りに漏れ聞こえだすのもその頃だった。


 飛鳥の記憶にある、凶刃に倒れた、自身の最後というものは。


放蕩(ほうとう)の日々、妓楼(ぎろう)で稼ぐか、賭場に出向くか――芸者として足の向くまま、気の向くままだったのさ。だから恨みもいろいろ買っていたのだろうね。あの頃の姿を知っていたら、ハンチも、ボクに対する印象はだいぶ違ってくるんじゃないのかな」

 飛鳥は、しんねりとした目で俺に絡んでくる。

「なに? 当時、おまえ売れっ子芸人さんだったのか?」

「そうじゃなくって――」

 笑いをこらえるように、飛鳥は顔を俯けた。

「なんなんだよ」

 不審がるこの俺に、久場が驚くべき解釈を明かしてくる。

「彼、おそらく前の記憶では、女性だったんじゃないのかなあ」


 どうして久場がそれに気づくのか、やはり(イヌ)同士、相通ずるものでもあったのだろうか、俺はまったく面喰って不意をつかれた形だった。

「え、ホントなの、飛鳥?」

 おろおろする俺を尻目に、女として生きていた習慣のことも経済のことも、飛鳥はぜんぶ話してしまうと、芝生の上に寝そべってため息をついた。


「ボクらの言う『記憶』ってさ、後付けの魂みたいなものなんだよ。やたらと長ったるい叙事詩(じょじし)を、ふとした瞬間に思い出して、自我に変質をきたす。令和の高校生のように振舞おうとしても、昔の教養が邪魔をしてくるんだよね。だから、自我のジレンマみたいなものも生じてくる――」


 飛鳥の独りごちる顔には、柔らかな苦笑が浮かんでいた。

 俺も気づいていたわけではないのだが、今思えば、ときおり、向き合った際にも見せた表情から、臈長(ろうた)けた雰囲気が、少なからず混じり込んでいたのを覚えている。


「あの頃、ボクを支えていたものは、自分の手に握られていたべっ甲の(ばち)の手ごたえだったのかもしれない。糸に撥をおろすと、ピンと音が弾かれる。そのリアリティそのものが、ボクをボクたらしめていた。これは民族のもつアイデンティティとはまったく別の感覚でね。自然界のあり方とは少し違っているものなんだよ」

 そして飛鳥は、芝の草をちりちりと指先でもてあそびながら、笑いかけてくる。俺はなにか声をかけようとしたが、考えるにつれ、飛鳥と自分の立場について、まごついてきた。

「いや、その――飛鳥サン?」

 飛鳥は吹きだす。

「ハハ、やめてよ、同じ高校生なんだよ。それがボクの自我なんだから、今まで通りの扱いでかまわないよ。それよりもさ、ハンチはどうなのさ?」

 どうなのとは?

「えっと…」

 飛鳥は、なにかはっとした態度で視線を彷徨(さまよ)わせると、久場としばし顔を見合わせる。その含みのありそうなふたりの態度が、俺の心にはどうにも引っかかったが、しかし従者(ズサ)たちの表情からはなにも読み取れなかった。

「いや、ほら、東京の傀儡(くぐつ)、そのままほったらかしにしておくわけにはいかないでしょ?」

 飛鳥は別のことに気を取られていたような口調で言い、それに久場も同意した。

「う、うん。今は、ハンチくんの神通力も切れているからねえ。また封印を解いたら、同じような騒ぎが起きるはずだよ」




 天下泰平の折、政府中枢への襲撃の報に、地上波各局は湧きたった。(おのの)くのではなく、湧きたつところがまた土俗的なのだと、慶将(ちかまさ)も呆れていた。

 まあ幸い、治安ハ目下維持セラレ、各々安堵シ、ソノ業務ニ従事セラレヨ、との通達があったので、警視庁も(やぐら)を組むことなく、今のところ、都心はいたって平穏である。

 しかし実情を知っているこちら側としたら、安堵とはいかない。大手メディアのように、遠い日のたわけたことのように忘れ去るわけにはいかないのである。


 ゆえにその日の放課後、ひそかに忘却を打診するつもりでいたこの俺へ、お嬢様はきりりとした態度でおっしゃられた。

「ハンチさんの封印も、だいぶ(ほころ)びが目立ち始めておりますので、もはや暢気(のんき)にしてはいられませんのよ」

 そして悪戯小僧を見つけたように、指先で俺の頬を突いてくる。

「やはり魔人相手だと、そうとうな負荷があったのではないかな。希人の莫大な力を今まで押し止めていられたのは、奇跡のようなことだったらしい」

 慶将も一大事のように力んで言った。

「あの時代にいた立派な法師たちも、戦後の経済社会の中では、残念ながら後継者もおらず、そのまま皆他界しておりますので――」


 それで現実的な判断として、鷺ノ宮家と個人的にも親交のある、政界の(もと)有力一族へ助力を仰ぐことにしたという。

「元、有力一族?」

「はい。かつて、政界に偉大なると存在視されたその方は、もうすでに亡くなられて、今はその孫娘が統率者になっておりますが、政界に影の内閣が蔓延(はびこ)るようでは、正義公道も半分の価値すらない、と彼女はおっしゃって半ば引退、特権にしがみついたかつての支持者らによって、反旗を翻され、今は遠島の憂き目に遭っているようなのです」

「その人が――女の人なのか? 迷惑がられるんじゃね?」

「いえ、むしろこれ幸いと――」

 ミカンコ嬢は顔を俯け小さく笑う。

「――ホホ、小さな神様のお相手だけでは、あの方も退屈なだけでしょうし」

「はあ」

 慶将は、棒を呑んだように突っ立っている俺の肩へ手をおいた。

「実はその人に、外部委託として、うちの部の顧問まで引き受けてもらう予定なんだよ」


 俺はどう答えたらよいのか、判断に迷って黙っていた。仕える女主人の気風をのみこんでいる慶将からすれば、それも称賛に値することなのだろうが、なにかこれからややこしい事態が起きるようにしか、俺には思えなかったのである。


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